148.恫喝
――跳ぶのは、五秒後の時間軸。
原初の新星が地表に死の頬擦りをした、灼熱地獄の世界。
「魂魄簒奪、起動――宣言通り、塵も残らなかったでしょう? さて。もう大半の兵がいなくなったけど……まだやる気かしら? ファーレンハイトの御馬鹿さん?」
音声機能を利用し、ミラは僅かに残った敵兵に向けて選択を迫る。
尻尾巻いて逃げるか、徹底抗戦か。
「あれはまるで――戦女神――」
大半の兵が無へと帰した事で、フレイヤの音声収集機構が遠方に位置していた何者かの声を拾う。
その声には明らかに動揺が滲み出ており、最早残った兵達に戦意と呼べる物は欠片も残されていなかった。
――この日以後、数百年の時を経た世界にも轟く、伝説として語り継がれる物語。
一日と経たず、五万もの兵がただ一人の手によって壊滅した奇跡の戦。
厳冬の地であるロンバルディアに、天の業火が出現した日。
奇跡的にも生き延びた兵達は、口を揃えてこう言ったという。
――ロンバルディアには、白銀の戦女神が住まう、と。
ロンバルディアの地に降り立った少女、ミラ。
彼女のもたらした知識は世界を変革し、彼女の振るう力は万軍をも退けた。
ファーレンハイトからは死神の如く恐れられ、ロンバルディアからは自由の象徴として。後世の世で称えられるようになるのであった――
―――――――――――――――――――――――
聖王都の貴族の一人、ローランド・エルンストは生き残った自らの私兵を率い、脱兎の如くロンバルディアの地から逃げ出していた。
「冗談じゃない――ッ! あんな、あんな化け物がいるだなんて聞いていないぞ――ッッ!!」
元々余り肉付きが良い体格とは言えない男であったが、ミラの手で行われた戦いとは言えぬ、虐殺の光景を目の当たりにした結果、一気に痩せこけ、やつれてしまったような印象を受ける。
仕立ての良い高級な布地を使った衣服を身に着けていたが、そこに泥が跳ねる事すら厭わない、形振り構わない逃亡劇であった。
貴族の中でも余り地位が高くないエルンスト家は、目の前に降って沸いた勝ち戦への参戦に対する意気込みは誰よりも強かった。
この戦で武勲を立て、貴族としての箔を付ける。
正にチャンス到来であり、他の何者をも押し退け、国王陛下に自らを参戦させるよう志願した。
結果、戦列に加えて貰う事こそ叶ったものの、その位置は最も最後尾という始末。
華々しい戦果を上げられるであろう一番槍は大貴族の一角に奪い取られてしまった。
こんな位置ではロクに活躍など出来ない、だというのに戦費だけ強いられるという正に貧乏くじの位置。
恐らく他の貴族が手を回し、エルンスト家が増長するのを防ぐべく行動した結果なのだろう。
だがその嫌がらせが、皮肉にも彼の命を繋ぐ結果となった。
戦いなどとは呼べない、蹂躙して終わり。
実際、その通りの結末であった。想定していた結果が真逆という事を度外視すれば。
それはまるで御伽噺のような、現実離れした結末。
蹂躙するはずが、蹂躙され。
ただの一人に、五万を超える兵の大半が焦滅させられた。
「何なんだ……ッ! 何なのだ!! あの化け物はあああぁぁぁぁ!!」
未だ恐怖の渦中にいるローランドは、自らの乗る馬に狂ったように鞭を叩き付け、全力で逃走する!
後ろは振り向かない、振り向ける訳が無い。
後ろを振り向いて、もしそこにあの全身鎧の化け物の姿があったらと考えたら――
嫌だ! こんな所で死にたくない!
目上の貴族共に媚びへつらうのも大元を鑑みれば、労せず安心して人生を送りたいからだ。
苦しいのも、痛いのも嫌だ!
ましてやこんな場所で、虫けら同然の死に方などしたくない!
