185.薄氷の交錯
続けてドン
近くにルードヴィッツの気配が無い事を確認し、行動を開始する。
今の状況で、あの男と対峙する状況になるのは避けたい。
あの男と戦った所で、私には何の易も無い。ただ消耗するだけで不利益しか無いのだから。
あの男を始末するのは、後回しだ。
限定幻影認識によって手近にいた男の認識を歪め、傀儡にする。
男の案内によってこの地に忍び込むが。
――これは、酷い。
至る所に、科学技術の痕跡が見て取れる。
天井に吊るされた裸電球、走り抜ける蒸気機関車。
魔法を用いている者もいるが、その魔法自体も化学的変質を利用している節があり、この地に科学という概念が深く根付いてしまっている。
これでは、一体何の為に多大な代償を払ってこの世界から科学を抹消したのか。元の木阿弥だ。
こんな真似をした元凶を探し出し、塵も残さず消し去ってくれる。
この際、魔力消耗など考えない。
例えこの身が朽ち果てようと構うものか。
元凶、そしてこの地の科学技術を完全に葬り去れるのであらば、手痛い出費も覚悟の上。
掌握した男に指示を出し、この地を生み出した全ての元凶がいる場所へと案内させる。
男の話によると、この地を取り仕切っている女の名はミラと言う名らしい。
しかしミラは実務運営の実権をリューテシアというエルフの女に任せ切りであり、普段はその姿を眩ませている。
……まあ、問題は無いだろう。
窓口はある。そしてその窓口とすら一切付き合わずに指示を出すのは不可能なのだ。
ならばその窓口を中継し、本丸を射止める。
ミラ、か。貴様を仕留めたら、貴様が心血注いで築き上げたこの科学技術という下らぬ代物、再び踏み潰して差し上げますよ。
かつてこの世界にあった、レオパルドの文明のようにね。
無論、これだけの知識と力を有した相手だ。
敵を警戒して何らかの罠程度は用意しているのは容易に予測出来る。
だが、罠なんぞ何の役にも立たない。
全てを「抹消」するこの神の力の前に、全ての抵抗は無意味なのだから。
「――おお、リューテシアさん。探しましたよ、こんな所にいたんですね」
「あら、誰かと思ったらアランさんじゃないですか。今回は何用ですか?」
――リューテシア。
そこの男が言っていた、現状のこの地の纏め役か。
案外早く見付かったな。手間が掛からなくてありがたいですね。
「――といった経緯で。この方を紹介しようと思いまして」
「はあ、そうですか……えっと、貴女の名前は……」
「名乗る程の者ではありませんよ」
貴様等如き、仮の名すら教える必要無し。
「限定幻影認識」
リューテシアという女の「認識」を書き換える。
無論、この術に対して抵抗する術を持っている訳が無く。
容易くその精神を侵し、私にとって都合の良い形に書き換えていく。
但し、この術式は魔力消費を抑えて運用している弊害により、この効力は一時的にしか持たない。
効力が切れれば、通常の状態に戻ってしまうのだ。
尤も、逆に言えば時間経過で勝手に術式が消滅するのであの男に対し痕跡という尻尾を晒す事も無いという利点でもあるのだが。
「――ここにミラという女がいるはずだ。私の前に連れて来い」
「ミラは居ません」
居ないだと?
チッ、面倒な……しかし想定していなかった訳ではない。
居ない期間の方が長いという話だったし、そう都合良く居る可能性の方が低い。
「なら何時戻ってくる」
「ミラは、もう戻ってきません」
――何だと。
まさかこの女、俺の術を抵抗してるのか?
いや、そんな様子は無い。限定幻影認識は問題無く発動している。
この状態で、私に対し嘘や偽り、誤魔化した言い方をする訳が無い。
「……何処へ行った。答えろ」
「分かりません。もう二度と、私達に会う事は無いかもしれないと言っていました。ですが、口振りからして多分、100年以上先の未来に行ったのは間違いないと思います」
「――待て。貴様、一体何と言った?」
100年以上、「未来に行った」だと?
何を言っている、それではまるで――!
よもやそんな事は――そう考えたが、その予感は的中する。
……この空間から、時の流れが断絶した気配が感じられる。
いや、それだけではない。
よくよく周囲の気配を探ってみれば、余りにも微弱ではあるがこの空間を包み込むように「時」の力の気配が感じられる。
「馬鹿な――ッ! これは、『時』の神殺七光剣の力! あの男ではあるまいし、何故この力を操る者がこの世界にいる!?」
一体何がどうなっている!?
