158.鉄路の撤退戦~名も無き傭兵達の戦い
俺がこのソルスチル街に来たのは大体一年前位だ。
飛ぶ鳥を落とす勢いで肥大化してる新興都市、ソルスチル街。
こういう場所は仕事にも困らず、食い扶持稼ぐのに持って来いの場所だった。
実際、労力の割には実入りの良い、美味い仕事は沢山あった。
たまに湧いてくるそこいらのコボルトやオークを締め上げるだけで、金貨が貰えるんだから大したもんだ。
俺からすればローリスクハイリターンの、懐が暖まる良い仕事ばかりだった。
今日だって非番だからたまには奮発して酒でも掻っ食らって、女でも買うかとか考えていた矢先だ。
「くそっ……! くそっ! 畜生!! 何でこっちに来るんだよおおぉぉ!! 精霊様ってのは悪魔か何かかよ!?」
「うるせえ! 嘆くなら逃げ切った後かドラゴンの腹の中でしてろ!」
何でだよ!
何でこうなるんだよ!!
こんなのあんまりだ!
オマケにどっちかが囮になる脱出作戦まで貧乏くじかよ!
そして極めつけは追われてる相手があのドラゴンだってオチだ!
あんなのフル装備の聖王都の精鋭が万軍で相手するような化け物だぞ! しかもそれで勝てるかも五分五分だって話だ!
そんな奴に追われたら、命なんて一万あっても足りねえよ!
「こうなりゃ破れかぶれだ! 絶対逃げ切ってやるからなこのクソトカゲ!!」
よし、考え方を変えよう。今やっているのは鬼ごっこ。
そう、ただそれの延長線上に過ぎない。
相手を倒す必要は無く、捕まらず、ゴールまでの時間、逃げ切れば良い。
実に分かり易くて簡単だろ?
ただ追い掛けて来る鬼が、歴史に名を刻む英雄達ですら手に焼く、正真正銘の化け物だってだけだ。
腰に携えた剣を抜き、今まで命を預けてきた相棒とも呼べる――今はそこらの枝切れと同じ位頼りない――その剣を構え。
背後より飛来する暴虐の権化と相対するのであった。
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全力というのには限度がある。
例えば、近所を散歩しながら歌を歌うのと、スプリンターが全力疾走しながら歌を歌うのであらばどちらが上手く歌えるだろうか?
考えるまでもなく前者である。後者は普通、歌としての形を成していない無残な結果になるはずだ。
それと同じ事が、目の前に迫るこのドラゴンにも言えた。
今襲い来るドラゴンは、蒸気機関車の最高速度すら追い抜くだけの飛翔能力を有している。
それは追われる立場からすれば、正に悪夢であった。
人の足より遥かに早く走れる馬の倍は早く走り、そして疲れすら知らずに一日中だって走り続けられる。
そんなこの世界の常識を破壊した、蒸気機関車の速度をもってすら、ドラゴンの早さには届かない。
だが、活路もある。
それは、彼等がこの蒸気機関車に乗り込んでいるという事だ。
確かにドラゴンはこの蒸気機関車の速度に追い付けている。
だがルナールの考察通り、このドラゴンは本当に、ギリギリのラインで蒸気機関車の速度に追い付いているのだ。
持ち得る身体能力の9割以上を飛行能力に割き、戦闘に使える余力は1割未満。
地に足付けたドッシリとした安定感のある戦い方など出来る訳も無く、飛んだ状態ではその強靭な爪や腕にも完全に力は乗せ切れないだろう。
対し、この蒸気機関車に乗り込んだ戦闘要員は万全である。
移動は蒸気機関車の機動力に任せているので、戦闘を行う彼等が移動で使う体力は精々、車両を駆け回る程度。
移動とも呼ばぬ、ただの立ち回りの範疇程度である。
そして彼等は貨物車両や客車の天井を足場にする事により、大地に足を付けているのと同等の戦いをする事が出来る。
生き残る為、逃げ切る為に用いた苦肉の逃亡手段が、結果的に彼等とドラゴンの力量差を埋める手助けをしていた。
「魔法を使える奴! 車体の鉄強度を全力で上げろ! ドラゴンに噛み砕かれたりペシャンコにされたくなかったら死ぬ気でやれ!!」
剣を携えた、痩身の男が車内の魔法使いに指示を飛ばす。
個々の集団がドラゴンという脅威の前に暫定的に結託しただけであり、この男が対ドラゴンの戦いにおいてリーダー的な立ち位置になったのはただ、この男が出す指示が集団の中で一番的確で早かったからというだけである。
避難民が乗る客車の屋根目掛け、振り下ろされるドラゴンの巨腕。
その一撃を、車内にいる複数人の魔法使いが共同で放つ強化呪文で受け止める!
