60.蒸気機関車「でこいち君」
蒸気機関車。
それは、蒸気機関という巨大な動力源を運動エネルギーへと変換し自走する、近代化において無くてはならない存在である。
一度ものぐさスイッチ内に格納し、作業場から地下拠点の駅となっている部分まで移動し再度展開する。
こうやって、巨大な物体でも一気に移動出来るのは本当に助かる。ものぐさスイッチ様様ね。
まぁ、収納出来る限界は存在するけれど、蒸気機関車クラスなら何とか行ける。
発車の為の準備を一人で黙々と続ける。
蒸気機関車は水と石炭を糧として喰らい自走する機械、当然その二つが揃っていなければ走る事は不可能。
水を沸騰させれば良いのだから炎属性魔法を刻み込んだ魔石を使う事も考えたが、蒸気機関車を動かせるだけの出力を捻出する為に必要な魔石の規模と魔力量を計算した結果、断念した。
なので大人しく、魔力に頼らぬ由緒正しい方法で蒸気機関車を稼動させる事にした。
何時か、魔石でも動かせる蒸気機関車が生まれれば良いわね。まぁそれは、未来の技術発展に期待しましょうか。
私は私の身の回りの事しかする気は無い、これでも動くのだからそういうのは私の知らない場所で勝手に進化して貰おう。
夜間からものぐさスイッチの収納力を最大限に活用して準備を開始し、準備が終わったのはまだ日も昇らぬ早朝の時間。
私が来た時間から少し間を置いて、一番最初にルークが、その次にリュカ、一番最後にリューテシアがこの駅へとやって来た。
三人が揃ったのを確認し、全員で蒸気機関車、でこいち君の機関室へと向かう。
蒸気機関車は、『現状』ではこの世界にとってかなりのオーバーテクノロジーだ。
とは言っても、元々はあったはずなんだけどなぁ。本当、どうして無くなってるのやら。
再現可能部位は可能な限り魔法には頼らず、計器類のような、今現在の技術では少々製造が難しい物に関してはリューテシアの魔力と私の魔法の合わせ技で強引に作り出した。
鋳造だけでゼロコンマ単位の部品作成はちょっと手に余るからね。細かい部品、しかも複雑な構造の物は研磨機では製作不可能だし。
尚、組み立てにはほぼ全ての箇所に私自ら口を出して行った。
そうしないと、何時まで経っても完成しないからだ。
冬篭りの間はかなりの時間があったが、それでもこの蒸気機関車一台を完成させる為にはその大半の時間を食われた、というかちょっと足りなかった。
また、風雨を防ぐ為にガラスも製造して車体に取り付けてある。
鉄を溶かせる程の温度を出せる炉が完成したので、こういったガラスの製造も可能になったのだ。
ガラスの材料は、珪砂、ソーダ灰、炭酸カルシウム、この三つが主要な材料となっている。
ソーダ灰とは炭酸ナトリウムの事であり、炭酸カルシウムと合わせてこの二つは既に石鹸の製作工程で散々今まで使っている。
そして、珪砂というのは研磨剤、そして鋳造の砂型として使う砂の事である。
なので、この炉の稼動準備をしている段階で既にガラスを作る材料は揃っていたのだ。
ただ作った所で使う場所が無かったので作らなかっただけなのだ。環境整備が進んで来たけど、所詮は洞穴暮らしの延長線なのに一体何処でガラスを使えと。
こうして使う場所が出来たので作ったけど。
以前、線路延長作業の為に作った気泡管水準器は、この蒸気機関車に取り付けるガラスを作るそのついでで作られたのである。
透明度がイマイチなせいで微妙に曇りガラス状態となっているのだが、気泡の確認や雨風を防ぐ程度なら充分果たせる。
機関室へと全員で乗り込んだのだが、私が子供で必要なスペースが少ないのを考慮してもかなり狭い。
まぁ、元々大人二人が活動するだけの空間だし。そんなに広い必要も無いのだから当然だろう。
さて。それじゃあ蒸気機関車の運用について説明して行きますか。
「蒸気機関車は、やる作業が多いから機関士と機関助士の二人一組で運転するのよ」
