49.秋の訪れ
物事には優先順位という物がある。
ご飯を食べる事、眠る事。
これは必要だ、とても大切な事だ。
人は食欲と睡眠欲からは決して逃れる事が出来ないのだから。
食べなければ栄養を取れず、飢えて死に。眠らなければ肉体と精神に変調をきたし、過労死するだろう。
石鹸製作、これも重要だ。
これは現時点での貴重な資金源、お金が無ければ生活は出来ない。
世界というのは貨幣という概念が生まれて以降、その全てが貨幣経済の上で成り立っている。
このお金を稼ぐという行為は、非常に分かり辛くなってはいるが本質を辿って行けば、
古来人々が狩猟や採取で食料や日用品を確保していた事と同じ事なのだ。
取らねば、狩らねば、人は飢えて死ぬ。
だからお金を稼ぐ為にも石鹸製作の手も止められない。
インフラ・環境設備の拡充、これは今の優先順位は落ちた。
私達は既にオリジナ村までの鉄道敷設、居住空間における必要最低限の機能を開拓し終えている。
水回りはまだまだ不便なままだが、それでもここへ来た当初と比べれば遥かに利便性は向上している。
まだまだこれから便利に出来る余地があるといっても、今すぐ必要という訳ではない。
なので、一旦開拓作業は中断である。
今は、私も含めて全員で石鹸製造を行う事にする。
石鹸は数が必要だ、なので私も手を割くしかあるまい。
まだ時期的には夏半ばを過ぎた辺りではあるが、冬支度は早めにしておいた方が良い。
私がかつてこの世界に来た、その当時の冬の光景。
あれが毎年の物であるならば、冬の間は私達はこの拠点から外に出られないと考えて行動しなければならない。
拠点拡充作業は、冬にやれば良いだろう。
無論、冬になればオリジナ村との往来も難しくなる。
あの積雪量からして、敷設した鉄道も完全に埋没するのが目に見えている。
そうなれば、ルドルフやオキと接触を図れず、鉄製品や買い付けた品の受け取りが出来なくなる。
一時的に物流が途切れてしまう、それを考慮して早め早めの行動を心掛けておこう。
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オキから加工済みの鉄製品を受け取りに向かうと、偶然にもルドルフが頼んでいた品の運送を終えたタイミングだったようだ。
挨拶も程々に、早速仕入れてくれた品を受け取る事にする。
荷馬車を五台もゾロゾロと引き連れ、今回届けてくれたのは耐火レンガと鋳砂のようだ。
石切り場から切り出し加工済みの、産地直送のレンガであるらしい。
宝石の方は手頃な品物がまだ見付かっていないらしく、また次回以降という事らしい。
私としては、宝石よりレンガが仕入れられた事の方が嬉しい。
流石にレンガや鋳砂は食料なんかと比べて圧倒的に重量が重く、積載貨物を分散させざるを得なかった。
結果、この大所帯での移動となったようだ。
ルドルフに礼を述べ、リュカに馬車の荷物を降ろして貰う。
私が直接そのままものぐさスイッチの亜空間内に格納してしまえば良いのだろうが、
あまりこの能力を周囲に漏らしたくない。
私の能力を知られないようにする為の結果、リュカにはしなくてもいい苦労をさせてしまっている。
防波堤になってくれているから徒労ではないけど。
流石に体力があるリュカでも、レンガの運搬、しかもこの量は辛そうに見えた。
これはちょっと、後々特別手当出さないと駄目ね。
積載している荷物はこっちで勝手に運ぶとルドルフに告げ、ルドルフは馬小屋へ馬を引き入れ始める。
ルドルフが荷物の積み下ろしを手伝おうかと申し入れてきたが、笑顔でやんわりと、申し訳無さそうにお断りの返答をする。
むしろ、私としては早く家に戻ってご婦人であるアーニャと家族水入らずで過ごして欲しい。
ルドルフが自宅の扉の奥へ去り、リュカ以外に村の周囲に人の目線が消えたを確認したので、馬車の中へ潜り込み片っ端からレンガに触り、亜空間内へと格納していく。