屋根が軋み、僅かにへこむ。
しかし、潰されてはいなかった。
己が思った以上の強度だった為か、僅かに表情を歪めるドラゴン。
その顔面に向けて、二発の炎弾が命中する。
「飛び道具使える奴はドラゴンに攻撃撃ち続けろ!」
「全然効いてねえじゃねえか!?」
「効く訳無いだと!? 知ってんだよそんな事は! 嫌がらせしなきゃ相手が好き放題暴れるだけだろうが!」
「駄目だ! こんな強い横風がある状態じゃまともに矢が当たらねえ!」
「当たんなくても撃つんだよ!」
「もう矢が無いだと!? だったら靴でも投げ付けろ! 軽くなって一石二鳥だろうが!」
「絶対に車体にあのドラゴンを止まらせるな! 身体を休ませた挙句好き放題攻撃してくるぞ! 追い付かれるならせめて体力使わせて疲弊させろ!」
至る所で怒声が飛び交う。
目的はただ一つ。ドラゴンから一分一秒、少しでも長く逃れ、そして逃げ切る事。
ここが最終防衛線、破られれば終わり。
逃亡兵は射殺という脅しを受けたに等しい彼等は、恐怖を自暴自棄が上回った結果、各自が普段以上の能力を発揮し続けていた。
「ドラゴンだって生物なんだ! あんな速度を延々と出し続けるなんて出来ない、そうだろう!? そうだと言え! じゃないとやってられるか!!」
「知らねえよ! ドラゴンと戦った事がある奴なんている訳ねえだろ!? あんなのと出くわしたら普通死ぬよ!」
口を動かしながらも、手は止めずに攻撃を続ける兵達。
ドラゴンは側面から叩き付ける攻撃の嵐を受けながらも、体勢を時折よろめかせるだけで、まるで意に介さず直進を続ける。
その巨体を一際大きく羽ばたかせ、車両に側面から体当たりを仕掛ける!
「やべっ――」
交戦中の兵の一人が、思わず口を付く。
あんなのが横からぶつかったら、いくら鉄の塊の蒸気機関車でも横転――
『超重圧撃!』
機関室から発動する、蒸気機関車全てをカバーする魔法が発動する。
それは車体重量を一気に引き上げるモノであり、蒸気機関車の速度が若干落ちはしたが、ドラゴンの巨躯を受け止めても横転する事は無かった。
僅かだが振動が走り、兵達の足元が揺らぐものの、即座に立て直す。
想像以上の重さに面食らったのか、ドラゴンの体勢が大きく崩れる。
「ウィンドアロー!」
「フラッシュインパクト!」
「ファイヤーボール!」
そしてその隙を、兵達は見逃さなかった。
崩した体勢を後押しするべく、ある者は風の刃を、ある者は火球を、ある者は衝撃力を増した跳び蹴りを放つ!
ドラゴンは堪らず距離を離し、崩れた体勢を立て直す。
だがその際に大きく失速し、ドラゴンと蒸気機関車の距離が大きく引き離された。
しかし、最高速度はドラゴンの方が速い。
1分程度もあれば、また追い付かれるだろう。
だがその1分の間に、傷付いた者には回復魔法が。武器が折れた者、弾き飛ばされた者は予備の剣を構え。荒れた息を整え、体勢を立て直す。
まだまだ、距離は遠い。
かなり小さくなってしまったが、遠方には未だにソルスチル街が肉眼で確認出来ており、そこまで距離が稼げていない。
名も無き傭兵達の戦いは、まだ始まったばかりなのだから。
ドラゴンが攻撃を加え、その体勢を崩し、失速した結果距離を引き離す。
そんな一進一退の膠着状態が続き、既に二時間もの時間が経過していた。
彼等の勝利条件は、ドラゴンの討伐ではない。
ゴールである地下拠点まで、その命を繋いだまま、逃げ延びる事。
それを考えれば、ここまでの流れは彼等にとっては理想的な流れであった。
「うああああぁぁぁぁ!!」
「マーカアアアアス!!」
「あのウスノロ!? 叩き落とされやがった!!」
だが少しずつ、彼等の疲労は蓄積していく。
その疲労が戦線の綻びとなり、やがて亀裂の成り果てる。
ドラゴンの横薙ぎを、避け損なった一人が咄嗟に盾で防ぐ。
しかし、その強靭なドラゴンの腕力を受け止められるだけの体重を、彼は有していなかった。
車両から盾諸共吹き飛ばされ、大地へと伏していく。
「ドラゴンの攻撃なんか直撃したら防ぎようがねえ! 全力出させないか死ぬ気で避けろ!」
