177.貴族
アインリッヒと名乗る聖王都の貴族――その男性の提案で、私とアインリッヒはソルスチル街にある高級志向のレストランへと足を運んでいた。
ソルスチル街の惨状は、実際に目の当たりにした私からすれば酷い有様であった。
復興にも相応の時間が掛かるとは考えていたが、私の計算を遥かに上回る勢いでこの街は復興の兆しを見せていた。
何でもこの目の前に居るアインリッヒという人物が裏から色々手を回してくれたらしく、ルドルフ商会のみでは手が回らない部分を補佐してくれたとの事だ。
「――これ程までの大都市を切り開き、聖王都の腐った貴族共……おっと、私は違いますよ? その横暴を退け、あの災厄の化身とも言うべきドラゴンを相手取り、それを討ち取ったという英傑。一度お会いしたいと、かねがね思っておりました。しかしながらルークさんの話によると、普段はとても多忙で中々お会いする事が出来ないと聞いておりましたので……此度の出会いは、精霊様に感謝ですな」
注文の品が卓に運ばれる。
ここは海沿いの街であるので、高級店と言えどもそのメニューは基本的に魚介類中心である。
しかしながら蒸気機関車の搬送力を利用し、既に稼動している地下農場からこの地まで、通常の状態では到底生育不可能な数々の農作物を産地直送で搬出している。
その食材を利用している為、魚を中心としながらも見事な彩りで飾り付けられた、高級さが目で分かる食事だ。
その皿に手を伸ばし、野菜の一つを手に取り、それを目を細めて見やるアインリッヒ。
「この野菜も、ミラ様が生産体制を整えたと聞いております。これ程までに寒さの過酷な地で、ファーレンハイトと同等、いやある意味それ以上の作物を生み出せるとは……知と力を兼ね備えた、貴女様はまるで、女神のようなお方だ」
「――――女神、ね」
貴族だけに限らないが、大体権力の座に収まった権力者というのはどいつもこいつも口が良く回る。
そしてそれは、目の前に居る男も例外ではないようであった。
表情こそ崩さないが、その女神という言葉にはうんざりする。
その女神とやらを生み出さんとし、命の創造に手を伸ばした結果、生まれたのがこの私なのだから。
それとこれは単に個人的な感想ではあるが、私は目の前の人物に対して良い感情を持っていない。
蓄えられた見事な髭に、人の良さそうな笑顔。
他者からすれば感じの良さそうな人物として見られるのだろうが、その姿が私の知る天才科学者とダブって仕方ない。
この街の復興に手を貸してくれたというのは、ルーク曰く事実らしいのでこうして付き合ってはみているが。
「そんなご大層なモノじゃないわよ」
「またまたご謙遜を。これ程の力を持ち、偉業を成し遂げる知を持つ者ならば、この例えもあながち間違いでは無いでしょう。そしてお会いして感じましたが、その美貌も――」
「――貴方はそんな美辞麗句を連ねる為だけにこんな場所まで足を運んだ訳では無いのでしょう? さっさと本題を話したらどうなの?」
「……これはこれは、随分と手厳しい」
アインリッヒの口元から笑みが消え、柔らかな眼差しは切れ味の鋭い光を宿す。
「ミラ様はお世辞ではなく単刀直入に話を申した方がお好みと見える。そうですな……簡潔に申し上げれば、このロンバルディア地方の開拓に、我がシュテルンベルク家も一枚噛ませて欲しいと考えておりましてね」
「そう。したいなら好きにすれば良いじゃない。だってここ、ロンバルディア地方はファーレンハイト領の一部でしかないのでしょう? 王様辺りに申し出たらどうかしら?」
「――あの国は、もう駄目だ」
吐き捨てるようにバッサリと切り捨てるアインリッヒ。
「今代は問題無いかもしれぬが、最早亡国になるのは時間の問題だと見たのでね。泥舟から脱する足掛かりとする為に、貴女に口添えして頂きたいのですよ」
「私が口添えする必要なんて無いでしょ。貴族様ならさぞかしお金、持ってるんでしょう? 幸いこのロンバルディア地方は大半が過酷な環境だから、土地なんて余りに余ってるわ。好きな場所に豪邸でも建てれば良いじゃない」
「それは、準備が整うまで不可能ですな」
アインリッヒは、貴族という地位を持ちながらもこんな回りくどい手段を取っている理由の説明を始める。
以前、私がこのロンバルディアの地にて多数の兵を殺めた事で、聖王都の力は一気に低下したとの事。
それは確かに大変だとは他人事ながらも思ったが、この低下した部分が問題なのだ。
あの軍勢は主に精霊教会の信徒、そして貴族の私兵が中心となって構成されており、そこにポツポツと傭兵、そして聖王都の正規軍が多少混ざっていただけの編成だったという。
それが壊滅した事で、貴族達はある者は当主を失い没落、またある者は財産を大量に失い力を殺がれる結果となった。
しかし国王はほぼノーダメージに等しく、この被害を好都合と考え、貴族達を掌握するべく行動しているという。
力が強まり過ぎて国王ですら容易に意見を曲げさせられない相手が勝手に弱体化してくれたので、これ幸いと次々に手篭めにしているという。
