15.中央市場と奴隷
礼を述べてアレクサンドラと分かれた私は、ファーレンハイトの中央市場へと向かう。
世界最大を誇る国が店を広げている場所なのだ、その規模は圧巻の一言に尽きる。
品揃え豊富、同業者が価格競争を行い、店主達が商売トークを大声で張り上げている。
全部を見て回っていたら日が暮れそうな程である。
活気がある事は良い事だ、その活気がちゃんと国全体に波及してればだけど。
おっと、そんな事はどうでも良いか。
私は私の目的をここで果たさなければいけない。
買うべき物資の内容を頭の中で整理し、善は急げで買出しを開始する。
木材は必要だし、鉄だって必要だ。
流石にノコギリやヤスリの類はこの世界でも買えるのね、なら有り難く買って行きますか。
おっと、一番肝心な食料も忘れちゃいけないわね。
特に鉄に関してはこれから先、どれだけ消費する事になるか検討も付かない。
だが、今すぐに全てを揃える必要は無い。
現時点で必要な必要最小限を用意すれば良い。
キロトン単位あっても足りるって断言する自信は無いし、それを一度に買うの仮に金銭が足りたとしても供給が追い付かないだろう。
買った資材は片っ端からものぐさスイッチの亜空間内に収納していく。
金貨の詰まった麻袋が一つ、また一つと溶けていくが、全く問題ない。
必要な先行投資だ、無駄な物は買ってないのだから惜しまず気前良く行きましょう。
市場をスミからスミまで見渡し、どんな物があってどんな物が無いのかを把握し、頭に叩き込む。
これは今後の金策の為にも必要不可欠な行為だ。
ファーレンハイトはこの世界で最も栄えている国だ、
その国の中央市場で揃わない物など無いと言っても過言ではないだろう。
この世界に存在しない、便利な物を作る事が出来ればそのシェアを独占出来る。
そうすれば立派な資金源になってくれる。
聖人君子なら、そういったモノの知識を無料で配ったりするんだろうけど、私は別にそんなんじゃないし。
モノや知識が欲しいなら、金を積みなさい。おーっほっほっほ。
そんな調子で市場を見渡し、私は確信した。
アルフやルドルフの家で暮らしてる内に薄々感じてはいたけど、
この世界、「アレ」が無い。
アレは衛生事情、ひいては健康にも密接に関係する代物だ。
私自身、アレが無い生活にはもう好い加減我慢の限界である。
じゃあ作るか、どうやって作る? 材料は?
――ある。
思わず口元が歪む。
鉱山の破棄を提案した無能に本当感謝ね、あんな宝の山を残してくれるなんて。
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資材については一先ず今後の当面の活動には困らない程度には備蓄出来た。
道具もある、金もある、土地もある。
最後に足りないのは、人手だ。
私一人であれもこれも出来るのであらば、私はそもそもこんな場所にいないのだから。
勇者様にこんな場所、付き合わせるのも悪いからね。
つい先程、市場で買った顔全体が隠れる仮面を被る。
外套は、今着てるので問題無いか。
問題は声か、こればっかりは――気合入れるしか無いわね。
「風の音よ、我が意に従え。ボイスシェイカー」
ああ、身体からなけなしの魔力が抜けていく。
しんどい、やっぱやるんじゃなかった。
でも、これもやっておけば完全に私の気配を消せる。
奴隷商なんてアンダーグラウンドな商売、裏の世界の連中と繋がってるのなんて容易に想像出来る。
万が一にもそんな輩に目を付けられれば、面倒な事になるのは確定だ。
そういった連中に影も形も掴ませない為には、見せる情報はなるべく少なくした方が良い。
あのダイヤモンドの出所だって、わざわざアレクサンドラに頼んで有耶無耶にして貰ったのだ、
こんなしょうもない所で足を出す訳には行かない。
背丈ばっかりはどうしようもないけど、これで外観に性別に声、全部隠せた。
これでもう、裏の世界の連中に睨まれるような事があっても私へ辿り付く事はほぼ無いだろう。
私は中央市場から離れ、裏路地の散策へと入る。
