118.不注意
化学実験を行った翌日。
魔石で稼動させているインターホンが設置してから初めて反応した。
「――どなたですか?」
『私だ、アレクサンドラだ』
アレクサンドラ……なんだ勇者様か。
何用かは知らないが、どうやら勇者様が訪ねて来たようだ。
『以前、連絡手段を入り口に付けると聞いていたから試してみたんだが、どうやら使い方は合ってたようだな』
「少々お待ち下さい、今そちらにお伺いしますので」
インターホンでの会話を切り上げ、エスカレーターに乗ってアレクサンドラを迎えに行く。
地上の小部屋部分に到着し、外へと繋がる扉を開けてアレクサンドラの元へ赴く。
「お待たせしました勇者様。立ち話も何ですし、こちらにいらして下さい」
「そうか、悪いな。それと、私はもう勇者じゃないぞ」
アレクサンドラの補足した二言目はスルーしつつ、アレクサンドラを地下へと案内する。
「何だこれは……? 動く階段……?」
「エスカレーターと私達は呼んでいます。これに乗っていれば自動で地下まで到着しますので乗って下さい」
乗り方を私自ら示し、アレクサンドラもそれに続きエスカレーターへと搭乗する。
数分を掛けて地下へと到着し、アレクサンドラを地下の小部屋へと誘導する。
アレクサンドラは現状、部外者扱いになっているのでこの小部屋にて術式の操作を行い、アレクサンドラをゲストとして登録する。
これで、アレクサンドラが作業部屋や中枢部なんかに行こうとしない限り、防衛術式が反応する事は無い。
「アレクサンドラさんが地下を歩き回っても防衛術式が反応しないように認証させました。ロックが掛かっていない場所であらば何処でも行けるようにしておきましたので、客間へどうぞ」
「分かった、なら客間に向かうとしようか」
アレクサンドラを伴い、私は客間へと移動するのであった。
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客間にアレクサンドラを通すと、ルークが何処からともなく現れ、アレクサンドラと私の分の紅茶をテーブルに置いて立ち去っていった。
気が利くのは助かるけど、貴方は何時から執事に転職したのかしら?
「――それで、勇者様はどういう用件で今回来訪されたのですか?」
「……ミラ、君はこの間起きた巨大な衝撃音を知っているか?」
ん?
「君が設置したという線路から少し離れた平野部で、何かが爆発したような痕跡を発見したのだ。恐らく、そこで何らかの爆発が起きたのだろう。だが、どういう原因で爆発が起きたのかが分からなくてな。今、調査をしているんだがミラは何か知らないか?」
「お手を煩わせてしまい本当に申し訳ありませんでした!」
机に頭を叩き付けんばかりの勢いで頭を下げる。
「何故キミが謝るんだ?」
「いや……実はここの連中に化学の仕組みを教える過程で、昨日に爆発実験をしちゃいまして……」
……無言の空気が妙に心に突き刺さる。
アレクサンドラが大きく溜息を吐く。
「……ミラ、キミには驚かされっ放しだな」
「すいませんでした」
インパクトが足りないからって少し水量を多くし過ぎた。
もう少し控えめにすれば良かったと今更ながら反省する。
「蒸気機関車といい、先程の動く階段といい……一体、どうやったらこんな物を考え付くんだ?」
「んー、私が考えた訳じゃないんです。元々あったはずの物を単に復元しているだけなんですけどね」
「元々あった?」
「……あったって言っても信じてくれないでしょうけど、確かにあったんです」
何故か無くなったけど。
「……まぁ、あの爆発が敵対する何者かによる物で無かったと分かったから良しとしよう」
「今後、もう少し大人しい実験にするようにしておきます」
「しない、という選択肢は無いんだな」
「リューテシア達に化学とは何ぞや、ってのを教え込まないといけないので……」