こっちはリュカと違い、力すら使わないワンタッチ格納なのでペースは速いが、流石に数が多い。それなりに時間は掛かった。
荷馬車の中身が空になった後、人力で運んでますよー別に変な能力は使ってませんよー、というアピールの為にリュカに運び出して貰ったレンガも全て亜空間の中へ放り込む。
あの量の荷物を運ぶのだ、普通はもっと時間が掛かる。
なので、不審に思われない程度にリュカと共に馬車の中で時間を潰し、機を見てルドルフに荷物運搬が終了した事を告げる。
荷馬車の引き込みはルドルフがやってくれると申し出てくれたので、こちらは好意に甘えさせて貰う事にする。
全てが終わった頃には夕方になってしまっていたが、問題ない。
鉄道とトロッコがあれば二時間程度で拠点まで戻れる。
夕方だが、完全な日没まではまだ時間がある。
これなら夜までには拠点に帰れる、オリジナ村で夜を明かす必要も野宿も必要ない。
私達はもう宿無し根無し草ではないのだ、帰る家があるのだからさっさと帰ろう。
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「……芽が出てきた」
某日。
ファーレンハイトへと向かう道中で確保した植物の種、
その芽が土の中からぴょこりと飛び出ているのに水遣りの最中気付く。
今はまだ乳白色のような芽ではあるが、後々若草色の体躯へと育っていくのだろう。
植えてから時間も経ってるし、こうして芽が出てくるとちゃんと育ってるんだなぁと実感する。
苗木から育ててる方は、既にある程度成長済みのせいでイマイチ育ってる実感が無いし。
……実は今育ててる作物、このままでも食べられる。
芽を摘み取って、サッと茹でていただくのだ。
ビタミンも含まれており、また単価も非常に安く、生育も早い。
とても優秀な作物だったりする。
でも、今回は食べません。ちゃんと育てて増やさないと。
多分、私が以前立ち寄った場所を探せばまだ生えてるんだろうけど、
ファーレンハイトまで向かうのは少々骨だ。
栽培出来る充分な量だがその地から全滅させない程度に大量に確保してあるので、これをやりくりして行こう。
「早く育たないかなー……」
そんな事を思わず口走るが、何を言おうが植物が育つのには時間が掛かる。
水遣りも済んだのだから、持ち場に戻って引き続き石鹸作成作業に取り掛かるとしよう。
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拠点での暮らしに日常と呼べるような流れが生まれる頃。
夏は過ぎ去り、ロンバルディア地方は完全な秋の季節を迎えていた。
残念ながら寒帯寄りのこのロンバルディアには実りの秋という物は無い。
作物がここロンバルディアでは実らないので、食欲の秋も無い事になる。
また、近くに群集している針葉樹林は常緑樹の類なので、紅葉の秋ですらない。
ただただ空気が冷たくなった事位しか、夏から秋へと季節の移り変わりを感じる術が無い。
「――夏でも夜は若干肌寒い位だったけど、ここ最近日中でも外は肌寒くなって来たわね」
「ロンバルディア地方は厳冬の地と聞いていますし、夏も終わりましたからね」
トロッコに乗って戻って来たリュカとルークを終着駅にて出迎える。
毎回私が出向かないといけない状態から脱却すべく、
秋の頭程の時期から石鹸の搬送をリュカとルークに一任している。
以前既にルドルフやアーニャを始めとしたオリジナ村の住人とルークは顔繋ぎが済んでいるので、
そろそろ頃合だと考えての事だ。
今の所順調なようで、また石鹸の搬送もトロッコを使用する事で問題なく大量に運べている。
これにより、資金源である石鹸の製造・販売までの流れ、私が一切ノータッチで成立するルートが完成した事になる。
それは即ち、私が完全にフリーになれたという事である。
これで私が動かなくとも、必要最低限の衣食住が保証された事になる。
まだまだ不便だけど、私は自由になれた。
さて、次は何をしようか。




