クリスマスを聞かせて
時刻は午後7時を回った。駅の周辺には人が群がり、各々が楽しい時間を過ごしている。
12月の24日。恋人たちが穏やかで激しい時を過ごす、年末のひと時である。そんな中、駅前の噴水の前で一人の女性がたたずんでいた。その傍らにパートナーはおらず、誰かを待っているように見える。
確かにその女性、西宮香織は恋人を待っていた。しかしその心は、周りの恋人のような甘いものでは決してない。彼女は今夜、別れを切り出そうとしていた。
「……6時半には会えるって言ってたのに……」
いつもこうだった。付き合って三年間、彼はいつも自分より仕事を優先していた。
仕事が忙しいのはわかる。香織も、社会人になって三年。責任の重さなどは当然感じている。だが、それでも彼には自分を優先してほしかった。彼は香織のために働いている、というだろうが、そんなことよりも自分との約束を、過ごす時間を優先してほしかった。
この三年間、仕事が忙しいと幾度デートを断られただろうか。彼は私との未来を望んでいるから、いくらでも仕事を頑張れるという。だけど、私はもっと一緒にいてほしかった。裕福な暮らしなど望んではいない。ただ一緒に食卓を囲んで、一緒に出掛けて、一緒に暮らして……。それだけ、たったそれだけでよかった。
でも、それは叶わなかった。彼は頑張る理由に私を使う。だけど私はそれについてはいけない。私のためという彼は、私のことを見てはいないのではないか。そうまで思ってしまう。
彼のことは好きだし、優しい人だとも思っていた。だけど、それだけじゃついていけない。愛をささやかれることも、抱き合うこともなく、自分より仕事を優先する彼とともに過ごす未来を、想像できなくなっていた。
噴水の淵に設置してあるベンチに腰掛ける。吐き出す息は白く凍りついている。まるで彼女の心を映し出すかのように暗く、重く沈んでいた。
ポケットに振動を感じ、スマホを取り出す。見れば彼からのメッセージだ。
理由は書いていない。ただ、遅れると、そう書いてあった。ただ、それだけだ。
ため息を一つついて寒空を見上げる。
「……嘘つき……」
空には星一つ見えなかった。
・・・
「……渋滞か……」
車の中、男が吐き捨てる。彼は今日、急な残業を命じられた。彼には今日、大事な約束があった。それでも、対応できるのは自分しかいない案件であり、それでも最速で終わらせた。
クリスマスイブの12月24日。恋人たちが愛を確かめ合う日。その男、成野将成は彼女に別れを切り出そうとしていた。
彼は彼女と真剣に結婚しようと考えていた。そのために身を粉にして仕事に打ち込んでいた。
社会人になってまだ三年。自分の貯金はまだ少ない。結婚すれば先立つものは必要だろう。
今現在は、自分も彼女も働いてる。だが、彼女が妊娠したらどうする。育児休暇がとれたとして、その後彼女が復帰できないかもしれない。何事にも万が一を考えなければならない。
そのためにも自分が、ずっと働いていられる自分が大黒柱として支えていこうと思っていた。そのためならどんなに仕事がきつくても耐えられる。彼は彼女が好きだったからだ。
だが、彼女は違ったらしい。確かに仕事といってデートに幾度か出られなかったのは悪かった。けど、それは彼女との今後を思ってのことだ。事実として、彼は同年代の平均年収を上回っていた。全ては彼女との結婚のため。だが、どれだけ言っても彼女は納得しなかった。デートにこれなかった彼をなじり、ヒステリックに泣き叫んだ。
その時、彼は思ったのだ。この先、仕事で忙しくなることなど多くあろう。時として出張もあるだろう。その時々に、彼女は泣き叫ぶのかと。
結婚生活に甘い夢を見ているわけではなかった。しかし、仕事に疲れて家に帰り、待ち受けているのがヒステリーなのだとしたら、彼にはその生活を続けていくところを想像できなかった。彼女の待つ家で安らいでいるところを想像できなかった。
だから彼は別れることを決意した。
自分も彼女もまだ若いから。傷は浅いほうがいいと思って。
「……クソ……動かねぇな……」
待たせているという焦燥と、そしてこの苦しい気持ち。
積もる思いを乗せた車はしかし、なかなか前には進むことはできなかった。
時刻は8時を回っていた。
・・・
「……遅かったのね」
時刻は9時を回ろうとしていた。かじかんだ手を吐息で温めながら、香織は肩で息をしている将成を見ていた。急いできたのであろう、その頭には湯気が見えるようだった。
「すまなかった……ハァ……急な……仕事が……」
「……そう。そうね、あなたはいつもそればかり……」
香織は幾度目かもしれないため息をつく。駅にひしめいていたカップルは姿を消し、つい2時間前の喧騒は嘘のようになくなっていた。
「正直……待っていてくれるとは……思わなかった……」
「私も、まさか本当に来るとは思わなかった」
「どうしても……伝えたい…ハァ…ことが……」
「奇遇ね。私も……伝えたいことがあるの」
互いがその言葉に身構える。彼も彼女も、今日伝えたいことがあったのだ。
香織は彼が好きだった。だけど彼は一緒にはいてくれなかったから。
将成は彼女が好きだった。だけど彼女は将来を見てくれなかったから。
どちらからともなく口を開く。
「俺は……」
「私は……ひゃ!」
不意に香織が悲鳴を上げた。首筋が突然ひんやりとしたからだ。
「お、おい……どうした、大丈夫か?」
「え、ええ……」
彼女の感じた感触の答えはすぐに分かった。
二人そろって空を見上げる。
「おぉ……」
「……きれい……」
空からは真っ白い雪がひらひらと舞い落ちていた。雪は街の電灯にに照らされて、キラキラと光輝いている。
「……ふ、フフフフ……」
「はははははは……!」
自然と笑みがこぼれた。二人そろって笑いあう。
「ねぇ、私ね、今日あなたと別れようと思ってたの」
さらりと香織が言う。感じていた暗い思いなど、もはやなかった。
「ははは……ああ、実は俺もなんだ」
笑いを噛みしめながら将成が言う。重苦しい気持ちは、笑いとともに吹き飛んでいた。
「奇遇ね、こんなことまで一緒の考えなんて……」
「はは、だけど香織。俺はもう少し、君と話し合うべきだと思ったよ」
「それも奇遇ね……私も今、そう思ったの」
二人は並んで歩きだす。会うまでに抱いていた感情もわだかまりも、不思議と彼らの胸中にはなかった。
「さぁ、寒かっただろ? とりあえず、どこかで暖まろう」
「結構長い時間待ってたのよ? エスコート、お願いね将成」
「お安い御用さ」
肩を抱き、寄り添いながら、彼らは街へ消えていく。互いが互いに微笑みあいながら。
どこかから、クリスマス・キャロルの音色が聞こえてきた。
恋愛ものの習作。どうもこの手の感情の機微は難しいものがある。
ちなみに筆者はクリスマスの予定ないです(半ギレ)
書いてる途中、三回くらい別れさせようと思いました。
これを読んでいただいた皆々様につきましては、ぜひクリスマス、そしてイブを恋人たちと甘いひと時をお過ごしになられるよう祈っています。ついでに呪詛も送っておきます。
あと、拙作ですが「ヒーローズサーガ!!」のほうもよろしくお願いします