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その男、幸運につき  作者: RYO太郎
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第1章 その男、犯人につき その①



 彼女はしばしの間、怪訝な顔つきで目の前に座る男の顔を見つめていたが、やがて手にするナイフとフォークを皿の上に戻すとその男に声を向けた。


「どうかしたの、俊彦さん?」


「……えっ?」


 ふいに鼓膜をたたいたその声に男は――北村俊彦は驚いたように顔をあげ、テーブルの向かい席に座る女性に視線を転じた。


 細身で長身のモデル風の女性で、すごい美人というわけではないがコケティッシュな顔だちをしている。


 名前を相澤恵美といい、北村の恋人である。


 その恵美に北村は慌てた態で聞き返した。


「な、何か言った?」

 

「体調でも悪いの? さっきから様子が変だけど」


「い、いや、別に体調は悪くないけどね……」


 と、北村はぎこちない笑みを浮かべ、「ちょっと考えごとをね。ハハハ」


「そうなの? でも……」


 恵美はテーブルに視線を落とした。視線の先にある北村の料理は、ほとんど手つかずのままだった。


「なんだか食事のほうも進んでいないみたいだし……口にあわない、ここの料理?」


「そ、そんなことないよ」


 北村は慌てて料理の一品を口に運び、「とっても美味しいよ、うん」


 北村の言葉に嘘はない。


 口にしたのはウサギの肉のゼリー寄せという、北村自身これまで見たことも聞いたこともない料理なのだが、これが絶品だった。


 恵美が笑う。


「そうでしょう。ここの料理長ね、フランスで三ツ星の評価を得た名シェフなのよ」


「へえ、それはすごいね」


 何がすごいのか、じつのところ北村にはよくわからないのだが、とりあえずそう答えてワインを飲んだ。三ツ星の評価とやらがどれほどすごいことなのか、次のデートまで調べておかなければ……。


 北村俊彦はこの年二十七歳になる。大手ゼネコン【大東洋建設】の総務部に勤務するサラリーマンである。


 都内の某私立大学を卒業し、入社して今年で五年目。同期の社員の中には名刺に「長」の文字を刻む者もちらほら出ている中、いまだに平社員のままだが、劣等感などすこしも抱いていない。


 その北村とテーブルを挟んだ向かいの席でワイングラスを手にする恵美は、都内の女子大学に通う二十二歳の女子大生である。


 よく有名私立の女子大などに行くと、一目で「箱入り娘」とわかる女性を見かけることがあるが、恵美はまさにそれだった。


 育ちの良さ、気品といったものが全身からオーラのように発せられていて、純粋培養育ちの「お嬢さま」であることを、言葉ではなく容姿で主張している。そんな恵美と北村は週末の今宵、都内にある高級フランス料理店でデートを楽しんでいる最中だった。


 北村と恵美が知りあったのは今から半年前のことである。


 北村の同僚社員が、自身が企画した女子大生との合コンに北村を誘い、その席上、隣りあって座った女性が同じように友人に誘われて参加していた恵美だった。


 なにげなく話を向けると、意外なことに恵美も、自分と同様に大のプロレスファンであることがわかり、すぐに意気投合。さらには、


「プロレスに興味のある友人がいなくて、いつも一人で観戦しているんです」


 という悩みを知り、


「じゃあ、今度一緒に観にいかない?」


 という冗談半分で口にしたこの一言がきっかけとなり、恵美との交際が始まったのだが、このときすでに北村には同じ大東洋建設に勤務する恋人がいたこともあって、当初は観戦のみの関係でしかなかった。


 だが北村自身。これまで接したことのない「お嬢さま」の恵美に、しだいに惹かれるようになり、さらに彼女が勤務先である大東洋建設の重役、相澤幸広専務の愛娘であることを知ると、交際中の恋人のことなどすっかり忘れ、熱烈な恋心を燃やしはじめた。

 

 一方の恵美も、趣味が悪いのか、それとも男を見る目がないのか。


 観戦を重ねるうちに北村に好意を抱くようになり、かくして二人の仲は日々深まり、ついには恋人関係へと発展したのである。


「ところで俊彦さん。最近、会社のほう大変なんでしょう?」


 赤ワインの入ったグラスを軽く揺らしながら恵美が訊くと、ナプキンで口元を拭きながら北村はうなずいた。


「うん、まあね。夏にはオリンピックが始まるというのに、そのために請け負った施設の建設工事が人手不足で予定通り進んでいないし、ウソかホントか知らないけど、そのオリンピック終了後にはリーマンショック級の不景気が来るという、とんでもない話も耳にするし……」


