140.罠
コーネリアは、潜伏と試金石を投じた結果を加味し、今後の方針を練る。
ファーロン山脈にその身を伏せたまま、思慮する。
――あの鉄の車に、正面からぶつかるのは駄目だ。
それに、まだ何か隠し玉を持っていないとも限らない。
相手の戦力を推し量る為の捨石として使った魔物だが、それでも私が洗脳した魔物の中でも最強の魔物だった。
それがああも容易く始末されては、最早魔物如きにはどうしようもない。
だが、長く観察し続けた結果分かった事もある。
あの鉄の車は、地面に配置してある鉄の棒の上しか走らないという事だ。
ならば、あの鉄の棒から離れれば轢き殺される事は無いと言う事だ。
であらば、対策は容易だ。
あの鉄の棒自体に近付かなければ良い。
それに街にいる戦力も最初の襲撃の段階で把握出来た。
あの程度であらば、準備をしておけば魔物程度の力でも圧殺出来る。
私自ら直接動いて良いのであらば、圧殺ではなく瞬殺だって出来るのだが。
教皇猊下はあくまでも魔物の襲撃という形で終わらせるよう希望されている。
恐らく、私達の存在を悟られたくないのだろう。
教皇様から頂いた勅命。
静かに、そして確実に達成してみせる。
より自然に、そして確実性を高めるのであらば――
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「作物が魔物に荒らされている、ですか……」
ストルデン村に開墾した畑が荒らされているという報告を受けたルークは、ソルスチル街にて自らに与えられた自室にて小さく溜息を付く。
最早完全に新造都市であるこの街に根付いてしまったルークは、ミラやルドルフの助力を受けた結果、この街の事実上の責任者と化していた。
ルドルフはこの街の建造資金や作業員への給金等を支払っている立場なので、本来彼こそがこの地位に座るべきなのだろうが。
商人であるルドルフは頻繁にこの街からいなくなってしまうので、代わりにルークが、という事になったのである。
その為、聖王都から与えられた税収の解決に最近まで頭を悩ませていたのだが、ミラの提案により今回の法外な税を納める算段は立てられた。
ミラの地下農場計画が始まった事で、今後は安定した作物供給の目処が立ったと言えよう。
しかし、今現在ストルデン村にある畑はこのロンバルディア地方での貴重な食料を生み出す重要箇所だ。
地下農場はまだ開拓途中であり、食料を生み出せる状態にはなっていない。
確かにミラの地下農場と比べれば、この畑は気候に左右され得られる作物の種類に劣り量もブレがあるが、それでもソルスチル街で行われている漁と比べれば遥かに安定して食料を生み出している。
聖王都からの税収によって食糧事情が芳しくない現状、この畑が魔物によって荒らされるのは由々しき事態である。
故に、ルークの決断は早かった。
「分かりました。討伐隊を編成しましょう」
「移動はどうしましょうか?」
報告を持ってきた、傭兵の男の一人が尋ねてくる。
「確か、トロッコであらば既に量産が出来ていると聞いています。トロッコで移動すれば良いでしょう。魔物との戦闘によって不測の事態が起こるのはある意味当然です、そんな場所に蒸気機関車で向かう訳には行かないでしょう。アレは一つしかありませんし、ミラさんの知識があったからこそ作れた代物ですからね」
ミラが自らの知識を動員して作った蒸気機関車であらば、そこいらの魔物如きにどうこうされるような代物ではないのは薄々ルークは感じてはいるが、それでも安全を考えれば使わないに越した事は無いだろう。
ローラーチェーンという細かい部品をプレス機で容易に作れるようになった事で、トロッコ程度の代物であらば容易に量産する事が出来るようになった。
仮にトロッコが再び不測の事態で失われるような事になったとしても、再造が容易な分蒸気機関車よりも遥かにマシだ。
「しかし、ルークさん。実は魔物の動きなんですが――」
実際に一度魔物と交戦した、その傭兵の男の報告によると。
魔物もどうやら知識があるらしく、数が少なければ襲撃してくるが、畑を守っている人員が増えると襲撃を仕掛けてこなくなるとの事だ。
なら大量の傭兵を常に畑に付けておけば襲撃は無くなるのだろうが、それではコストが掛かり過ぎる。
大量の兵を魔物に向かわせると、魔物は即座に転進して山へと逃げ込むというのだ。
「――山狩り、は流石に無いですね」
木々に覆われて視界が悪く、斜面や枝葉で足元を取られ易い場所で魔物と戦うなんて想像したくもない。
魔物はそういう場所で暮らしている種が多い事を考えれば、山狩りを実行するのであらば、あちらのホームグラウンドで交戦する事になる。
もしかしたら、我々が痺れを切らせてそういう行動に出るのを狙っているのかもしれない。
……とても魔物が取っているとは思えない、野性味の欠片も見当たらない、計画性を感じさせる動きなのが少し不可解だが。
「兵を大量に常駐させるのもコストが掛かりますし、出来れば一網打尽にしてしまいたいですね」