私の目的の為にもね。
その目的は――もう、ほぼほぼ達成されつつあるけれど。
今はただ、惰性でここにいるだけだ。
「……そうだ。折角勇者様が来られたのですから、些細な物ではありますがお土産を差し上げますよ」
「お土産?」
「パイナポーです。自分で食べるなり誰かにあげるなりご自由にどうぞ」
葉っぱのボサボサ具合がチャーミングな、南国の果物の代表であるパイナポーをアレクサンドラに手渡す。
「本当に些細だな……」
「ここで取れた、新鮮なパイナポーですから鮮度については保証しますよ」
「……ここでって、ここか?」
「ええ、ここです。この地下拠点で育ったパイナポーですよ」
「作物は天に住まう精霊様の恵みが届く地表でしか育たないはずだが」
「そういう考え方を否定する気はありませんが、植物の育つ仕組みなんていたってシンプルなんですよ。その条件をクリアしてれば植物なんてのは何処でも育って芽吹く物ですよ。私は、この地下でその条件をクリアしただけです」
「……もしかして、畑があるのか?」
「ええ。最近やっと実用に耐え得る畑が完成したんです。よければ見てみますか?」
「是非とも頼む」
畑が見たいとの事なので、わざわざ御足労掛けてしまった負い目もあり、快く案内する事にした。
ま、別に畑は見られて困るような物でも無いしね。
資金源となっている石鹸の製造法がバレるのはもう少し、理想を言うなら私がいなくなった後にして欲しいけど。
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大広間の奥に建造した箱庭農場。
そこへアレクサンドラを通したが、その奇妙な構造か、はたまた地下に広がるその広大さか、その両方か。
しかしながら単純に驚いている事だけは表情から見て取れた。
「ここが、私達の使ってる箱庭農場です」
「ほ、本当にパイナップルが生えてる……私の故郷なのに……」
むぅ。
アレクサンドラはパイナップル派か。
パイナポー派はいないのか。
「それに、イチゴも生えてないか? それとあそこの樹木は……もしかして、パンノキか?」
「ええ、そうです。ここに来てからもしもの事態を考えて、植えて置いたんです。やっと結実するようになったのでもう食べられますが、幸い食料に困っていないのでまだアレを食べる事態にはなってませんね」
イチゴを植えたのはリューテシアだが、パンノキを植えたのは私である。
パンノキは熱を通しただけで食べられるお手軽な食料であり、水分を飛ばせば保存食にも加工出来るので、飢饉対策としても有効な作物だ。
味は、保証しないけど。
毒は無いし、とりあえず食べられる。飢えるよりはマシだろう。
もしもの事態が来ない事を祈りつつ、果実部分を定期的に収穫してはものぐさスイッチ内に放り込んでいる。
「それに、太陽がある――いや、違うな。あれは……魔力を使った巨大な光球、か?」
「そうですね。アレを擬似太陽として用いてこの畑は稼動しています。光の無い空間で育つ植物なんて、そんなにありませんので」
無い訳ではないのだが。
少なくとも、私達が口にするような食料となる植物の中にはほぼ存在しないと考えても良い。
農業に、光は必須である。
但し、必ずしも太陽光である必要も無いのだ。
「おまけに、普通同じ場所や同じ季節に生えないような作物が育ってるんだな。確かに、ミラの言う通り箱庭……だな」
「ええ、箱庭です。ブロック毎に畑が区分けされてるので、別々のブロックであらば極端に温度差を要する作物なんかも容易に育てられるようになりました。まだスペースがありますし、折角ですから勇者様が育ててみたい作物とかありませんか?」
「……イチゴが出来たら食べてみたいな」
以前、リューテシアが植えつけたイチゴが繁殖しているブロックを見ながら、ポツリと呟く。
勇者様はイチゴが好きなのかしら?
