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156.迫り来るドラゴンの脅威

 ルークの発令した第一種警報。

 警報の内容にも段階がいくつか存在しているが、この第一種警報はその中の最上位。

 この街全て、住まう住人の命全てを侵しかねない、最悪の事態にのみ発令される最大の警報。


 この警報を受けた人々は、最初は何かの間違いだと思い込んでいた。

 だが空を仰ぎ見た者達が、次々と青ざめていく。



 ソルスチル街に、最大級の混乱が発生するのであった。



―――――――――――――――――――――――



 ルークは、目の前に突如現れた災害に対処するべく。

 一人でも多くの命を救う為に。その行動を開始する。


 倒す? 論外。

 人々にとって最早自然災害と同意義――ドラゴンの襲来。

 あれを倒せるのは、それこそ御伽噺で語られるような伝説の勇者、もしくは決死の覚悟を秘めたフル装備の万軍でも無ければ話にならない。

 それだけの兵力がソルスチル街にあるか? ある訳無い。


 援軍が来るまで持ち応える? 話にならない。

 援軍は、何処から来るのだ。

 それに敵は、最も頑強なソルスチル街の外壁をあっさりと踏み砕いてしまった。

 どうやって耐えると言うのだ。


 各自散り散りになって逃げる?

 これは少し考えたが、却下。

 極一部なら逃げ遂せるかもしれないが、一体どれだけの被害が出るか分からない。

 天を駆る風の如き災害から、どうやったら逃げられると言うのだ。


 一人でも多く、あのドラゴンという脅威から逃れさせる。

 普通なら、無理な話であった。

 騎馬兵にすら悠々と追い付き屠る、ドラゴンから逃れる速度など。

 それこそドラゴンと同じ様に、空でも飛べなければ。


「――どの道、時間を稼ぐ必要はありそうですね」


 ルークは決断する。

 空は飛べないが、ソルスチル街には今、世界で唯一、それに近いだけの速度を出せるモノが存在していた。



―――――――――――――――――――――――



「ここにある車両、全部繋げろ! 乗っけられる奴等全員乗っけるぞ!」

「武器以外の荷物は全部捨てさせろ! 拒む奴は蹴り飛ばせ!」

「急げ急げ! ドラゴンは待っちゃくれねえぞ!!」

「車両点検!? 馬鹿やってんじゃねえ! 点検してる内に食われるぞ!!」


 ルークは街の人々の命を救う可能性を、ミラの生み出した高速移動手段――蒸気機関車に賭けた。

 蒸気機関車による逃走を決断したルークは、このソルスチル街の防衛を担当しているルナールと共にいた。

 蒸気機関車の発車準備と、避難民を車両に収容するまでの僅かな時間を利用し、今後の方針を刷り合わせていた。


「――避難民と戦力を二手に分けます」


 ルークはその計画をルナールに伝える。


「蒸気機関車と路線を量産出来た後だというのが唯一の救いですね。一つをネイブル村へ、もう一つを地下拠点に向けて走らせます」


 だがその計画は、計画とも呼べぬ余りにも悲壮感に満ちた物であった。

 自分の命が賭けのテーブルに乗せられる事も考慮した上での、決死の逃亡劇。


「ドラゴンは一体のみ、だがその一体ですら我々では太刀打ち出来ないでしょう。真正面から戦えば全滅は不可避、最初から論外です。真逆の方向に走れば、少なくとも半分は助かります」

