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132.黒狼

 太陽が傾き、もうじき水平線へ沈もうかという時間帯。

 ファーロン山脈、その海岸沿いを疾走する影があった。

 その影は、およそ人の物とは思えない速度を維持しつつ、道を正確になぞるようにひた走る。


「――まあ、ギリギリ間に合うって辺りか?」

「出発が遅かったからな、急がないとソルスチル街に着く前に日が落ちちまう」

「特急料金が掛かってるんだ。頼むぜお前等!」

「お前等には悪いが、魔物の気配がしないからな。今回の仕事は楽させて貰えそうだぜ」


 人間が3人、半人半魔が1人。

 全員が男であり、その内、人間と半人半魔の二名が数打ちの剣やブレストプレート等で軽く武装している。


 ソルスチル街からファーレンハイト領末端部分に存在するネイブル村を繋ぐ、ファーロン山脈に沿うように伸びた鉄道。

 定期的に蒸気機関車がこの区間を往復し、他方から物資を集めたネイブル村からソルスチル街へと貨物を搬送している。

 しかしながら、時折急な物入りで蒸気機関車の運行を待っていられない時もある。

 そんな時は、トロッコを用いてこのように二つの区間を走り抜けて物資を取りに行っているのだ。

 ローラーチェーンを用いた、ミラからのお下がりであるトロッコの力があれば、この程度の区間距離であらば日帰りで往復可能である。

 今回トロッコに載せられているのは、腹痛に効く薬草1袋、軽い傷を癒す魔法薬が3本、そして酒樽が3つである。

 これに加えて乗員が4人なので、トロッコの積載スペース的にはかなりギリギリではあるが、どうせ荷物を運ぶなら一度にギリギリまで運びたいと思うのが心情である。

 時折、ファーロン山脈側から魔物が飛び出してくる事もある。

 しかしながら、この辺りに生息している魔物は比較的弱く、尚且つ群れる物がいない。

 なので装備を整え、ある程度場数を踏んでいる傭兵であらば一人でも容易に退ける事が可能な程度である。

 魔物自体を退けるのは容易いが、トロッコには物資が載せられているので、それを魔物から守らなければならない。

 その為、魔物が襲撃してきた際に実際に魔物に攻撃を加える者と、魔物から物資とトロッコの運転要員を守る護衛役として二人がトロッコに同伴しているのだ。


 魔物も現れず、平和に終わる。

 同乗していた護衛である武装した者達はそう考えていた。


 ――しかし、そんな考えは後悔する間も無く消え失せる事になる。


 ほんの一瞬。

 トロッコに乗っていた護衛二人はその違和感を感じた方向へ視線を向ける。

 そしてその正体を目の当たりにし、表情が驚愕に歪む。

 腰に携えていた武器に手を伸ばし――そこで全てが終わった。


 トロッコの上部を黒い風が走り抜け、乗員の姿が消える。

 後に残ったのは、何が起きたのかも気付かず、下半身だけをトロッコの中に残した四人の無残な姿。

 それまでに蓄積した運動エネルギーをそのままに、トロッコは黒い影の正体へと衝突。

 積載した荷物と事切れた死体と共に、夕暮れの海へと転落していくのであった。


 彼等を襲った黒い影の正体が、夕日で照らし出される。

 その肉食動物特有の鋭い牙が覗く口は、牛すら丸呑みに出来そうな程に大きく裂けている。

 どす黒い体毛に覆われた野犬のような風貌であるが、問題はその大きさである。

 ソルスチル街に暮らす屈強な大男と比較しても類の無い、むしろ比較対象は生物ではなく家屋と比べた方が良い程の巨躯。

 2、3階建て程の大きさを持つその獣は、口元から鮮血を滴らせながら、美味しそうに先程口にした代物を噛み砕いていた。


 そんな巨大な魔物の様子を、ファーロン山脈の木々の間から確認する一人の影。

 コーネリア・リューンと呼ばれるその女性は、ほのかに赤みを帯びた目を細めつつニヤリと笑う。

 

 ――素晴らしい。

 あの獰猛な魔物が、まるで自分の手足のように従い、動いてくれる。

 人目の付かない場所で実験を重ね、小さな魔物で術の効力を確かめつつ、少しずつ強力な魔物を掌握していった。

 そして、私はこの魔物を従えるに至った。

 知性の無い野生同然の状態でも、一般的な王都の兵が一個小隊で掛かってようやく互角という程の魔物。

 レオパルド領に隣接したファーレンハイトの端に生息しているこの強大な魔物を従えられるのであらば、この術式は十二分に役立つだろう。

 このような力を授けてくれた教皇猊下には感謝せねば。

 そして、その期待に答える為にも。

 このロンバルディアの地から汚らわしい者共を一掃してみせる!