所詮たかが劣化術式程度と侮っていたが、これは正に真の――!
「時」の神殺七光剣は「この世界」に存在していないはず!? 無論、その技術を知る訳も無い!
何故これを知っている!? いや、違う! 問題はそこではない!
「逃げられた――ッッ!!」
あのクソアマ! 時間跳躍で逃げやがったな!!
何故バレた!? 私の行動は一切関知されていないはず!?
しかも100年! 100年以上だとォ!?
諸悪の根源を断たねば、またこの科学技術を復活させられる……! 今再び技術を消し去った所で――!
なら、この状況を放置――
馬鹿な、有り得ない……! 100年以上もこの状況を無視は、いくらなんでも不味い……!
――森羅万消を、使うか……?
元凶を取り逃した挙句、ただの対症療法という無様な使い方をしろと?
私の、俺の、我が主の最大の力を、たかが人間の小娘一人の為に――?
出来る、訳が、無い……!!
「クソッ……! クソがアアアァァァァァア!!」
感情に任せて壁を殴り付ける!
余りにも脆いその壁面は殴り付けた中心点がクレーター状に陥没し、周囲の外壁に無数の罅割れを発生させた。
こんな事をしても、何も状況は打開しない。
残ったのは、標的を取り逃したという事実だけ。
最早、この地で出来る事は何も無い。
無論その気になれば、時間の流れなど消し飛ばして強引にあの女を始末する事も不可能ではない。
不可能ではないが――それを成す為に、一体どれだけの魔力的消耗を……否、そもそも今俺が抱えている魔力量で足りるのか?
血反吐を吐きそうな程に口惜しいが、最早こうなっては私に出来る事は何も無い。
科学技術がこの世界に浸透する、その阻止が不可能になった今、次に考えるのは何処からともなく現れたミラという女の存在だ。
あの女、一体どうやって「時」の力を知った?
独学は有り得ない。独学であそこまで本家と酷似した術式を作れる訳が無い。
ルードヴィッツが教えた? 一番有りそうな可能性はそれだ。
だが、私同様に人間などゴミ同然に見ていたあの男が、そんなモノを教えるか?
仮に教えたとして、そもそもどうやって使うのだ。
いやそれ以前に、あの女が操っていたアレは一体何だ?
あんな精巧な機械を製造出来るような技術はこの世界に存在しない。それだけは間違い無く断言出来る。まるで――
「……何処かから、持ってきた……?」
そう、あの女は「別の世界」からやってきた。
恐らく「時」の神殺七光剣が存在する世界からやって来たのだろう、あれだけの技術力があるならば、能力を解析して一部使用する事も出来るのかもしれない。
そしてその条件を満たすには――
目の前の視界が開けていくような感覚が過ぎる。
そうか、そういう事か……! つまり、思念滞留域は抜けられるようになっている、そういう事ですね!!
永き年月を経て、奴の術式にも綻びが生じたか?
「ックク……! ハーッハハハハハハハ!!」
これが笑わずにいられるか!
最悪な事態かと思いきや、まさかこんな所で現状最大の懸念の突破方法が見付かるとは!
完全無欠だったであろう世界を隔てる檻、思念滞留域。
それを何者かが抜けられるというのであらば、この俺に出来ない道理など無い!
何故なら我は神! 全てを滅ぼし葬り去る、「抹消」の神殺七光剣!
異世界の技術だろうがなんだろうが、人間の小娘に出来た事がこの我に出来ない訳が無い!
この収穫があったならば、現状はまあいい、捨て置いてやろう! 今はそれ以上にするべき事がある!
思念滞留域の突破、その準備の為にこの地を離れ――
「……久し振りに良い気分だったんですがねぇ……」
飛来した敵意を片手で握り潰す。
……銃弾か、ふん。
「さて、貴方はさっきまでラーディシオン領にいた筈なんですが……どうして今ここに居るんですかねえ?」
「答える義理は無い」
全身を黒衣で包み、腰には二振りの剣、背には大剣を背負い。
片手に構えた拳銃から硝煙が噴出している。
身の丈2m近くはあるであろう、大男。
紅蒼の双眸から放たれる――ルードヴィッツの明確な敵意が、視線と共に突き刺さるのであった。
慢心を捨て、最悪身を切る覚悟すらしていたナイアル
彼(彼女)と出遭っていたらミラは間違い無くこの世界から「抹消」されていた
紙一重の逃走で命を繋いだ模様




