190.ルナ・アルケミア
何処までも緑が広がる、牧歌的な風景、畦道を馬車はひた走る。
ここは聖王都へと通じる街道の一つであり、改良された馬車に加え、道も良く整備されているようで、ほとんど揺れは無い。
小窓に向けていた視線を、正面へと戻す。
ルナ・アルケミア。
目の前の席に相乗りしている少女は、そう名乗った。
明るめの赤色を帯びたショートカット、ルビーのような輝きを放つ瞳。
まだ少女らしい幼さを残した童顔だが、先程の戦いの手腕を見るに、戦闘の腕前は既に熟練の域に達している事は疑いようが無かった。
何故か知らないがメイド服を着込んでおり、横に置かれている背負い籠と併せて違和感が凄まじい。
「――そういえば、貴方の名前を聞いてなかったね。何て言うの?」
「……ミラよ」
「ミラ?」
偽名を名乗ろうかと思ったが、やめた。
わざわざそこまでする必要も無いだろう。
借り物の知識を用いた私の過去の栄光は、全て時間転移で捨ててきた。
そもそも、ミラなんていう名前はそんなに珍しい代物でもない。
同名の人物なんて、いくらでもいる。
それに、歴史上に名を残した有名人から名前を取り、子に付ける……別段、珍しい事でもない。
「貴方、ロンバルディア共和国の建国の祖と同じ名前なのね」
「ええ。両親がその人と同じような立派な人物に育つように、って名付けたみたいよ」
「そうなんだー」
案の定、目の前のルナはミラという歴史上の人物の名を知っていたようだ。
まあ偽名は使わないが、嘘は混ぜる。
「ルナって言ったわね。貴女、良く他国の偉人の名前なんて覚えてたわね」
「えー? だってロンバルディアのミラって言ったら、相当な有名人よ? 普通知らない?」
「生憎、私は興味無い事に関してはからっきしなのよ」
「……まあ、私はロンバルディアに関しては色々調べてるからね」
「調べる? 何を?」
「何を隠そう、私は魔法科学の研究をしてるからね!」
肌の露出が少ないメイド服の上からでも分かる、年齢の割りに良く育った胸を張りながら自信満々に言ってのける。
何でも、歳は私と同い年らしい。
何ともまあ立派に育って、背だって私の倍あるんじゃないかって見間違える位に大きい。格差を感じる。
「ロンバルディア共和国で生産されてる、科学技術や機械技術、そしてそこに魔法を応用した魔法科学。今流通してる代物の殆どが、建国の祖であるミラっていう人物の発案らしいわ。噂によると、未だにロンバルディアの研究員の知識はそのミラっていう人物の持っている知識に到達出来てないらしいわ!」
饒舌にペラペラと口を動かすルナ。
得意気に解説している所を見ると、彼女もまた研究者気質を持ち合わせているのは疑いようが無かった。
「まあ、それは置いておいて……もし、ロンバルディアの研究員よりも優れた代物を作る事が出来れば、一躍大金持ちになれると思わない?」
「もしそれが作れたなら、確かにそうかもね」
「そう! だから、私は自分が最も得意な魔法科学の面を突き進んで、一財産築くのよ!」
「……貴女が掲げる目標と、貴女の奇妙な格好が結び付かないのだけど。何で貴女はそんな格好してるの?」
私の着てる服もまぁ、中々に珍しい代物ではあるが。
それでもちょっと洒落た普段着だ、と言えばそんなものかと周囲が納得してくれるような代物だ。
これは主に時間跳躍によって服飾技術も発展を遂げた結果、一般大衆でもお洒落な服を着れるようになり、相対的に私の服装が目立たなくなったというのが大きい。
だが、いくらお洒落な服装が流通するようになっていたとしても、どう考えても目の前のルナが着ている服は普通じゃない。
王侯貴族の館や、そっち系のアヤシイ店でしか見ないような代物だ。
「ああ、貴女は知らないのね。これ、伝説の天才魔法服飾デザイナーであるジョニーっていう人物が作ったっていう服なのよ?」
「ジョニー……?」
何処かで聞いたような。
「こんなふわふわした服だけど、意外と動きやすいんだ。それに、上級魔法クラスまでの威力を防いでくれるから、こんな格好だけど変に鎧を着込むよりよっぽど防御力が高いんだ。お陰で、結構危険な地域に足を踏み入れても普通に戦えてるしね」
……思い出した。
そんな無茶苦茶な防御性能を持つ服を作るって、私とリューテシアにこの服を押し付けたあの男じゃない。
私が着てる服以外にも作っていたのか。
「でも、魔法科学者になりたいなら何で外を出歩いて魔物と戦ったりしてるのよ?」
「 お 金 が 無 い ん だ も ん ! 」
