163.動乱のルシフル村
アレクサンドラ・フォン・ロンバルディア。
かつて単身魔王と切り結び、そして生還したという、人々の間でその名を知らぬ者はいないと断言出来る、元勇者である。
今は聖王都に勇者の象徴と呼べる聖剣を返上し、目的の分からぬ流浪の旅を続けている。
そして時折、故郷であるルシフル村へと戻り、その羽根を伸ばしているのだ。
「……流石に、長旅も辛くなって来たな。これが、歳の衰えという奴か。認めたくないものだな」
自嘲気味に笑いつつ、自らの自室にある寝床へその身を沈めるアレクサンドラ。
彼女はれっきとした人間であり、そして生物の宿命として、老いという絶対的な劣化から逃れる事は出来ない。
その年齢からは信じられない程に若々しい見た目をしているが、既に彼女は五十代に至った年配女性である。
その美貌は勿論の事、筋力や戦闘技術にも徐々に陰りが見え隠れする。
元勇者というだけあり、それでも百体千体程度の魔物に囲まれる程度ならば無傷とは言わないが容易く切り抜けるだけの戦闘能力を未だに有していた。
だがしかし、全盛期には程遠いのが今の実情である。
「……そういえば、カーミラは決して老いないんだったな。ドラグノフは竜種だからまだまだ若いんだろうし……本当、思い起こせば魔族はどいつもこいつも寿命が長い奴ばかりだな、昔は何とも思わなかったが、我が身を今見れば少し羨ましくもあるな」
彼女が今まで出会った、魔族の人物を思い起こしてそう呟く。
「最近、疲れ易くもなってきた気がするし……もう大陸を股に掛けるような長旅は無理かもしれんな。折角だし、今度からはあの蒸気機関車という乗り物に乗ってみるとするか……」
長旅の疲労を取るべく、睡魔に任せてまどろむアレクサンドラ。
目を閉じ、ゆっくりと眠りの淵に立ち――揺り起こされる。
振動。
そして小さく聞こえる、誰かの悲鳴がアレクサンドラの耳に届く。
目を覚まし、窓の外を見る。
「――あれは!!」
彼女はこの時点では知る由も無いが。
それこそが白霊山より飛来し、ルナール達を苦しめ続けた暴虐の化身。
数多の人々を傷付けた存在、アイスドラゴンであった。
―――――――――――――――――――――――
私が目の当たりにしたのは、人々にとっては災害と同意義である、凶悪な魔物。
力無き人々に数多の血と涙を流させてきた、災禍。
「ドラゴン……ッ!」
何故、こんな場所にドラゴンが。
ドラゴンの大半は、竜将ドラグノフの配下として統治されているはず。
という事は、アレは数少ない例外である野良のドラゴンという事か!
いや、そんな事は今どうでも良い。
アレは――駄目だ。
私がやらねば、話にならない……!
この村が地図上から消えるか否かの瀬戸際であり、そんな状況で私が眠りこける訳には行かなかった。
疲労故に装備をロクに外さず寝床にいたのが幸いでもあった。
手放していた僅かな装備を携え、僅かな時間が惜しいので玄関からではなく窓から直接飛び降りる!
風の如き速度で駆け、ドラゴンと相対する。
――デカい。
今まで私が刃を交えた中でも、一、二を争う程に。
振り下ろされる巨腕を回避し、カウンター気味に剣を打ち込む!
その一撃を受けたドラゴンは僅かに表情を歪め、その翼を羽ばたかせ、私から距離を取る。
恐らく、さっきの一撃を受けて私の力量を感じ取り、警戒したのだろう。
生え揃った鋭利な牙を晒し、口腔から放たれる白銀の吐息!
「我を守れ、水泡の隔壁。バブルウォール!」
水の魔力を自らの周囲に展開し、村の盾となるようドラゴンのブレス攻撃を受け止める!
先程ドラゴンが飛び退いたお陰で、良い位置取りに出来た。
そして今のブレス攻撃のお陰で、どういうタイプのドラゴンであるかも把握出来た。
ドラゴンの中でも非常に強力な上位種存在は、自らの体内に溜め込んだ魔力を用いる事でブレス攻撃という魔法攻撃を放つ事が出来る。
氷のブレスを吐いたという事は、あのドラゴンはアイスドラゴンだろう。
で、あるならば。
物理的な攻撃でさえなければ私が致命傷を負う可能性はまず無い。
私が最も得意とする水属性と、あのドラゴンが用いている氷属性は類縁だ。
親和性も高く、それ故に受け止めるのも受け流すのも大して労力を要しない。
……逆に言えば、こちらの魔法攻撃もロクにアイスドラゴンに効かない。
魔法攻撃による撃退は諦めた方が良さそうだ。
ならば、剣術がメインか。
あの図体を退けるとなると、流石に長期戦を覚悟しなければならなそうだな。
魔法攻撃は効かない、その結論にあのアイスドラゴンも辿り着いたのだろう。
一転、私との距離を詰め、踏み下ろしによる接近戦へと切り替えてきた。
そんな遅い、点の攻撃に当たる程耄碌してはいない!