今使った能力、この世界じゃ魔法か。
これは簡単に言えば声を変える魔法だ。
声とは、声帯から出る空気の振動によって発せられる物。
だから、空気振動の振れ幅が変われば聞こえる声も変わる。
ヘリウムガスを吸うと声が変わるが、あの状態を擬似的に再現するものだ。
この能力を使用し、一時的に声を若い男性の声に変更させて貰ったわ。
裏路地の散策を開始して数十分後、ようやくお目当ての人物を見付ける。
その男は痩せ細ったニキビ面をしており、身体にはそれなりに使い込んでいるであろう鉄のブレストプレートに剣を腰に下げている。
隣には薄汚れた肌をし、肌着一枚しか着せられておらず、生傷が至る所に残ったボロボロな姿の女性がいた。
男の左手には頑丈な鉄の鎖が握られており、その鎖の先は女性の首に掛けられた鉄製の首輪へと繋がっていた。
この世界に奴隷が存在する事は知っている。十中八九、この女が奴隷なのだろう。
という事は、この男は奴隷を買ったという事だ。
「お忙しい所済まないが、ちょっと訪ねたい事がある」
「あん? 何だチビスケ?」
「その女、奴隷だろう? 何処で買った?」
「何処だって良いだろそんなの、一体何の用だよ」
「俺も少々、奴隷を買おうと思ってな。店が何処にあるか教えて貰いたい」
「何でんな面倒な事しなきゃならねえんだよ」
こうなる事も予測済み。
こんな所で油売る主義は無いの、さっさと教えなさい。
私は男の空いた片手に、金貨をそっと5枚程握らせる。
「教えてくれよ。俺も溜まってんだ、そうケチケチせずにさぁ」
渡した袖の下の金額が思っていたよりも多かったのか、若干目を見開く。
金額的に満足したのか、若干上機嫌になりながら男はペラペラと喋りだす。
「へっ……そこの奥の角曲った先に鉄の扉がある、開けると地下へと続く階段があるんだ。そこを訊ねると良いぜ」
「サンキュー、足を止めさせて悪かった。ゆっくり楽しめよ」
「ああ、楽しませて貰うぜ……へっへっへ」
チョロいぜ、甘いぜ、チョロ甘ですね。
名も知らない隣の奴隷さんには悪いんだけど、私には貴女をどうする事も出来ないわ。
精々頑張って生き延びなさい。
さて、そこの奥か。早速行くとしますか、私に足りない最後の力、人手を購入しにね。
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男が言っていた赤錆が浮いた鉄の扉を開けると、僅かに鼻に付く異臭が奥から漂う。
扉の奥には確かに階段があり、その階段を下りていく。
一段、また一段と降りる度に視界が暗くなり、それと同時に異臭が強くなる。
この臭いは――鉄や油、それに血と肉の腐敗臭かしら?
流石奴隷商売なんて後ろ暗い商売だけあるわね、薄汚い臭いがプンプンするわ。
階段を下りて道なりに進み、奥へと辿り付くとそこには一人の中年男性がいた。
こんな薄汚い場所にいる者とは思えない小奇麗な服装をしており、良い物を食べているのか、中々肉の付いた体格をしている。
こちらに気付いたのか、営業文句を述べてくる。
「いらっしゃいませ……おや、道に迷ったのかな? ここは子供が来る場所じゃないよ?」
「そう見えるのも仕方ないと思うが、俺は客として来たんだ。無論、冷やかしじゃない」
先程入手した、金貨の山の一部を見せる。
二、三十枚程を見せ金として目の前の男に突き付ける。
「金を出すなら誰でも客、商売人ってそういうものだろう?」
「……失礼しました、どうぞこちらへ」
男の左手には扉があり、そこの奥へ向かうように指示される。
大人しく指示に従い、扉の奥へと進む。
その奥には細い道があり、その両脇には細かく区切られた小部屋がある。
小部屋は鍵の掛かった鉄格子で封鎖されており、その中にはボロ着を着せられた人間――いや、人間以外の種族もいるか。
そういった面々が一人ずつ隔離されて入れられていた。
鉄格子には何かの木札が吊り下げられている。
まるで保健所か何かね、売れ残ったら殺処分にでもされるのかしら?
