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155.頂点、強襲

 遠目で見れば、男とも女とも分からぬ、中性的な風貌。

 その人物は貼り付けたような笑顔を浮かべ、一寸先すら見えぬ暴風雪の中を淡々と歩いていた。

 その吹き抜ける風は余りにも冷たく、生物であらば体温を奪い命を削る死の風。

 しかしながら、どう見ても防寒機能を持っていないような軽装にも関わらず、その人物は悠々とその吹雪の中を歩み続けた。


 そして、目当てのモノ(・・)をその眼前に捉える。


精神掌握マインドマニピュレート


 口から放たれた言葉は、全てを飲み込む白銀の風に呑まれて消え失せる。

 だが、放たれた魔法の効果は的確にそれを撃ち貫いていた。


「かつてはあれだけ居たというのに、もう余り野性で生息している種というのは居ないのですねぇ。お陰で中々探すのが手間でしたよ」


 やれやれ、とばかりに大仰な動作で肩を竦める。

 そしてその人物は、目の前のモノの「認識」を歪めていく。


 今日は何をして過ごそうか?

 何かしなければならない事は?


 その悪しき術式を用い、その人物にとって都合の良い様に。

 目の前の命の在り方を歪めていく。


 ――そして、全ての「認識」を歪め終える。

 

 それは、まるで地鳴りの如き振動を周囲に響かせ。

 どんな生物も聞いた事が無いような、魂をも萎縮させる咆哮を轟かせた。


「精々、最強の種という名に恥じぬ働きをして下さいねぇ……!」


 かつて精霊教会にてヒュレルという名を名乗り。

 黒衣の大男からはナイアルと呼ばれた男の姿がそこにはあった。



―――――――――――――――――――――――



 特に変わった事もない、何時も通りの執務室。

 ソルスチル街に居を構え、かれこれ数十年。

 一通りの書類仕事を仕上げたルーク・ラインハルトは椅子に背を預けながら大きく身体を伸ばした。

 小さく息を吐き、ルークはそれまでの書類内容を頭の中で反芻していた。


 あれから年々ソルスチル街は成長を続け、それに伴い居住地も増え続けた。

 街が栄えるにつれ、出稼ぎではなくこの街に腰を据える定住者も増えるようになっていく。

 人が増えれば物資も必要になり、ソルスチル街が消費する資源の量も増加の一途を辿った。

 資源の搬送問題を解決するべく、前々からミラが示唆していた第二の路線の開通事業も行った。

 線路だけ増やしても、そこを走る蒸気機関車の数が増えなければ何の意味も無い。

 よってミラの残した設計図や、自分達が携わった製造の知識を用い、第二、第三の車両を次々と量産していった。

 その甲斐あって、当初は数週間に一度しか無かった蒸気機関車の便が、日に数度という頻度で走るようになっていた。

 この路線拡張のお陰で、ロンバルディアの地に存在する寒村同士のネットワークもより強固な物へと変化しつつある。

 日に数度走るという安心感のお陰で、遠方に住むというデメリットも減り、急病人等が出た時の安心感も高まっていく。

 特産物、保存食、薬品等の搬送も円滑に進むようになり、ファーレンハイトよりも遥かに痩せた土地でありながら、ロンバルディアは豊かで便利な地へと生まれ変わりつつあった。


