165.撤収と準備
「お久し振りね、勇者様」
「そうだな……ん?」
私の感覚でもそれなりに久し振り、そう思える程度に月日が流れた。
だが時の流れに乗って未来へ進んでいる私とは違い、時の流れにあるがまま身を晒し続けたアレクサンドラからすれば、数十年という時の重みは肉体を劣化させるには充分な年月を誇っていた。
機能的な問題故か、服装こそ昔と比べ大して変わっていないが、その風貌は随分と変わっていた。
顔立ちは年老いて尚、人々を振り向かせるだけの美貌を残してはいたが、肌艶や首といった年齢を隠すのが難しい場所からはその年齢を痛感せざるを得ない。
そんな彼女の顔には、何故か疑問符が浮かんでいた。
「ミラ、だよな? 私が知っているのは、蒸気機関車といった発明品を生み出している、人間のミラという少女なのだが……」
「ええ、勿論私は勇者様が知っているミラで間違いないわよ。ついでに言うと、娘とかそういうオチでも無いわ」
「……君は、人間ではないのか? あれから何十年も経ってるのに、昔の姿と何も変わってないのだが」
「私は人間よ。姿が変わらないのは……まあ、良いか」
別に勇者相手なら言っても構わないだろう。「時」という世界の根幹に関わる術式を他者に教えるのはどうかと思ったが、リューテシアに地下拠点の中枢部の操作方法を教えている時点で今更である。
そもそも、理解したからって自由自在好き放題に使えるような代物でも無いし。
「簡単に言うと、私は未来への片道限定で時間跳躍をする事が出来るんです」
「時間跳躍?」
「未来へと進んでいる間、私はこの世界に存在していない。だから、勇者様と最後に顔を合わせた時から、私の視点ではまだ一年も経ってないんですよ」
だから私はまだ、か弱い少女のままである。
流石に一年じゃそこまで大幅な体格変化なんて起きる訳も無い。
私の第二次性徴期は、もう止まりつつあるみたいだから尚更ね。
「まあ、そんなのはこの際どうでも良いです。勇者様、単刀直入に聞きますけど、勇者様はあのドラゴンを倒す事は出来ますか?」
「今は勇者じゃないが……まあそれもどうでも良いか。倒す倒せないで言うなら、『今は』倒せないな」
今は、という部分を強調してアレクサンドラは断言する。
「それは、老いて腕が衰えたからって意味かしら?」
「いや、違う。今の私はあのドラゴンの防御を破れるだけの攻撃力を持っていない。具体的に言うと、武器が無い。聖王都に突き返したあの聖剣があれば、まあ8:2で私が勝つだろうさ」
アレクサンドラは、自らが先程手放した折れた剣の柄を見下ろしながらそう断言した。
……レールガンであの程度しか傷を与えられなかった相手に、そこまで言い切るか。
勇者っていう人種は、人間を辞めてるのではないかとつくづくそう思う。
「剣を返して貰うとかは……いえ、何でもないわ」
返してくれるならとっくに返して貰っているはずだ。
今回は間接的ではあるが、また聖王都のアホ共に振り回される羽目になりそうな予感がする。
アレクサンドラが討伐してくれれば一番後腐れが無さそうだったのだが。
「とりあえず勇者様。ここの村人は何処へ避難させる予定だったのかしら?」
「いや……目的地は無いに等しい。そもそも、ドラゴンが暴れたらどんな堅牢な砦に篭ろうとも何の意味も無いからな。何処の街に逃げれば安全、なんてのは無い」
当ての無い逃避行、という訳か。
そこでふと、思い出す。
「――ああ、そうだ。勇者様には借りがあったわね。その借り、今から返そうと思うわ」
そう言えば、私はまだアレクサンドラに恩を返しきれていない。
この世界に跳んで来た直後、金も住処も無い私の為に、その足掛かりを用意してくれたのだ。
アレクサンドラの人柄を考えれば、私の感じている恩など些細な事だ、と気にしないでくれるかもしれないが。
私自身が納得していない。
あの当時は地位も金も力も有していた勇者相手では、到底返す方法が思い付かなかったが、今ならば返せそうだ。
「良ければ私達の所に避難しませんか? それから、あのドラゴンは私の手で討ち取ってあげるわ」