悲痛な声を上げるルナ。
その目にはおよそ十代とは思えない苦労が滲んだ色が浮かぶ。
「研究にはお金が必要なのよ! 材料費や機材が降って沸いてくる訳でもないし! 必要な材料を自分で採って来ないと研究が進まないのよ!」
「……その努力で普通に働いた方がお金になるんじゃない?」
「駄目よ! そんなんじゃ全然足りないわ! 何時かお姉ちゃんが働かなくても余裕で養える位の大金を得て、お姉ちゃんに恩返しするのが私の夢なんだから!」
自らの胸中に抱く夢と欲望を力の限り叫ぶルナ。
「……ああ、合点がいったわ。じゃあその背負い籠の中に入ってる植物色々はその研究の為なのね」
「そういう事よ」
合点は行ったが、シュールな組み合わせだというのには変わりは無いのだが。
「所でミラは、どうして聖王都に向かってるの?」
「んー……何となく、かしらね」
最早、ロンバルディアの地に私の知り合いは存在しない。
財貨も食料も十二分に存在し、聖王都の治安も昔と比べ激変した。
別に、ロンバルディアに住む事に拘る必要も無いのではないか、と考えた次第だ。
なので、時間跳躍による認識のズレを修正する事も兼ねて、世界中をフラフラと周っているのが私の現状だ。
いずれ何処かに定住しようかとは考えているけどね。
「親元を離れて、何処かに住もうとは考えてるけど……何処にするかまでは、未定の状態ね」
「そうなんだ……昔の聖王都はかなり酷かったってお姉ちゃんが言ってたけど、最近はそうでも無いらしいし、ファーレンハイトの何処かで暮らすのが一番良いんじゃない?」
「そうかしら?」
馬車から伝わる慣性が、馬車が停止した事を告げる。
御者から聖王都に到着したという報告を受け、私とルナは馬車から降車する。
歴史上の上では、数百年振りの聖王都の地を踏み締める。
多少町並みこそ変化があるものの、歴史ある建物に関しては昔そのままの姿を保った聖王都の姿が目に飛び込む。
大通りは混在が予想されるので、少し離れた裏路地に馬車を止めて貰ったからこそ分かるのだが――
「……空気が、違う」
大通りだけ綺麗ならそれで良い。
そんなハリボテ都市の様相を呈していた聖王都。
数百年振りに訪れたこの地は、陰鬱とした空気が一掃され、名実共に最古の歴史を誇る国家、その首都である貫禄を取り戻していた。
「何か言った?」
「いえ、別に何も」
……確か、今代の王はグラウベっていう名だったわね。
相当な血を流させた王だって話だけど、どうやらその血と共に聖王都の薄暗い部分まで一緒に洗い流したみたいね。
私としては、今の街の方が好みだ。
「ミラはこれからどうするの?」
「んー……そうね、取り敢えず商店でも回ろうかなって考えてるわ」
「あ、そうなんだ。なら一緒に行かない? 私、聖王都は頻繁に来てるから色々案内も出来るし、丁度私も買出しの用があったんだ」
「あらそう。そういう事なら、御一緒させて貰おうかしら」
自力で対処出来たのだが、一応助けて貰った恩もあるし、馬車の中で話している分にはこのルナという少女は悪人には見えない。
聖王都での情報収集、及び商店に並ぶ品々から現在の技術力を把握する為、折角なのでルナに案内して貰う事にするのであった。
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「ちょっと! 遠心分離機ってこんなに高いの!?」
「おいおいお嬢ちゃん。これでも大分良心的な値段なんだぜ? こういう機械は大体ロンバルディア共和国から輸入してんだ、どうしても輸送費でこれだけの値段になっちまうんだよ。嫌ならお嬢ちゃんが直々にロンバルディアにまで買い付けに行くしかねえぞ?」
「そんな時間も金も無いわよ……!」
「その時間と金をこっちは掛けてんだ、流石にこれ以上一切まからんぜ?」
ルナの案内で、大商店が立ち並ぶ大通りではなく、少し裏手の商店街へと一緒に足を踏み入れる。
何でもああいう大商店よりもこういう個人規模の商店の方が掘り出し物や値打ち物が良く見付かるとの事だ。
ルナが店主と直談判で値切り交渉をしている最中、私は店先の物品を見て回る。
ここではガラスケースに飾られているのではなく、まるで青果店の如く雑貨が山積みに広げられている。
なので実際に手に取って見る事が出来るのだ。
「……これ、もしかしてフィルター?」
多分、そうだ。
かなり目の細かいフィルターだ。
私が居た時代では技術レベルの都合上製作を断念していたが、開発に成功していたのか。
……もしや、リューテシアの執念か?