「ミラお姉ちゃん! これ見てくださ――」
そんな他愛も無い事を考えていると、パタパタと可愛らしい足音を立てながら、御機嫌そうに私の元へ駆け寄ってくるリサ。
見慣れない存在に気付いたリサは尻尾をピンと立てて、私の後ろに隠れる。
「えっと……ミラお姉ちゃん、そこの女の人は誰ですか……?」
「勇者様よ。勇者様だけあって、種族なんかで人を差別する輩なんかじゃないから安心して良いわよ」
「元、勇者のアレクサンドラだ。よろしくな」
「よ、よろしく……お願いします……」
先程のテンションの高さは霧散し、途端に借りてきた猫のように大人しくなるリサ。
「所で、何か用?」
「あっ! そうです! 見てミラお姉ちゃん! この間作った石鹸!」
小さな片手に握られていたのは、以前モーターの模型を制作している傍らでルナールとリサが自作していた石鹸である。
ちゃんと水分も飛んでおり、鹸化現象も進んだ立派な石鹸である。
「うん、ちゃんと完成してるわね。折角だし、その石鹸は自分で使ってみると良いわ」
「うん! 使ってみるね!」
一度削がれたテンションを復活させながら、尻尾を振りつつ農場を後にするリサ。
「――以前、来た時には見掛けなかった子だな」
「そうですね。ストルデン村っていう場所で出会ったんです。両親や親族なんかはいない孤児だそうで、拾ってきたんです」
「ストルデン村……そういえば、ルドルフという商人が何かやっていると父からの伝で聞いたな。無償でか?」
「私、そんなに聖人君子じゃないので。何の打算も無く拾ったりしませんよ。リューテシア、ルーク、リュカの三人だけじゃ人手が足りなくなりつつあったので、手伝って貰う為に連れて来たんですよ」
規模が大きくなってきたからね。
ルドルフの公共事業に一枚噛むようになり、指導役や搬送役として手が取られるようになってきた。
石鹸製作が滞りがちになりつつあったので、単に丁度良かっただけである。
孤児だというなら、後腐れも無いし。
「ここで暮らす以上、ちゃんと働いて貰います。無論、給料は出しますけどね」
「……ミラ、君は本当に人を種族で差別しないんだな」
「ええ。種族なんていうモノにこだわる意味なんてありませんからね。おかしいですか?」
「いや、そうだな。人も、魔族も関係ない――皆が、ミラのような考え方になる世の中になれば良いのだがな」
「それは、やめておいた方が良いと思います」
私、考え方が割と現金なの自覚してるし。
私みたいなのが増えたら、現実主義者ばかりになってさぞ無味無臭な世の中になるだろう。
「――そういえば、君達もストルデン村に行っていると聞いたが。一体何をしているんだ? あちらには最近行ってなくてな」
「ファーロン山脈の海岸沿いを切り開いて、ファーレンハイトの方面へ道を切り開いているんです。これが済めば、この地下拠点から一気に直通でファーレンハイト側まで抜けられるようになりますよ」
「……どの位でだ?」
「ソルスチル街までが丸一日あれば余裕を持ちつつ到着出来るので、そうですね――少なくとも、二日は掛からないはずです」
「……むむむ」
低く唸るアレクサンドラ。
「……線路があれば走る……わがままな考えだが、その線路が私の故郷であるルシフル村まで通っていてくれれば……」
「――私達は、もう線路の敷設はしませんよ? 手が足りないですからね」
念の為、アレクサンドラに釘を刺しておく。
強要するような人では無い事はもう充分に分かっているが。
「分かってる。これは、私のただのわがままだからな」
「……ですが、もう線路敷設に関するノウハウはルークからソルスチル街の作業員達に伝えてありますからね。ルドルフさんとソルスチル街の作業員との交渉、それと金銭面の都合が付いて、勝手にやる分には――私達の知った事ではありませんね」
線路敷設の方法など、隠す意味も無い。
勝手にこの世界の人々が線路を延ばしてくれるというなら、私としては歓迎なのだ。
線路が延びれば、蒸気機関車で移動出来る範囲が広がるからね。
「……ソルスチル街というのは、確かこの線路の先に出来た新しい集落……で、合ってたよな?」
「ええ、そうですね。ちょっとした都市レベルの外壁が出来てるので、一目で分かると思いますよ?」
「ふむ……ありがとう。少し、訪ねてみることにするよ。ありがとう、ミラ」
「私は、何も礼を言われるような事はしてませんけどね」
やってくれるかどうかはルドルフと作業員達次第。
引き受けてくれたとしても、いかに勇者様の頼みとはいえタダとはいかないだろう。資金をどうするかという問題はアレクサンドラ自身が解決せねばならない。
頑張るのは彼等であって、私達ではない。
「なら早速、ソルスチル街という場所に向かうとしよう。この線路上を辿って行けば良いんだな?」
「辿れば辿り付きますが、線路の上は蒸気機関車やトロッコが往来する場所なので、辿るのであれば線路の側面を歩いていく事をオススメしますよ。勇者様が轢かれるとは思いませんけど、一応」
「分かった、忠告として受け取って置こう。なら、足早で悪いがこれで失礼させて貰おう」
「いえいえ、元はといえば私の不注意でわざわざ勇者様の脚を止めさせてしまったのですから。これ位、大した事無いですよ」
今後は、化学実験……特に派手な騒動に繋がる危険のある事柄に関しては留意しておこう。
そう心に誓いながら、エスカレーターに乗ったアレクサンドラを見送るのであった。




