195.聖王都の王
聖王都ファーレンハイト。
遥か古来より脈々と続く、一度たりとも亡国にならず、植民地化もされず。
その強大な国力をもって今までの危難を全て退け続けた最古にして最大の国家。
その重厚な歴史を背負い、広大な土地と資源を有し、そこに住まう人々を束ねる王。
聖王都ファーレンハイトの王座に君臨するという事は、それ即ち人類全てを支配する、人間の頂点とも言えるだろう。
勇者が人類の希望としての頂点だとすれば、聖王都の国王とは人類を支配する支配者としての頂点である。
その国王が居を構える、王城。
掃除の行き届いた城内には埃一つ落ちておらず、どこもかしこもスッキリしている。
そう、綺麗サッパリなのだ。
贅を尽くした調度品の数々や、壁面に飾られた絵画の数々。
そういった王城にあるべき代物が通路の何処にも見当たらず、本当にここは王城の中なのだろうかという疑問符すら浮かびかねない。
そんな通路を、一人の男が迷い無く真っ直ぐに進んでいる。
男の年齢は、およそ40代辺りだろうか。
壮年の働き盛りらしく肌の血色は良く、その全身をゆったりとした術師のローブで身に包んでいる。
しかしローブの上から見える身体の線から推測するに、特に屈強な肉体が下に隠れているという訳でも無さそうである。
良くも悪くも、一般的な男性。といった肉付きだ。
風貌は少々頬がこけており、この世界でもまだ珍しい眼鏡を掛けており、そのレンズの奥には穏やかそうな青い瞳が映りこんでいた。
男は目的地である扉の前に立ち、扉を普段通りにノックする。
「入れ」
「失礼するよ」
室内の声を受け、男は室内に足を踏み入れる。
両開きの扉を押し開けて入ったその部屋は、この王城で最も重要な場所――即ち、王室である。
王の私室は、ここまでの道中同様にえらくサッパリとした状態であった。
この部屋にも装飾品といった代物が何処にも無く、実務に使うであろう作業机や書類を納める本棚、衣服を収納する洋服箪笥……精々その程度だ。
王が寝るに相応しいキングサイズベッドこそ贅沢感を感じさせるが、これは単にこのベッドを売った所で大して金にならないのでそのまま使っている、というのが原因として大きい。
可能な限り節制し、実用性を重視する。そういった部屋の主――つまり王の理念が部屋の至る所から感じ取れる。
「足労掛けたな、ガレシア」
「おいおい……一番苦労したのはグラウベ、君のはずなんだけどな」
ガレシアと呼ばれた眼鏡の男は苦笑を浮かべながら目の前の男――第107代聖王都ファーレンハイト国王、グラウベ・トレイス・ハインリッヒ・ファーレンハイトを眼鏡越しに捕らえる。
燃えるような赤毛をオールバックで撫で付けた髪型。
地獄の業火を思わせるような赫赫たる光を宿した切れ長の双眸。
肌は色白で、目鼻立ちがはっきりとしており、美形の遺伝子が作り出すまるでギリシャ彫刻の如き美しさがある。
しかしながらその身に宿す、隠しきれない怒気や殺気といった気迫が、折角の美貌に影を落とし、近寄り難い雰囲気をかもしだしていた。
「あの程度、苦労の内にも入らんな」
「トップを失って崩落寸前だとはいえ、それでも犯罪組織としては未だに最も危険度が高い相手を、あの程度呼ばわり、か」
「砂狼の牙の残党もようやく殲滅出来た、といった所か。これで少しは国内もスッキリしただろう」
「……そういえば、ラーディシオンの開拓の件は進んだのかい? あれからめっきり話題に出て来ないんだが」
「あの件はライゼルに一任する事にした。丁度暇そうに女と乳繰り合っていたからな。良い暇潰しになるだろうさ」
「そうかい……おっと、そうだった。ロンバルディア地方との路線共同開発、道中で通る予定だったから折角だし見て来たよ。当初と比べるとかなり聖王都に近付きつつあるね。やはりファーロン山脈問題がネックだったようだね。この調子なら聖王都にあの蒸気機関車が走るようになるのも時間の問題だろうね」