当然、貴族達の反発も強くなるが、弱体化してしまったが故に表立って批判する事も出来ない。
アインリッヒのように、聖王都の影響が及び難い場所に居を移そうと画策する貴族は一人二人ではないそうだ。
しかし今現在、ロンバルディア領に移住した貴族がまだ一人もいないのは、逃げ出そうとする貴族に国王が目を光らせているのと、もう一つ――
「――我々は、このロンバルディアの人々に嫌われていますからね」
元々、このロンバルディア地方はアランが流刑地と例える程の地であり、ファーレンハイトの肥沃な地から追い遣られた人々がしぶしぶ生活を行っていた場所なのだ。
無理矢理追い出された者も多く、ましてやこの地で暮らす半人半魔の人々はほぼその全てがこのパターンに当てはまるだろう。
それを指示したのはお偉い方――つまり王侯貴族であり、それらに対する反発は強い。
最近は出稼ぎや噂を聞き付け移住している人なんかもいるが、基本的にこの地で暮らす人々の大多数は聖王都や貴族に対し黒い感情を持っている者が多い。
挙句、ロンバルディア地方では間違いなく断トツの影響力を持ち、聖王都でも有数の大商人であるルドルフもまた、聖王都の貴族を嫌っている人物の一人だ。
オマケに何故か、ソルスチル街の現状の顔役とも言えるルークも貴族を嫌っているらしい。
ロンバルディア地方に移住するという事は、聖王都の庇護下から離れるという事。
だというのに、ロンバルディア地方のあらゆる方向から敵視される状態のまま居を移すなんていうのは、馬鹿のする事である。
「私はシュテルンベルク家の当主として、家を存続させる義務があるのだ。なので是非とも、このロンバルディアの地においては国王陛下と同等以上の影響力を持つと言っても過言ではない、貴女から口添えをして頂きたいのです。無論、出来る限りの礼は尽くさせて頂きます」
……つまりは、保身だ。
それ自体を否定する気は無いが、もしかしてルークは私を訪ねてやってきたこういう貴族を片っ端から切り捨てていたのか。
もしそうなら、後で感謝しとかないとね。
私の目的は、別に貴族になる事なんかじゃない。
普通に、快適に暮らしたいだけなのだから。
「――そうですね。家を守りたいという気持ちは、理解できなくもないです」
私も、折角作ったあの地下拠点を守りたいとは思わなくもないからね。
「では――」
「ですが貴方は自らの怠慢で信頼を失った。取り戻す為に苦労するのは当然じゃないですか?」
楽をしたい気持ちは分かる。私だって面倒なのは嫌だ。
だが楽な道を進む為の工程すら楽に済ませようなんて、随分と甘い考えなのね。
私は楽な未来の為に、相応の代償を払ったわよ。付け加えるなら、後もう一度だけ代償を払うつもりだ。
「この街の復興に力を貸してくれた事には礼を言います。その調子で貴方も骨を折れば、その内街の人にも認められるようになるかもしれませんよ? それから、折角お会いしたのだし、些細な礼ですがこれを差し上げます」
ものぐさスイッチから取り出した、その棒状の代物をアインリッヒに向けて放る。
それをキャッチし、確認したアインリッヒはいぶかしむ。
「……これは?」
「磁石よ。まだ大量生産の目処が立ってない、市場にも流通してない代物よ。水に浮かべたり鉄に近付ければどんな代物か分かるんじゃないかしら。今回の街の復興へのささやかな礼です」
そもそも、時間が掛かるか否かという差だけであり、いずれこの街は復興していた。
それだけの熱量も財貨も資材もこの地は有しているのだ。別にアインリッヒの助力が無くともそれは成し遂げていただろう。
だから、楽しないでちゃんとそっちも苦労して下さいね?
「そんな――! まだ話が――」
「お客様、他のお客様のご迷惑となりますので、大声を上げるのはご遠慮頂けますか?」
「退け! 私を誰だと――」
「ただのお客様でしょう? それ以上でも以下でもありません」
店の会計を済ませ、店外に出ようとする私を引き止めようとするアインリッヒ。
それを二人の店員が立ち塞がるような形で足止めをする。
店員として見るなら、随分と奇妙な行動だ。
だって、私をわざわざ庇うように、立ち塞がる形で立っているのだから。
このソルスチル街にて嫌われている、というのはどうやら本当のようである。
でも、それは貴族達が撒いた種だ。
それを刈り取るのは、種を撒いた貴族達にやって貰わなければ駄目でしょう。
私に刈らせようとしちゃ駄目よ。
「あんまり食べてないわ。悪いわね」
「いえいえ! 是非ともまたご来店下さい!」
満面の笑みを浮かべた店員に会計を渡し、私は足早に店を出る。
こりゃ、とっととこの街から撤収した方が良さそうね。
後でリュカの居る宿屋に寄って、さっさと地下拠点に戻ろう。
蒸気機関車が短い間隔で稼動しているのは幸いだったわね。
アインリッヒの手から逃れるべく、私はこのソルスチル街を後にするのであった。
――こういう手合いが出て来た所を見ると、もうそろそろ潮時なのかもしれないわね。
潮時潮時。




