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4.物は要りよう

 衣食足りて礼節を知る、という言葉がある。

 人は生活に余裕が出来る事で、初めて礼儀や節度をわきまえられるようになるという意味である。

 だが、この世界に辿り付いたばかりの私にはまだその余裕が無い。

 衣食住、人が生きる為に必要なこの三大要素。

 その全てがアランにおんぶにだっこ状態である。

 言わば借りである。

 私は借りを作るのは嫌いだ。

 借りを作れば後々どうなるかは分かった物ではない。

 借りた以上返す。

 だがその為には圧倒的に足りないモノがある。



 ……金である。



 人が生まれ、集団で暮らすにあたって通貨という概念が生まれた。

 それ以降、人々はこの通貨という地面の上で生活している。

 それは例え世界が変わったとしても普遍の事実である。


 金、ね。

 現状だとほぼ一回限りだけど大金作る手段はあるのよね。

 でもこれは一度使ったらそれで終わり、それ以降はどうしようもない。

 その一回こっきりの大金で、生活基盤を整えなければならない。

 何はともあれ、自活する手段というのは何処の世界でも必要な事だ。

 だからいずれ何処かで使う事にはなるだろう。

 しかし大金を入手する当てがあるとはいえ、無計画に切れる手札ではない。

 道中暴漢に襲われたら?

 悪徳商人に騙され二束三文で買い取られたら?