「そうか……あの搬送能力は我が国にも是非とも欲しい。過去にいざこざもあったかもしれんが、ロンバルディア共和国とは良き隣人として付き合って行かねばな」
一通りの事務作業を終えたのか、グラウベは背もたれに自重を預け腕を伸ばす。
「――ロンバルディアとレオパルドは今の所問題あるまい。一番の難点であるラーディシオンは……現状だとライゼルの報告待ちだな」
「ラーディシオン領の治安の悪さの最大の原因は『貧困』にある、と言ってたね。飢えなくなれば、治安も回復する……本当にそうなるのかな?」
「さてな。だが、砂狼の牙の掲げる最大の行動指針を潰すという意味ではそう悪くない策だろう。それに……」
――聖王都という国に、全く非が無い訳でも無いのだから。
国の長としてその席に座るという事は、その国の全ての責任を背負うという事。
それは未来の繁栄だけでなく、過去の過ちに対する償いという内容も含んでいる。
かつてこの聖王都は、数多くの犯罪者を流刑としてラーディシオンの地へと放逐し続けてきた。
迫害の果てに捨てられた彼等には最早ファーレンハイトの地で暮らす場所は存在せず、あの地で暮らしていく他無い。
しかしあの地は国土の大半を熱砂の大地が占めており、不毛の大地、ロンバルディア以上に農作が不可能な過酷な環境である。
草すらろくに生えないのだから畜産すら不可能。狩猟も精々海岸から魚介を狙う位で、それも到底あの地に生きる人々を養えるだけの量など獲られる訳も無く。食うに困る貧困の地なのだ。
故に、聖王都の過去の贖罪としてラーディシオンには開拓と技術提供による食糧支援を行う事を決定した。
単純な食料支援だけでは駄目なのだ。
それでは消費するだけで終わり、一向に前に進む事が出来ない。
根本を治療するには、自活出来る環境を作り上げるしかないのだ。
その為の初期投資は非常に高額だろうが、この国が代々私腹を肥やし蓄え続けた調度品や財貨を放出する事で賄う。
農耕による安定した食糧供給が可能になれば、ラーディシオンの人々の飢えという問題は多少なりとも解決出来る。
そして、これを行う事により過去の償いはしたという事実を作る。
弱みに付け込まれて延々と集られ続けるのもまた、ファーレンハイトという国家にとって不利益となる。
過去の罪を清算し、払拭した上で国の未来の繁栄へ向けて邁進する。それを邪魔する輩は斬って捨てる。
それこそが今代の王、グラウベという男の考え方であった。
「何にせよ、ライゼルの報告によれば請け負ってくれる技術者を見付けたらしいからな」
「本当かい? ロンバルディアは技術提供に消極的だったという話だったのでは?」
懐疑的な表情を浮かべるガレシア。
ロンバルディアという国は、その圧倒的な技術力を背景に独立を勝ち取り、また技術力こそが最大の財源であり、国自体もそれをしっかりと頭に入れて行動し続けている。
故に、安易に技術を提供する事は無く、提供する際もそれ相応の対価を要求してくる。
ましてや不毛の大地で農作物を得られるようにするなど、考えるまでも無く高度な技術が要求される。
それ程の代物を生み出せる技術を提供するようになどと言えば、これまた膨大な額――それこそ国家規模の資金を要求されるのは当然であった。
故に少しでも安く済ませるべく、有能な技術を持つ者を探していたのだが……
「どうやらライゼルがこの国内で見付けて来たようでな。それならばロンバルディアと問題も発生しないだろう」
技術者こそが最大の財貨であると考えているロンバルディアは、この世界で最も技術者を重用し保護している国だとも言える。