胴体も含めた押し潰し攻撃を繰り出すが、そんな速度に遅れを取りはしない。
私の退避先に合わせるように、アイスドラゴンは即座にその前腕を降り抜くが、その前腕を飛び退ける。
落下の衝撃を載せ、渾身の力でその剣をドラゴンの前腕目掛け突き下ろす!
直後、剣が根元から折れる!
――剣が、脆い!
折れた刃は余力で宙を舞い、放物線を描きながら地面へと突き刺さる。
年老いたこの老体の全力すら受け止められないのか、この剣は!
普段使いには支障が無いからと、妥協したツケがここに来て!
「こんな事なら、あの剣を聖王都に突き返さなければ良かったか……!」
私はかつて、魔王の居座るレオパルド領、その魔王城へと乗り込み。そして生還した。
その事実に聖王都の上層部や精霊教会の信徒達は狂喜したようだが、私はまるで喜べはしなかった。
何故なら、若い頃の私はあの地で良い様にあしらわれただけなのだから。
魔王と切り結び、そして生還した?
その方が都合が良いから、そういう事にして貰っただけだ。
私は、魔王と刃を交える所か、その配下たる四天王すら、誰一人倒す事叶わなかった。
軟禁され、そしてする意味が無くなった事で放逐された。
あの地で、私は私の見識の狭さと実力の無さを痛感した。
故に、ただ闇雲に剣を振り回すだけの生き方を止めた。
魔王と交戦し、生き延びた。
その嘘の事実を得た事で、私の聖王都での地位は一気に跳ね上がった。
お陰で聖王都や精霊教会の上層部にもそれなりに意見を差し込めるようにはなったが、それも焼け石に水。
私を旗頭にレオパルド領に攻め込もうと、頭に血が昇った面々を説き伏せる事は出来なかった。
言う事を聞かないならば、勇者の象徴たる聖剣を返せと口喧しくなったので、望み通り返した次第だ。
聖剣を貸与されたという事実さえ無ければ、奴等には私を縛る口実など無い。
皮肉にも、魔王城にて軟禁されていた間に自らを鍛え直した結果、人間の中で私を倒せる程の者がいなくなったのだから。
――そして、今に至る。
代用の剣を聖王都の名工と呼ばれる者に打たせたが、結果はこの始末。
悪漢や人里に現れる魔物を切り伏せる際に困る事は無かったが、真の強敵と相対してその脆さが現れたという事だ。
「あの聖剣があれば、容易とは言わんが対処出来るのだがな……」
無い物ねだりをしても意味は無い。
刃の折れた無用の長物を放り捨て、徒手空拳でドラゴンと相対する。
素手だけでは無理だ、魔力を練った拳撃……確かそういうのは、あの女がやってたか。
やった事は殆ど無いが、それでも戦い方自体は間近で何度も目にしている。
「村人が逃げ切る程度なら、時間稼ぎしてみせるさ」
老いて力を失い、技術を得た。
純粋な力量が劣化していても、己の意見を持たずに剣を振り回すばかりだったあの頃の私より、今の私は前に進めているはずだ。
何、剣無しで魔王と戦えと言われている訳じゃ無いんだ。
「この程度で泣き言喚いていたら、元勇者の名が泣くんでな!」
まずは、試金石を投じる!
あの鋼の鎧相手に、威力の分散する面での攻撃は無意味。
一点突破、破壊力は拳に集中させる!
勢い良く地を蹴り、足元が爆ぜる。
自らが宿すその魔力を拳に込め――
それが当たる前に、私の視界が爆風によって生じた煙で覆われる。
視界が失われた事で、反射的にその場から飛び退き、ドラゴンとの距離を取る。
「――年寄りの冷や水、って奴かしら? やっぱり勇者様と言えど寄る年波には勝てないって事なのね」
ドラゴンの頭より、更に上空から聞こえる声。
ドラゴンは周囲の煙を自らの翼を一度打ち鳴らし、その風で吹き飛ばし、声のした頭上を見上げる。
この声は……確か。
「うちのルナールが世話になったわね。クソトカゲ」
ドラゴン同様、視界を空に向ける。
例えるならば、それは教会の女神像。
それを戦闘用の全身鎧として先鋭化していったかのような代物。
虹色の刃をドラゴンに対し向け、ドラゴンを睥睨するかのように言い放つ。
私の知らない、少女の姿がそこにあった。




