89.話し合いと独白
「な、何だここは――!?」
「何という奇怪な空間……洞穴かと思いましたが……」
ここを初めて訪れたアレクサンドラとクレイスが驚嘆の声を上げる。
二人にとっては見慣れない光景なのか、大広間で硬直している。
アーニャは二度目の来訪なので、特に驚く事無く伸び伸びとしている。
「来客ですし、飲み物でも出した方が良いのでしょうか?」
「そうね。ルーク、お願いね」
「分かりました」
全員分の紅茶を沸かす為、ルークは炊事場へと向かう。
そんなルークの後を追うように、リュカも同様にこの場から消えた。
来客への対策として以前リューテシアに宿泊施設を製造させておいて正解だったわね。
リューテシア、アレクサンドラ、クレイス、アーニャの四名を引き連れて客室へと案内する。
「……何でアーニャさんまで付いて来てるんですか?」
「えー? 駄目だったかしらぁ~?」
「危険ですよ?」
先程まで実際に一触即発な事態に成り掛けた訳だし。
「大丈夫よぉ~。勇者様にクレイスくんは悪い人じゃないからぁ~」
クレイスという男に事情があるのは分かってる。
だが、いざとなれば無法も辞さない者が悪人じゃないとは到底思えないのだけれど。
客室へと入り、円卓へとそれぞれが腰掛ける。
一同が腰を落ち着けた辺りでルークとリュカがそれぞれ紅茶を入れて入室、各々に配膳し自らも席へと付いた。
「――さて。結論から言うと、私は貴方にリューテシアを譲り渡す気は毛頭無いわ」
「何――」
「だって、リューテシアの身柄は私が大金を出して買い取ったんだもの。タダで渡す訳無いじゃない」
「……金か。見た目は完全に小娘だというのに随分俗世に染まった考えですね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「いくらだ?」
「そうね。リューテシア自身が頑張って自力で返済した分は差し引いて――金貨約二千枚ね」
「金貨二千枚……だと……!?」
そんな大金、払える訳が無い! とでも言いたいがクレイスは口にはせず飲み込んだようだ。
額を聞いて、リューテシアはこちらを見てくる。
その表情は「あ、何か思ったより返済進んでるんだ」とでも言いたそうである。
大陸横断を果たす数千キロにも渡る線路敷設を果たしたのよ?
正直これでも安い位だ。
約二千枚だけど、実際にはもう二千枚切ってるしね。
「それだけ用意すれば、リューテシアを開放するんだな」
「それだけじゃ駄目に決まってるじゃない」
「何だと!?」
円卓を両手で叩き付けながら立ち上がるクレイス。
「当たり前でしょ。私は言うなればリューテシアを雇用したのよ? 雇用主として、労働者の身柄は可能な限り守らなきゃいけないの。何も言わずに身柄を拉致しようとした男なんかに渡せる訳無いでしょうが。それに、借金の返済が終わって奴隷の身分からリューテシアが解放されたとして、最終的にどうするか決めるのはリューテシア自身であって私でも貴方でも無いわ」
「……それなら問題ありませんね。同族であり想い人であるシアの妹を、私がどうこうするとでも思っているのですか?」
「さぁ? そんなの私の知った事じゃないわよ」
恋人がどうとか、愛がどうとか。
私には全くもって理解出来ないからね。
「――私、クレイスさんと一緒に行きたい」
リューテシアが、ポツリと漏らす。
「少し話しただけだけど、この人は本当に私の事を思って行動してくれてるように思えるの」
「リューテシア……」
「借金を返せば良いんだよね? 私、頑張るから! だから返済が終わったら――」
「……終わったなら、好きにすれば良いわ」
リューテシアが借金を完済したなら、もう私に引き止める権利は無い。
自由を求め努力したのであらば、それを阻む訳には行かない。
私が、そうだったのだから。
「そういう訳だから、クレイスとか言ったわね。リューテシアは自分で借金を返済した上で自由を勝ち取るらしいから。お引取り願えるかしら?」
「働いて借金を返したなら、奴隷契約書を素直に破棄する――そんな言葉を、信じるとでも思うのですか?」
「貴方に信じて貰う必要は無いわ。それを信じるかどうかはリューテシアが決めるのよ、彼女が嘘だと思うなら貴方に泣き付くだろうしね」
「……ミラは、嘘は付かないよ。だって、貴女はルークにリュカ、二人の契約書を焼き払ってみせたじゃない」
「実際に焼いたのは二人だけどね」
「なら、私の契約書だって同様に破棄するわよ。だって、労働者の権利を守るのが雇用主の仕事なんでしょ? 働いたのに、対価が貰えないなんておかしいじゃない」
「ええ、そうね」
「だからクレイスさん。残りの借金も、自力で稼いでみせます。だから終わったら、二人で一緒に故郷に戻りましょう!」
リューテシアはクレイスに向けて、打ち解け顔で決意を示す。
そんな彼女の様子を見て、柔和な笑顔を浮かべるクレイス。
「そうだな、二人で……故郷に……」
そこまで口にしたクレイスの双眸に、陰りが宿る。
表情にまでは出さぬよう抑えたようだが、あの様子……何かあるのだろうか?