走る、無茶を承知で走らせる。
ロンバルディアの地を駆け抜け、ファーレンハイトの地へと入る。
一番近くの集落で疲弊の限界に達した馬を乗り捨て、近くにいた商人に手持ちの金を押し付け、乗ろうとしていた馬を半ば強奪に近い形で買い取り、更に馬を走らせた。
同様の手段を数回繰り返し、一気に聖王都へと駆け抜ける!
乗馬の疲れなど感じなかった。否、感じる暇が無かった。
あの光景が、目に焼きついて離れない。
背中にまるでへばり付いたかのような死の恐怖が、疲れを塗り潰してしまっていたのだ。
聖王都の門をくぐった直後。
死の恐怖から逃げ切れたという安堵感と、限界などとうに振り切っていた疲労が原因で、ローランドは意識を失うのであった。
ローランドが目を覚ますと、そこには見知った天井があった。
身体を起こせば、そこは自らが暮らす屋敷の室内だ。
介抱していたという侍女に話を聞くと、ローランドは丸二日も眠りこけていたという。
意識が戻り次第、登城せよという国王陛下の命が出ていると聞き、ローランドは寝床から立ち上がる。
理由など、聞かずとも分かる。
自らが見た光景を、国王陛下に伝えるべく。
ローランドは身だしなみを整え、まだ疲れの抜け切っていない身体を押してファーレンハイト王城へと向かうのであった。
―――――――――――――――――――――――
「農奴でも何でも構わん! 十万でも二十万でも掻き集めて――」
「五万の兵が! 一時間しか持たなかったのだ!! それであの化け物に傷一つ与えられなかったのだぞ!!? 万歳突撃で、掠り傷すら与えずに人類滅亡がお望みか!?」
ファーレンハイト城、その会議室内に無数の怒声が飛び交う。
「一時間で五万を殺せるなら、一日あれば百万人は殺せるのだ! あの化け物は!!」
「コーネリアは一体何をしていたのだ!」
「あの女なら死んださ! 俺の目の前で、傷一つ与えられずに消し炭となってな!! あんなモノに勝てる相手など、最早勇者か魔王以外存在しない!!」
自らの頭を掻き毟り、王の目の前だというのに机に突っ伏すローランドの姿がそこにはあった。
「喧嘩を売ってはいけない相手だったんだ――ッ!」
虎の尾を踏んでしまった。
絶対に喧嘩を売ってはいけない相手に刃を向けてしまった。
脅しではなく明確な殺意を向けられたローランドからすれば、この国の長であるファーレンハイト王よりも、あの全身鎧の人物の方が余程恐ろしい相手であった。
「戦いは数だ! 数で押して勝てない相手など有り得ん!!」
「貴様はあの光景をその目で見ていないから好き放題言えるのだ! 死にたいなら貴様一人であの化け物に勝手に突撃していろ! 俺はもう絶対にロンバルディアには向かわんぞ!」
自らが目にした、その惨状を一言一句余す事無く伝えた。
だというのに目の前のボンクラ共は頭が沸いているのかと言いたげに、ローランドは目の前の貴族を口汚く威圧していた。
「……勇者は剣をこちらに返して隠遁、あの怪物に対抗出来る者は、もうこの国には――」
そこまで口にして、ローランドは口を閉ざした。
ロンバルディアは、元勇者の故郷だ。
そこを荒らすような命を、彼女が聞くとは思えなかったからだ。
「新たな勇者はいないのか!?」
「アレクサンドラ以上の存在は――」
貴族達の間で次々に飛び交う言葉を、会議室の上座――そこに腰掛けている、ファーレンハイト王は冷静に観察し続けた。
五万もの兵を容易く葬る、御伽噺としか思えない存在。
その力は、魔王や勇者と比べても何ら見劣りしないかもしれない。
そんな力を持つ脅威が、ロンバルディアという地続きの北方に現れたのだ。
魔族という最大の脅威と刃を交えている最中に、地盤を脅かし得る新たな敵対勢力が出現した。
動揺を隠し切れない貴族達を静めるべく、王は口を開いた。
「――静まれ、皆の」
「ハロー。ファーレンハイトの御偉方の皆様」
――言い終わる前。乾いた衝撃音と共に、会議室の外壁が吹き飛ぶ!
