29.坑道探索
「我を守れ、大気の隔壁。エアロウォール!」
私とルークは今、テューレ川の源流である滝へと来ている。
自らの周囲に空気の膜を魔法によって展開したルークは、
川原に転がっていて自分が辛うじて片手で抱えていられるギリギリの重さの石を二つ掴む。
そのまま川へと向かい、空気の膜を展開したまま滝壺の底へと沈んで行った。
ルークが完全に水の中へ沈んだのを確認し、ものぐさスイッチ内に入れてあるアプリ、ストップウォッチで潜水時間を計測する。
今、私が測定しているのはルークがどれだけの時間、この空気の膜を展開していられるかという物だ。
ルークにはこの空気の膜を維持出来るギリギリの時間まで滝壺の底に沈んでいろと指示を出した。
先程石を抱えたのは、単に水の底に沈む為の重さ確保の為である。
水中に行かせたのは、この空気の膜を視覚的に認識し易くする為。
地上だと空気の膜は視認出来ないから測定に困るのよね。
さて、ルークの潜水時間計測中はやる事が無い。
ぼーっとしていると、規則正しく鳴り響く金属音が耳に付く。
先日ここに水車による水運搬機構を設置したが、結構鎖の音がうるさいわね。
せめてローラーチェーンがあればなぁ……
いや、待てよ? もしかして行けるか……?
善は急げで、私は急ぎ羊皮紙とペンをものぐさスイッチから取り出す。
紙面上にペンを走らせ、複数の術式を混ぜ合わせながら目的の形へと導いていく。
地属性と氷属性の一部分の記述を拝借して結合、
そして氷属性の術式に特定の形へと成形する記述を混ぜ込む。
注釈を差し込み、大きさを指定。
魔力の消費がかなり荒くなるわね、でも以前見たリューテシアの魔力量なら余裕なはず。
むしろ余計な作業が発生しないように、正確な指定を出しておく方が重要か。
そんな作業を行っていると、滝から注ぐ水の落下音とは違う、底からせり上がるような水音がしたのを耳で聞き取る。
ルークが抱えていた石を放棄し、滝壺の底から浮上してきた。
それを確認し、ものぐさスイッチでの時間測定を停止する。
「――はぁ……ふぅ。もう魔力が空っぽですよ。ギリギリまでとなると、この時間が限界ですね」
息を切れさせながら、展開していた空気の膜を解除するルーク。
ちゃんと空気の膜を維持し続けたようで、着衣のまま水に潜っていたが何処も濡れていない。
時間はおよそ、六時間半であった。
水底でじっとしたままの限界時間なので、歩きながら等で体力を消耗すれば更にここから時間が減るだろう。
そして坑道内に潜ったら戻ってくる事も考えなければいけないので、実際にはこの時間が更に半分になる。
つまり、私とルークが坑道奥に潜っていられる時間は良い所二時間半がリミットと考えるべきだろう。
「お疲れ様。今日はもうこれで仕事を切り上げて休んでもらって構わないわ、明日までにまた魔力を回復出来そう?」
「今から戻って、少々早いですが眠っていれば明日の朝には回復出来そうですね」
「ならそうして貰えるかしら? 明日からいよいよ坑道内に潜ろうと思ってるから」
羊皮紙への記述を中断し、疲弊したルークを引き連れて拠点へと戻る。
明日からいよいよ、坑道奥を探索しようと思う。
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坑道の奥は一切、日が届かない。
何もかもを溶かし込む濃厚な闇が満ちており、光源を用意しなくては一寸先は闇である。
私達は坑道の入り口付近に拠点を据えたので、入り口から差し込む日光のお陰で日中は活動に困っていない。
だがここから更に奥に進むとなると、間違いなく明かりが必要だ。
以前アレクサンドラと一緒に来た時は彼女が魔法による光源を用意してくれたお陰で奥に進めたが、今回彼女はいない。
暗いだけでも厄介なのに、この暗闇はただのオマケなのだ。真の敵は、間違いなく火山性ガスである。
これだけ強烈な硫黄の臭いで満ちているという事は、火山性ガスがこの坑道内に満ちているという事である。
正確には火山性ガスが噴出してしまっているから、その内の一種である硫化水素が原因でこの臭いが周囲に漂っている、というのが表現としては正解だ。
入り口付近はそんなに火山性ガスの濃度が強くない、というより外気に晒されている影響もありほぼ皆無に等しいのだが、
奥に進むとなると新たな問題が生まれる。
火山性ガスの中にはメタンのような、可燃性のガスも存在している。
そんなガスが充満している危険性の高い、深淵の闇の空間をこれから潜っていくのだ。
火は厳禁、なので光源としてこの世界で一番メジャーな松明が使えない。
この世界の人々からすれば、かなりの難所になっているのは間違いないだろう。
「まぁ、私にはこの携帯端末があるんだけどね」
私達の世界で一般市民にも普及しているスマートフォン同様、
このものぐさスイッチにもLEDによる強力な光源機能が搭載されている。
