#7.ルークが遺したモノ~"悪魔の病"の根絶~
特に何も無いけど気分が乗ってるので投下
――"それ"が発生した村は、容赦無く焼き討ちにする。
昔、領主である父が健在だった頃。
時期領主となるであろう僕に対し、父が言い含めていた事がある。
回復魔法が一切通じない、それが現れた地は、地獄と化す。
人々を醜悪な化け物へと変え、それが次々に隣人へと感染していく。
例えそれが、大切な友人や愛する妻だったとしても、情け容赦を掛けるな。
情けを掛ければ、お前の命だけでなく、後ろに居る数百万もの命が失われる事になる――と。
数百万。
子供の頃は、その数字がどれ程のモノかというのをまるで理解出来なかった。
だが今なら、その数字というのがどれ程に恐るべき数値かというのを、身をもって理解出来た。出来てしまった。
僕がミラさんに拾われてから数十年が経った。
このロンバルディアの地を発展させるべく、陣頭指揮を取るその最前線となる大都市、ソルスチル街。
現状このロンバルディア地方の中で最も栄え、最も人と物資が集まる、例えファーレンハイトの大都市と比較する事になっても、決して遅れは取らないと断言出来る、文句なしの大集落である。
まだ戸籍整備というのが完璧に終わっておらず、それ故に多少の個人的計算も絡んではいるが……このソルスチル街にて暮らす人々と、流動している商人達が一時的に滞在している時の人数。
その合計値が、大体約百万人だと予想している。
そう、これで約百万人。
目の前で営みを繰り広げる、老若男女、人種を問わないこのソルスチル街に暮らす人々。
彼等彼女等を全てひっくるめても尚、百万人に届く程度でしかないのだ。
その事実を知ってしまったが故に、背中に冷たいものが走る。
数百万人というのは、つまりこのソルスチル街で暮らす人々全てが全滅しても尚足りない数値だ。
都市が数個、滅ぶ。
流石に、父の誇大表現だと思いたかった。
だがミラさんが残した文献によれば、それでもまだ優しい表現だったのだと愕然とする。
世界規模で合算し、数千万。数百万は一時的、一部地域でのパンデミックによる数値にしか過ぎない。
貧困階級も王侯貴族も、この病原体の前では平等に死へと至る。
致死率20%~50%。
悪魔の病と呼ばれた"それ"は、ミラさんの言葉で"天然痘"と言うモノであった。
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その報告が届いたのは、捜索を指示してから2~3年後。
ロンバルディア国内に限らず、ファーレンハイト領内にまで人足を伸ばし、捜索を続けた。
恐らく、確率的に農業や酪農に秀でた穀倉地帯であるファーマイング辺りが狙い目だと直感していた。
その目論見は当たり、遂にその目当てを見付ける事が出来た。
酪農家と直接交渉し、それを即金で買い上げる。
無事ロンバルディアまで搬送されたそれを自らの目で確認し、確信した。
「見付けたぞ……! 牛痘だ!」
今回入手したのは、簡単に言うと病気に犯された牛だ。
ファーレンハイト領内ではただの病気になった牛、という見方しかされておらず、病気になった家畜を食品として流通はさせられないと殺処分にされる予定であった。
それを今回、処分される直前で入手したのだ。
「ルークさん、こんな病気の牛を手に入れてどうするんですか?」
「ミラさんの話では、コレさえあれば天然痘を撲滅出来るという話です」
「あ、あの悪魔の病を!?」
今回、この牛を入手してきた商人が驚きの声を上げる。
牛痘から摂取した膿を乾燥させて弱毒化、そしてその膿を少量、針等で皮下に突き刺し、人体に感染させる。
牛痘と天然痘は非常に良く似ている近縁種であり、牛痘に対する抵抗を得ると同時に天然痘に対する抵抗も得られるというのだ。
この方法は人体の膿から取った天然痘でも理論上同じ効果が得られるが、この方法だと抵抗力の低い人だと通常通り感染してしまい、確率は低いとはいえ死亡してしまう危険性がある。
故に、万全を期すには人体に感染しても症状が軽度で済む牛痘を欲していたのだ。
「もしそれが本当なら、世紀の大発見じゃないですか!?」
「……そうですね」
しかし、問題が一つ。
言うなれば僕はこれから、人体実験を行わねばならない。
病気に感染した牛、その膿を自分の身体に取り入れる。
やれと言われて、やれるような奇特な人物はそうはいない。
ミラさんを全面的に信頼しているのなら話は別だが、他の人々はそうでもないのだ。
ソルスチル街や、地下拠点にて働いている人達にとって、ミラという人物は名前しか聞いた事が無い少女、程度の認識でしかない。
実際に主要な実務に関わっているのは僕やリューテシアさんであり、ミラさんと実際に良く顔を合わせているのも僕達だけだ。
良く知りもしない子供の言う事に従って、病原体を身体に入れろなどと。
はいそうですかと、頷ける訳が無い。
「――それじゃあ、僕が早速試してみます」
だから、僕自身が実験台になろう。