馬車なんかは要は手綱を握っていれば良いので走らせるのに一人でも問題ないが、蒸気機関車はそうもいかない。
石炭投入の都度運転席を離れたりしたら間違いなく事故になる。
馬車以上の速度と馬力が出るが、それに比例するように操作量も増えているのだ。
なので、作業は二人で分担して行う事になっている。
「後ろに石炭の山があるわよね? これが蒸気機関車の燃料、これを燃やしてこの蒸気機関車は動くのよ」
後ろに存在する石炭を搭載した車体、通称炭水車を指差しながら説明する。
この車体は文字通り、石炭と水が満載の動力源を搭載した車両である。
そうとしか言いようがないので、炭水車に関する説明はこれで終了である。
「燃料である石炭を投入する際は、蓋部分の開閉をこのレバーで操作して行うの。石炭を投入したらすぐに閉めてね、熱が逃げるから」
石炭を燃やす、火室を指差す。
片手で実際にレバーを自ら操作しながら、動く所も見せながら説明を続ける。
こうやって実際にはどう動くか、というのも目で見ながら学んだ方が吸収速度は速い。
百聞は一見にしかず、である。
「それと、石炭はただ闇雲に炉に放り込んでても駄目よ。薪なんかと一緒で、良く燃える配置の仕方ってのがあるの、どうすれば良く燃えるかってのは何度も体験して身体で覚えて行くしか無いわね」
一応、ものぐさスイッチ内に収納してある羊皮紙に、石炭の投入手順を記載した用紙がある。
だが、こんな物を機関室に貼り付けておいてもすぐに剥がれてしまうだろう。
結局、身体で覚えて行くのは確定項である。
「石炭が良く燃えている時は、このバルブハンドルを締めて。逆にイマイチな時はこのバルブを緩めるの。このハンドルはブロワーっていう通風孔を操作するのに使用するのよ、この炉に送る空気量をこれで操って、適切な燃焼量を操作するの」
例えば、一番強力な動力を求められる上り坂。
こういう場所では石炭を投入してバルブを緩めて酸素供給量を増やして動力量を増やす。
逆に下り坂なんかではバルブを締める。降りるのには力を使わないからね。
「それと、ボイラー内の圧力が上がり過ぎると破裂を防ぐ為に安全弁が働いて内部の水蒸気を逃がしちゃうわ、この安全弁が働くような状況に何度もしちゃうようだと、機関士としてはヘボとしか言えないわね」
蒸気機関車を動かす機関士。
それは、蒸気機関車の扱いに習熟し、ボイラー内の蒸気圧を自在に操って動かす者。
胸を張ってベテランと名乗れるようになるには、数十年単位での実践を交えた訓練が必要。
この世界だと例外もいるようだが、少なくとも人間がやるのであらば文字通りの意味で一生を捧げる必要がある、立派な技術職である。
蒸気機関車を手足のように扱えるようになるには、それ相応の技術が要求されるのだ。
故に蒸気機関車の機関士というのは、名刀を生み出す鍛冶師、部品を精確に組み立てる時計職人……そういった職人達と並べても何ら遜色無い輝きを放つ人達なのだ。
「この足元にあるペダルを踏めば汽笛を鳴らせるわ、注意勧告や合図なんかに使うから覚えておいて。右手前側のレバーがブレーキよ、機関車を止めたい時はこのレバーを操作して」
蒸気機関車の基本的な動作を行う部分の説明に入る。
汽笛は、まぁ……合図を送るような状況が現状だとイマイチ存在しないのだが。
だって擦れ違う車両とか無いし、オリジナ村に住んでる人達は皆自分達の生活で手一杯で私達が延ばしてる線路に近付く気配も無いし。
ぶっちゃけ、寄って来る可能性として一番大きいのは魔物位だろう。
魔物が汽笛で追い払えるのかは甚だ疑問だが。
「目の前にある回転するハンドルが、逆転機っていう部分ね。これは蒸気機関車で一番重要な部分の一つ、前進、後進……そうね、分かり易く言うなら馬の手綱だと思ってくれれば良いわ。使用する蒸気量をこれで調整をするの。初動や坂道みたいな力が必要な場面と、高速走行中では必要な蒸気量が違うからね。蒸気を無駄遣いしないようにこれで調整するのよ」