「雁首揃えてる良いタイミングだから、こっちの言い分を伝えに来たわよ」
「あ――――あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
全身鎧――フレイヤに搭乗したミラが会議室へと踏み込む。
その姿を目の当たりにしたローランドが、断末魔の叫びとでも例えたくなるような絶叫を上げ、椅子から転げ落ちた!
「――貴方が、今代のファーレンハイト王って訳ね。初めまして、ロンバルディア地方で暮らしてる民衆の一人、ミラと申します。つい先日、そっちが差し向けた軍勢をほぼ壊滅させた張本人でもあるわね。こっちに壊滅の情報を持って帰った連中がいるだろうから、既に知ってるだろうとは思うけどね」
適度に軍勢を蹴散らし、追い払う程度に留める事はフレイヤに乗ったミラであらば可能だった。
だが、それではここまで腐りきった聖王都の上層部は同じ事を繰り返すのは想像に容易い。
だからこそミラは、敢えて大量虐殺の手段を取った。
怒らせてはならない相手だという事を、明確な数字として突き付ける為に。
「これで分かったでしょう、私の力が。交渉のテーブルに上がる資格が無いとは言わせないわよ」
「――何が望みだ」
表面上は平静を装っているファーレンハイト王が、ミラに対し問う。
だが、その内心腸が煮えくり返っているであろう事は、その口調が震えている事から想像が付いた。
「そうね。『些細な』いざこざはあったけど。これからも『良き商談相手』でいましょう? 搾取対象じゃあなくてね」
ミラの目的は、別に聖王都を滅ぼす事ではない。
フレイヤというミラの持つ最強の切り札が起動した今であらば、その気になればこの王都の命全てを根絶やしにする事は可能だろう。
何しろ今は、聖王都最強の存在と呼べる勇者というジョーカーが不在なのだ。
決定的な英雄を欠いた有象無象では、ミラという存在に太刀打ち出来る者など皆無であった。
「――自国で生まれた技術や富は自国のモノ。これに関しては私も同意するわ。だけどその技術や物資に対して正当な対価すら払わず、略奪しようって魂胆は捨て置けないわね」
また、ミラは別段技術を秘匿しようという気も無かった。
明かせというのであらば喜んで開示するだろう。
だが、奪うという行為は決して許さなかった。
「幸い、こっちの人命には特に被害は無かった訳だし。水に流しても構わないと私は考えてるわよ」
「そうか、なら――」
「但し」
国王が口を開こうとしたが、ミラが更に続ける。
「アンタ等のせいでとんだ迷惑も被害も受けたわ。人的被害は無いけど、物的被害を受けた分はキッチリ賠償として請求させて貰うわよ。そうね、賠償金はルドルフ商会を介して頂戴。あそこには世話になってるし、私も信頼してるからね」
それと同時に、ルドルフに国王からの命で制限されていた商売の制限も解除する事を確約させた。
また、税を納めるのは当然だが、言い掛かりに等しい理不尽な税収も命じない事も盛り込んだ。
「――以上よ。これを守るならば、適切な税はしっかり納めるし、法も遵守するし、私はこれ以上そちらに対し武力的介入をする気は無いわ。だけどね」
ミラは機体を動かし、その一指し指を天へと向ける。
「――また私の友達に危害を加えようとするなら。原初の新星が今度はこの地に落ちる事になるわよ」
ファーレンハイトとロンバルディアの間に発生した武力衝突。
その戦いにて敗北を喫した聖王都が、ソルスチル街に対して賠償金を支払うという結果をもって幕引きとなるのであった。