「…………いや。リューテシア、仮に借金が返し終わっても、君にはここに残って欲しい」
「えっ? ど、どうして!?」
「私達の故郷は、あの時の襲撃が原因でとても住めるような状態じゃ無いんだ。それに、他の連れ去られた仲間も救い出さなきゃならない。リューテシアを連れていては、自由に動き回れないんだ。それに、そこのミラという人間はどうやら比較的物分りの良い人間のようだが、奴隷を買う輩なんていうのは悪辣な輩の方が多い。荒事になる事だって考えられる」
「……私だって、戦える! もう、あの時みたいに守られるだけの存在じゃないもの!」
リューテシアの決意は固いようだ。
その様子が、語気の強さで感じ取れる。
「…………シアの、大切な家族である君を……間違っても危険に晒したくは無いんだ。ここに、残っててくれ。お願いだ……!」
今までと打って変わって、悲痛な、搾り出すような口調でリューテシアに懇願するクレイス。
そんなクレイスの様子を見て、流石にそれでも、と言うのは憚られたのだろうか。
「――分かりました。そこまで言うなら、ここで大人しくしています。それに、変にここから動き回らなければクレイスさんも見付け易いでしょうからね」
リューテシアは自分の意見を飲み込んだ。
「……これで、問題解決という事で良いのか?」
会話の切れ目で、アレクサンドラが割って入る。
「私は別に。借金を返済した上でなら後は好きにしろっていうのは昔から一貫した考えですから」
「クレイス、お前も良いんだな?」
「ここにリューテシアがいるという事は分かりました。なら、ここに来れば何時でもリューテシアに会える。それが分かっただけで今回は良しとします」
ふぅ。
良かった、どうやら面倒事にならずに済みそうだ。
元々は転車台を対岸に置きにいくだけだったのに、えらい騒動に巻き込まれてしまった。
「……ん? そうだ、結局転車台を設置してないわね」
「言われてみればそうですね」
「てんしゃだい? 何だそれは?」
「んー……まぁ、簡単に言えば特殊な線路です。線路が無ければ、この蒸気機関車は走る事が出来ませんからね」
「蒸気機関車か……こんな物に初めて乗ったが、凄まじいな……一切魔力を使っている気配が無いのに、あれだけの速度を出せるとは」
「私もアレクサンドラさんと同意見ですね。こんな代物が私達の住まうレオパルド領にもあれば……」
……むぅ。
クレイスからすれば何気無く呟いた言葉なのだろうが、私からすれば重要な情報が飛び出してきた。
本当にレオパルド領には蒸気機関といった類の技術が残っていないのか。
前々から知ってはいたが、わざわざ魔族とやらが住んでる場所にまでは行けないから確かめようが無かったけど。
魔族側から言質が取れてしまった。
しかもその言質を取った相手は元四天王という魔族側の超ビッグネーム。
本人だという事はこれまたアレクサンドラという元勇者様からの保障付き。
私自身の目で見る以外で、これ以上に精度の高い情報は無いだろう。
「話し合いも終わったようですし、オリジナ村まで送りましょうか?」
「そうだな。そうしてくれると助かる」
「私も同乗して構いませんか?」
「別に良いわよ。それと、リューテシアに会いたいならここまで訪ねてきてくれれば外でなら自由に会って構わないわよ」
「外で、ですか。その理由は?」