逆転機は、車で言うならばハンドルとシフトレバーとアクセルが複合した物である。
そう例えればこれがどれだけ重要な部分かは大多数が理解するであろう。
蒸気機関車の手足と言っても過言ではない、重要な心臓部の一つだ。
「んで、この上からぶら下がってるハンドルが加減弁テコハンドルっていう物よ、これを動かす事でピストンシリンダー部、そして車輪へと伝わる蒸気量、つまり動力量を調整するのよ。運転中は、右手はほぼずっとこのハンドルに触れてる感じね」
加減速や安全機構を色々取り付けた結果、操作すべき箇所が増えているが、蒸気機関車も蒸気機関の一つだ、根本的な部分は変わらない。
要は、火力を調整して水を沸騰させ、その水蒸気を動力へと変換するのだ。
この色々付属している操作用のレバーやバルブといった物は、半分位はその蒸気量に関わる部分である。
「あ、あの……み、ミラさん……これ、一度に全部覚えないと駄目、ですか……?」
リュカが若干涙目で、不安そうに尋ねてくる。
いやー、これだけの情報量を一度に素で覚えられる人はほぼ居ないんじゃないかしら?
「一度に覚えられるなんて思ってないわよ。蒸気機関車の運転を一人前レベルで運転出来るようになるには数十年単位で習熟しないといけないんだから。これから何年も横から私に延々と口出しされる覚悟はしておいてよね」
私の回答に安堵したのか、リュカの表情が緩む。
これだけ複雑な作業を一度で覚えられる人がいるとしたら……多分その人は十中八九、魔法の才覚が無い人なんじゃないかしら?
「えっと、ミラさん。その左端にあるハンドルは何の役目が?」
「これは、車輪の前後に砂を撒く為の物よ」
「砂? 何故そんなのを撒く必要があるのですか?」
熱心に私の言葉を飲み込み続けていたルークの問いに答えるべく説明する。
蒸気機関車は、初動や坂道の部分で車輪が空転し易い。
なので、こうして砂を撒く事で車輪と線路の間の摩擦抵抗力を少しでも増やして、空転を防止しているのだ。
……摩擦抵抗力の部分で頭上に ? が浮かんでるのが見えた気がするが、ここで更に摩擦抵抗力に言及していると脱線し過ぎるので割愛する。機関車だけに。
尚、砂を撒いたまま放置すると後方車両に余計な力を持っていかれるので、撒いて走り抜けた後はもう一つレバーを操作して水を撒き、砂を洗い流すのだ。
「あと、ブレーキは使い過ぎると過熱して利きが悪くなるの。そうなったらこっちのレバーを操作するわ、ブレーキと車輪部分に水を撒いて冷却する効果があるの」
そのレバーやバルブがどういった役割なのか、どうして必要なのかを一緒に添えつつ、全員に説明していく。
ただ、この一回ではとても覚えられるとは私も思っていない。
なので、後々で時間を見て蒸気機関車の操作マニュアル、及びこの蒸気機関車の設計図を図面に書き起こす予定だ。
設計図は、まぁ必要ないかもしれないが。操作マニュアルと併せて見れば少しは理解が深まり覚える速度が上がるかもしれない。
―――――――――――――――――――――――
一通りの説明を終え、炉に石炭をくべた。
石炭の投下作業、その最初はリュカにやって貰う事にした。
最初に石炭投下の順序を簡潔に書いた紙を全員に見せながら、投下の順序を説明する。
とはいえ、結局は石炭投下作業で一番重要なのは慣れである。
炉が暖まってくるまで、時折投げ入れる方向を間違えているリュカを注意しつつ、発車準備を続ける。
やがて内部に蒸気がしっかりと行き渡り、煙突から石炭が燃焼した事で発生する黒煙が大量に噴出する。
地下拠点の換気口がしっかりと稼動しているので、こういった煙も全て外部へと放出してくれている。
蒸気機関が始動し、運行準備が完了となる。
多少説明に時間が取られる事を考慮して、日の出前に集合したのだ。
説明に結構時間を割いたから、そろそろ日が昇ってるんじゃないかしら?
