179.将来、未来
ソルスチル街にて出会ってしまった、聖王都の貴族の一人の追及から足早に逃げ出した私は、蒸気機関車の客室に身を投じ、そそくさとソルスチル街を発つ。
ゆらり揺られて地下拠点へと戻った私は、プールにて気持ち良さそうに泳ぎ回っていたアザラシに餌をやるべくアザラシの元へ近付いていく。
こちらに気付いたのか、アザラシはプールから這い上がり、私の元へと這い寄って来た。
恐らく餌を催促しているのであろう。小さな口を開け、甲高い鳴き声を一つ上げる。
ソルスチル街にて魚介類もこっそり追加で買い込み、ものぐさスイッチの中に格納済みである。
既に私一人が食う分には一生困らない量を確保してあるのだが、生憎アザラシは何でもかんでも食べられる訳ではない。
海に住む生物らしく、魚介類系じゃないとアザラシは食い繋ぐ事が出来ないので、アザラシを飼育するのであらばそういった食料を山程用意する必要がある。
だがまあ、魚介類を確保するのはこの地であらばそこまで難しくは無いだろう。
ソルスチル街の立地はそういう意味でも役に立っていた。海沿いの街であらば魚の確保も容易いからね。
「貴方は何も考えなくても良いから、気楽だよね。ほら、魚だよー」
ドラゴンの襲撃の際、白霊山へ向かう道中にて発見し、討伐後の帰省タイミングで連れ帰ったアザラシ。
こうしてアザラシと生活を共にしているのだが、その際に少し気付いた事がある。
このアザラシ、どうやら私の知っているアザラシとは少し違うようなのだ。
具体的に言うと、未だに白い体毛がある。
身体はもうかなり大きくなっており、通常のアザラシであらばもうとっくに体毛が抜けても良い頃合だ。
だが未だにこの子には白い体毛が生えたままだ。
もしかして、食物連鎖のヒエラルキーが通常より下位になってしまっているのが影響しているのかしら?
上位に魔物が存在しているが故に、白い体毛で身を守らねばならない期間が通常より長い、とかかしら?
それ以外には特に変わった点は見当たらないので、私のいない間に独自の変化・進化を遂げたという事なのだろう。
「――これから、どうしようかしらね」
そう口にはしたが、答えはもう自分の中では出てしまっている。
この世界に辿り着き、この地で計画を立てた頃から。
こうなるのではないか、という予測の内の一つとして頭の中には存在していた。
だが、こうして長居してしまった事で、私の中に後ろ髪を引く感情が生まれてしまっていた。
この世界の人々を利用するだけ利用して、さっさとオサラバを目論んでいた当初と比べて、随分と感傷的になってしまったようだ。
生涯をこのまま、この地で過ごすのも悪くない。
心の奥底では、私はそう考えていたのかもしれない。
「……だけど、潮時かもね」
もう、この世界は大丈夫だ。
失われた科学技術は再びこの世界に浸透し、最早私の手を頼らずとも勝手に転がり、進化発展を遂げて行く。
それだけの土壌を、もう充分過ぎる程に培った。
この世界は、もう私を必要としないだろう。
そんな事を考えながら、アザラシに餌をあげ続けていたが。
もうお腹一杯になったのか、手にした魚に見向きもしなくなった。
アザラシの腹が膨れたのを確認した私は、この場所を後にし、中枢部へと向かうべく足を進めるのであった。
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「ねぇ、リューテシア。少し良いかしら?」
「……何?」
中枢部へと向かうと、そこには日課とも言える魔力供給を行っているリューテシアの姿があった。
ただの雑談なので、別に私と話す気が無いのなら話す気は無いのだが。
まだ魔力供給が終わってないとの事で、別に構わないとの事だ。
「――もし、私がいなくなったら。どうする?」
「は? 何? まーた何か厄介事押し付けようとしてる訳?」
訝しむリューテシア。
別に何かを押し付けようとはしてないのだが。
「別に、そんな事はしないけどさ。何となく気になったから聞いただけよ」
「……そうね。ここに、お姉ちゃんが帰ってきたとしても何の問題も無いようにしたいってのは本心だし。ミラがいようがいまいがもうしばらくは、ここにいるのは確定ね」
リューテシアは自らの持つ手帳代わりの本に筆を走らせながら、淡々と言ってのける。
「ここがもう私が居なくても問題無いようになったなら……私も、クレイスさんと同じようにお姉ちゃんを探しに行こうかな? まあこの調子だと、それが何時になるのかまるで見等も付かないけどね」
「別に、今すぐ行ったって構わないのよ? もう、貴女は自由の身なんだから」
「そりゃそうだけどさ……流石に、この期に及んで突然何もかも放り出して行くなんて無責任な真似出来ないわよ」
思いの外、リューテシアという人物は責任感の強い人だったようである。
昔を思えば、リューテシアも心境が大分変化したのを感じている。
そしてそれはきっと、良い変化なのだろう。
「何より、リサをあのまま放置して行ける訳無いじゃない。あの爆弾魔を放置したら、この場所吹っ飛びかねないわよ?」
「………………大丈夫よ」
「そこは断言しなさいよ。ミラだって不安視してるじゃない。加えて言うなら、ミラがあんな危険物の作り方を教えなければこんな事にはならなかったのに!」
そんな事言われてもね。
分子の分解、再構築は化学技術において避けては通れない重要な項目だし。
その中でも比較的簡単な水の分解は例題として最適だったのだから仕方ない。
化学技術が進歩するか、魔法技術が進展してくれば水だけでなくもっと複雑なモノも分解・再生成出来るようになるのだろう。
それの極致が、私の持つ原子結離炉だとも言える。
炭素を炭素に組み替え、ダイヤモンドを生成する……なんてのも、技術が発展してくれれば何時かはこの世界でも可能になると考えている。そうなればダイヤの価格は大暴落確定ね。
まあそれが何時になるのかまでは、予想が付かないのだが。
「――と言うか、何? 今度は年単位で時間跳躍する気なの?」
「……ええ、そうね。そういう事よ」
そう、未来へと跳躍する。
何時も通り、それは変わらない。
ただ、それは恐らくリューテシアが考えている時間を遥かに上回るのだろう。
私からすれば、それもやはり一瞬だ。
だがこの世界で生きる人々にとっては、それは余りにも重く、長い。
「その準備と、挨拶回りでしばらくは忙しくなるから。雑務は任せたわよ」
「そもそも何時も私に丸投げしてるじゃない」
「そうだったかしら?」
「しらばっくれてんじゃないわよ……!」
しらばっくれたつもりは無いのだが。
丸投げ……してるのかしら?
特定の誰かに一極集中しないようにしているつもりではあったのだが。
「そんな訳だから、作業場……は、人の出入り激しいし……うん、しばらくはここに居座る事にするわ。何か用事があるなら、早めにお願いね」
人々の往来も増え、この地に定住し始めた人々に仕事を割り振るにつれ、中枢部以外の区画には多数の人々が出入りするようになった。
その為、地下拠点で静かな場所というのはこの中枢部を除くとほとんど存在しないのだ。
これから私が作るのは、言うなれば置き土産だ。
宿題、と言い換える事も出来るかもしれない。
それを見事使いこなす事が出来れば、よりこの世界は便利に、豊かになっていくだろう。
そうなれば良いな、と考えながら。
私はリューテシアを横目に、黙々と筆を走らせるのであった。
9月からはまた5の倍数更新に戻るよ