 これらに対する回答はしっかり用意してからでないと。


 そんな事を考えながら、今日もまた水汲みに井戸と家の間を往復している。

 死にそう。

 こんな原始的な運搬方法耐えられない。

 もっと効率的な手段があるにも関わらずそれを実行出来ない。

 肉体的にも精神的にも辛い。


「お疲れ様でした、それじゃあ今度は汲んで来た水で床を拭いておいて貰えますか?」

「冷たッ!」


 アランの無慈悲な指示。

 しかし現状無一文で住まわせて貰っている分際で文句を言うのは厚顔というレベルではない。

 こんな雪国で水の張ったバケツで水拭き、ちょっとした拷問だ。

 指先がかじかんで感覚が無くなるし、まるで傷口から血が流れ出るかの如く体温が指先から奪われていく。

 でも、まぁ。


「――これが、自由ってものなのかもね」


 元居た世界を思い返し、感慨に耽る。

 血と薬品の臭いしかしない、何処までも真っ直ぐに、何処までも狂った世界。

 あの場所と比べれば、この世界には安全が無いかもしれないが、

 それでもあの世界には無い本当の意味での自由があった。

 安全に関しては、自分で作り出せば良い。

 今、確かに自分の手の中にあるその自由を噛み締めながら、私は再び拭き掃除に戻るのであった。



―――――――――――――――――――――――



 未踏の異世界へと漂着し、アランの家に保護という名目で上がり込んでから数週間。

 私は自らの日々を小間使いとして働き生きている。

 そんな代わり映えのしない生活に転機が訪れた。


「ミラさん、今日はちょっと買出しに出掛けますよ」

「買出し?」


 という事は商店に行くのか。

 そりゃそうよね、人が暮らす場所には店の一軒や二軒建ってても不思議じゃないし。

 毎日がハードワークでそんな場所に気を向ける余裕が全く無かったから手を伸ばせてなかったわ。


「ええ、久々にルドルフさんが戻って来ているそうですから世間話ついでに仕入れてきた商品を買わせて貰おうかと」

「分かりました、私も荷物持ちで付いて行きます」

「そうですか、では行きましょうか」


 もう井戸往復と室内掃除には飽きてきた。

 代わり映えのしない生活というのは退屈を生む。

 退屈とは毒だ。

 まるで真綿で首を絞めるかのようにゆっくりゆっくり人の心を殺していく。

 そして退屈から開放されるべく、時に人は凶行に及ぶ事もある。

 こういう健全な新しい刺激には常に身を投じて行くべきだろう。


 道中、改めてこの村の周囲を見渡す。

 アランから聞いた所、ここはオリジナ村という場所らしい。

 ファーレンハイト領ロンバルディア地方にあるこの村は、降り積もった雪景色を見て分かる通り厳冬の地域であり、年の大半が雪に覆われる地域だそうだ。

 当然ながら食料自給率は低く、その食糧事情は狩猟と時折訪れる商人からの売買で賄われている。

 その時折訪れる商人というのが、これから赴く先にいるルドルフという人物だそうだ。

 小さな一軒家、とはいえ周囲に散見している家屋と比べれば比較的大きいその家の扉をノックするアラン。


「こんにちわ、アランです。ルドルフさんが帰って来ていると聞いたのですが」


 木製の乾いた小気味良い音が立ち、それから数秒遅れて扉の奥から女性と思わしき人物の声が聞こえる。


「はぁ~い、今開けま~す」


 錠前が開き、扉が開け放たれる。

 扉の奥から現れたのは、先程の声の持ち主である女性であった。

 年は……行ってても20半ば位か。

 とび色の瞳に、肩の高さ程で切り揃えられた亜麻色の艶やかな髪。

 目鼻立ちが整った容姿であり、柔和な笑みを浮かべたその女性は一目で分かる美人であった。


「どうもアーニャさん、ルドルフさんは御在宅でしょうか?」

「あらアランさん、久し振りですねぇ~。夫は昼頃戻ると手紙に書いてありましたからもうそろそろだと思うんですが――」

「アーニャ!」


 目の前のアーニャと呼ばれたその女性が、言い終わる前に横から飛ぶ声。

 一陣の風かと思う程の敏捷さで私の横を駆け抜けたその影が、目の前のアーニャへと飛び付く!


「アーニャ! 今戻ったよ! 寂しくなかった? 私はもう心配で心配で――」

「あらあらルドルフ、おかえりなさい。今丁度アランさんが貴方を尋ねて来てた所よ」


 アーニャに飛び付いていた男の言葉を途中で遮りながら、来訪者の存在を知らせるアーニャ。

 この男がルドルフか。

 身なりはまぁ、商人という事で見た目で舐められない為なのか。

 アランの着ている普段着と比べれば遥かに整った服装だ。

 だが別段無駄に金銀をあしらった豪勢な服という訳でも無い。

 恐らくこれがこの世界での一般的な改まった礼服の類なのだろう。

 厚手の布を使ったスーツ、とでも言えば良いのだろうか?

 そんな服に身を包んだルドルフという男は、中肉中背のイマイチパッとしない見た目であった。

 間違いなく不細工ではないが、美形かと言われると首を傾げざるを得ない。


「おうアランじゃねーか。悪いが今日はアーニャと一緒に久々の夫婦水入らずを堪能したいんだ、明日以降にしてくれ」

「そう、ですか。まぁ今すぐ急の要りようでも無いのでそういう事なら明日出直しますよ」

「……ん? 何だその隣のお嬢ちゃんは? アランのコレか?」

「……オキさんといいルドルフさんといい、何ですか? 遠回しに私がロリコンだとでも言いたいのですか?」


 ルドルフが小指を立てているのを見て、笑顔で怒気を滲ませるアラン。

 何なの? この村の連中はそっち方面にしか話を持っていけないの? 馬鹿なの? 思春期なの?

 というか誰がロリよ、私は10歳だっての。子供か。


「冗談だよ冗談! まぁ実際の所今日買い付けた商品の搬入と整理、帳簿付けで忙しいから今日は無理ってのが本音だ」

「ああ、そっちが本音なんですね。てっきりまた嫁さん狂いが発症したのかと思いましたよ」

「失敬な! そっちも本音だ!」

「ああそうですか、帰りますよミラさん。ではアーニャさん、また明日」

「はぁ~い、また明日~」


 憤慨するルドルフを完全に無視し、私に帰還の指示を出すアラン。

 もう慣れっこなのか、これが日常なのか。

 促されるがまま私とアランが帰路に着くと、後ろから間延びしたアーニャの見送る声が聞こえる。


 ……商人、か。

 恐らくここを足掛かりにする必要があるわね。

 目星が付いた事で、一先ず一歩前進といった所か。

 

 早く食っちゃ寝生活したい。楽したい。

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