「そういうことじゃなくて……」


 ワイングラスをテーブルに戻し、恵美は語をつないだ。


「私が言っているのは、例の事件のことよ」


 その瞬間、北村の眉目がびくりと反応した。


 そして数秒の沈黙の後に、北村は恐る恐る問い返した。


「……事件というと?」


「ほら、梅本さんという女性秘書の方が殺された事件よ」


 その瞬間、今度は北村の顔から血色がスーッと消えたのだが、そんな北村の変化に恵美は気づかなかった。


 恵美が口にした「事件」というのは、今から二週間ほど前に大東洋建設に勤務する女性社員が、一人で住んでいる自宅マンションで何者かに殺害された事件のことだ。


 女性の名を梅本香織といい、役員秘書室に勤務する女性秘書であった。


 学生時代にはファッション誌のモデルとして活躍していたほどの美貌の所有者で、社内では知らぬ者がいないほどの有名人だった。


 その美人秘書が殺されたとあって、事件直後の大東洋建設はちょっとしたパニックに陥ったほどだ。

 

 所属が異なるとはいえ北村もその女性秘書のことはよく知っていた。それも「公私」にわたって……。


「ああ、あの事件ことね」

 

 そう応じた北村の声と表情は明らかに硬かったが、恵美が気付くことはなかった。

 

 その恵美がさらに語を継ぐ。


「父から聞いたわ。頻繁に警察の人が会社に来ているって。総務部にも来ているの?」


「う、うん。まあ、来ているんじゃないかなぁ」


 という北村の返答は、どこか上の空だった。


 事実、このとき北村が考えていたのは、この「事件」の話からどうやって別の話題に変えようか、ということだった。


「テレビや新聞では会社の名前はでていないけど、世間の人たちは知っているみたいよ。私の友人もたぶん知っていると思う。私に気づかって口にはしないけどね」


「そ、そうなんだ。ところでこの赤ワイン。いや~、じつに美味いね。飲んでる?」


 北村は必死に話題をそらそうと試みたものの、恵美にその気はないらしい。「うん」と短く応じただけで、さらに事件の話を北村に向けたのだった。


「やっぱり社員の人は、全員が事情聴取をされるものなの? 俊彦さんも警察に何か訊かれた?」


「い、いや、僕はとくに……あれぇ? あの席に座っている人、もしかしてお笑いタレントの明石家タケシじゃない? ほら、あの奥のテーブルにいる出っ歯の……」


「ねえ、俊彦さん。殺された梅本さんという方、どういう人か知っている?」


「ちょ、ちょっと、恵美……」

 

 もはや話題変換という手が通じないことを察した北村は、強引に話の尾を断つことにした。


「そんな暗い話はやめようよ。せっかくのデートなんだからさ。その女性秘書には気の毒だったとは思うけど、僕たちには関係のない話じゃないか」


「……ごめんなさい。でも私、気になってしょうがないの。だってテレビのワイドショーなんかでは『犯人は社内の人間だ』なんてこと、いろんなコメンテーターの人が言っているし……」


「マスコミが何言おうと気にしなくていいよ。あの連中は、あることないこと面白おかしく取り上げているだけなんだからさ」


「うん、そうね」


 納得したように恵美はうなずき、ワインを一口飲んだ後に別の話を北村に向けた。


「あっ、そうそう。ねえ、俊彦さん。来週の日曜日、何か予定がある?」


「えっ、日曜日?」


 北村は少し考えてから、「いや、とくにないけど、何で?」


「母がね、家に遊びに来ないかって言っているの。父とは会社で会っていると思うけど、母とは一度しか会ったことないでしょう。それに父も、俊彦さんに話したいことがあるみたいだし」


「えっ、専務が僕に?」


 一瞬、北村はまたしてもドキッとした表情を浮かべた。


 言われるまま相澤家を訪問したものの、父親の専務から、


「すまんが娘と別れてくれんかね? 恵美にはもっと将来性のあるエリート社員と交際してもらいたいのでね。正直、君のようなお先真っ暗のヒラリーマンなんか、お呼びでないのだよ」


 などと宣告されるのではないか。そんな不安が脳裏をよぎったからだ。


 恵美も、そんな北村の不安な心情を察したらしい。クスッと笑い、


「やあね、俊彦さん。何を心配しているのよ。父も母も、ただ俊彦さんとお話がしたいだけよ。食事をしながらね」


「そ、そう?」


「それに、もし仕事のことで何か悩みがあるのなら、父にじっくりと相談するいい機会じゃないの」


 すると北村は、今宵三度目となるドキッとした表情を浮かべたのだが、恵美はワインを飲んでいて気づかなかった。


 じつのところ、今の北村はこれからの人生を左右するほどの重大な悩みを抱えていたのだが、だからといって、言われるまま他人に相談するわけにはいかないのだ。


(相談しろと言われても、無理だよな……)


 胸の中でつぶやくと北村はぐいっとワインをあおり、二週間前の出来事に思いをはせた。


 そう、「前」恋人を殺した、あの夜のことを……。






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