「どっちかが囮になれって事か!?」


 ルークの計画は、とてもルナールの納得の行く物ではなかった。

 この街に住む住民、その半分を切り捨てるかのような無常な決断。

 だがそれは上に立つ者としての、冷徹ながらも現実的な案であった。


「全員で当たれば――」

「不可能です。この街の戦闘要員は精々千人いるかどうかです。そんな数でドラゴンなんて相手取ったら全滅は確実です、それは今までの歴史が証明しています」


 ルナールの希望的案を、ルークは過去のデータも用いた上でバッサリと両断する。


 ドラゴンという存在は、この世界において度々現れ、そしてその全てが人々の歴史に爪痕として刻まれ続けた。

 どれだけ少なくても、何百何千という人々の命がその都度失われて来た。

 人々に出来る事は、勇者という奇跡が訪れるか、その災いが自分の頭上に降り注がない事を祈って逃げ惑うだけであった。


 勇者は、今この場に居ない。

 奇跡は訪れない。

 出来るのは、逃げる事だけであった。


「全滅するより半分生き残った方が余程良いでしょう?」


 ルークはニヤリと笑みを浮かべたが、その笑みは諦観を込めたものであった。


「ドラゴンがネイブル村の方へ向かったなら、あのドラゴンの対処は聖王都に押し付けます。ドラゴン討伐なんてのは、本来国家総出でやらねば不可能な所業ですからね」


 淡々と、ルークはルナールへ方針を伝える。

 その間も街中では巨大な轟音が炸裂し、ドーム状の駅の中は阿鼻叫喚の避難民でごった返していた。


「線路が途切れたら、散開しつつファーレンハイト内に逃げて下さい。ドラゴンが暴れてるなんて分かったら、いくら腐り果てた聖王都でも全力で動き出すでしょう」


 逃げた上で、誰かに託す。

 今のルークに出来るのは、それだけでしかない。


「地下拠点側に向かったなら……地下拠点に辿り着けるかが勝負ですね。ネイブル村と違って地下拠点は距離があります。ドラゴンの攻撃をしのぎながら、走り抜けなければならない距離が余りにも長い」


 二手に分け、一方はネイブル村へ、もう一方は地下拠点へと走り抜ける。

 無茶な案なのは、ルーク自身も分かっていた。

 だがそれでも、やるしかない。

 普通の手段で逃げたら、ほぼ壊滅だ。

 蒸気機関車の始動までの時間を稼ぎ、車両と路線を守り、敗走する。

 一人でも多く助かる為の、ルークが考えた現時点での最良。


「だがその分、地下拠点まで逃げ切れればほぼ生き残れるはずです。あのドラゴンが、地下数百メートルの場所に位置する地下拠点に攻撃を仕掛けられるとは思えませんからね」

「暢気に穴掘りしてるドラゴンなんて、想像も付かないしな」

「地下拠点に逃げ切って、もしくは途中で諦めて転進した所で、ネイブル村方面の面々はそれだけ時間を稼げば逃げおおせた後でしょう。逆もまたしかりです」


 ネイブル村行きと地下拠点行き。

 どっちがドラゴンと逝く地獄の弾丸列車の旅になるかは分からない。


「――ルナールくん。どっちに行くかは分かりませんが、地下拠点側を任せます。僕はネイブル村方面へ乗り込みます」

「……分かったよ」


 ルナールは、納得はしていない。

 だが代案を思い付かない現状、それに頷く以外無かった。


「あんな理不尽な暴力、僕達なんかに勝てる訳がありません。ですから、死力を尽くして逃げ切って下さい」



―――――――――――――――――――――――



「は、はは……クソッ、何で、何で俺なんかがドラゴンと戦わなきゃならねえんだよ……! おかしいだろ! あんなの勝てる訳ねえだろ! 逃げるしかねえだろぉ!?」

「だから尻尾巻いて逃げるって言ってんだろうが! 脚でチンタラ逃げてたらあっと言う間にドラゴンの腹の中だ! 死にたくなかったら死ぬ気で時間稼げ!」


 ソルスチル街に駐留していた、治安を維持する自警団。

 そして近隣の魔物を討伐するべく出稼ぎに来ていた傭兵達。

 彼等は今、垣根など無関係に共同でその脅威に立ち向かっていた。


「建物囮にしてチョコマカ逃げ回って時間稼げ! 盾にしようと思うなよ! こんなガラクタ、ドラゴンの力じゃ紙切れ同然だ!」


 物陰からドラゴンへ向け、魔法攻撃を仕掛ける。

 炎弾が、稲妻が、風の刃が。

 次々にドラゴンの体躯を捉え、炸裂していく。


 ……だが、そのどれもが致命傷になり得ない。


 全力で発動した魔法はドラゴンに対して掠り傷一つ付ける事叶わず、精々不快感を覚えさせる程度にしかならない。

 ダメージ云々の前に、そもそもの勝負の土俵にすら立てていない有様だ。

 だがそれでも、ドラゴンの気を引く事は出来る。

 ドラゴンは人々が密集している駅、そしてそこから伸びる線路から目を離し、不快感の元となっている攻撃元を叩き潰すべく、その体重を乗せた脚を踏み降ろす!