高度な技術を扱う人物になればなる程、愛国心を求められ、守秘義務を課すようになり、破ればタダでは済まない重罪として裁く。
しかし厳しい鞭だけでは人が付いて来なくなる事も理解している為、豪勢な飴も用意している。
技術者にはその有している技術力に応じて高い地位と高給を与え、特に国の根幹に関わる程の技術を有する技術者に至っては、貴族となんら変わらない程の贅を尽くした生活を送っているとも言える。
また、技術力を背景に建国されたが故に国の運営すらも技術者が強い力を有しており、そんな国相手では技術者を引き抜くというのも至難の業だ。
「この国に、それ程の技術を持つ技術者がいるとはね。一体何者なんだい?」
「宮廷調理師の妹だ。ガレシアも知っているだろう」
「……あの破天荒娘の妹ですか……それはとても知らないとは言えませんね」
その技術者の正体を知り、苦笑を浮かべるガレシア。
「ワイバーンを単独で仕留めて調理している所を見た時は流石に我が目を疑いましたよ。アレはコックではなく兵長とか隊長とか呼ぶべきではないのですか?」
「本人が宮廷調理師を希望したのだからそう扱うのが妥当だろう。実際、料理の腕前も確かだしな」
「ワンマンアーミーなコックの妹もまた規格外な技術者でした、という訳ですか……何なんですかねあの家系は」
「……ワンマンアーミーという意味では、私達が言えた義理ではないと思うがな」
「そりゃ確かに」
おどけた口調で同意するガレシア。
この国を武力で奪い取り、また魔王を正面から討ち取った実力を持つ王であるグラウベ。
そしてガレシアという男も、その魔王との戦いにグラウベと共に参加した数少ない人物であり、現在は宮廷魔術師というこの国における最大の魔法使いであるという位を持つ、規格外の一人である。
最早生きる兵器とでも呼べるような実力を有しており、そんな彼等が他者をワンマンアーミー扱いしても、乾いた笑いを誘うだけであろう。
「……俺とて、凡庸な生活を送れるのならばそうしたかったのだがな」
ポツリと漏らした、グラウベの本心。
無論それはガレシアの耳にも届いていたが、王である彼の本心を知る数少ない人物であるガレシアは、その言葉に対して何も答えず、無言を貫くのであった。
「さて、雑談はこの位にして置こう。悪いがガレシア、またすぐに聖王都を発って貰うぞ。他に任せられる奴がいないのでな」
「分かったよ。その前に少し、家に寄っても良いかい?」
「構わん。一日位家でゆっくりしてこい。娘にも顔を見せてやると良いさ」
「そうさせて貰うよ」
ガレシアは久し振りに娘と一家団欒の一時を送るべく、足早に自宅への帰路に着く。
特に頭を垂れるような事も無く、さっさと部屋を後にするガレシア。
王に対する態度としては無礼も良い所ではあるが、ここは公的な場でもなく、またグラウベとガレシアの関係は幼馴染で友人、同門の徒という最も長い付き合いである。
故にガレシアの態度に対し、グラウベは特に何も言及する事は無かった。
「――師の悲願、無念は俺が雪ぐ。例えどんな手を使おうとも、だ」
自らに言い聞かせるように、心情を吐露するグラウベ。
その言葉は誰にも届く事無く、室内に霧散していった。
民衆に賢王として持て囃される事もあるグラウベ。
しかし、彼が自らを賢王と自称する事は無い。
それは驕らぬ為などではなく、彼自身が名乗る資格が無いと考えているが故。
彼が善政を行うのは、結果論であり彼の真意は善き王となる事ではない。
何故ならば、彼はここまでの道中、そしてこれからも。
その全てを復讐と怒りのみを動力源にして突き進んでいるだけなのだから。
元勇者で魔王で国王陛下で一騎当千な人外生物、グラウベ・トレイス・ハインリッヒ・ファーレンハイト
このキャラを主人公にお話作れそうな位濃いけど書くかは不明




