第3章 その男、決断につき その③
「お、俺じゃねえよぉぉ!」
悲鳴にも似た男の声が室内にとどろいた。
ここは捜査本部が置かれている管轄署内の取調室のひとつ。
その部屋では今、田所警部、本間刑事、田中刑事の三人が取調席に座る一人の男を三方から取り囲み、威圧感と睨みをきかせている姿があった。
男の名は大峰敏郎といい、この年三十歳になる中堅ゼネコン【大峰工業】の専務である。
その大峰はこの日、三日前にクラブでナンパした女子大生と箱根までドライブにでかけようとしていたのだが、朝方自宅に押しかけてきた警察にそれを阻まれたばかりか、「任意の事情聴取」という形で管轄署に連行。
そこで自分が、ある殺人事件の「かぎりなく容疑者に近い重要参考人」であることを知らされたのである。
先述の叫びは、「お前がやったんじゃないのか!?」と自白を迫る刑事たちへの反駁の叫びだったのだが、そんな魂の叫びも取調室で睨みをきかす刑事たちには、わずかな感銘も与えなかったようだ。
その中の一人、田中刑事が冷ややかに応じた。
「俺じゃないよ、か。ま、たいていの人間は最初は認めないもんだ」
かわって本間刑事が、スタンドライトの光を大峰に突き付け、
「こっちはちゃんと調べてあるんだぞ。殺された梅本さんにかなりいれこんでいたそうじゃないか。彼女にしつこくつきまとって、そのことで大東洋建設との関係を憂慮した親父さんから何度も注意されていたんだってな。懲りるということを知らんのか、お前は?」
どこか嘲るような本間刑事の一語に、再び大峰が語気を荒げた。
「お、俺がどんな女にいれこもうと俺の勝手じゃないか。あんたらにとやかく言われる筋合いなんかねえや!」
「そういう台詞はな、今のご時世、通用しないんだよ。お前、ストーカー規正法という法律ができたのを知らないのか? 嫌がる相手につきまとえば、立派な犯罪なんだよ、犯罪!」
バンと机を叩き、本間刑事が厳しく迫る。
その本間刑事を片手を軽くあげて制すると、それまで無言を保っていた田所警部が声を発した。
「なあ、大峰さん。事件当日の午後十時過ぎくらいに、被害者のマンションであんたを見たという住人の目撃証言があるんだよ。それも複数な。これをどう説明するね?」
声を荒げるのではない。頭ごなしに怒鳴りつけるのでもない。穏やかな口調でさりげなく威圧感を与え、相手にいっさいの嘘や反駁を許さないのだ。
まさに歴戦の捜査官だけが持つ凄味というものであろう。
「け、刑事さん。勘弁してくださいよ。本当に俺じゃないんですって……」
田所警部の静かな凄味に圧倒されたのか。大峰の声には先ほどまでの語気の強さが消えていた。
一つ息を吐き出し、田所警部は大峰に問い迫った。
「だったら何のために、あんな時間帯に彼女のマンションに行ったんだ? 不自然じゃないかね、恋人でも何でもないあんたがさ。しかも興信所に依頼してまで彼女の住所を探り出したっていうじゃないか。誰の目にも疑わしく見られても不思議じゃないと思わんかね?」
「か、彼女にどうしても訊きたいことがあって、それでマンションを訪ねたんだよ。本当は電話やメールで聞こうと思ったんだけど、彼女、俺を着信拒否にして全然つながらないから……」
薄い笑いがそれに応じた。
「ほう。それで彼女に何を訊くつもりだったんだ? いつになったら自分と交際してくれるのかとでも訊きたかったのかな?」
「ちがうよ! 彼女、恋人なんかいないと言っていたくせに、じつは恋人がいたんだ。『気前のいい彼氏を募集中』とか『ケチな男は視界の外よ』とか気を持たせるようなこと言って、人にさんざん貢がせるだけ貢がせておいてよ。チクショーッ!」
すると三人の刑事たちは驚いたように顔を見あわせ、
「恋人だと? どうしてそんなことがお前にわかる?」と田中刑事。
「彼女に恋人らしき男性はいなかったと、勤務先の人間誰もが言っていたぞ」と本間刑事。
数秒の沈黙をはさんで大峰はゆっくりと語を継いだ。
「……たしか彼女が殺された日の十日ほどくらい前に、自分と同じくらいの若い男と車に乗ってラブホテルから出てくるところを偶然目撃したんだ。だからどういうことなのかを確かめたくて……さっきも言ったように最初は彼女にメールか電話で聞きたかったんだけど全然つながらないし、埒が明かないから仕方なく探偵に住所を探してもらってあの夜マンションに行ったんだ。でも留守だったからそのまま帰った。それだけだよ、本当に!」
