ネット上の言論は戦後の価値観を否定しようとしているのか?
ネットのニュースで見ましたが、戦後の日本社会が重きを置いてきた、人権、反戦、反差別の価値観が崩れてきているらしいです。
所謂ネット右翼、ネトウヨと呼ばれる人々が、それら戦後民主主義を否定しようとしているとか。
私は別に右翼でも左翼でも保守でも革新でも何でもない立場ですが、人権や反戦が~とは、一体何を言っているのか分からなかったので、それについてちょっと考えてみました。
素人の勝手な推測でしかありませんが、戦後の日本社会が大事にしてきた人権思想、反戦、反差別は、比較の基準が戦中であったからこそ大幅に前進してきたと感じるだけで、現代社会では前進のスピードが緩やかとなった為、相対的に後退していると感じるだけではないのかと。
高速道路をスイスイと走っているとそれが当たり前となり、一般道に戻ると少しの渋滞すらも許せなくなる感覚でしょうか。
人権を尊重する思想自体は素晴らしいと思います。
戦中に軍部が力を持ちすぎ、社会主義者の不当逮捕、拷問があった過去がありますし、北朝鮮の政治体制、中国の共産党独裁政権なんてのは御免です。
表現の自由や言論の自由などなど、今も大切にせねばならない価値観です。
とはいえ、今はその人権思想が暴走していると、人々に感じられているのではないでしょうか。
今、声高に人権を守れと訴えている人々の主張は、少数派の人権を守る為に多数派は我慢せよという主張に感じます。
たとえば同性間の婚姻を認めろ、という主張です。
海外では認められている国もあるみたいですね。
そして、同性愛は犯罪となる国もあります。
個人的には、同性愛が犯罪となるのもおかしいとは思いますが、かと言って同性間の結婚までも法律で認めろという主張も、今の時点では急ぎ過ぎではないのかと感じます。
将来的には認められる様になるかもしれませんが、今の日本ではちょっと早い気がします。
少数派であれ基本的な権利は守られるべきですが、社会の良識に反するモノまで認めろというのはどうなのか?
何と言うか、性急すぎると逆に反感を買うだけな気がするのです。
価値観は不変では無く、時代と共に移ろいゆくものですので、偏見が薄れていくのを待つしかないと思います。
待つだけではなく、後押しする事を否定はしませんが。
そして今の日本で人権意識が薄れていると感じている人は、結局、自分の思い通りにならない現状を、社会が間違っていると思い込んでいるだけな気がします。
人権至上主義者が思う理想の状態を社会に性急に求めても、人々の意識が追い付かなければ実現する筈がありません。
強引にやれば反感を買い、偏見を増すだけでは?
彼らが戦後からの人権思想が後退していると感じているのは、いわば人権ポイント10点(戦中の人権状況)から80点(現在の人権状況)まで来たのに、最近はその点数の上がり具合が鈍っているから、ではないでしょうか。
何も後退はしていないのに、していたとしても2点とか3点とかなのに、さも大変な事態だと口にする。
騒ぎすぎです。
安定した社会は基本的に、少しずつ段階を踏んで良くなっていきます。
戦後はGHQの指導もあって大幅に改善しただけですが、当時でさえGHQによる検閲は行われた訳で、時には後退もします。
それが社会なのです。
社会がある程度安定すれば、そこから大きく変化する事の方が少ないのです。
EUの成立は、一朝一夕では出来ませんでした。
統合への長い試行錯誤の末、ようやく成ったのです。
そして思い切った決断は反動も生みます。
今のEUは、揺り戻しの期間でもあるでしょう。
これ以上は難民を受け入れないとの、人権思想の後退に見える決断もありました。
しかし、時に後退し、前進もする。
それが当たり前なのでは?
それにも関わらず、全て自分達の思い通りでないと許せないのなら、北朝鮮と同じ独裁国家でも目指して下さい。
それこそ彼らが主張する戦後民主主義の終焉ですけどね。
反戦思想が後退しているに関しましては、日本は戦後、一貫して反戦ですらなかった事が露わになってきているだけでしょう。
アメリカの軍事力に守られていただけですから、日本のこれまでは反戦ではなかったのです。
アメリカにおんぶにだっこであったのに、それを反戦であったとは片腹痛い。
それが今、アメリカがアジアからの戦力の縮小を計っている為、日本が矢面に立たなければならなくなっているだけです。
国家として本来やらねばならなかった事を、やる時期にきているというだけの事です。
反差別は人権と同じですね。
差別されていると訴えている人の主張が余りに過ぎているから、多くの人から反発が生まれているだけでは?
外国籍の者が日本で生活保護を受ける権利?
そんな権利はありませんよね。
日本国が保護する義務はありません。
その様な感じで、戦後民主主義が後退しているという主張は、観測者の印象に過ぎないのではないでしょうか。
と言うか、後退しているから何だというのでしょう?
主義主張は不変であるとでも言いたいのでしょうか?
時代時代にあった人権思想があってしかるべきなのでは?
それに、自分達の意見が蔑ろにされていると感じるのは、その意見に妥当性が無いからとは考えないのでしょうか?
社会の多くの人にとって受け入れられないのに、自分の意見こそ正しいという考え方は、独裁者のそれかもしれません。
勿論、少数派が正しい場合もありますよ。
しかし民主主義国家では、多数派にならなければ意見は通らないのです。
少数派は言論を以て議論をし、多数派を説得して自陣に取り込むしかないのです。
ネットウヨクが増えて~と愚痴を言う暇があったら、自分達の意見が通らない原因を分析し、言論を以て説得、共感を得れば良いのです。
その積み重ねしかありません。
同性婚に関しましては、ここで取り上げるには根拠が薄かったと反省しております。