5.丁稚奉公
翌日。
私とアランは再びルドルフ宅を訪れていた。
無論、事前に朝の日課は済ませた上でだ。
お陰で腕が痛い足が痛い筋肉痛が酷い辛い死にそう大丈夫これ私ちゃんと手足身体に付いてるよね?
ギシギシと身体が軋む音が聞こえる気がする、椅子の軋む音じゃないよ。
皆様如何お過ごしでしょうか、私はぶっ倒れそうです。
「――それで、王都の様子は?」
「別に何も変わってねぇよ、何時も通りだ何時も通り。……何時も通り、腐ってやがるよ」
そんないたいけな少女である私なんて存在ガン無視でアランとルドルフの二人は神妙な面持ちで対話を続けている。
悪態交じりの口調で話される話題に私は隣で耳を傾ける。
「通行税、また上がるそうだ。見返りは何にもくれねぇ癖に私腹を肥やすのだけは一丁前だぜ本当」
「遠征討伐軍の派兵は?」
「遠征討伐軍様は聖王都の防衛が忙しいとよ。襲われるのは辺境からだってのに本丸ばっかり守ってりゃ世話ねぇよ」
椅子に深く腰掛け、テーブルを挟み向かい合う形でルドルフ、そしてアランと私が座っている。
ルドルフの報告はアランにとっては落胆せざるを得ない報告だったのか、深く溜息を吐く。
ルドルフはアランとの会話に集中している為、先程まで手にしていた羽ペンを置き、計算作業に勤しんでいたその手は完全に止まっている。
その手元には算盤が置かれており、恐らくそれで計算をしていたのだろう。
「勇者様があの魔王に深手を負わせて凱旋したってのに、この国の王と来たら――」
「勇者様も頑張っていますが、この広大な地を単身で、というのはいかに勇者様と言えど無茶が過ぎますね――」
基本的に聞き流しながら、この世界で重要そうな話題を拾っていく。
勇者? 魔王?
気になる単語を耳にしたが、すぐに思い出す。
そういえば、この異世界には勇者と魔王という特異点が存在するという事を。
血筋遺伝子、生まれ育ちという目立った共通点は何一つ存在しないが、
ただ一つだけ共通して言えるのは、その両者は極めて膨大な魔力と類稀なる戦闘力を有するという事だ。
「勇者様も国に進言しているみたいだが、色好い返事は来ないみたいで――」
「勇者様が言っても駄目ですか……」
何だか二人の会話を聞いてると、この世界に居るっていう勇者とやらは随分と民草に慕われているようである。
しかし暇だ。
世間話に花を咲かせるのは私としては有り難いけど、ただ聞いてるだけじゃ手持ち無沙汰だ。
世情の内容に耳を傾けながら、周囲を見渡す。
ルドルフの隣に積み上げられた、紙束の山を上から1枚取り出してみる。
「まぁ、辛気臭い話はこの位にしようぜ。何か物入りだったんだろ?」
「それもそうですね。じゃあ――」
見ればどうやら、収支報告書の計算途中らしい。
やってる事は単純な四則演算である。
ふむ。
銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚。
それがこの国の貨幣みたいね。
多分、私達の世界で言う10円、100円、1000円って所かしら?
万札に当たる貨幣が無いのが面倒ね、作れば良いのに。
そこまで経済がインフレ起こして無いのかしら?
こういう経済に直に触れると世界が見えて助かるわね、何にも現状分からない今なら特に。
そんな事を考えながらペンを手に取り、紙面上を走らせる。
「――ああ、それじゃあちょっと待っててくれ。この書類の山を片付けたら直ぐに……」
「終わったわよ」
「そうそう終わった終わった……え?」
「何イチイチ指折り数えてんのよ、この位暗算しなさいよ暗算」
ルドルフが先程まで紙束が置いてあった場所を見て、目を白黒させている。
言っておくけど、計算間違いや処理間違いなんて無いわよ。私自らが直々にやったんだから。
この位、寝起きの朝飯前。
あの水汲み往復と比べたらちょちょいのちょいよ。
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そのまた翌日。
ルドルフの頼みで、私は今ルドルフの自宅兼店舗兼倉庫であるこの場所で計算作業に勤しんでいる。
昨日暇潰しにやってた計算作業の速度を見たルドルフが、是非とも私の腕を貸してくれと頼み込んで来たのだ。
「何時までも、この家に居候し続ける訳にも行きませんから。一人でも生きていく手段をここで見付けないといけないので、喜んで引き受けようと思います」
と、アランに笑顔で告げ、今まで世話になった事を感謝しながら今度はルドルフの家に転がり込む事になった。
という訳で、アランの家を離れ、ここルドルフの家にて丁稚奉公をしている。
給金こそ出ないが、衣食住は完備。
ルドルフが商取引を終えて戻ってくるのに一週間、その間に書類の山を片付けておけという内容である。
一週間後に終わってさえいれば、残りの時間は好きに過ごして構わないとの事。
そして何よりも素晴らしいのが水汲みや掃除をしなくて良いらしい。やったー。
計算作業自体は非常に単純だ、何せ四則演算しかしないのだから。
単純過ぎて途中で飽きが来るが、飽きるまでやってたら作業総量の半分が一日で終わっていた。
これは余裕だ、うん。素晴らしい。
やっぱり私に肉体労働は向いていないんだ、やはり私は頭脳労働に限る。
「あら、ミラちゃん。お出かけするの?」
休憩がてら外に出掛けようとした時、背後から飛ぶ声。
振り向くとそこには、ルドルフの妻であるアーニャの姿があった。
「ええ。少し椅子に座りっ放しで頭も身体も疲れてしまったので、散歩でもしようかと」
「あらあら、そうなの~。夫が帰ってくる一週間後までに終わってれば良いから、自分のペースでやってねぇ~」
アーニャは優しくこちらを気遣ってくれている。
良い奥さんじゃない、ルドルフは幸せ者ね。
その気になれば今日中に終わるけれど、一週間後までに終わってれば良いのだ。無理する必要は無い。
というか、私はそんな頑張りやじゃない。
疲れたら止める、だらける時間というのはとても重要だ。
「あっ、そうだ。アーニャさん、あればで良いんですが地図ってありますか?」
思い付きでアーニャに訊ねると、流石に商家だけあり街道の地図はあるとの事。
好意で貸してもらい、アランから借りっぱなしの外套を羽織る。
行ってらっしゃぁ~い、という間延びした見送りの挨拶を背に外へと出る。
雲海の切れ目から時折太陽が光を注ぎ込み、遠目に見える新雪の平原が照り返しで輝いていた。
まだ村から出る気は無いけれど、
この村の周辺にどんな物があるかは確認して置かないと。
あー、それにしても徒歩かー。移動手段が欲しいわね。
そんな事を考えながら、日が沈むまで地図とこの村の位置方角を確認しながら今日一日を終えるのであった。