あの地下拠点は、周囲をボロボロにされながらもドラゴンを退けた実績がある。
それをアレクサンドラに話した所、少し驚いたような表情を浮かべつつも「他に代案も無いか」と決断し、地下拠点へと撤収する事になった。
村人達の移動は、トロッコで行う事にした。
オリジナ村~地下拠点の区画はドラゴンが大暴れしてくれたお陰で線路が破損してしまっている。
なので一から十まで走り抜ける事は出来ないが、それでも全て徒歩で移動するよりは余程早く移動出来る。
アレクサンドラを始めとした、体力のある村人達にトロッコの走らせ方を簡単に教え、村人達を全員乗せて移動する。
途中で線路が破損している可能性を考え、先頭をアレクサンドラと私が乗り込んだトロッコが先導する。
速度が余りにも速いと危険なので、少し速度を抑えつつ、その後、線路の安全が確認された上で後続の避難民が走り抜ける寸法だ。
尚、食料と武器以外の荷物は残念だが置いて避難して貰う事にした。
最悪、篭城戦をやる事になる現状だとその二つに関してはどれだけあっても困らないので、それだけは持ち込む事を許可した。
走り続ける事数時間。
幸いな事にドラゴンは特に線路を傷付けるような事はしていなかったらしく、オリジナ村郊外までは問題無く走り抜ける事が出来た。
そこで、線路は寸断。ドラゴンが派手に暴れてくれた箇所まで到達する。
そこからはトロッコを降りて徒歩で移動となる。
尚、ドラゴンが暴れた影響で地下拠点の通常の入り口は崩落しており、ここからは中へ入る事は出来ない。
通路を「時」の術式で保護する事も考えたが、省エネ化する目的と、襲撃者が現れた際に入り口をわざと崩落させて篭城するという手段も考慮してあえて崩落するようにしておいたのだ。
地上部には敵からの襲撃の際、銃と大砲で迎え撃てるように建造した見張り台が建造されているが、こちらには出入り口は存在していない。
そこを破壊されれば中に入られてしまうのだから、初めから作る気は無かった。
一応、大砲の砲弾を通す必要があるのでそれなりに大きな穴は存在しているが、こちらも精々子供が通れる程度の大きさで、大人の体格は通れないようになっている。
なので、避難する為に新たに開拓していた第二地下拠点まで向かう。
こちらは少し距離が離れていたお陰でドラゴンの攻撃に巻き込まれる事が無く、崩落は免れている。
また、開拓を円滑に進める為に第二地下拠点と私達の地下拠点は連絡通路で繋がれており、この通路も地下深くの為に崩落を回避している。
私も地下から地上に出る為にここを使っており、今回もここを通る予定だ。
多少は徒歩で歩く事になったが、それでもルシフル村の避難民達を日没ギリギリで地下拠点に避難させる事に成功した。
避難を完了させ、地下へと戻るとそこにはルドルフ夫妻やアラン――オリジナ村の面々が地下の顔触れに加わっていた。
「ん~? あー! ミラちゃんだぁ~! 相変わらずちっちゃいなぁ~」
駆け足で駆け寄り、私の頭をくしゃくしゃに撫で回してくるアーニャ。
アレクサンドラが老いていくように、人間であるオリジナ村の人々もまた置いていく。
ルドルフやアランには小じわが増えていたし、アーニャもまた、可愛い奥さん……ではなく、愛想の良い可愛らしいおばちゃん、といった容姿になっていた。
それはとりあえず無視して、周囲を見渡しながら耳を立て、現在の状況を確認する。
「怪我人は治ったならベッド占領してんじゃねえ! まだ後ろが支えてんだからよお!」
「マーカス!? お前生きてたのかァ!?」
「流石に死ぬかと思ったけどなァ!」
「地属性魔法使える奴こっちに来い! 部屋新しく作るぞ!」
「この野郎! 地味に良い仕事しやがって!」
「――で、引き金を引いて発射。これだけだ。弩って武器を知ってるか? 扱い方はそれが近い感じだ」
「駄目だ! その酸素ってやつを上手くイメージ出来ねぇ! どうやってんだコレ!?」
地上の有様を見ているにも関わらず、それでもとドラゴンに立ち向かう覚悟をした人々に、銃の扱いを教えている者がいる。
ドラゴンに一撃を与えた爆弾の製造を行おうと、四苦八苦している魔法使いがいる。