ミラさんの残した知識に、嘘偽りは無い。する意味が無い。
誰かが示してみせねば、後に続こうという人は現れない。
ソルスチル街から十分に離れた、開けた土地。
そこに地属性魔法で作った隔離壁。
そしてその中に、簡素な小屋を建ててある。
この小屋に、薪や飲料水。それと十分な量の瓶詰め、缶詰等の食料を運び込んだ。
僕はこれから、この小屋に引き篭もり、この牛痘を取り入れる。
僕自身は、ミラさんの言葉を信じているが、他はそうでもない。
ここまで厳重な体勢を布いたのは、単に周囲を安心させる為である。
仮に僕が病に犯されたとしても、この隔離壁の中に火を投じ、全て焼き払えばそれ以上病気が広がる事は無い。
そう周知させる事で、いらぬ心配を掛けないようにする配慮である。
発症までの潜伏期間はおよそ2週。
大事を取って、3週にしよう。
折角だし、溜まりに溜まった有給もこの機会に全て消化してしまおう。
バカンス……ではないのだが、まぁ、骨休めという奴ですね。
小屋の中に入り、寝所に腰を下ろす。
持ち込んだ荷物から、小瓶に入れた牛痘――その種痘を取り出す。
それを針に付着させ……左腕に突き刺した。
――そのまま、眠りに付く。
予後観察。
針を突き刺した箇所が赤く膨れ上がる。
天然痘と良く似た症状だ。
そしてこれが全身に広がり、死に至る。
ミラさんの事は信じていますが、流石にこれは肝が冷えますね。
以前、ドラゴンに街を襲撃された時とはまた違った意味で、物凄く身近に死を感じます。
これでもし死んでしまったら、流石に死ぬに死に切れませんよ?
ミラさんの事ですから、問題は無いとは思いますが。
予後観察。
赤い腫れは引いたが、直った箇所だけ丸く皮膚の色が変わってしまった。
これはミラさんの残した文献通りの回復結果であり、残念ながらこの腫れた痕を治す事は出来ないらしい。
だが、それは突き刺した一箇所だけであり、全身に広がる訳でもない。
天然痘の場合は全身が見るも無残に崩壊し、どんな美人も醜悪な姿へと成り果てる。
それと比べれば、この程度は実に些細だ。服を着ていれば簡単に隠れますし、そもそも刺す場所を考えれば裸体ですら目立たないだろう。
たったこれだけで悪魔の病、天然痘による死を回避出来るのであらば安い代償だ。これが済めば、もう二度と悪魔の病に罹患する事は無いのだから。
予後観察。
発熱も無い。頭痛も無い。
至って健康そのものだ。
うーん、休暇と言えば聞こえは良いが、流石に暇ですね。
暇潰しとして一部の事務作業を持ち込んだのですが、それも終わってしまった。
……よくよく考えたら仕事をしていたら休暇の意味が無いですね。
外部との接触は断っているので、出る時までは実に暇です。
予後観察。
この小屋に篭って一ヶ月が経った。
仕事も休んで、丁度良い休息期間だったと考えよう。
ミラさんに任された仕事が激務だったお陰で、ここまで纏まった休暇は全く取れていませんでしたからね。
そもそも、僕が倒れたら街が成り立たないような仕組みはよろしくない。
それ故に、例え僕が居なくても書類仕事が回るようにしている。
だから別に帰ったら仕事が溜まっていてうんざり、という結果にはならない。心情的にも気楽だ。
隔離壁の向こう側。
久し振りの外の景色を清々しい気分で迎える。
「ルークさん! 無事だったんですね!」
「ああ、アイーシャか。見ての通り、健康そのものだ。これで、悪魔の病は撲滅出来ます。医療関係者及び回復術師を中心に僕と同じ予防接種を行い、それが済んだらソルスチル街の住民全員に、最終的にロンバルディア地方に住む全ての人々へこの予防接種を行います」
普段から僕の仕事の手伝いをしてくれている、女性秘書とでも言うべきアイーシャの笑顔を一ヶ月ぶりに見る。
その笑みを見るのも、何だか随分と久し振りな気がしますね。
自分自身を実験台にした上で、この種痘摂取は少なくともそこまで人体に害は無いと証明出来た。
本当の意味でこの種痘摂取が効果があるかを証明するには、実際に天然痘が蔓延している地に向かわねばなるまいが、そもそも現在はそんな場所は無いし、仮にあっても直ぐに対処されてしまっているだろう。
しかし、これを続けていけば歴史が証明するでしょう。
僕の代では無理でも、百年、二百年、天然痘患者が生まれなければ、効果があると見ても良いのではないでしょうか?
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この牛痘による予防接種という概念が生まれた事により、このロンバルディアの地で天然痘による死者数は急激に減少。
ルーク主導による天然痘撲滅計画は確実に数値として成果を現し、ルークは人々に「悪魔の病を滅ぼした救世主」と称えられるようになるのであった。
「……残念ですが、僕に出来るのはここまでのようですね。この本に記された知識は、後世に託すとしましょう」
「この知識があれば、より多くの人の命を救えるはずです。きっと、ミラさんもそれを望んだのでしょうから」




