115.脱兎
ソルスチル街を訪れた私達は、以前先送りにしていた転車台の設置を行う事にした。
ルークを通じて確認を行い、問題が無い事を確認する。
しかし陸橋を横断する形でソルスチル街に線路を引いているので、街中では少々転車台の設置が面倒である。
なので、街から出てすぐの場所に転車台、及び引込み線を設置する事にした。
外壁の外なので魔物の脅威に晒されるが、それは後々外壁を延長して対応して貰う事にしよう。
街の外での作業なので、人目に付く危険性は低い。
なので今回の土木作業はルナールとリサを伴って行っている。
無論、素人の二人に出来る事など無いが、見学も経験の内だ。
こんな事もするのか、と知って貰うのも勉強の一つだ。
「なあ、ミラの姉ちゃん。これ、一体何をしてんだ?」
「転車台、っていう蒸気機関車を反転する設備を設置してるのよ。蒸気機関車を走らせるだけなら線路さえあれば走るけど、向きを変えるにはこの転車台が必要不可欠なのよ」
不明瞭な箇所だけ指示を飛ばす私の横で質問を投げ掛けるルナール。
転車台設置作業は既に三人は地下拠点にて経験済みだ、なので私は監督役として口を出すだけで実際の作業には関わる気は無い。
そんな力作業出来ないし魔法を使う魔力も無いしね。
「なんでミラの姉ちゃんはやらないんだ?」
「体力無いからね」
「姉ちゃんチビだもんな」
その台詞は私の身長を越えてから言いなさい。
……数年したらもう怪しくなりそうだけど。
とりあえずルナールの頭上を押し付けて身長が伸びるのを阻害してやる。
「……何やってんのよミラ」
「生意気言う子供に嫌がらせ」
「やーめーろーよー!」
うりうり。
「ミラさん、こんな具合で良いと思いますが、最終確認をお願いします」
「分かったわ」
嫌がらせを切り上げ、設置された転車台を確認していく。
リュカにも動かして貰い、動作に問題が無い事を確認していく。
「すっげー! なあなあリュカの兄ちゃん! 俺もそれやって良い!?」
「え? うん、良いけど……」
リュカがハンドルを回転させるのを見て、目を輝かせるルナール。
了承こそ取っているがリュカから半ば強奪に近い形でハンドルを奪い、回転させる。
ルナールの力では微妙に力が足りていないのか、歯を食いしばりながら回す。
それでも一応回ってはいるので、転車台の上に載っている蒸気機関車はリュカ以上のスローペースで回転していた。
「――ぷはぁー! こ、これすっげえ重いなぁ……リュカの兄ちゃんってすげー力持ちだったんだな!」
「えっ? そ、そう……かな……?」
褒められる事に慣れていないのか、リュカはこそばゆそうに身を捩る。
純粋な肉体の力ではリュカが一番よ、そこは誇っても良いと思うわよ。
「あの、ミラ……お姉ちゃん。結局、皆さんは何をする人達なんですか……?」
「ん? まぁ、そうね……簡単に言うなら、この世界から無くなってしまった科学という現象を利用する集団だと思ってくれれば良いわ」
「か、がく……ですか?」
「もう一つの魔法みたいなモノよ。魔法が使える人も使えない人も、法則を守れば全員が使える現象だけどね。この間、石鹸を作ったでしょ? アレも科学の現象を利用した一つよ。作るの、面白かったでしょ?」
「す、すこしだけ……」
「ああいう化学現象を発生させる作業をこれから何度も行って貰うから、楽しみにしててね」
石鹸製作は分量こそしっかりと計測せねばならないし、劇物の扱いも注意が必要だが、作る事自体は楽しみながら行えるような内容だ。
リサも内心石鹸製作は楽しかったのか、少し頬を綻ばせていた。
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「ねえ。そろそろ私無しでも一通りこなせるようになったんじゃないかしら?」
ルドルフから資材を受け取り、ソルスチル街へと今正に向かおうとしていたとある日。
大広間にて私はリューテシア、ルーク、リュカの三人にそう告げる。
ルークはオリジナ村やソルスチル街の面々と既に顔繋ぎも終わり馴染んでおり、作業員達の人望も厚い。
コミュニケーション絡みであらばルーク一人で大抵の事は済ませられるはずだ。
リューテシアは蒸気機関車の操作法を乾いたスポンジが水を吸うかの如き速度で吸収し、不測の事態も含めてもほぼ操作法をマスターしたと言っても良い。
彼女がいれば蒸気機関車の運行には何の支障も無い。
リュカはこの中で一番投炭作業を長く行っており、機関助士としての実力は申し分無い。