これがあれば光には困らない。
万が一落としても、壊れさえしなければ何時でも私の手元に呼び戻せるし。
このものぐさスイッチが壊れるって状況が想像出来ないけど。
地下へと降りる為に作られた本道、ここは緩やかな傾斜となっており、道幅及び高さはそれなりにある。
目測だと馬車がギリギリここを通れるか通れないかといった具合であり、
ボーリングマシンに頼った訳でもないのにこの広さ、規模としてはかなり大きい。
恐らく荷車を押してこの通路を通り、地下で掘り起こした鉄鉱石や宝石の原石を地上に運搬していたのだろう。
このように地下へ降りる為、斜めに掘削された坑道を斜坑という。
この斜坑を中心として、お目当ての鉱石を探し当て採掘する為に枝分かれ分岐していく坑道、これが横坑である。
今回は横坑には潜る気は一切無い。
寄り道になるし、目的は鉱石のおこぼれ探しなどでは無いのだから。
真っ直ぐに伸びた斜坑を、足元に注意しながら足早に進んでいく。
すぐ真後ろにはルークがおり、ルークと私の身体には互いの腰に縄を結んである。
ルークに空気の膜を展開して貰っている以上、私はルークから余り距離を取る事が出来ない。
無意識の内に空気の膜の外に出てしまわないように、こうして互いを縛ってあるのだ。
無論、滑落に対する対策でもあるのだが。
時折横坑が姿を現す以外、何も代わり映えしない坑道を延々と進んでいく。
それにしてもこの坑道、換気の為の竪坑らしき場所が見当たらない。
もしかしたらあったのかもしれないが、あったとしたなら落盤等で埋まってしまったのだろうか。
ルークが使う魔法のような手段で呼吸手段の確保、または換気をしていた可能性もあるか。
だが現状これでは、噴出したガスが溜まる一方である。
この坑道をどうするにしても、ここに溜まっている火山性ガスに関しては何かしらの手段で外部へ排出しなければ不味いだろう。
奥から可燃性ガスが漏れ出してきて、外で火を焚いている所から引火して大爆発! なんて洒落になっていない。
奥へ、奥へ進んで行く。
ものぐさスイッチから放たれる光源のみが頼りであり、これが失われればたちまち道を見失って闇に呑まれるだろう。
地下へどんどん下っていくにつれて、周囲の気温が上がっていく。
空気の膜により、有毒ガスの類を吸い込んでしまう危険性こそ無いが、この空気の膜では熱の伝導まで防ぐ事は出来ない。
徐々に額から汗が滲み、やがて雫となって流れ落ちる。
着ている衣服も徐々に汗ばんで濡れていく。
物凄く不快だ、地上に戻ったら風呂に入る絶対入ってやる。
斜坑をどんどん下っていき、時間にしておよそ一時間半程度経過した辺りで遂にこの斜坑の終点が見えた。
「――水没してますね」
「そうね。ただの水没じゃなさそうだけどね」
歩き続けた斜坑、その先が完全に水に飲まれていた。
水の周囲の岩肌にはとても良く見知った黄色い鉱石状の物質がこびり付いている。
ああ、やっぱりね。そりゃ硫黄があるに決まってるよね。
水は薄っすらと濁っており、色は若干黄色を溶かしたような白濁色。その水面がもくもくと水蒸気を立ち昇らせている。
水ではなくお湯のようだ。そのお湯を湛えた水面に容器を入れてお湯を採取する。
お湯の中に私の世界から持ち込んだ温度計を突っ込み、水温を測定する。
「き、九十度……これもうただの熱湯じゃないのよ」
「熱いとは思いましたが、この水は熱湯なのですか? そうなるとこれ以上は進めそうにないですね」
こんな熱湯が沸いてるような場所、そりゃ暑いに決まってる。
もう完全にサウナ状態じゃない。
水温に関しては計ったので、採取した水はものぐさスイッチに格納して撤収する事にする。
これ以上余計に探索出来る程、ルークの魔力量に余裕がある訳でも無い。
帰りもまた同じ位時間が掛かるのだから、早め早めの撤収を心掛けることにする。
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地上へと戻った私は、この採取した水の成分を調べる事にした。
私がこの世界に来る前に居た場所が研究所に類する場所だった為、
成分を調べる試薬や器具には困らないのは結構助かってる。これに関しては向こうの世界に感謝しないとね。
測定の結果、この水の成分に関しての結論が出た。
pHは見事なまでの酸性。
炭酸ガスや硫化水素等が溶け込んだ泉質であり、温度は九十度とほぼ熱湯であった。
よって導き出された結論は、この熱湯には殺菌効果があり、皮膚疾患や外傷に良く効きます。
「これ、温泉じゃん!!」
鉱山掘削や石油採掘時にガス溜まりや温泉を掘り当てるのは別段珍しい出来事ではない。
この鉱山跡地もまた、温泉を掘り当てたのだ。
この温泉を有効活用しない手はない。
というか、キッチリここを開拓出来れば私は温泉に入れるという事か!
私のテンションは、否応なしに上がり続けるのであった。