白砂糖大量生産においてどうしても必要不可欠な最後のファクターが、このフィルターだったのだ。
これ程のフィルターがあるなら、もう白砂糖は作れる。
遠心分離機に関しては今現在絶賛交渉中の通り現物があるし、蒸気機関の力があれば真空状態を作る事も可能な訳だし。
何時作ったのかしら? きっとリューテシアの事だから相当早かったとは思うけど。
「どれだけお嬢ちゃんが可愛かろうが色仕掛けしようが、これ以上安くはならんぞ。こっちも生活が掛かってんだからな」
「けちんぼ!」
「好きに言え」
「……店主さん。このフィルター、おいくらですか?」
リューテシアと店主の話が終わったタイミングを見計らい、フィルターを手に話し掛ける。
「フィルター? ああ、遠心分離機のフィルターか。それなら金貨3枚だな」
「それも高い……」
「それなら、折角だし買っていくわ」
「買うの!?」
驚愕しているルナを横目に、フィルターを購入する。
まあ白砂糖作成とかは置いといて、これだけ目が細かいフィルターならそれ以外でも使い道はあるし。
買っておくに越した事は無いだろう。どうせ資金はまだまだある訳だしね。
「……ね、ねえミラ。もしかして貴女、遠心分離機を持ってるの?」
「いえ、持ってないわよ」
「えっ? じゃあ何でそんなのを買ったの?」
作り方自体はリューテシアに伝えておいたけど、私自身が作ってはいないし、手持ちにも無い。
「色々使い道があるからね」
「ふーん……そうなのか……」
「と言うより、ルナ。遠心分離機位、作れば良いじゃない」
「作れたらこんなに苦労してないわよ! どうやって作れば良いのよ!?」
「そんなに難しい代物じゃないわよ」
要は、成分を分離させられるだけの物凄い回転速度を与えられるなら何でも良いのだ。
ルナが交渉していた遠心分離機は、魔石を動力にする事で作動するという魔力との併せ技による遠心分離機のようだが、別に魔力を使う必要も無い。
それこそ、手動でも目的は果たせるのだ。
「ハンドルを作って、回転部位とのギア比を利用して速度を高めれば手動でも出来るのよ。別にあんな手の込んだ代物である必要もないわ」
「……ぎ、ギア比……?」
「んー、図で示すならこうね」
道の端で剥きだしになっていた地面に、木の棒を用いて図を書き記す。
「――こんな具合よ」
「……ねえ、ミラ。何で貴女、そんなに詳しいの?」
「んー……まあ、両親に色々頭の中に詰め込めさせられてね。勉強が嫌いな訳じゃないけど、強制されるのは嫌いなのよ。その詰め込みの一環で、ちょっと知ってただけよ」
これに関しては微妙に真実である。
頭の中に強引に知識を詰め込めさせられたのは間違いない訳だし。
「もしかして、ミラ。遠心分離機、作れるの?」
「材料と人手と時間があればね」
「じゃ、じゃあさ! その、作ってくれたり……しないかなー?」
妙に期待に満ちた視線で、チラチラとこちらを見てくるルナ。
「……そうね。貴女には魔物から助けて貰った礼もあるし。作ってあげなくも無いわよ」
「本当に!? ありがとうミラ! これで作業が前に進むわ!」
私の両手を握り締め、そのままブンブンと手を振って感謝の意を示すルナ。
オーバーリアクション感が凄まじい。
まあ、別に助けて貰わずとも自分で対処出来たが、助けて貰ったのは事実だしね。
「だけど、今日は流石にもう疲れたわ。明日でも良いかしら?」
「大丈夫! 全然大丈夫だよ! そういえばミラ、泊まる当てはあるの?」
「宿を取ろうと思ったけど……店を覗くのに夢中になってる内に随分暗くなっちゃったわね。まだ空きはあるかしら?」
「それなら、私の家に来ない? 正確には、私とお姉ちゃんの家だけど」
「……私は構わないけど、家人に迷惑掛かるんじゃない?」
「全然大丈夫! お姉ちゃんは普段ずっと留守にしてるから、実質私の一人暮らしみたいなもんだし。部屋も余ってるからミラ一人位なら泊まるスペースなんていくらでもあるよ!」
「……そう。なら、折角だしその好意に甘えさせて貰おうかしら」
何でも、ルナの自宅は聖王都の郊外に存在しているらしい。
多少歩く事になったが、こうして私はルナの家に転がり込み、以後、そのままズルズルと居座り続ける事になるのであった。




