32.石鹸作り
翌日、私以外の三人が水酸化ナトリウムの量産を始める。
作り方は先日教えた。後は実際にやり、頭と身体で完璧に覚えて貰う。
それに、燃料も結構用意出来た。
前々から黙々と伐採し続けた竹も、最初に切り倒した方は充分に乾燥して燃料としても使うのに問題が無いレベルになった。
なので溜め込んだ竹の一部を燃料にして、水分を飛ばす為に必要な熱量へと変換する。
燃料を伐採で溜め込み、水は下から勝手に搬送されてくる仕組みを作った。
この二つが準備出来たから、ようやくこの作業に取り掛かれるのだ。
「その下にこびり付いてるのが完成した水酸化ナトリウムよ。素手で触れないように、木匙でこそげ落として容器に溜めておいて。溜めた後はすぐに蓋を閉めておいてね」
リュカがハンマーで鍾乳石とトロナ石を砕き、石臼で粉末状へ加工。
ルークが火を管理して二種類の鉱石を焼いて性質を加工、
リューテシアが出来上がった粉末二種を水で混ぜ合わせ、沈溺を取り除いた後に煮沸し完成した水酸化ナトリウムを取り出す。
「この取り除いたのはどうする訳?」
リューテシアが水酸化ナトリウム作成の際に生まれた、白い沈溺物を指差しながら聞いてくる。
それは使えるから保存しないと駄目なのよね。
「その取り除いた白い沈溺物は、炭酸カルシウムって物質よ」
「たんさん、カルシウム……?」
「化学変化によって、一周して今そこでリュカが一生懸命砕いている鍾乳石と全く同じ性質の物に戻って来たのよ。だから、この沈溺物がある一定量溜まったならもう鍾乳石を採取して加工する必要は無いわ、水酸化ナトリウム製作に必要なのは炭酸カルシウムであって、鍾乳石では無いんだから」
この沈溺物を再び乾燥させて粉末状に加工すれば、水酸化ナトリウム製作に再利用出来る。
そうすれば鍾乳石を砕く手間が省けて、もっとスムーズに製作が進むだろう。
なんなら、乾燥剤に使用したって良い。
乾燥剤もまた、あれば食料保存に便利である。
「……これを作るのは良いけど、これ作ってる間は私が道を作れないんだけど」
「それは仕方ないわね。道路作りも大切だけど、この水酸化ナトリウム製作も大切な事だから。それに、延々と道路作りばかりやってても気が滅入るでしょう? 気分転換に別の作業をするのは大切よ、人間は機械みたいに同じ事を延々と続けられるようには出来てないんだから」
リューテシアにはこれからも道路作成に精を出して貰わなければならない。
だからこそ、たまには飽きる作業から切り離して気分転換をさせてあげなければならない。
休日だってそうだし、この水酸化ナトリウム製作だって気分転換の一種だ。
人間っていうのは、同じ作業を機械のように延々と続けられるようには出来ていないのだから気分転換は必要だ。
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三人へ逐一指導を入れていく内に段々作業工程と感覚を覚え始めたのか、
私からの注意が入る事が少なくなっていく。
徐々に水酸化ナトリウム製造方法を理解してきたようだ。
うん、これならそろそろ石鹸製作に入っても良さそうだな。
まずは水の用意である。
ただ普通にその辺の水を使うと、水中のミネラル成分と水酸化ナトリウムが反応してしまい、正確な分量測定が出来ない。
その為、蒸留水を用意する事にする。
火の管理をしているルークの隣を少々借り、汲んで来た水を煮沸し精製、不純物を取り除いた蒸留水を作成する。
蒸留水の製作に関しては、特に何も言う事は無い。
蒸発してくる水蒸気を集め、水滴となって滴り落ちてきた物を集めた物が蒸留水である。
その気になれば火すら使わず日光の熱だけでも作れるが、時間が惜しいのでさっさと火で加熱する事にする。
この方法を用いれば泥水だろうが海水だろうが真水へと容易に転換できる。
ただ、ろ過器と違って熱源が無いと駄目なのと飲料水の大量生産には向かないのが欠点か。
さて、これで真水も用意出来た。
次にしなければならないのは、この世界で買ってきたこの油の鹸化価を調べる事だ。
私達の世界に存在しない、何か固有の植物から絞られた油らしいが、
その植物は食用にもされているらしいので、石鹸に加工するのは問題ないだろう。
鹸化価とは何か?
