74.世界を超えて
カコバナ。
研究所内に警告を促す警報音が鳴り響き、実験用として設計された広大な室内の空間に赤い明滅が飛び交う。
数秒後、目の前に備え付けられた試作型の時空間跳躍装置が稼動を開始する。
巨大なリング状の形をしたその輪郭に通電し、警報の赤い光を掻き消す程に強烈な、眩い紫電の輝きが満ちる。
警報音を聞き付け、異常に気付いた研究員達が室内に押し入ろうと試みているのだろうか。
扉を破壊しようとする衝撃音が扉の外から漏れ聞こえてくる。
残念だけど、扉開錠の為のパスコードは書き換えて置いたから。
それに、兵器実験も行う為に作られた汎用的な室内であるが故に、その頑強さは折り紙つき。
その頑強な扉が仇になって、入ってくるには時間が掛かるでしょうね。
無意味に殺処分される位なら、折角だから実験材料になってやるわよ。
思念滞留域を超えた先にあると言われている、この世界とは違うもう一つの世界。
そこなら流石にこの世界の手も及ばないでしょうね。
空間座標を記録した端末はマスターデータから痕跡残さず消し去った。
今、目の前にある時空間跳躍装置も、設計図データを同様に葬った。
これから使う現物は、保管庫からくすねて作った時限爆弾で木っ端微塵にする。
それで終わり。
マスターデータが唯一残されたのは、私の頭の中のみ。
成功しようと失敗しようと、その最後のマスターデータ保有者である私もこの世界から消える。
研究頓挫は確定する。
座標の計算結果が間違ってたなら、私は時空間の狭間に飲み込まれて消えるだけ。
でも、言ってみればそれだけなのだ。
タンパク質や水分で構築された容器の肉体、書き換えられた魂。
私の価値なんざ、たかが知れている。いくらでも代わりなんか作れる。
事実、出来た訳だしね。
どうせここで座しても死を待つばかり、だったら薄くとも可能性に賭けても良いじゃない。
こんな自由の無い、死んだ世界より。
広大な世界が広がる、未知の可能性に生きてみたい。
セットしておいたプログラムに従い、足元の昇降機が動き出す。
それを確認し、手元の携帯端末へ音声指示を飛ばす。
私自らが手掛け、掌サイズなれどこの世界の技術の粋を集めた魔科学の結晶。
携帯端末はその音声データに従い、プログラムを正確に走らせる。
「フレイヤ、展開」
自らの身体が発光し、目の前には実験で何度も乗らされた全面が鮮明なモニターによって覆われたコックピットの姿。
昇降機の上で汎用人型強化外装は展開された。
カタパルト射出位置に立ち、ガイドレールに光が点る。
それに続き、機械音声によるアナウンスが始まる。
『時空間跳躍シークエンスに移ります。思念滞留域へのアクセス開始……アクセス完了。バイパス接続に移ります。……接続に必要な万因粒子が不足しています、施設内のエネルギープラントへとアクセス開始……接続完了。エネルギー供給の為に施設への供給エネルギーを80%カットします。バイパス接続開始……』
エネルギー供給を時空間跳躍装置に集中させた事により、仕掛けておいた電子扉の電力がカットされる。
それにより扉が開錠されてしまい、室内へと研究員及び警備兵がまるで巣を掘り返された蟻のように入り込んでくる。
「ミラ! 貴様一体何をするつもりだ!?」
数十もの銃口をこちらに向けた警備兵、その奥で半ば困惑半ば怒声の男の声が飛ぶ。
随分御冠じゃない、アドリア・ジラーニイさん。
その質問に答える義理は無いわね。
折角入れた所悪いけど、もう手遅れ。
『――接続完了。カタパルト射出開始』
身体が急激に加速し、展開している汎用人型強化外装の機体が発射される。
その先には、リング状の時空間跳躍装置がある。
私の身体がそのリングを通過した瞬間、けたたましい警報音も、物々しい武装した警備兵も。
その全てが私の周囲から消え失せる。
暗転する世界。
機体がけたたましい警告音を鳴らす。
急激に機体のエネルギー残量が削られていき、活動限界が近付く。
それと同時に、私自身の身体を襲う強い脱力感。
ありとあらゆる、万因粒子が削り落とされていく。
何も無い暗黒の空間を抜け、眩い閃光が闇を切り裂く。
モニターを通じて目の前に広がるのは、虹彩の輝き。
虹を結晶化したような、そんな無数の岩塊が上下左右に漂う、未知の空間。
中心点には、強く輝きを放っているにも関わらず、然程眩しさを感じさせない、それでいて暖かさや懐かしさを感じさせる、不思議な光球が宙に浮かんでいた。
見た事も、聞いた事も無い、私の知らない空間。知らない世界。
宇宙と同じ様な無重力の空間、そこをただただ、それまでに蓄えていた運動エネルギーに従って真っ直ぐに飛んで行く。
制動操作を行おうにも、再度スラスターを噴かせる為の余剰エネルギーが無い。
周囲を確認する為のモニター周りにエネルギーを回すのがギリギリで、現状ただの漂流物だ。
成す術も無くこの空間を漂いながら、重い身体を座席に預けながら思う。
――ここが、思念滞留域なのだろうか?
そんな私の疑問は、思慮に耽る暇も無く終わりを告げる。
突如目の前に現れた、さながら虹色のブラックホールとでも例えたくなるような、鮮烈な輝きの渦に私は飲み込まれていく。
世界から捨てられた、私ことミラ。
私の「人生」は、ここから始まる。




