120.印刷と海原
製鉄場のクソ暑い室温に晒され、全身から汗を流しながら続けた作業が、ようやく完了の運びとなった。
まだバリ取りといった細かい作業は残っているが、少なくとももうこれでこの暑苦しい空間とはオサラバである。
「――よし、出来た。有難うねリュカ、手伝ってくれて」
「そ、そんな事無いです。大した事、してないですから」
こんな暑い空間での製鉄作業、誰もやりたがらないからね。
それなのに手伝ってくれただけで大した事あるわよ。
「それで、その、何か変な棒を使って何をするんですか?」
「ん? 紙を作ったんだし、こういうのも必要かなって。それと、まだ増やすかもしれないから、今回作った型は廃棄せずに残しておいてね」
「わ、分かりました」
後は、作業部屋の研磨機で削るだけだ。
よーし、頑張るぞい。
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「集合ー」
「またなの? 今度は一体何よ?」
私は引き続き、全員を作業部屋へと集合を掛ける。
リュカの協力のお陰でやっと出来たので、今回はその完成品のお披露目会である。
「前回に紙を作ったので、今回は印刷を行いたいと思います」
「いんさつ……?」
「何ですかそれは?」
「ま、これは説明するより実物と作業を見て貰った方が早いわね」
リュカに頼んで鋳造で製作した、単純な印刷道具を一同に見せる。
雛形となる、細かくマス目で仕分けられた型。
型には上蓋が取り付けてあり、蓋を下ろせばロックを掛けられるようにもなっている。
そのマス目一つ一つに、子供の指よりも細い小さな鉄の棒をはめ込んで行く。
「この金属の棒には、沢山の文字が一文字ずつ刻まれてるの。それをこうやってはめ込んでいき、最後に蓋を閉じてロックを掛ける」
引っくり返し、文字の刻んである面にインクを塗布する。
塗り過ぎると文字が滲んで大変な事になるので、程々に。
塗布した面に紙を乗せ、紙をローラーで押し付けてしっかりとインクを紙に付着させる。
これで完成である。
「これが、印刷よ」
「えーっと……『イチゴがじゅくしたよ』って、そうなの?」
「もう赤くなってるし、食べ頃だと思うわよ」
「よしっ」
小さくガッツポーズをするリューテシア。
農場のイチゴが全滅しないと良いけど。
「つまり、印刷とは紙に文字を記す手段という訳ですか」
「そうよ。面倒だから作った文字判はそんなに多くないけど、作り方はリュカにも教えておいたから、今後文字を増やしたければ好きに増やしていけばいいわ」
現状、私が作ったのはひらがな、カタカナを各一文字だけである。
これだけでは、作成出来る文章などたかがしれている。
だが、文字判の数を増やせばより多彩な文章を印刷出来るようになる。
「これは便利ですね。どれだけ長い長文だろうと、先程のほんの十秒足らず程度の作業工程で文字を記せるのですか」
「個人で使う分にはこんな印刷作業なんていらないんでしょうけど。場合によっては自分が書いた文章を何十人、何百人もの人々に見せなければならない事もあると思うわ。そんな数を淡々と肉筆で書き続けるなんて正気の沙汰じゃないわ。そういう時に使うのが、この活版印刷という技術よ」
「使い方は……色々考え付きますね」
「どう使うかは貴方達に任せるわ。だけど、文字判をもっと増やさないと不便だから、文字判を追加する事をオススメするわ」
「なあ、ミラの姉ちゃん! 俺もやってみて良いか?」
「お好きにどうぞ。壊さないようにね」
さーて、安価に大量生産可能な紙に、これまた大量に文章を書く事が可能な印刷という技術を提示した。
活版印刷は知識や情報の伝達に革命的な波紋をもたらすわ。
これで一気にこの世界の技術力が高まっていくに違いないわ。
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ファーロン山脈の切り崩し作業が進展し、運び切れない程のブロック塊がストルデン村の海岸に溜まりつつあるという報告をルークから受ける。
なので、久々に私はストルデン村海岸まで自ら赴き、前回同様ルークからブロック塊を「貰う」。
