119.製紙
今日は俺の誕生日!
蝋燭を立てて、一気に吹き消す!
ゲホッ! ゴホッ!
は、肺活量が……肺活量が足りない……
「紙を作ろうと思います。今回、皆に集まって貰ったのはその為です」
「紙って、既にあるじゃない」
作業部屋に集合の合図を掛け、集まった皆に宣言する。
その後、リューテシアからごもっともな返答が帰ってきた。
「羊皮紙の事じゃなわよ。動物性じゃなくて植物性の紙の事よ」
そう、この世界に紙は存在している。
私も既に何度も使用しているので、それはリューテシアに言われずとも分かっている。
だが、この世界にある紙というのは羊の皮から作った紙、という文字で羊皮紙と呼ばれる紙しか存在していないのだ。
コレは、紙の性能としては良い部類なのだが、たかが紙一枚を作るのに非常に時間が掛かるのが最大のネックである。
毛を毟り、油を削ぎ、削って……といった手間隙が掛かるのだ。
……考えてみれば、羊皮紙が存在するって事はアルカリ溶液を活用してるって事よね?
うーん、ますます謎だ。
何でこんな所に中途半端に化学の痕跡が残ってるのやら。
それとも、もしかしてアルカリ溶液だという認識が無くて、単に「この液体に漬けると柔らかくなる」っていうアバウトな認識なのかしら?
「――ま。簡単に言えば、そこらへんの雑草から紙を作っちゃおうって事よ」
そんな訳で、雑草を用意した。
「……これは、飼葉というものではありませんか?」
「ええ、そうね。麦の穂の部分を取り終わった残り、家畜の餌なんかに使われるモノよ」
ルドルフに頼んで、仕入れて貰ったのだ。
家畜なんて飼っていないので、これは完全に紙製造の用途である。
「コレ全部を紙にしちゃうわよ」
「これを全部ですか……」
「これだけの量を作れば、流石に全員が作り方を覚えてくれるだろうしね」
藁束の量は、重量にしておよそ10キロにも到達する。
私を計算に入れなければ、一人頭2キロの紙を製造する事になるわね。
私? やり方教えたらもうしないわよ面倒臭い。
「じゃ、作り方を教えるから。全員でやっちゃいましょうか」
まず手始めに、この藁を2~3センチ程度の幅に切り揃えていく。
この作業は多少、大雑把でも構わない。
押切器という裁断道具を使用し、全員で片っ端から藁を切り刻んでいく。
調子に乗って指を切断しないように注意を飛ばしつつ、藁切れの山を築き上げる。
「次に、この大量の藁を苛性ソーダ、つまり水酸化ナトリウム溶液に漬けて一時間程度煮るわよ」
水酸化ナトリウムは、石鹸に使用するのはただの一用途にしか過ぎない。
溶液に触れると肌に侵食し細胞を破壊するが、それは別に動物だけに限った事では無いのだ。
植物性の細胞だって破壊するのだ。今回はこの用途が目当てである。
吹き零れぬように留意しつつ、交替で巨大な鍋をかき混ぜて一時間待つ。
一時間後、水酸化ナトリウム溶液から藁を引き上げる。
この藁は後々素手で扱う事になるので、残留している水酸化ナトリウムを流水でしっかりと流しておく。
こうして水酸化ナトリウム溶液で煮る事で、藁の固さは無くなり、一気に柔らかくなるのだ。
さて、次は本来漂白剤に漬けて藁の茶色い色素を取り除きたい所なのだが――
残念ながら、漂白剤は無い。
一般的に漂白剤と呼ばれている、次亜塩素酸ナトリウムの製造には塩素と水酸化ナトリウムが必要となる。
水酸化ナトリウムは既に生み出しているのだが、塩素がどうにもならないのだ。
塩素を生み出せれば、この漂白剤にも手が届くのだが。
ま、無いなら無いで仕方ないだろう。それに、塩素って化学兵器に使用されるレベルの猛毒ガスだし、水酸化ナトリウムの比じゃない危険度だしね。
基本的に気体として存在しているから固体である水酸化ナトリウム以上に取り扱いが難しいし、無くて良いか。
藁から作るわら半紙にそこまでの高級感を求めずとも良いだろう。
安価で取り回しに特化した紙、それで構わない。
高級な紙が欲しいなら羊皮紙で事足りる。
私が今回欲しいのは、安くて大量に作る事が出来、書いて読めればそれでいいという大衆向けの雑な紙である。
さて、そんな訳で漂白の過程は今回省略させて貰う。
「じゃ、はいこれ全員で持ってね」
「……ハンマー?」
洗い終わった藁の水を軽く切った後、ここから更に繊維を砕いていく。
全員にハンマーを渡し、総出でこの藁を叩き潰していく。
この作業が気に入ったのか、ルナールが何やら格好良さ気な技名を叫びながら勢い良く藁に向けてハンマーを振り下ろしている。