 しかしそれに伴い、上に立つ者の負担もまた比例するかのように増え続けた。

 税収の管理、街中のいざこざを解決する為の自警団の設立。

 海洋資源の問題を解決するべく組合の設置、蒸気機関車の稼動に必要な石炭を主とする物資の輸出入……

 次から次へと仕事は増え、年々仕事が増えていき、ルーク自身の自由な時間というのはどんどん減っていった。


「権限が増えれば仕事も責任も増える……父の姿で理解はしていましたが、実際にやるとなると……」


 こうも辛いとは。

 大きく溜息を吐くルーク。

 その憂いを帯びた表情も、美形である彼がするとまた妙に様になるのであった。


「――新造した蒸気機関車の稼動も問題無いようですし。これなら本格的に導入して、便を増やす事も出来そうですね」


 ルークは今後の予定を思い出す。

 そういえば、確か明日はグレイシアル村に氷魔結晶(ひょうまけっしょう)を取りに行く予定があったな。

 それと、物資が減ってきたからネイブル村まで、また資材を取りに行かねばならない。

 人が増えた事で食料を初めとした資源の消耗が激しい。蒸気機関車と路線を早めに増産しておこうという判断は正解だったようだ。

 少し早いが、ルークは部下に蒸気機関車の発車準備を整えるように伝えておく。

 指示が末端に伝わるまでの時間と、蒸気機関車が本格的に動き出せるようになるまでの時間を考えれば、少し早過ぎる位が丁度良いだろう。

 ルークは部屋に缶詰状態で滅入った気分を晴らすべく、屋外へと出る事にした。


 ルークの普段生活している建物は五階建てであり、このソルスチル街の中でも一際高い建物の一つでもある。

 ルークの執務室はその五階に位置しており、この部屋からはソルスチル街の様子が一望出来るようになっていた。

 そして今ルークがいるのはその更に一つ上、即ち屋上であった。

 ソルスチル街を吹き抜けていく潮風が、ルークの鼻腔をくすぐる。

 磯の香りと共に、ほんの僅かだが食欲をそそる匂いも飛んでくる。

 時刻的には、そろそろ昼飯時である。

 自分も食事をするか。

 そう考え、屋上から降りるべく踵を返す時。

 ルークは、僅かな違和感を覚えた。

 どちらを向きながら踵を返すかは、ただの気まぐれであった。

 もしこの時、ルークがファーロン山脈側を向くようにしていたなら。

 それに気付くのが遅れていたかもしれない。

 そう、ルークはたまたま白霊山(はくれいざん)側を視界に入れるようにしていた。

 そして、黒点の如き違和感をその目に捉えた。

 捉えて、しまった。

 その違和感に任せ、ルークは目を凝らす。

 その黒点のようなモノは、空中で動いていた。

 それは真っ直ぐに、このソルスチル街へ目掛けて迫っていた。

 徐々にその姿を大きく、この地へ近付けながら。


「あれ、は――」


 普段は比較的冷静な部類のルークであるが、流石にこの時はその脳内が混迷を極めるのも無理は無い話であった。

 何かの間違いだ。あってはならない。

 だが普段から冷静なルークであるが故に、混乱から立ち直るのも早かった。

 そしてそれが、間違いなくこちらに向けて飛来しているという。紛れもない事実を受け止め、冷静に行動を開始する。

 少しでも早く、一分一秒も無駄に出来ない。


 備えというのは、しておくものである。

 ルークの執務室には、ソルスチル街全域にその声を届けるべく、ミラが生み出した拡声器が設置されていた。

 だが普段、こんな物を使う用事など無かった。

 以前発生した聖王都の進軍は事前に察知出来たし、そもそもそれ以外でこの街が危機に陥るような事態などこの数十年、一度も無かったのだから。

 自然災害だってそうだ。

 海が荒れる事は何度もあったが、ミラが防波堤という事前に被害を潰す設備を生み出していた為に、死者など一人も出なかった。


 だが残念な事に、ルークはその拡声器を初めて使う羽目になってしまった。

 冷静であろうとしたが、その口調から滲み出る混乱と恐怖は隠し切れないのであった。



「第一種警報発令! 白霊山(はくれいざん)方面より――」



―――――――――――――――――――――――



 それは、人々にとって恐怖の象徴とも言えるモノであった。



 それは、ソルスチル街より更に遠方。

 北の最果てにして、前人未到の極寒の地、白霊山(はくれいざん)より現れた。

 それは長き冬眠、まどろみの淵から強引に目覚めさせられた事で、酷く飢えていた。

 その影は徐々に大きくなっていき、そして――



 ソルスチル街の外壁が、まるで子供の積み木を崩すが如く。余りにもあっさりと崩れ落ちた。



 それの重量を受け止められる程の強度も重量も無いのだから、それは予定調和であった。

 崩れ落ちた外壁の上に、生態系の頂点たるその姿を堂々と晒す。


 背景を飲み込む程に巨大な体躯。

 猛禽類の脚を何処までも鋭利に、巨大化させた脚。そしてそれと同様の鋭さを持った爪、腕。

 鮫の持つ鋸歯の如く引き裂き、貫き、噛み切る事が出来る、一本一本が岩塊程の大きさを持つ牙。

 その全身は深海を思わせる深く暗い、青みを帯びた鱗に包まれており。

 大きく広げられた皮膜状の翼には傷一つ無く、翼を含めた大きさならばこのソルスチル街の10分の1は包み込んでしまうだろう。

 大地の底から轟くが如き、その咆哮が大気を揺るがす。


 生態系の頂点は、この世界において決して人間では無い。

 そして、その頂点が一体誰なのかと問われれば、大抵の人間はそれを挙げるだろう。



 絶対なる天地の捕食者――ドラゴンの姿が、そこにあった。



征伐編本編、開始

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