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所沢のニュートン 1

 さて、魂は有限である。


 人が生まれるには誰か別の人間か、人間以外の生物が死に、一旦魂を天に還す必要がある。魂は、一度死んだだけで死後の世界に送られるような、使い捨ての素材ではないのだ。

 輪廻を繰り返し摩耗した魂は、解脱という形で廃棄されるが、それには劫の刻がかかるものだし、使える内は使い潰すのがこの世界のシステムだ。紀元前には疾うに仮説が立てられた仕組みだが、しかしながら、それまでオカルトと笑われていた輪廻転生の存在が明確に証明されたのは、つい最近のことである。


 とはいえ、大抵の魂は転生した所で、自分に前世があったことすら認識できていない。

 前世が一定以上の記憶力を持った生物でもなければ、「前世の記憶」などは有していない。仮に前世が人間やイルカであったとして、日々を「おさかなおいしいなあ」程度の思考で過ごしていた者は、たとえ前世の記憶を持っていたとしても、「転生後も何となくお魚が好きになる」程度の影響しか起こらない。

 強い意思や能力を持った魂は、ぼんやりとした前世の記憶を保持している場合もあるが、それでも「前世の己の所業を見せつけられる」といった機会でもなければ、「自分の前世が何者であったか」等、明確に思い出せるはずもない。


 それこそ。歴史に残るほどの強い意思や能力を持ち、前世の所業を本や映像で見せつけられる者――偉人と呼ばれる程の存在でなければ。


 僕はふと思い付き、眼前のトングを掴む。空の丼に紅ショウガを山盛りよそい、次いで、七味唐辛子の容器を手に取り、振りかけた。


「紅ショウガに七味唐辛子をかけると、何か、そういうパスタに見えないだろうか」


 僕は掠れる目で丼の内側を見つめ、隣席の友人に問い掛ける。


「見える」


 と友人は答え、そのまま食事を再開した。


 旧千年紀より、己を古代エジプトの女王やローマの皇帝、先代の宗教指導者の転生体であると名乗る者は存在したが、彼らが持っていた記憶は、多くの場合、調べれば誰にでもわかる程度の情報か、証明のしようがない情報に限られていたため、所詮はオカルト、夢想家の妄言と切り捨てられていた。

 しかし、西暦二千一年、新たな千年紀を迎えたその年に最初の【偉人転生者】が確認された。生後数日の乳児が、己をマリ・キュリーの転生者であると名乗り――目からX線を照射。出生時の帝王切開手術で実母の胎内に置き忘れられていたメスを発見したのである。

「それは輪廻転生とかそういう問題ではないのでは?」という世間の風潮を他所に、その後も続々と、偉人の転生者を名乗る新生児が現れ、彼らは皆同様に、特異な能力を持っていた。


 そうして、偉人転生がある程度、一般にも知れ渡った頃。新生児以外の少年少女、ひいては大人達にも偉人転生者が現れた。「そういえば僕も昔、自分が歴史上の人物の転生者だと思ってた気がする。今更だけど、何か能力とかあったりして」――そんな思い付きが、現実になったのだ。勿論、単なる思い込みだった事例も少なくはないが。

 例えば、今隣で豚めしを食べている田中小吉(たなかこきち)は、自身をリンゴ・スターの転生者ではないかと考え、物は試しと中古のギターまで購入したが、リンゴ・スターはドラマーであったし、そもそも彼は存命中だ。宝酒造のCMだってほんの十年前だが、田中にとっては余程CMの印象が強かったのだろう。


 七味唐辛子を大量に振った紅ショウガは、酸っぱい上に辛くて、好んで食べたいという味でもないが、器に入れた以上は戻すわけにもいかない。口の中にかき込み、一口残っていた味噌汁で飲み下す。


 僕、藍沢柔人(あいざわにゅうと)もまた、そんな偉人転生者の一人だ。

 万有引力を操る、【最後の魔術師】アイザック・ニュートンの転生者。といっても前世の記憶はほとんどなく、自分がアイザック・ニュートンであったことと、万有引力の法則についてのみが魂に刻み込まれている。万有引力の法則を完全に理解していればこそ、万有引力を操ることができる。

 その能力や記憶に目覚めたのも、今日のような飲み明けの朝だった。珍しく田中が二連休を取れたのを良いことに、前日の午後五時から朝の五時まで、二人で酒席を囲んでいたのだが、朦朧とする頭でビールグラスを《引》っ張るように念じた所、手に触れてもいないグラスが独りでに動き、僕の翳す手に《引》き寄せられたのだ。グラスはテーブルの縁で倒れ、僕の下半身はビール塗れになった記憶が残っている。


 食券制の牛丼チェーンは帰り際の会計の手間がなく、僕と田中は最後に冷水を一杯ずつ飲み、揃って店を後にした。西武線の西所沢駅前で別れ、田中は電車で秩父方面へ向かう。今日は僕の仕事の後で、僕の自宅で打ち上げをした後、この店まで朝食をいただきに来たのだ。田中の生業はコンビニのアルバイト店員だが、基本的には昼~夕方のパートタイムなので、呼んだら大体来てくれる。大変ありがたいことである。

 奢りでもないのに、自分の仕事と無関係の打ち上げに来てくれる友人は、田中の他にはいない。というより、そもそも現在まで付き合いのある友人が他にいない。大体みんな都内に就職して、残業に追われ、気軽に遊びに誘えるような状況でもないのだ。僕自身はフリーランスであり、比較的時間の作りやすい職業のはずなのだけれど。

 ちょっと前まで無職だった僕にも、手に職と言うものがついたのだ。偉人であった前世の力、【偉能力(いのうりょく)】を使った犯罪者【偉能力者】を討伐する、フリーランスの【偉人転生者】。それが僕の現職だ。

 国に雇われるより資格取得が容易く、休みも自由。派遣会社に雇われるのと違って中抜きがなく、派遣先で僕らの知らない手数料について詰られることもない。


「うぁぁ……役所が八時半からか。まだ暑いし、寝ないようにだけしないとなぁ」


 討伐証明である魂の残滓を市役所に提出し、報酬を受領する。家に帰るまでが遠足だし、報酬を貰うまでが討伐だ。寝るにしても、役所の前で寝よう。それなら、無理にでも叩き起こしてもらえるだろう。

 討伐証明の管理を自分で行う必要があるし、年末調整も若干面倒らしい。それでも、職があるって素晴らしい。何より、口座の残高が月々、徐々に、一方的に減ってゆく恐怖からの脱却。これが大きい。


 僕はポケットから今回分の魂瓶を取り出し、特に異常がないことを確認し、大きく伸びをして、自転車を取りに家へ戻った。

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