「出会い頭拉致とかいう無法に出る男を完全に信用する程、私はお人好しじゃないわよ」
「……当然ですね」
クレイスは納得してくれたようだ。
それに、強化したセキュリティに引っ掛かる。
現状のセキュリティ設定だと、私達四人以外の何者かがこの拠点内に忍び込んだ場合、即座に迎撃用の術式が発動するようになっている。
今は私が遠隔操作でセキュリティを切ってあるが、何度も何度もセキュリティのオンオフを切り替える訳にもいくまい。
だから会うなら、外でやって貰わないと困る。
「でもミラ。外で会うって言っても、どうやってクレイスさんと連絡を取れば良いの?」
「――そうね、丁度良い機会かもね。普段、この拠点へ続く入り口は鉄の門で閉鎖してあるけれど、近々その扉の横に来訪者と応対する為の仕掛けを作っておくわ。ボタン式の仕掛けにする予定だから、次に訪ねる事があったらそのボタンを押して頂戴」
「ボタン、ですね。分かりました」
クレイスも納得した所で、私達は再び蒸気機関車へと乗り込み、オリジナ村を経由して再び海岸へと向かう事にした。
……しかし解せないわね。
レオパルド領は、破壊神と呼ばれる何者かが率いた魔物達によって滅ぼされた。これは良い。
破壊神と呼ばれた者は勇者によって滅ぼされ、魔物の中に自我を持つ者が現れるようになった。これも良し。
そして魔族達がレオパルド領に住むようになった。これも良い。
でもこの流れの中、一体何所でこの世界にあったはずの科学技術が断絶したのか?
魔族達が住むようになったタイミング、これは無い。
クレイスの反応を見たが、当たり前と言えば当たり前だが科学技術は魔族達にとっても有用な代物だ。
ならば魔族からすれば科学技術は消し去るべき対象ではなく、鹵獲した上で利用するべき対象だ。
では科学技術を断絶させたのは勇者だろうか? これも無いだろう。
かつてのレオパルド領に一体何万人規模の技術者が、何万の書物があったかは知らないが、その全てを消し去るなんて勇者でも不可能だ。
そもそも、襲撃されたとはいえ落ち延び逃げた技術者だっているはずだ。
そんな人々を一人残さず探し出し、口封じをした? 勇者が?
技術者自体は何の罪も無い人間だ、そんな事をすれば勇者は乱心したかとでも思われるはずである。間違いなく、物語として後世に残ってしまう。
――となれば、答えは一つしかない。
破壊神と呼ばれた何者かが、何らかの方法を用いてこの世界から科学技術を根こそぎ「抹消」した。
一体どんな手段でこの世界から科学技術を断絶させたのかは予想が付かないが、仮にも神を自称する位だ。
私が元々居た世界に存在している、「時」の力と同格程度の力を持っていると仮定すれば、あながち暴論とも思えない。
あの力の規格外さは私自身、身を以って知っているのだから。
ま、どれだけ考えても無意味か。
破壊神とやらは、遥か昔に勇者の手によって滅ぼされたのだから。
もう存在していない相手に答えを聞く訳にもいかない。
そんな事より、本来の目的である転車台の設置に向かうとしよう。
アレクサンドラ、クレイス、アーニャの間に何があったのかは前作参照
でも前作読まなくても問題無いように書いてる……つもり
読むのしんどいし、別に読まなくて良いよ
振り返ってみたら約35万文字もあったし、この三人の背景を知る為だけに読むのは辛過ぎる量だわ