油に水と水酸化ナトリウムを加える事で、油が水酸化ナトリウムによって分解され、脂肪酸ナトリウムとグリセリンへと分解される。
この脂肪酸ナトリウムというのが、石鹸の元であり、この分解作用の事鹸化作用と言う。
だが、同量の水酸化ナトリウムを用いても油の種類によっては溶け残りが出たり、逆に不足したりする。
その為、適切な目分量を測定する必要がある。
適切な分量を計測する為にこの油の主要成分を調べたい所だが、
いくらなんでもそんな調査機器をこの世界に持ち込んではいない。
自衛手段と元居た世界の最先端技術、それに加えて生活に必要な多少の器具位はものぐさスイッチに入れてきたが、
解析機器なんて大掛かりな代物は持って来れなかった。バレる危険も大きいし、時間が無かった。
なので仕方ないがかなり大雑把な手段を取らせて貰う、大変不本意ではあるが。
私の世界に存在した油に関しての鹸化価だけならば、全てこの頭の中に叩き込んである。
その数値を参照しながら、一番成分が近い油の種類を調べるのだ。
完成した水酸化ナトリウムを多少使い潰しながら、実際に石鹸を作る作業工程を経て、石鹸の成り損ないをいくつか量産していく。
勿体無いが、これを使う訳にもいかないのでこの石鹸成り損ない失敗作は廃棄処分する事にする。
数個程作ると、やっとお目当ての鹸化反応を見せてくれる分量を観測出来た。
どうやらこの世界固有種の植物油は、油100グラムに対し必要な水酸化ナトリウム量は14グラムのようだ。
これで擬似的に鹸化価の測定が出来た、それさえ分かればこっちの物。石鹸作りに必要な分量が分かったので今度こそ準備万端だ。
必要な材料は以下の通り。
・油
・水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)
・蒸留水
余計な物を排除すれば、材料自体はこれだけで良い。
実際にはこの材料の分量を取り分ける計量計りや、材料を攪拌する為の鍋のような容器も必要である。
また、水溶液が撥ねても大丈夫なように作業中は手袋等で皮膚を保護するのも重要だ。
手袋に関しては、焼き石風呂にも使えるので厚手の布を使って即興で用意した。
最初に水酸化ナトリウムを蒸留水に溶かし、水酸化ナトリウム溶液を作成する。
この際、水溶液が加熱し熱湯になるので注意する。
作業中は過熱による湯気が立ち昇る。
この湯気も当然水酸化ナトリウム成分を含有しているので、吸い込むと危険である。
その為、この作業は風通しの良い屋外、坑道入り口にて行う事にする。
熱湯化した水溶液を水で冷やし、水溶液の温度を40度まで下げる。
また、それと平行して油も軽く焚き火の火で炙り、油の温度も40度まで上げておく。
温度を測定する必要があるが、この世界には温度計が存在しない。
灯油か水銀でもあれば温度計を作れるのだろうが、この世界の技術ではまだ石油精製も水銀作成も出来ないだろう。
しかし幸いにも石鹸を作る上で必要な温度というのは40度であり、人肌に触れても問題ない温度である。
丁度良い風呂の温度というのが大体40~42度程なのだから、触診は可能だ。
なので温度計が無い分、この三人には40度という温度を何度も触って覚えて貰う。
人肌の温度が平均36度だから、人肌よりほんのり温かい温度。何度もやっている内に覚えてくれるだろう。
入浴用のお湯を用意するタイミングが良いか、これからはお湯の温度を覚えるのも仕事の内だ。
脇道に逸れた。
私はものぐさスイッチの内部に温度計を所有しているので、普通に温度を測定して40度を測ってしまう。
次に、この水溶液を油の中にゆっくりと注ぎ込んでいく。
琥珀色の植物油が、水酸化ナトリウム水溶液と混ざり合った箇所から黄土色へと濁っていく。
水溶液を全て注ぎ終えたら、これを淡々とかき混ぜ続ける。
琥珀色の綺麗な油要素は鹸化作用が進むにつれてどんどん消えていき、濁り続ける。
鹸化作用が進むにつれて液体が徐々にペースト状に、最終的には完全に固形化する。
時間が掛かる作業なので、ある程度攪拌し終えたならその後は時間を置きながら時々かき混ぜる。
鹸化がある程度進むと、混ぜた際にその軌跡が残る位の柔らかさとなる。
この混ぜた際に軌跡が残るレベルまで鹸化が進んだら、石鹸の元は完成である。
石鹸の元を型へと流し込み、固形化した石鹸へと固まるまで待つ。
型には割った竹を使用した。竹は容器になるし建材になるし燃料になるし本当使い勝手良いわね。
容器に取り分け、放置して固まったら使いやすいように切り分けて、風通しの良い日陰でしっかり乾燥させる。
この最中も鹸化作用は進んでいるので、水酸化ナトリウム成分がしっかり溶けて混ざり合うよう、焦らずじっくり待とう。
乾燥作業は一日二日では終わらないので、ある程度の量を作り置いてまとめて乾燥させる事にする。
これが終わればいよいよ石鹸完成である。
石鹸が完成すれば、ただの水浴びの延長線にしか過ぎない入浴が、更に進化する。
それに手が汚れた際の手洗いだって、その洗浄効果で清潔に出来るようになる。
だが今すぐには使えない、固まったように見えても熟成期間が終わってない。
完成した石鹸を消費している間にまた次の石鹸が作れる位には作り置きは出来た。
後は絶やさず作り続けるだけ。
使えるようになる日が楽しみだ。




