142.動き出す魔の手
私は、闇に紛れファーロン山脈の山中から目の当たりにした光景に驚愕を隠せなかった。
魔法にしては、感じた魔力と実際の破壊力の差が余りにも大き過ぎる。
感じ取った魔力反応の大きさは、それこそあの程度ならば一般的な魔法使いに毛が生えた程度の量でしかない。
凡夫にしか過ぎない取るに足らぬ力量だと言わざるを得ない。
だがその過程から生み出されたあの破壊力は、上級魔法に匹敵しかねない物であった。
以前、謎の鉄の塊に討たれた魔物ですら、直撃すれば粉微塵にされる破壊力なのは間違い無かった。
「あれだけの魔物を一撃で一掃しただと……!?」
所詮、失ったのは何処にでもいるような雑魚ばかりだ、そこは別に惜しいとは思っていない。
だが、差し向けた魔物を全て失ってしまった事で手駒が尽きてしまった。
魔物を服従させられるのは私だけだ。
そして服従させるには私のこの術式を刻んだ目で相手の目を見る必要がある。
故に、手勢を増やすには私が地道に魔物を束ねていかねばならないのだ。
「また集め直しか……」
正直、相手を甘く見過ぎていた。
どうやらロンバルディア地方に巣食う連中は、想像以上に力を付けているらしい。
そこらの魔物では話にならない、それこそ私が最初にぶつけた――
「いやぁー、探しましたよコーネリア。首尾はどうですか?」
後ろから聞こえてきた、ねっとりとした口調。
思考を停止させ、声の元へと視線を向ける。
「……ヒュレルか。一体何用だ?」
音も気配も無く、私の背後を取ったヒュレルという男。
教皇猊下に仕えているようだが、その正体は謎が多い。
聞いた事も無いような未知の術式、教皇猊下の直属として動いている地位の高さ、こうして私に気付かれずに忍び寄る力量。
経緯も正体もまるで分からない、得体の知れない人物。
一体、何者なのだ?
「ああ、実は予定が変わりましてね。一度戻って貰おうかと思ってここまで来たのですよ」
演技染みた挙動で両手を打ち鳴らし、ヒュレルは内容を告げる――
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「――よもや、あれ程の食料を生み出す事が出来るとはな」
ファーレンハイト王城の会議室内。
根を上げてこれで大人しくなるだろうという目論見で、市民風情が富む事によって、そこから王政に楯突くような突出した者が現れないようにするべく課した重税。
それを容易く跳ね除けたという事実は、流石にファーレンハイト王も予想外の結果であった。
あのような痩せた土地で、一体どうやってあれだけの食料を生み出せているのか?
「手の者に様子を見させましたが、どうも安定して継続的に食料を生産出来ているようです。あんな作物の育たない痩せた土地でどうやっているのかは分かりませんが、何らかの方法を用いて大量の食料を生産している事だけは確かなようですね」
手の者を送り込んでいた貴族の一人が、得た情報を国王に対し陳情する。
一年程様子を伺ったが、まるで飢えている様子を見せず、それ所か更に勢いを増して栄えていっているとの事だ。
税という抑止力を物ともせず、ロンバルディア地方に集結した人々は更に勢力を増していると。
「――なら、そろそろ収穫だな。頃合だろう」
我欲に溺れた、醜い笑みを浮かべる国王。
民を絞り上げるという手段で、叛乱の目を全て潰してきた王の決断。
「現状の三倍の税を課せ。従わぬなら強制徴収だ、反抗するのであらば――分かるな?」
「その際の一番槍は、私にお任せ下さい」
「いえ、私に任されよ」
「陛下、ここは私が――」
矢継ぎ早に、貴族達が出兵の先鋒にと挙手する。
その決断は、何時も通りであった。
財や人望が自ら以外の者に集中すれば、それが叛乱の芽吹きの一因となる。
ファーレンハイトの王たる国王以外に、富める者や人望を集める者が現れてはならない。
さすれば国が割れ、レオパルドの魔族共に付け入られる隙ともなる。
自らを支える屋台骨を齧る虫は、潰しておかねば。
自浄作用を失った、ファーレンハイトの上層部。
そこにはどこまでも邪悪な思惑が渦巻いていた。