 笑い声を噛み殺しつつ、コーネリアは息を潜める。

 そんな彼女の背後に控える、無数の瞳が山林の薄闇の中で怪しく光るのであった。



―――――――――――――――――――――――



「――ミラ。ちょっと良いかしら」


 リューテシア達が蓄積してくれている魔力を拝借し、未来へとタイムワープし続けている今日この頃。

 そんなある時、やけに真面目な顔付きをしたリューテシアが開口一番私へと報告と相談を持ち掛けてきた。


「結構深刻な事態になってるんだけど、相談に乗ってくれるわよね?」


 一応、任意の形を取ってはいるが、その実はほぼ強制といった感じである。

 よく見ればここの所マイホームがソルスチル街と化したルークまで一緒に同伴している。

 何だろう、何か問題でも起きたのだろうか?

 地下拠点水没以上の危機は無いと思いたいのだが。


「私に聞いて何とかなるかは分からないけど、まあ聞くだけ聞いてみるわ」


 リューテシアから相談の内容を聞く。

 何でもストルデン村~ネイブル村の間、ファーロン山脈を横切る路線上に凶暴な魔物が出現したそうだ。

 結果、鉄道によって支えられていたソルスチル街の生命線が現状断絶してしまっているとの事。

 今は街中に備蓄されている資材や食糧を消費して何とかしているようだが、いずれ枯渇するのは目に見えている。

 ストルデン村の付近には畑を切り開いて食料を生産しているが、ストルデン村と魔物の位置が近いので危険であり、畑に近付く事も出来ていない。

 その魔物は何故かファーロン山脈近辺から動こうとしないので、ソルスチル街がその魔物によって襲撃されるという事態にこそなっていいないが、物流が途絶えているという意味で大ダメージを受け続けているとの事だ。


「なら、その魔物を排除すれば良いじゃない。まさか退治するのが可哀想、なんて馬鹿げた事考えてる訳じゃあないんでしょう?」

「討伐も考えたのですが、あの魔物が居座っている地形が特殊なせいで正攻法に攻める事が出来ないのですよ」


 一度、ルーク達はソルスチル街に常駐している傭兵を率いて、件の魔物を討伐しようと試みたようである。

 しかし、魔物はルーク達の接近を感知すると奥へと引っ込み、絶妙に攻撃が届かない位置に陣取ったとの事。

 それを討つべく深追いした所、魔物は急激な速さで接近し攻撃を開始。

 幸いそういった可能性を考慮して動いていたルークの判断のお陰で、傭兵達に死者こそ出なかったものの、少なからず被害が出てしまったそうだ。

 こちらが退くと魔物は決して深追いせず、常にファーロン山脈を側面にするような嫌らしい位置取りをするという。


「――数で押そうにも路線の道幅は兵を展開するには狭過ぎて数の利が生かせない地形です。山肌伝いで側面から襲撃を仕掛けるのは論外ですからね」

「何で?」

「あの魔物は、確かレオパルド領からファーレンハイト領を跨る山岳地帯近辺を根城にしていた魔物のはずです。ですから山はあの魔物のホームグラウンドのような物です。対し私達は別に山で自由に動ける訳でもない、寧ろ伐採していない木々や傾斜が邪魔をして逆に不利になるでしょう」