無言で大峰を凝視する三人。そこに管轄署の捜査員がやってきた。
「警部。大峰の両親が弁護士と一緒に来ていますが」
「わかった。面会室で待たせておけ」
大峰を連れていくように命じると、田所警部は田中刑事と本間刑事に声を向けた。
「どう思う、今の話?」
「ただの作り話ですよ」
と、田中刑事は即座に断じ、
「あの手のタイプは、罪を逃れるためならいくらでも話を作りますよ。どうせその場の思いつきで、あることないこと言っているだけです」
「自分も同感です。まともに受け取ったらバカを見ますよ、警部」
と、本間刑事も田中刑事の意見に賛同した。田所警部が小さくうなずく。
「たしかにそうかもしれない。ただな。もしかしたら俺たちは、この事件、見当違いの方向に捜査を進めていたのではないかと思ってな」
「と、言いますと?」
「じつはな、先日鑑識の方から興味深い情報が上がってきたんだ。被害者の携帯電話の通信履歴や明細の調査を進めた結果、なぜか彼女、一人で二台分の契約を携帯電話会社としていたことがわかったのだ」
「一人で二台の契約ですか?」
「しかし、彼女の遺留品には携帯電話は一台しかありませんでしたが?」
「問題はそこだ。なぜ彼女は携帯電話を二台も契約していたのか? 本人が遺留品にあった一台しか使用していなかったこと、もう一台が明らかに別の人間が利用していたことは携帯電話の履歴解析からも判明している。そして今のボンボンの証言だ」
一呼吸おいて田所警部が話を続ける。
「あの被害者宅に残されていたブランド品から、俺は今まで被害者は会社の重役やあのボンボンのような自分に言い寄ってくる金持ち連中を手玉にとり、それに気づいた一人が犯行におよんだものと考えていた。しかし、あのボンボンの言うことが本当で、被害者にれっきとした恋人がいたらどうする?」
二人の刑事は沈黙で応じた。田所警部がさらに続ける。
「彼女には恋人がいた。あくまで推測だが、おそらくはヒモのような男だろう。例の見つかっていないもう一台の携帯電話もそのヒモ恋人に買い与えてやったものということなら、彼女が携帯電話を二台も契約していたことや、遺留品の中に含まれていないことも説明がつく。あの事件の日以降から利用は確認されていないが、おそらく今もそのヒモ恋人が持っているのだろう」
得心したようにうなずく二人の刑事を見やりながら、田所警部はさらに語を継いだ。
「その男にしてみれば、被害者は金を次から次に工面できる、いわば打ち出の小槌のような存在だ。当然、手放したくはないだろうな」
そこで二人は、ようやく田所警部の意図するところ理解した。
まず本間刑事が口を開いた。
「なるほど。つまり、そんなヒモ男と交際していた被害者もいいかげんに嫌気がさしていた。もしくは他に好きな男でもできたか。とにかく彼女はその男と別れたがっており、あの夜、別れ話を切り出した……」
本間刑事が言い終えると、次いで田中刑事が、
「そのことに逆上したヒモ男が彼女を殺害したというわけですか。たしかに考えられる話ですね。交際相手がそんなヒモみたいな男なら、一流企業に勤める彼女が世間体を考えて、周囲に男の存在を秘密にしていたのも理解できます」
「よし。もう一度、捜査方針を練り直すことにしよう。俺は今の考えを上に伝えてくるから、田中は至急すべての捜査員に連絡して、捜査本部に集めてくれ」
「はい、すぐに連絡します!」
「それと本間は、あのボンボンに目撃したという男の似顔絵を作らせろ。どうせたいしたものはできまいが、まあ、やれるだけやってみてくれ」
「わかりました、警部!」
行き詰っていた捜査が急展開を迎えたことに二人の表情は明るく、跳ねるように取調室から出ていった。
一方、田所警部は署内の会議室に足を運び、そこでテレビのスイッチを入れた。
そのテレビでは昼のニュース番組が流れていて、いくつかの項目の中に水野の事件があった。
別の捜査班から報告を受けて話だけは知っている田所警部は、同じ会社に勤務する人間が短期のうちに相次いで殺害されたという事態に、
(もしかしたらこの二つの事件には、何らかの繋がりがあるのではないか?)
そんな疑念が脳裏に浮かんだのだが、ニュースを見ながら口にしたのは次のような一語であった。
「美人秘書に続いてエリート社員まで殺されたか。お祓いでもしてもらった方がいいんじゃないのか、この会社」