ノリノリでやっていた為、ルナールの作業速度が一番早かったが、途中で体力が尽きたのか。終わってみれば一人当たりの受け持ち担当量と大差無い結果に終わった。
次に、この藁をミキサーに掛けて更に細かく繊維を分解していく。
私の握り拳程度の量をミキサーに投じ、残りの容量ほぼ全てを水で埋める。
後はこのミキサーを回転させ、下部の刃が藁を水全体に溶け込ませる程に細かく切り刻んでくれる。
尚、ミキサーはササッと製造しておいた。
生憎モーターが無い、というか電力が無いのでハンドル回し式の人力ミキサーではあるが。
ルーク、リュカ、ルナールの男衆にハンドル回しを任せ、私はリューテシアとリサにとある木枠を手渡す。
これは、漉き枠と呼ばれる物である。これを用いて、紙を作るのだ。
木枠の中には細かい目の金網がはめ込まれている。
この金網の上に、ミキサーで混ぜ終わった藁交じりの水を流し込んで行く。
藁の繊維はミキサーで更に細かく千切れたが、金網を抜けていく程に細かくなった訳ではない。
金網の上にどんどん藁交じりの水を流し込んで行く。
水はどんどん網の目を抜けて下へ流れ落ちていくが、藁は上にどんどん堆積していく。
さながら、運河から運ばれてくる土砂とでもいうべきか。
ある程度の厚さになるまで藁を敷き詰め、頃合を見て木枠を引っくり返す。
ボロ布で藁の水分を取り去った後、更に布を敷き、その上から木板を当て、万力のハンドルを回して一気に水分を搾り取っていく。
最後に外気に晒すなり陽光で干すなりして水分を完全に取り去れば――
「――これで、紙の完成よ」
長々と作業を行ったが、これにて紙の完成となる。
生憎、漂白剤が無いので藁の茶色い色素が残ったままではあるが、別に支障は無い。
白くなきゃ困る訳でもなし。
「結構、手間だったわね」
「ま、手作業でやればこんなもんでしょ。工業化させればもっと大規模に、もっと手軽に数を作れるけどね」
紙で商売する気は……特に無いけどね。
「一回作れば、リサイクルは簡単よ。だから、書き損じとかしてもこの紙は捨てないでとっておいてね」
この紙は、インクを落としてミキサーで再び撹拌してしまえば、水酸化ナトリウム溶液で煮たりハンマーで潰したりといった面倒な工程をすっ飛ばしてまた紙として作り直せるのだ。
なので、ゴミとして捨てないように全員に伝えておく。
「簡単に再生出来るのですか。それは羊皮紙に無い利点ですね」
「あっちは書き損じたらそれっきりだしね。だから、取り回しで便利なのよね。簡単に再生紙に出来るからね」
保存性とかではあちらに軍配が上がるだろうが。
ま、用途によりけりというやつである。
「一人辺りに約2キロ位の紙が行き渡るはずよ。これから何か気付いた事を書き留めたり、勉強する為にメモを取ったり……好きなように使いなさい。今回は藁でやったけど、そこら辺の雑草からでも紙は作れるわ。その気になれば人件費以外ゼロ円で紙を生産出来るから、好きなだけ紙を使いなさい」
「えっ、雑草でも良いの?」
「使える雑草と使えない雑草とかはあるけどね。イネ科なら間違い無いと思うわよ」
尚、今回用いた藁もイネ科の植物である。
「イネ科、って何?」
「……種類が多過ぎて説明が面倒臭いわね。とりあえず、麦に似た特徴の植物がイネ科だとでも思っておきなさい。細長い葉っぱがイネ科の特徴よ」
リューテシアの質問を、おざなりな回答で流す。
イネ科は、どんな場所でも見掛ける植物だ。
平原や森林は勿論、水辺や高山地帯にすら生息している。
当然、この寒い地域であるはずのロンバルディア地方にも生えているのを確認している。
……というか、私達がここに来た当初にとてもお世話になった竹が正にイネ科である。
「竹だって、細長い葉っぱだったでしょ?」
「言われてみれば、確かに……って事は、竹も紙になるって事?」
「……一応、ね」
確かに竹も紙には出来る。
だが、竹の繊維は藁なんかと比べて遥かに強靭である。
それ故に加工も藁以上に大変である、オススメは出来ない。
繊維が強靭という事は、完成した紙の強度は素晴らしい物があるのだが。
「大人しく、竹以外のイネ科で作る事をオススメするわ」
「……もしまた作るなら、そうさせて貰うわ」
私達の初めての紙作りは、大量のメモ用紙を生み出しつつその幕を降ろすのであった。
もうちょっとで三十路だよ!
祝ってくれる人なんていないよ!