また、折角なのでさっきから密着しているアーニャに何故ここにいるのかと聞いてみる。
アーニャの話によると、以前ドラゴンから襲撃を受け、車両から叩き落された中で体力の残っている人々が結託し、レイウッド村、及びオリジナ村の人々を束ねてここまで避難させてきたらしい。
それによって増えた人々を収容するべく急ピッチで新たな部屋を増設しているらしい。
収容自体は今の状態でも出来ているが、通路に雑魚寝同然の有様であり、この状態では機敏に拠点内を走り回る事は出来ない。
なので第二地下拠点を拡充していくのはある意味当然の行動であった。
ルシフル村の避難民も引き込んだ事で、尚の事手狭になったのだからこの行動は私からしてもとても有り難かった。
アーニャに今度は頬擦りをされているが、気にせず避難民達とアレクサンドラに説明をする。
「ここならドラゴンの襲撃があっても討ち取れないまでも撃退までは出来ます。なので、ロンバルディア地方の村落にいる人々全員をここに集めて篭城します」
ロンバルディア地方は、基本的に作物の育成に適さない為、寒村ばかりである。
ソルスチル街のみ例外的に大都市として膨れ上がってしまったが、それ以外の村落に住んでいる人々は所詮微々たるものである。
ソルスチル街を除いた集落に住む人々の合計は、精々数百人程度、間違いなく千人には届いていないだろう。
グレイシアル村が鉱石採掘によって微妙に栄えてさえいなければ、下手すれば百人を切っていたかもしれない程なのだから。
それ位なら、収容出来る。
途中までではあるが第二地下拠点が開拓されているのも大きく、食糧事情には大いに不安があるが、少なくとも寝泊りには困らない。
「全ての人々をここに篭城させて、安全を確保した上であのドラゴンを討ち取ります」
「あれを討ち取る手段があるのか?」
アレクサンドラの疑問に、私は然りと答える。
「倒す手はあるわ。私に仕込みの時間をくれるならね」
私もある意味、アレクサンドラと似たようなものである。
彼女は剣があればあのドラゴンを倒せると言ったが、私も魔力さえあればあのドラゴンを討ち取るのは容易と考えている。
生贄として数百人位引き連れてその魂を魔力として吸い上げれば――口にするまでもなくこれは却下である。
私がかつてそうであったように、命を消耗品として扱うのを私は由としない。
だから、今ある道具と工夫であのドラゴンを仕留める。
「まあ……とりあえず、住民の完全撤収が先ね。リュカ、それとリサ。第二地下拠点の拡張は引き続き行わせて。まだ増えるからね」
現状、戦力としてカウント出来ない二人に地下拠点の運行を委ねる。
リュカは元々戦う事が不得手だし、リサは戦う術を持ってはいるが、その術を先日爆裂させた直後なので、今はそこいらの魔法使いに毛が生えた程度でしかない。
「おい、何処へ行く気だ?」
「何処って、グレイシアル村までですよ」
私を引き止めようとするアレクサンドラに、行き先を告げる。
別に私はまだ疲れてないからね、なら今すぐにでも行くべきだ。
「もう日が完全に落ちたぞ。日が昇ってからでも良いんじゃないか?」
「今から出ます。こうしている間に村が襲われている可能性もありますからね」
ルシフル村より先に、ドラゴンは行っていない。
そしてドラゴンの現れた地下拠点~ルシフル村までの線路状況は確認した。
なら、蒸気機関車を線路上まで移動させられれば終点のグレイシアル村までは問題なく走れる。
それに、またドラゴンの襲撃がないとも限らない。
先程ドラゴンが退いた際には東――というより、白霊山方面に飛んでいったようだが。
またこっちに飛んできて、襲撃を掛けてこないとも限らない。
抵抗手段の無い、近隣の村落の人々には一度地下拠点に集結して貰う。人命尊守を考えればこれは避けられない。
ファーレンハイト領内に逃げ込んで貰うより、こっちに逃げた方が恐らく早いだろうしね。
無論、新たに拡張を続けている第二地下拠点のスペースを含めても手狭になるとは理解している。
だがそれでも、ドラゴンの再来があった際に抵抗出来るだけの土壌が整っているのは、この地下拠点以外には存在していない。