今日の運転……というか、これから線路敷設作業に向かう日は今後私が機関士となって目的地に向かう事になる。
他の三人は運転方法知らないからね、必然的にそうなってしまう。
覚えてくれれば楽出来るんだけどなぁ……こればっかりは一朝一夕で覚えられる事じゃないから、覚悟するしか無いか……
少しずつ、三人にも操作方法を覚えて貰おうか。
「じゃ、ちょっと狭いけど全員このまま機関室に乗ってどうやって動かすかを覚えて行ってね。リュカ、石炭の投入の仕方は覚えたかしら?」
「だ、大丈夫だと……思います」
……まぁ、間違えても熱効率が落ちるだけで蒸気機関車がまるで動かなくなる訳ではない。
ちゃんと適切な量を適切な順番で投入出来ればそれで良いのだが、何も知らない状態の人に行き成りそれを要求するのは土台無理な話である。
何度も続けて、身体で覚えて行きましょうか。
「それじゃ――蒸気機関車『でこいち君』、発車!!」
景気付けに一発、足元のペダルを踏み込み大きく汽笛を鳴らす。
地下拠点の駅、その壁に反響して汽笛は思った以上に大きな音となって響き渡った。
うるさかったのか、私以外の全員が両手で耳を覆っていた。
汽笛の動作も良好。まぁ私自ら手掛けて作ったんだから当然よね。
ガコン、と小さく車体が揺れ。地下空間の代わり映えしない風景が手前から奥へとゆっくり流れて行く。
始発点である駅を離れ、地上に向けて斜めに延びた坂道に向けてでこいち君は進んでいく。
実はこのでこいち君、純粋な素の状態の蒸気機関車ではないのだ。
線路を地下拠点まで導くべく開通させたこの通路、かなりの急勾配となっている。
人の足で歩くと、「これで急勾配?」と疑問符が湧きそうではあるが、鈍重な図体をしている蒸気機関車からすればちょっとした坂ですら昇るのに苦労するのだ。
リューテシアに地盤整備の際、可能な限り真っ直ぐにと言っているのも坂道があると登るのが辛いからである。
この急勾配の坂道は、素の蒸気機関車が登れるレベルを大きく逸脱している。
滑り止めの砂を撒くとか、そういうレベルで解決出来る物では無い。
車輪と線路の間に働く摩擦力より、重力の方が完全に上回ってしまい、車輪が空転して登る事が不可能なのだ。
だがしかし今、でこいち君は地上から差し込む小さな光点目掛けて真っ直ぐに線路を駆け上がっている。
どうやって登っているのかというと、坂道区間は車輪ではなく歯車を使っているのだ。
実はこの坂道区間のみ、線路の中央にもう一つ、ラックレールと呼ばれる特殊な線路が設置してある。
その線路は鋭さを失った荒い鋸刃のような形状をしており、蒸気機関車の車軸中央に取り付けられた歯車とガッチリ噛み合うようになっている。
こうする事で、蒸気機関車は摩擦力に一切頼る事無く、ダイレクトに動力を線路に伝えられるので、従来では不可能な勾配を力強く進んで行けるという訳である。
こういった路線はアプト式と呼ばれ、主に山岳鉄道のような山越えをする鉄道に見られる物である。
摩擦力で登るのは明らかに不可能だと分かっていたので、蒸気機関車の設計段階でこのアプト式を採用するのは確定していた。
さぁ登れ! でこいち君! 私の理想の未来へ向けて全速前進だ!
光点は大きく強く輝き、長い坂道区間を駆け抜け、蒸気機関車は遂に地上へと至る!
鉄の車体は朝日を浴び、その黒色の車体を鈍く煌めかせる。
車輪がしっかりと鉄路を捉え、トロッコで片道三時間の距離を、後ろに随伴する一つの車両と共に走り抜けていく。
――世界から途絶していた蒸気機関車の咆哮が、数百年振りに轟いた瞬間であった。