 リューテシアの疑問に対し、ルークが事細かに説明する。

 リューテシアは魔法の才は突出しているが、戦闘という面でも優秀という訳ではない。

 戦闘の才能はルークが誰よりも突出しているのだ。

 そのルークが出した結論なのであらば、信憑性は非常に高いだろう。


「徹底して自分に有利な地形に相手を引き込もうとしている。アレはとても魔物が取る動きとは思えませんね」

「……なら、魔族って事?」

「そうとも、思えないんですよね。これはただの僕の勘ですが、シンプルな命令を受けた魔物の動き、のように思えます」

「――ま、話は大体分かったわ。百聞は一見にしかず、って言うしね。一つその魔物の面を拝みに行きましょうか」


 ソルスチル街は最早このロンバルディア地方での中枢と言っても過言ではない規模になっている。

 その街の生命線が復旧せねば、また私がこの世界に流れ着いた頃の寒村に逆戻りとなってしまうのは想像に容易い。

 さっさと元凶を排除して、物流を正常に戻さねばならないだろう。

 善は急げ、とも言うので私はリューテシア達と共に蒸気機関車を走らせ、現場まで急行するのであった。



―――――――――――――――――――――――



 蒸気機関車に乗り、魔物が陣取っているというポイント付近まで進む。

 運転はリュカ達に任せ、私とリューテシア、ルークの三名は寝台車両の上から前方を望む。

 走行中なので風は強いが、リュカ達に速度を抑えて貰っているので吹き飛ばされる程強いという訳でもない。

 魔物が陣取っているという場所が徐々に近付いてくる。

 私は接近を待ってやる義理は無いので、ものぐさスイッチの一部機能を使わせて貰って様子を確認するとしよう。

 私の居た世界の最先端技術の粋が集ったこの携帯端末、そのカメラ機能の拡大を利用して遠眼鏡として利用する。

 その道閉ざす魔物の正体が、端末の画面に鮮明に映し出される。


 肉食動物特有の鋭い牙、大きく裂けた口。

 漆黒の体毛に覆われた野犬のような風貌。


 ――ああ。

 あの魔物なら知っている。

 生息区域はレオパルド周辺だったし、外見的にも魔力的にも私がいない間に進化した様子も無い。

 ただ、少しだけ図体がデカいだけだ。なら、何も問題ない。


「――見えました。錬度の高い聖王都の兵達、一個小隊がぶつかってようやく互角というような危険な魔物です」

「まぁそうでしょうね」

「ならそろそろリュカ達にこの蒸気機関車を止めて貰わないとね」

「は? 何言ってんの?」

「へ?」

「えっ?」

「二人共、客車の中に引っ込むわよ」


 魔物の様子は確認出来た。

 車両の側面に設置している梯子を利用し、さっさと車内に引っ込む。


「道を塞いでるんだし、しょうがないわよね――リュカ! 蒸気機関車の速度を目一杯上げなさい! このまま突っ込むわよ!」

「ええええええぇぇぇぇ!?」

『ほ、本気かよミラの姉ちゃん!?』


 寝台車両に設置しておいた、運転席と通信が可能な魔石を通じて運転しているリュカ達に指示を出す。

 今現在手が空いていたのはルナールのようで、魔石を通じて返信が帰ってくる。


「運転席の左側面に、魔石を嵌めてあるスイッチがあるのが分かるかしら? 私が合図したら、そのボタンを即座に押して」

『でも、このボタンって確か緊急事態の時以外に押すなって書いてあったぞ?』

「今が、その非常事態なのよ」

『わ、分かったぜミラの姉ちゃん! 合図したら押せば良いんだな?』

「突っ込むって正気なの!? この蒸気機関車が壊れるわよ!」

「壊れないわよ」


 こんな程度で壊れる程、ヤワに作ってはいない。

 それに、隠し玉だって仕込んであるしね。

 この蒸気機関車は、術式を仕込んだ動く要塞。

 タダの蒸気機関車ではないのだ。


 車両の乗車口から身体を乗り出し、魔物との距離を測る。

 5キロ、4キロ、3キロ――

 こちらの接近に気付いた魔物が、体勢を低くし、臨戦態勢を取る。

 蒸気機関車の炉に石炭が投じられ、どんどん速度が上昇していく。

 2キロ、1キロ――


「――ボタンを押しなさい!」


 魔石を通じて指示を飛ばす!

 直後、蒸気機関車の前方を覆うように黄金色のオーラが皮膜状に展開される!