「それと悪いんですが、走行中にドラゴンに襲撃されたとしても、少しでも無事に逃げ切る可能性を上げたいので、アレクサンドラさんにもできれば御同行して貰いたいです」
剣が折れても、立ち向かうだけの能力が彼女にはまだあると見た。
なら、襲撃を考えるなら少しでも戦力を補強しておきたい。
それと手数を増やす為にリューテシアとルナールにも同行して貰う。
私も含めて、これだけ戦力がいれば少なくとも倒せないまでも撃退程度なら難なく行えると思われる。
善は急げ、である。
点検と補給を済ませ、一度ものぐさスイッチ内に蒸気機関車を格納し移動。
破壊されていない線路の場所まで移動し、無事だった方の蒸気機関車で限界まで車両を牽引しつつ、私達は闇夜の中、終点であるグレイシアル村目指し鉄路をひた走るのであった。
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移動中、闇に乗じての襲撃があると警戒していたが、幸いそれは杞憂に終わったようである。
もし襲撃が来るようならば、数少ない照明弾の使用も覚悟していたので、そこは有り難かった。
向こうから逃げてくる際、敵襲を踏まえて武器はそれなりに奪ってきたけど、直接戦闘力の無い照明弾は優先度が低かったから大して持ち込んで無かったので、少し使用を躊躇っていたのだ。
夜間を無事抜け、ロンバルディアの大地を朝日が濡らして行く。
一応、闇夜だろうとドラゴンが近付けば気付けるというアレクサンドラを警戒に当たらせてはいたが、例え相手が勇者様と言えど過信するのも良くないだろう。
何にせよ、来ないに越した事は無い。
フュリック村、ファルファ村を通過し、グレイシアル村へと到着する。
元々、鉱石採掘で日々の糧を得ていたグレイシアル村以外は限界集落と言っていい程度の住民数だ、ソルスチル街の人々を一度に運び切った蒸気機関車の積載量をもってすれば、この程度の人々を運ぶのはどうという事も無い。
なので、人々を全員収容すると同時に、物資も運び入れる。
グレイシアル村は鉱山で栄えている、なのでその採掘された鉱石の中には鉄鉱石も些細ではあるが含まれている。
それがあれば銃火器や大砲をもう少し増やせる、攻撃の手数を増やせるのだ。
また、グレイシアル村を発った後に、ファルファ村にて一時停泊する。
居住スペースだけでなく食料の問題もあるので、同時にファルファ村から限界まで保存食を地下拠点へと運び込む為である。
飢饉に備え、地下拠点やソルスチル街で獲れた作物や魚介の余剰分は全てこの地にて保存してある。
天然の冷凍庫とも言えるファルファ村であらば、一年でも十年でも食料を食べられる状態で保管出来る。
余剰分だけとはいえ、何年にも渡り蓄積し続けた食料は既に倉庫一つでは足りなくなっている。
その為、現在ファルファ村には計五棟の食料保管庫が建てられていた。
流石に、重量ではなく嵩の問題で全ては積み込めない。
なので保存食を載せられるだけ載せて撤収する。
線路が途切れた場所まではそのまま進み、再びそこから第二地下拠点の入り口まで徒歩で移動する。
これで、抗う術の無い人命が危険に晒されている状態からは開放された。
ロンバルディア地方に今現在存在している人々を地下拠点に全員収容し、防備を固め、ドラゴン討伐の為の準備を行う。
また、ドラゴンにも有効な打撃力を与えた実績のあるリサの爆弾は急ピッチで製造を行わせる事にした。
リューテシアがこれぞ正に苦虫を噛み潰した顔! とでも言いたくなる表情を浮かべていたが、生命の危機に関わる事項なので有無は言わせない。
尚、リサは水を得た魚の如く躍動し、無邪気な赤子のような笑顔を浮かべて作業を行っていた。
リサの考えに賛同する者も増えており、複数人で作業に着手するなら恐らく一週間に一つ位はそこそこな爆弾を作れるのではないかと思われる。
すぐには、出発出来ない。
一度しっかりと疲労を抜いて、万全な状態で出発せねば。
出発までの数日の余白を利用し、私はあのドラゴンに対抗するべく、ちょっとした小細工を仕込むのであった。