「お好きなモノをお選び下さい、お値段に関しては格子に吊るしてある木札をご覧下さい」
男はマニュアルに沿った言葉遣いで案内をし、こちらが買う代物を選び終えるのを待つべく、壁に背を預けて待機する。
選び終えたら言えって訳ね、なら遠慮なく全体を見させて貰いますか。
この空間には、三十名程の奴隷の姿が確認出来た。
老若男女、種族も分け隔てなく、実に様々な人物がいた。
何人買うかは決めてないけど、一番最初に選ばなきゃいけないのは決まっている。
目を閉じ、息を深く吐き出し、意識を視覚ではなく魔力へと集中する。
魔力に乏しい者、強い魔力を発する者、大小様々だが、その中でも一際強い魔力を発する者がいた。
奥から二番目右、そこね。
その鉄格子の奥に居たのは、一人の少女であった。
座り込んではいたが、恐らく私より背丈はあるだろう。
ただ環境のせいか痩せこけており、体重は私と似たり寄ったりだろう。
腰まで伸びた黒髪の毛先は座り込んでいる為に床に力無く横たわっていた。
木札を見ると、金貨五千枚と書いてある。
わーお。
中央市場で沢山買い物したからこの世界の大まかな経済事情や金銭感覚は身に付いたけど、
これは流石にかっとビング価格と言うしか無いわね、
ボッタクリも良い所よ。まぁ買うけど。
私の目線に気付いたのか、男が商品の説明をしてくる。
「そいつはかなりのレアモンですよ、何せエルフっていう長命な魔族なんですからねぇ」
「エルフ、魔族ねぇ」
「黒髪のエルフってのは中々居ないんでね、希少性は保証しますよ」
「いくらなんでも高過ぎやしないか?」
「わざわざレオパルドの地にまで乗り込んで、文字通り血を流しながら連れて来たんですから。その位の値は妥当ですよ」
「そんなもんか。所で、肉体労働をさせようと思ってるんだが、力の有りそうなヤツはいるか?」
「それでしたら、そこの半人狼の男なんてオススメですよ。かなり力強い種族でしてね、肉体労働させるにはピッタリだと思いますよ」
指された場所を見ると、そこに居たのはかなり大柄な男であった。
一見人間に見えたが、何か違和感がある。
違和感の正体は、頭に生えた耳であった。
人間の物ではない、あれは犬が持っているような耳だ。
それに、全体的に毛深い。
腹部は肌が見えているが、背中は完全に体毛で隠されている。
でも体格は良いわね、目測で180cmはあるんじゃないかしら?
「後は魔物退治なんかもしなきゃならんからな。腕の立つヤツがいれば欲しいんだが」
「腕が立つ、ねぇ。それなら……そこの男なんだが……」
若干渋りつつも、男は指し示す。
そこに居たのは、金髪碧眼の若い男であった。
この人物はどうやら普通の人間のようだ、年は多分十代後半位だろうか?
線は細く、食生活というより元々そういう身体つきなのだろう。余り身体に肉は付いていない。
「……こんな身体で本当に戦えるのか?」
「何でも昔、剣術を習ってたらしいんでな。剣の腕は立つそうだ、自称だがね」
まぁ、この三人位か。
これだけいれば、私の当面の活動には困らなそうだしね。
三人合わせて金貨七千枚か。
人の命を買うのだ、そんな物なのだろう。
「分かった、ならこの三人を貰おうか」
「なら金貨七千枚だな」
私は支払いをする為に、片手を外套の中へと入れる。
そして気付かれぬようにその片手でものぐさスイッチから取り出した麻袋を手にする。
男に手渡すと、男は懐から3枚の書類を取り出す。
「こいつが奴隷契約書だ、この書類に書かれてる制約を絶対に守るように魔法で拘束してある。魔力を使って暴れようとしたり、逃亡を阻止する為に奴隷には首輪が付けてある。魔法の才能が無い奴は普通に鉄の首輪と鎖で繋いでおきゃ良いんだが、魔法を使える奴は特殊な首輪をさせないといけないんでな。あの金貨五千枚の女にはそれの代金も含まれてるんだ」
成る程ね、逃亡防止の特注首輪の代金込みって訳ね。
確かにあれだけの魔力の持ち主、そのまま放置してたら鉄格子を破って簡単に逃げ出せそうだからね。
「必要最低限の項目は契約書に書いてあるが、何か追記したい事があるならこの書類の空白にその事柄を明記して、奴隷の血判を押してください」
後で追記も出来るようになってるのね。
男が手渡してきた書類は、確かに妙に空白が多い。
それに、これは何か特殊な術式が仕掛けてあるわね。
後で集中して解析してみるか。
「追記し過ぎて空白が無くなったらどうすれば良いんだ?」
「その際はまたここに来て頂ければ、新たな書類の発行手続きをさせて頂きますよ」
「成る程、分かった」
書類は懐に仕舞うような動作で、ものぐさスイッチの亜空間内へと格納する。
男は鉄格子に巻き付けられた鉄鎖を解き、中に居る奴隷の腕を掴み、引っ張り出す。
一人ずつその首に鉄の首輪を取り付け、鎖を取り付ける。
内、最初の少女と三人目の細身の男にはもう一つ追加で首輪が取り付けられた。
三人全員に拘束具の取り付けを終え、鎖をこちらへと手渡す。
その鎖を掴む。
「また奴隷の所望があらば、是非とも当店まで」
「分かった、機会があればまた寄らせて貰おう」
二度と来ないと思うけどね。