「死ぬ気なんかさっきからずっと続けて出してんだよぉ! 精神論じゃなくて具体的な案出せよ!」
「じゃあそのクソッタレな台詞しかひり出さねぇ口縫い付けて黙って攻撃してろ!! 口じゃなくて身体動かせ!」
それに追い討ちを駆けるように、彼らに不幸が舞い込む。
先程から徐々に、蒸気機関車の速度が低下しているのだ。
拡声器から聞こえた声によると、蒸気機関車の一台が、ドラゴンの攻撃により破損したらしい。
彼等は自警団、そして傭兵であるが故に、蒸気機関車の詳しい仕組みに関しては知っている者はいない。
なので修理はしたが、本来の速度まで再加速するには時間が掛かるという情報を鵜呑みにせざるを得なかった。
それだけを信じ、より過激になるドラゴンの攻撃を懸命に耐え続ける。
「良し! 何とかなってる! 俺達、あのドラゴンを相手にしたままちゃんと戦えてる! 走れてるぞ!?」
「はは……嘘だろ……? あのドラゴン相手に、俺達なんかが拮抗出来てる……」
その声は震えを隠し切れない、余りにも弱々しさを感じさせるものであった。
だがここまでの戦いで、ドラゴンを相手にしているというのに、余りにも少な過ぎる損害で済んでいるのだ。
思わず軽口が口を付くのは、避けられなかった。
しかし、蒸気機関車の速度が落ちると、その分だけドラゴンにも余裕が生まれてくる。
速度が落ちてきた事に気付いたドラゴンは、蒸気機関車より先行するべく速度を上げる。
無論、その間も車両上の兵達から集中砲火を受け続けているが、それを意に介さずドラゴンは進む。
ドラゴンは蒸気機関車の進行方向上の路線の上に陣取る。
先程このドラゴンは一度、同様に蒸気機関車の正面に舞い降りた事があった。
その時は蒸気機関車に対し正面から真っ向勝負を挑んでいたが、蒸気機関車に仕掛けられた術式によって大きく弾き飛ばされる結果に終わった。
その影響で、蒸気機関車本体にダメージも入ってしまったが、それでも蒸気機関車は現状止まらずに前へ進み続けている。
同じ手で来るなら、また同じ様に弾き飛ばしてやるだけだ。
車両上で戦い続けていた面々の大半は、そう考えていた。そう考えてしまった。
そして長時間の戦いによって蓄積された疲労も相重なり、そこで思考が止まってしまったが故に。
ドラゴンと蒸気機関車の距離が近付く。
そしてドラゴンと蒸気機関車は接触――する事は無く。
ドラゴンはその場で羽ばたき、蒸気機関車のするりと抜ける。
蒸気機関車の吐き出す、黒煙を破りドラゴンの巨体が兵達の前に露になる。
ドラゴンはその巨大な口腔を開け広げ――
「ブレスだ! ブレスが来――」
兵の一人が、悲鳴を上げる!
だが、その悲痛な声に反応出来た者はどれ程いたのだろうか。
その悲鳴は、車両全てを染め上げる白銀の吹雪によって全てが掻き消されていった!
ドラゴンはその巨体、生命力も脅威だが、その持つ攻撃力もまた驚異的だ。
ドラゴンにはいくつか種類が存在するが、大抵のドラゴンはその特徴に応じたブレス攻撃という魔法攻撃を持つ。
自らが体内に蓄えた魔力を用い、その魔力の質により放つブレスは変化する。
例えば海に住む海竜と呼ばれる者ならば濁流を放ち、火山に住む者ならば強力な火炎を吐き出す。
今迫り来るこのドラゴンは、白霊山に住まうアイスドラゴン――つまり、冷気を使用したブレス攻撃を使用する。
そのブレスの温度は氷点下などと生温い、マイナス百度を下回るという、この地上における自然が生み出す冷気を大きく下回る。
それはありとあらゆる命を凍り付かせる、死の領域。
蒸気機関車の真正面から、表面を舐めるように走った冷気は、車両全体を走り抜けるのに5秒あったか無かったか程度だろう。
だが、その僅かな時間が致命傷。
戦う為にその全身を金属で覆い、また身動きを重視して軽装でいた兵がこのブレス攻撃によって一気に重度の凍傷にまで追い込まれた。
まだ息はある、だが、もうこれでは戦う事は不可能だ。
難を逃れたのは、咄嗟に車体に身を隠し直撃を逃れた者、そして風の魔法でやり過ごし、炎の魔法でその冷気を退けた者だけであった。
「無事か!? 返事しろ!」
「くそっ! 足が、足があああぁぁ!」