受け取ったブロック塊を全てものぐさスイッチに収納し、私は防波堤建造予定地へと足を運んだ。
あれから年月が経った事で、防波堤の基礎ブロック部分をしっかりと覆い隠すように土が盛られ、消波ブロックも既にかなりの量が外洋側に投下されていた。
土を運搬する為の物と思われる、新たな線路も敷設されており、作業効率が上がっているのが目で見て分かる。
だが、まだ完成ではない。
防波堤の基礎部分構築を続行する為、私は再び防波堤の上を歩いていく。
沖に出るまでの距離までは以前の作業で敷設が完了していたが、今度は防波堤を曲げなくてはならない。
即ち、今回作るのは本当の意味でソルスチル街を波から守る重要な部分である。
ルークから受け取ったブロック塊をしっかりと、念入りに海中へと投下していく。
落として積んで、ソルスチル街の方角へ向けて海上を歩いていく。
無心で積み上げ続け、丸一日作業に費やした結果。
防波堤の基礎として投下したブロック塊の上から、ソルスチル街を正面に見据える事が出来る位置まで来た。
「――これだけの距離があれば、大丈夫ね。これで防波堤の基礎部分は完成よ」
「……改めて見ると、本当長いわね……」
夕日がそろそろ水平線に沈む頃合の海上。
思えば遠くへ来たものだと言いたげにリューテシアが防波堤の始端を見て目を細める。
「……別に付き合わなくても良かったのに」
「だってミラみたいなそんな小さい身体で、もし波に攫われたら大変じゃない。友達として心配するのが普通でしょ?」
「えっ? う、うん……そうなのかな?」
別に波で流される位、今なら何の問題も無いのだが。
リューテシアが気遣って一緒に付いて来てくれたのは、少し、嬉しかった。
「それで? 後はこの位置まで作業員達が作業を進めてくれれば本当の意味で防波堤は完成って事で良いのよね?」
「そうなるわね。防波堤が完成すれば、余りオススメしないけど本来の目的とは違う別の事が出来るしね」
「別の事?」
基礎部分を海中に投下している最中も、ずっと暇潰しにリューテシアと雑談を続けていたが、帰路の最中も雑談を続ける。
「陸に近い位置より、沖合いに出た方が魚ってのは沢山いるのよ。これは分かるわよね?」
「まぁ、一応。だから魚を獲る時は船に乗って沖に出てるのよね?」
「そうよ。だけど、防波堤が完成すると船に頼らずして徒歩で沖にまで歩いていけるようになるのよ。だから、この防波堤は波から街を守る防壁であると同時に、最高の釣りスポットにもなるのよ」
「へー。……でも、何でオススメ出来ないの?」
「リューテシアが心配して付いて来てくれた理由と同じ理由よ。高波が来たら、海に攫われるわ。しかも沖合いに防波堤がある以上、流される=即座に沖まで流されるって事よ」
「あー……」
納得した表情を浮かべるリューテシア。
「しかも魚が良く釣れるのは、晴れてる日よりも寧ろ曇りや雨天の方が釣り易いのよ。当然、そんな天候の日には海が荒れるわ。そんなタイミングで釣りに出掛けて、海に流された日にはハイ、それまでよ。って事ね」
その分、生きて帰れる保証があるなら寧ろ雨天の釣り推奨なのだが。
「……よく釣れるけど、危険でもあるからオススメしないって事ね」
「そういう事。魚が掛かり易い絶好の釣りポイントでもあるけど、同時に危険でもあるからやるなら自己責任で、って事よ」
「おっ! 嬢ちゃん達も戻ったか!」
基礎ブロックの上をぴょんぴょんと移動していると、防波堤建造に携わっている作業員達と合流した。
「ええ、今日もお仕事お疲れ様です。防波堤の基礎部分の建造が終わりました」
「もうか!? えらい速さだなぁ」
「ですので、引き続き土を盛って、消波ブロックを置きながら末端部分まで到着すれば防波堤は完成、って事になりますね」
「そうかい。なら、後は俺達の頑張り次第って事だな」
「そうなりますね。この防波堤は高波という海の魔物を防ぐ防壁です、頑張っただけ街の平和に貢献しますので、是非とも頑張って下さい」
「おう! 任しとけ! 魔物と戦うのは御免だが、建造作業ならお手の物だぜ!」
心強い言葉を聞きつつ、作業員と共に蒸気機関車へと戻る。
今日も蒸気機関車で来たついでなので、作業員達と同伴しつつソルスチル街へと戻るのであった。
良いお年を!