 ドラゴンに敢えて見付かるように行動しているのは、主に最も機動力に秀でた一団。

 ドラゴンの気を引き、攻撃をさせるように誘導し、そして全力でその攻撃をかわす。

 そしてその攻撃をドラゴンが叩き付ける都度、その区画の建物が砂上の楼閣以上に儚く、崩壊していく。

 飛び道具によって気を引き、全身をバネのように躍動させ、ドラゴンの攻撃を回避し、また攻撃を加える。

 無駄だと分かっていても、彼等はそれを続ける必要性があった。

 自分達が逃げる為、この街の人々を死なせない為。

 初めから勝ち目の無い、囮となる陽動作戦。

 街路を駆け、建物に身を隠し、外壁によじ登り、少しでもドラゴンが不快に感じるよう。

 一時間を、一分を、一秒を。

 どれだけの住居が、財貨が、犠牲になろうとも。

 この街の命を守る為、そして自分自身も生き残る為。

 この街に存在する、全ての戦える力が、一丸となってその災いに立ち向かっていた。



 ――そして、遂にその時が訪れる。



 駅から現れる、鉄の体躯。

 徐々に加速を始める、何の才能も無い人々が到達し得る、現時点での最高速度。

 決死の逃避行、その足となる蒸気機関車が加速を始める。

 その稼動音は幸いにも飛び交う攻撃魔法の爆裂音と、命懸けで囮が路線から距離を引き離した事、そしてドラゴン自身が生み出す地響きの音に掻き消され、ドラゴンには現状届いていなかった。

 ドラゴンの視線もまた、鉄道とは無関係の明後日の方向を向いており、それには気付いていない。

 加速し、徐々にトップギアへ向けて速度を上げていく蒸気機関車。

 だがまだだ。

 速度が乗らない内は、鈍牛同然。

 ドラゴンから逃げ切るには、もっと速度が必要だ。

 待つ。

 充分な速度が乗るのを。

 そして来る。

 撤収の合図である、蒸気機関車の警笛が街中に響き渡った。 


「アレだ! 全員飛び乗れ! 最終便に乗り遅れるヘマすんなよ!」


 警笛の音に気付き、建物を倒壊させながらその身体を反転させるドラゴン。

 その視界に捉えたのは、見た事が無いような異様な車と、その車に次々に飛び乗っていく煩わしい羽虫達。

 しかしながらこの車、妙に早い。

 それはドラゴンが今まで見た、どの駿馬よりも早かった。


 側面の手摺に、車両の屋根に、がら空きの貨物車両に。

 次々に飛び込み乗車を開始する陽動達。

 ネイブル村へ向かう蒸気機関車は、何の問題もなくその鉄路を走り抜けていく。

 だが、地下拠点へ向かう側の兵達から、悲鳴の声が上がる!


「おい! 扉が開いてねえぞ!?」

「良く見ろ! 開閉装置のある場所はドラゴンが押し潰しちまってる! オマケに外壁が潰されたせいで扉が歪んじまってんだ! あれじゃ開く訳無いだろ!」


 普段、魔物の侵入を防ぐべく閉ざされている開閉扉。

 その扉は白霊山側にあったのが祟り、最初のドラゴンの襲来の影響で扉の開閉が不可能になってしまっていた。

 魔物を阻む扉が、今は人々の脱出を阻む壁と化していた。


「だったらぶっ壊せば良いだろ!」


 乗り合わせていた、痩躯の男から飛び出した鶴の一声。

 その声に賛同した者達が、一斉に扉に向けて魔法攻撃を放つ!


 幾つもの魔法が混ざり合った、大爆裂が発生!

 扉の大部分を打ち壊し、その残った破片を蒸気機関車が打ち破り、ソルスチル街を抜けていく連結された二台、二編成の蒸気機関車。



 現時点での死傷者、計数十名。

 鉄路を駆ける、死の鬼ごっこが幕を開ける――。 


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