「なら、やはり山狩りを?」
「それもしません。わざわざ不利な地形に足を踏み入れるのは兵を危険に晒すだけです」
「ではどうするのですか?」
「――そうですね……」
すぐに逃げてしまう魔物を掃討するのであらば、魔物を包囲して逃げ場を無くせば良い。
だが包囲するには、大量の兵が必要となる。
そして大量の兵を差し向ければ、魔物は即座に逃げ出してしまう。
こちらが包囲するより、魔物が逃亡する方が確実に早いだろう。
この状況下で、魔物を確実に包囲殲滅するには――
「――僕に考えがあります。一部の兵にかなり無理をさせると思いますが、上手く行けば魔物を一網打尽に出来るはずです」
策を考え付き、その計画を目の前の兵に告げるルーク。
「……大丈夫でしょうか?」
「こればかりは、兵の頑張りに期待するしかありませんね」
「分かりました。早速準備を進めておきます」
逃げられてしまっては元の木阿弥となってしまう。
脅威は可能な限り一網打尽にしておきたいので、無茶を承知でルークは打って出る事にした。
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ストルデン村。
天然の国境線とでも言うべきファーロン山脈に隣接する位置に存在するこの村は、山を隔てた先に存在するファーレンハイト領に気候状況が近く、ロンバルディア地方の中でもかなり温暖な気候を有している。
されど流石に北上した位置に存在している為、気候はかなり寒く、生育出来る作物は寒さに強い物に限定される。
しかしそれでも植える作物を考えれば、辛うじて農業を行う事は可能となっている。
そんなストルデン村に拓かれた、広大な農場。
先日の魔物による襲撃の爪痕はまだ残っており、一部の畑の土が掘り返され、食い散らかされた農作物が畑上に散乱していた。
耕作に勤める者達がある程度は片付けたのだが、魔物の被害は大きく、まだ全て元通りとはとても言えない状況であった。
応援で駆け付けた傭兵の手も借り、荒れてしまった畑を軽くならす。
後に畑を囲う柵の強化、そして仕込みを行っていく。
以前この畑を囲っていた、申し訳程度の柵を補強していく。
それが済んだ後、傭兵達はトロッコに乗ってソルスチル街へと引き揚げていった。
それから三日後の夜。
闇夜に紛れるようにして再び、ソレは現れた。
まるで背後から何者かが統率しているかのような不自然さ。
コボルト、ゴブリン、ランドウルフ――多種多様の魔物達が結託し、木々を掻き分け、ファーロン山脈からその姿を露にする。
魔物達の進路はストルデン村の畑、そこへと真っ直ぐに迷い無く猛進していく。
これらの魔物は一体一体の力量は然程強力だという訳でもなく、サシであらば新米の傭兵ですら勝利を収められる程度でしかない。
だが、これ程の数で攻め込まれれば、熟練した傭兵でも苦戦は免れない。
畑の監視として配備されていた寡兵が、魔物の接近を感知し怒声を飛ばす。
向かってくる魔物に向けて矢を放つ。
その一矢、また一矢が魔物へと突き刺さるが、弓兵に対し魔物の数が圧倒的に多い。
数体程度は射止める事が出来たようだが、その程度で魔物の濁流が止まる事は無い。
そもそも、この畑に配置されていた兵は十人程度である。
闇に紛れ迫る魔物の数は、月光の明かりにて薄っすらと照らされただけでも最低百体は下らないであろう大群なのは疑いようが無い。
これだけの数の暴力の前では、兵は無力に等しい。
畑を囲っていた柵を盾にしつつ、先鋒を任されていた剣士達が迫り来る魔物に刃を突き立てるが、最早この兵達に成す術は無い。
柵が食い破られる前に、徐々に後退を始める兵達。
撤退。
その文字が浮かびだすのは当たり前の事であった。
当然だ、この兵の数でこれだけの大群衆を止められる訳が無い。
ここにいるのは勇名轟かせる勇者でも、恐怖の象徴たる魔王でもない。
英雄でも何でもない、多少腕に覚えがあるだけの大衆でしかないのだ。
――そして、その時が来る。
柵が遂に破られ、力無くその木杭が薙ぎ倒される。
魔物の目的はただ一つ、その腹を満たす為の食料。
畑の内部へと次々に魔物が侵入していく。
しかし、兵達に焦りの気配は何処にも見られなかった。
畑に常駐していた兵達は、魔物が柵を食い破り、相当数が畑の内部に入り込んだ事を確認し。
首下に紐で下げていたそれを口に咥える。
予定通り警笛を吹き鳴らす。
闇夜を切り裂く、ホイッスルの音色。
それに呼応するように、魔物達の後方約十メートル先の地面から土埃が舞い上がる!
鉄板の上に被せられた土が、蓋となっていた鉄板を蹴り開けた衝撃で舞い上がったのだ。
地面にポッカリと開いた空間に埋没していた、三十名からなる討伐隊が一斉に武器を構え、魔物達の退路を塞ぐように背後に出現した!
「こんな狭苦しい場所に何日も押し込められてよお! この鬱憤は魔物退治で晴らさせて貰うぜェ!」
裂帛の気合と共に武器を振り上げた討伐兵達は、魔物の背後から一気呵成の勢いで急襲を仕掛けるのであった。