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「――近々、このロンバルディアの地を聖王都軍と連携して攻める事になりそうです。ですから、コーネリアにはその前線を任せたいと思いましてね」
「……身を伏せる必要があったのではないのか?」
「教会自ら動くのは不味いのですが、これは国王陛下直々の勅命ですからねぇ……国王陛下の命であらば、従わねばならないでしょう」
愉快そうに口角を吊り上げ、短く笑うヒュレル。
「貴女程の人物が共に前線に立つと知れば、兵達の士気も上がるとは思いませんか?」
「当然だ」
「そうでしょうそうでしょう……ですから、魔物が全滅したのはある意味丁度良かったのではありませんか? 処分する手間も省けましたしね」
「分かった、ならば今から戻る」
「ええ、王都にてお待ちしていますよ……」
最早今ここですべき事は無くなった。
次にこの地を訪れる時は、この地は戦場となるだろう。
聖王都に戻るべく足を進めるが、ヒュレルはそこから動く気配が無い。
「……お前は来ないのか?」
「いえいえ、私は後で向かいますよ。お気になさらず、魔物程度なら私でもあしらえますので心配無用です」
ヒュレルに背を向け、私は聖王都に歩を進める。
野に伏せる為と魔物が近くにいたせいで私の身体は随分獣臭くなってしまった。
教皇猊下の下を訪れる前に、念入りに身体を清めねばならないだろう。
これも、武功を立てる好機か。
剣を向ける相手が魔族ではなく叛乱分子に代わっただけだ、大した違いではない。
人類の平和を乱すのであらば、誰であろうと征伐するのみだ。
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ルークは、聖王都より届いた書状をソルスチル街の自室にて目を通す。
その内容は余りにも唐突で、完全に言い掛かりであった。
「――現状の三倍の税、そしてルドルフ商会のロンバルディア地方での活動停止命令。従わねば……」
目を閉じ、想い耽るルーク。
同室していたルドルフは既に書状を渡されその道中で内容に目を通している為、そこまでの動揺は見られない。
だが、アランは憤りを隠し切れず、聖王都への悪態を吐露する。
「――以前は奇跡的にも納める事が可能だったが! こんなもの常軌を逸している!」
「……そうね。確かにこれは無理ね、時間も資金も人手も足りないわ」
アランとは対照的に、淡々と事実を述べるミラ。
普段は時間跳躍によってほとんどの時間軸に存在していないが、流石に緊急事態なのでルークの呼び出しでミラにはここまで来て貰った次第だ。
「従わねばどうなるかなど、ラインハルト卿の最期で嫌と言う程身に染みている! なら徹底抗戦するだけだ!」
「アラン、それは無理だ。んな事したら聖王都の連中が本気で潰しに掛かるぞ」
「この重税自体が本気で潰しに来てる証拠でしょうが!」
「そりゃそうだが、何とか話し合いで……いや、無理か」
自分で提案したは良いが、それは無いなと即座に自ら否定するルドルフ。
「ミラさん。正直僕にはどうすれば良いのか分かりません。大人しくこの地の権利を聖王都に明け渡して別の地に向かう位しか手が思い付きませんよ」
「――私としては、この豊かになった状況を遠い未来まで維持し続けられるなら、私の地下拠点も、ソルスチル街を含めその他集落が誰の所有になるのかってのはどうでも良いんだけれどね」
ミラは何時だって、自らが気楽に過ごせる土台を作る事だけを考えて行動し続けてきた。
その考えは初志貫徹、そしてこれからも変わらない。
だから、それ以外はミラにとっては瑣末な問題なのだ。
ルークやルドルフ達がこの街を治めていようと、ファーレンハイトの貴族達が治めていようと。
結果がミラにとって望ましいものであるならば、統治者は誰であっても構わないのだから。
「――ま、無理ね」
少しだけ考えに耽り、断じるミラ。
堕落、腐敗。果ての搾取や技術が停滞し何も前に進まず何も生み出さない。
彼女が今まで見てきた光景を基に、聖王都のお偉方にこの地を任せて、今現在のロンバルディア地方の大衆の生活レベルを維持出来る未来がまるで想像出来なかった。