「手が……っ! 俺の腕が……っっ!」
「戦えない奴は車両に放り込め! 邪魔だ!」
痩身の男の指示により、アイスドラゴンの放ったブレス攻撃の直撃を受けてしまった面々が次々に車両内部に退避させられ、戦線離脱していく。
重度の凍傷も、ある程度腕のある回復魔法を使える者の治療を受ければ、最終的に完全回復する事も可能ではある。
だが治療が完了するまでには早くても数日掛かり、この撤退戦においては死亡したも同然であった。
「おい! 今ので何人やられた!?」
「パッと見3、40人!」
「ファック! 最ッ高にクレイジーだぜクソッタレ!! 上にいる半分近くやられてんじゃねえか!」
「俺、今日この時程、盾の握りを分厚い革で巻いといて良かったって思った事はねえよ……危うく左手が凍傷になる所だった……」
中肉中背の男は、その足を小刻みに震わせつつ、表面が完全に凍り付いた自らが手にしている全身を覆う程の巨大なタワーシールドを目にし、心の奥底から漏れ出したような感想を吐き出した。
その足が震えているのは、ドラゴンの攻撃を真正面から受ける事になった恐怖か、生物の生存を否定するマイナス百度にも及ぶ絶対的な冷気から来る寒気故か。はたまた両方なのか。
「下で戦ってる奴何人かこっちに寄越せ! 視界が開けてちったあ戦い易くなるだろ!」
しかしこのブレス攻撃で大打撃を被ったが、大きく時間を稼ぐ事も出来た。
正面から直撃したが、その為ドラゴンもその体勢を大きく崩している。
ドラゴンの速度はブレス攻撃の為に一度限りなくゼロまで落ちた。
蒸気機関車が通り過ぎた後もまだドラゴンはこちらに向けて背を向けている。
再びその身体を転進させ、そして飛び立ち、最高速度に達するまでは少なくとも1分以上は掛かる、はずである。
何しろドラゴンの身体能力を熟知している人間などこの世にはまず存在しない。仮定に仮定を積み重ねる計算でしかないが。
再び追い付かれるまで、少しの猶予が生まれた。
「くそっ……! キリがねえ……っ! 何なんだよあの化け物はよぉ!!」
蒸気機関車の速度は、まだ回復していない。
その影響で、アイスドラゴンがこちらに追い付くまでの時間が短くなってしまっている。
先程の攻撃で邪魔者を大きく排除出来た事を確認したアイスドラゴンは、味を占めたのか再び蒸気機関車の前に陣取る。
「馬鹿の一つ覚えみたいに! 来ると分かってれば――」
痩身の男は、再び来るであろうブレス攻撃を警戒し、車両内へと身を投じる!
あのブレス攻撃は、要は強風と似たようなもの。
構造物の物陰に身を隠せば、その攻撃を防ぐのは容易い。
そう考えたが故の行動であり、それは正解だったのだろう。
――ブレス攻撃に対してならば。
攻撃が来ない事に違和感を覚えた痩身の男は、車両から警戒しつつ身を乗り出す。
そして、信じたくない光景を目の当たりにした。
頭上に浮かぶ、百を超えるであろう氷の槍。
魔法によって生成されたそれは、鉄の屋根を突き破るべくその鋭さを増していく。
それが振り下ろされる先は何処か。考えるまでも無い。
痩身の男は絶望した。
まさかあのアイスドラゴンが魔法を使えるなんて。
今まで魔法を使わなかったのは、使えるだけの余力が飛行速度の影響で残っていなかっただけだったのか。
そうだと気付かず、まんまと術者相手に時間を与えてしまった。
妨害――間に合わない。
弩弓隊の如く降り注ぐ氷槍。
蒸気機関車に仕掛けられた魔法は、単純な物理衝撃に対する物。
単純な魔物との接触を計算していただけであり、魔法による襲撃までは考慮されていなかった。
それを鉄の強度で受け切る事は、不可能であった。
振り下ろされれば、無慈悲に車両を蜂の巣にするであろう。
「バーニングウォール!!」
だがその魔法攻撃は、車両に届く事は無かった。
燃え盛る炎の壁に飲み込まれ、溶解した結果その勢いを大きく減じる。
完全消滅とまでは行かなかったが、精々窓ガラスが割れる程度の威力にしかならなかった。
「時間稼ぎに付き合って貰うぜ! 掛かって来い!」
恐怖を噛み殺し、その鋭い眼差しでアイスドラゴンを射抜く。
半人半魔の青年、ルナールが吠えた!