 ま、しょーがないわね。

 ――術式展開、瞬間衝撃(フラッシュインパクト)


「轢いちゃえ」


 肉袋がひしゃげるような重く、鈍い音が響く。

 車体に走った衝撃は、大した物ではない。

 線路と線路の隙間で僅かに車体が揺れただけ、と言われればそれで納得するような軽微な物である。

 その音の正体が、車窓の横を流れていく。

 首が曲がってはいけない方向に捻じれ、口元に生え揃っていた立派な牙の一部が欠損している。

 一目で死んだ事が確認出来るような無残な姿となった黒い獣が、ロンバルディアの海へと転落していく。

 そして蒸気機関車が走り去り、その遥か後方で水柱を立てつつ海中に没していくのであった。


 数十トンという重量に、100キロ近い速度。

 この速度と質量で轢いたのだ。あの魔物の図体は確かに大きいが、それでも体重はこの蒸気機関車の半分も無い程度だろう。

 体重が二倍近いというのは、余りにも大きな差である。

 体重40キロの子供と体重80キロの大人が殺し合いをすれば、勝敗は見えている。

 ましてやこちらは魔法という武装までしているのだ、結果は火を見るより明らか。

 まず、命は無い。


「――倒したわよ。問題解決ね」

「こんな、アッサリとですか……」

「こ、こんな乱暴な退治方法ってアリなの!?」

「アリよ。蒸気機関車なんてただの道具よ、命と違って壊れたならいくらでも修理・再生産すれば良いんだから」


 ま、この程度では壊れないけどね。

 何しろタダの蒸気機関車ではない。

 この蒸気機関車でこいち君は、複数の術式を搭載して魔改造された蒸気機関車なのだ。

 術式の発動に魔石や希少鉱石を組み合わせたバッテリーを使っているので、魔法が使えなかったり魔力が乏しいもの――主に私ね――でもボタン一つで簡単に魔法を行使出来る。

 バッテリー式なので無尽蔵に連発出来るような代物ではないが、使い所をしっかり見極めれば、この蒸気機関車は動く要塞として充分に機能する。

 私の理想を突き詰めるならこれでもペラッペラの気休め装甲なのだが、この世界の技術ではこれ以上はどうしようもない。


「ついでに、ネイブル村で滞留してるであろう資材や食料をありったけ載せて帰るとしましょうか。あの魔物以下の図体で、特に魔法とかを使う様子が無ければ私に許可を取らなくてもさっきみたいに轢き殺しちゃって構わないわよ」


 目先の問題は解決された。

 だが、根本の問題は残ったままである。


 ――さて。

 問題は何であの魔物がロンバルディアというかけ離れた地に現れたかね。

 私のいない間に生息域が変わったのかもしれないが、それは無いだろう。

 そもそもあんな体躯の魔物なら、この辺りに出没しているなら噂になっているだろう。

 何処かから沸いて出たような現れ方はあまりにも不自然過ぎる。

 それに、私の知ってる情報ではあの魔物があんな地の利を利用するような狡猾な戦い方をするなんて情報は一片たりとも存在していない。

 何らかの作為が働いたと考えた方が自然だ。


「――――リュカ。帰ったら、頼みたい仕事があるんだけれど良いかしら?」

『えっ? あっ、はい。わかりました』


 まだ蒸気機関車は走行中なので、魔石を通じてリュカと通話する。



 ……作る環境はとっくに出来ていた。

 だが、コレは一般家庭の生活水準を上げるのとは全く無関係の発明だ。

 作らなくて良いのであらば、作らずこの地を去るつもりだった。

 コレは、血を流すタイプの代物なのだから。


 だが、私は作るという決断を下した。


 そしてその判断が間違っていなかった事を、後に私は知る事となる。

 本来想定していた方向とは違う、思わぬ相手に使う事になるのは、この時の私には知る由も無かった。



―――――――――――――――――――――――



「――何だ、あれは……!?」


 コーネリアは、余りにも予想外な結末に開いた口が塞がらないでいた。

 鋼の馬車、という考えしか思い付かない。

 鎧袖一触(がいしゅういっしょく)であの魔物が倒されてしまった。


 この場所が、恐らくこのロンバルディア地方の最重要の生命線だろう事は下調べで分かっていた。

 この地に魔物を配置する事で、物流を滞らせ、戦力を削りつつもあの魔物を討伐に出てくるであろう相手の戦力を見極めようとしたのだ。

 いや、ある意味戦力を見るという事では成功したのだろう。

 一度目の襲撃は、地の利を利用して容易に撃退出来た。

 だが、こんな結果は想像すらしていない。いや、出来る訳が無い。


「あの走る鉄の塊は、この力があってもどうしようもないな……」

 

 アレは、魔物如きの単純な力では抗えないのは一目で分かった。

 どうやら、まだまだこの地で情報を集める必要がありそうだ。

 そう確信したコーネリアは、背後に控えた魔物達と共にファーロン山脈の奥深くへと消えていくのであった。

あーもーリンク召喚って何だよそれー

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