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雨の宿りは

作者: 東間 重明

宜しくお願い致します。

 


 まるで、リカちゃんハウスみたいだ。

 

 向かい合わせに建てられた二棟のボロアパート。二階の角部屋の前に座り込んで、わたしはなにをするでもなく呆としていた。

 

 正面の一室には五月だというのに、季節外れの簾が掛けられている。廊下へ放置された鉢植えには茶色くしおれた植物の残骸。その隣の部屋の前には、油の一斗缶が積まれて、そちこちにゴム長靴だの安全帯だのが散らばっている。

 

 当たり前のことだけれど、そこには各々の生活があるんだよな。このちっぽけな部屋のひとつひとつに。リカちゃんハウスというより、シルバニアかな。それにしては小汚いようだけれど。

 

 本日は雨模様。風がないから、色々な雨音が聴こえる。遠景には白糸の雨。ばらばらと軒を打つ雨に、雨樋を流れる小さな川音。時折、廊下のアスファルトを濡らす雨垂れ。雨音しか、聴こえない。

 

 わたしはくるりと横を向いた。

 

 お隣さんの洗濯機の上に、丸々と太った白猫が横になっている。しばらくここへ来ていない間に、隣人が飼い始めたのだろうか。首輪がないし、ここらの野良猫なのかもしれない。設えられたクッションの上へ、彼はどこかふてぶてしい顔付きで昼寝しているのだった。

 

 かれこれ二時間ほども、わたしはこの猫と一緒にここへ置物のようにじっとして動かない。こちらに無関心な様子の猫が変に気になって、根競べでもしているようだった。

 

 雨音を聞くのに飽きると、私は度々猫へと目交ぜする。けれど、彼は目を閉じ眠ったまま微動だにしない。狸寝入りに決まっているのだ。

 

 ごほん、と咳払いをひとつ。猫は根を張って、黙って領土を主張するのみだった。

 

 わたしは、また雨音に耳をすませる。

 

 するうち、なんだかこの関係が心地良くて、つい、ずるずると長居をしてしまう。

 

 雨が、今まで一度も見たことのないもののように真新しく感じられて、雨水に押し流される駐車場の砂礫の一粒一粒までもが、きらきらと宝石の輝きで胸を打つ。

 

 嬉しくて、息詰まるようで、わたしは立ち上がると、右手を白猫へ差し伸ばした。


「あっ」

 

 鋭い痛みが走った。乾いた音を立てて弾かれた手の甲から、血が滴り落ちた。動悸がして、目の前が白く染まった。廊下へ垂れ落ちた血が雨水へまだらに溶け消える。

 

 猫は、わたしの手を打ち据えると何事もなかったように目を閉じ、声のひとつも上げないで、また眠り込んだ。

 

 そうだよな。ごめんね。気恥ずかしくて声に出せなかったから、心でそう言った。

 

 使い慣れていたし、愛着があったから、最後にティーカップだけは持ち帰ろうと思っていたけれど。わたしは雨傘を手に、猫へ背を向けた。

 

 ああ、そういえば読み止しの本もあったっけ。でも、いいか。また新しく買えば良いんだから。

 

 わたしは胸のつかえがとれて、晴々とした気分で階段を下り、思い直して彼を振り返った。相変わらず、仏頂面に寝たふりしているのが、なんだか可笑しい。


「バイバイ」

 

 雨は、まばらに降り続けている。雨傘を開いて、人通りの少ない街路を歩いた。

 

 じっとしていた所為か身体が冷えたから、自動販売機でコーヒーを買った。わたしはブラックは飲めないから、砂糖入りのカフェオレだ。一口飲むと、身体の芯に熱が通る。ほうと一息吐いて、目に付いた手の傷を眺めてみる。血は止まって、傷口はあらかた塞がっていた。ぷっくりとした血のあぶくが、傷口の端に琥珀みたいに凝固している。

 

 ぺろりと舌で舐めてみる。幽かに痛みがあって、ちょっと甘い。






お読みいただきありがとうございました。

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