「もしかしたら、最初の税もこっちに根を上げさせる為に仕向けた物だったのかもね。ちゃっちい嫌がらせ過ぎてまるで気付けなかったけど」
「……どうしますか?」
「私がどうするべきか、ってのはある程度纏まってるけど。この街を作るのに時間も財も割いたのはルークとルドルフさんですよね? その二人がどうしたいか、ってのが一番重要だと思うのだけれど?」
ミラはルークとルドルフの二人に視線を向け、両者の考えを口にするよう促す。
「僕は、この地に暮らす人々が外敵の脅威に怯える事無く、平和に暮らせればそれで良いと考えています。この地の人々の血や涙が流れるような事があってはならないと考えてます」
ルークはそう答える。
上に立つ者の模範的な回答であり、ソルスチル街の人々をルークが慕っているのが良く理解出来る物であった。
「ですが――」
「解決策はどうでも良いわ。どうなるのが理想的か、だけを言ってくれれば良いわ。ルドルフさんはどう思ってますか?」
現実的に不可能だ、という言葉を口に出す前にルークの言動をミラが制止させ、ルドルフに問う。
「文面からして、もう明らかに聖王都の連中はこっちに危害加える気満々だろうからなぁ。武力なんて手段を取られたら、商人である俺としちゃ尻尾巻いて逃げるしかねえよ。幸い、ロンバルディア地方での活動を制限されるだけなら、ファーレンハイトで商売やってく分には問題無さそうだしな」
「ルドルフ! あんな腐り果てた連中に屈する気ですか!?」
「そうは言っても、どうしようもねえだろ。俺としても、折角この地に根付いた部下達に迷惑なんか掛けたくねぇさ。でも現実問題、どうしようもないだろ」
「――ルドルフさんも、この地で暮らしてる人々……主に、自分の下で働いている従業員の生活を守りたい、って事で良いのよね?」
「そうだ」
ミラの問い掛けに素直に頷くルドルフ。
大きく溜息を一つ吐き出し、腕を組み視線を宙に泳がせ、どうするべきかを考えるミラ。
争いは決して生活を豊かにはしない。
トータルで見れば争いは必ずマイナスにしか働かない。
「――ファーレンハイトの連中って、昔っからこうよね。難癖付けて拒否したら攻め入って。駄々っ子と何処が違うのよ。あの頃から何も変わって無いのね」
目を閉じながら頭を掻き、自分の物ではない記憶を振り返りながら吐き出す。
その後――覚悟は決まったとばかりにその目を見開くミラ。
「面倒臭いから、ここいらで聖王都の連中にはキッチリお灸を据えてやらないと駄目そうね」
「ですが、一体どうする気なのですか?」
「あっちが望むなら、武力衝突――してやろうじゃない。今あるこの地の平穏を守る為なら、ね」
「勝算でもあるのか、ミラ?」
「…………これから、ロンバルディアにいる人々が私の指示通りに行動してくれれば、勝算はあります」
「一体、何をする気なのですか?」
「――ごめんなさい、それをここで明かす気は無いわ。でも、後腐れが無いように完膚なきまで叩き潰したいから、聖王都の連中には全力でこのロンバルディアの地に攻め入るように誘導するわ。具体的には、この書状の返答として国王様を思いっきり挑発して頂戴」
「――取り返しが付かなくなる選択肢ですね。ミラさん、流石にそれは今後どういう手段を取っていくかの詳細な内容を聞いてからでないと実行するのは……」
ルークの返答は最もである。
ミラの提示した選択肢は、全面戦争不可避の内容だ。
財力も、兵力も。何もかもが聖王都の方が圧倒的に上回っており、普通に考えれば勝算なんてある訳が無い。
だからこそ、ミラの考えている勝算の内容を聞かねば、ルークは納得が出来なかった。
「…………分かったわ。ルーク、それとリューテシア、リュカにだけは教えてあげるわ。私が、これから何をしようとしているのか、ね。一先ず、地下拠点に戻りましょうか。他の誰にも聞かせたく無いからね」
使わないで済むなら、使わない選択肢を取っただろう。
だが、振り上げられた拳が振り下ろされようとしている状況を見逃せる程、ミラは腑抜けてはいない。
腹を括ったミラは、ルークを連れて地下拠点へと戻っていく。
そしてミラは、ルーク達を説得するべく。
今まで誰にも見せていなかった、「切り札」を提示するのであった――。