また、戦闘では扱えないものの筋力もあり、体力仕事ならば然程疲れる事も無くこなしてくれる。
転車台がソルスチル街とこの地下拠点に設置された事で、私無しでも蒸気機関車を反転させる事が出来るようになった。
転車台をリュカに動かして貰えば、蒸気機関車を転進させる事も可能になったという事だ。
「来て日が浅いルナールとリサは除外するにしても、もう三人が一丸となれば対処出来ない事なんてほとんど無いと思うんだけど」
「そう、でしょうか?」
「ルークもリュカも、もっと自信を持って良いわよ。一人で何でもは出来ないだろうけど、逆に言えば他の二人では出来ない事を自分なら出来るって意味でもあるんだからね」
性格なのか、ルークは一歩引いてる感じがあるし、リュカは生い立ち故か不必要に怯える傾向にある。
すぐに変えろとは言わないが、もう少し自信を持っても良いと思うのだ。
「だから、今回の資材受け取りと搬送は三人に任せるわ。私は、ここで留守番してるわ」
「ちょっと待ちなさいミラ」
そう言い残し、三人に背を向けたタイミングでリューテシアが横槍を入れてくる。
「ミラはここに残って何をするの?」
二度寝しようと思ってます。とは言えない。
「…………」
「……何でも良いでしょ」
「ルナール、それとリサ。私達はこれから出掛けてくるけど、その間の面倒はミラが見てくれるらしいから色々質問してあげなさい」
「ちょっ」
二人の狐兄妹の面倒を私に押し付けてくるリューテシア。
「連れて行かないと二人の勉強にならないじゃない!」
「勉強ならミラが教えてあげれば良いじゃないのよ! どうせ何でも出来るんでしょ!? 石鹸作成のやり方なり地下農場の世話の仕方なり教えてあげれば良いじゃない!」
「それじゃ私が惰眠を貪れないじゃない!」
「やっぱりそれが本音なんじゃないのよ! 私達だって忙しいんだからそんなに面倒見てられないわよ! ルナール、リサ! ミラが二度寝しないように見張ってなさい!!」
「えっ? お、おう! 任せろリューテシアの姉ちゃん!」
ヤバい、けしかけられた。
大広間からまるで示し合わせたかのように逃げ出すリューテシア一行。
三人に再び押し付けようと駅に向かった所、既に火が入れられていた蒸気機関車は鉄の足音を立てながらこの地下拠点から出発していた。
……逃げられた。
私の足じゃ、もう追い付けない。
「むむむ、折角ゆっくり寝られると思ったのに」
「ミラの姉ちゃん、二度寝したら駄目だぞ」
律儀にリューテシアの言い付けを守り、私に警告と監視の視線を投げ付けてくるルナール。
ぐぬぬ、リューテシアめ厄介な荷物を置いて行きおって。
「……しないわよ。そうね……折角だし、貴方達二人に農場の使い方を教えるわね」
観念した私は、整備された箱庭農場の使い方を説明するべく農場へと向かうのであった。
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「――温度管理は中枢部で行ってるからここでは特に操作する必要は無いんだけど、水遣りだけは手動でやる必要があるの。だから、水遣りの際はこのバルブを捻るのよ」
箱庭農場の一区画の中に入り、実際にバルブを捻り稼動させながら箱庭農場の扱い方をルナールとリサの両者に教えていく。
農場の更に上部へと設置された貯水槽から配管を伝い、流れ落ちる水が位置エネルギーを利用して拡散し、シャワーのように作物に降り注ぐ。
蒸気機関の稼動によって排出された水蒸気を蒸留して精製した水なので、飲んでも問題無い程に清潔な水である。
「で、あんまり水を遣り過ぎないように手早く閉める。これを全ての区画で毎日やるのよ。作物によっては水を与える量が変わったりするけどね」
「すげー! 雨を自由自在に降らせられるのか!」
「あの、ミラお姉ちゃん。ここでは何を育ててるんですか?」
「ここはイチゴね。リューテシアが植えて育ててるのよ」
箱庭農場で好きな作物を育てられるようになった結果、リューテシアがルドルフ経由で多種多様な果物の苗を仕入れて片っ端から植えていった。
甘味に飢えた女の衝動とは恐ろしいものである。
既にブドウや、モモの苗木なんかも植えられている。
樹木系の作物も育てられるようにと天井を高くしてあるので問題は無いのだが、果物ばかり植え過ぎなんじゃないかしら?
寒冷地であるここロンバルディアでは作物が育ち辛く、結果ビタミン類の摂取が難しくなっている。
手軽にビタミンを補給出来る果物を育てる事は結果プラスになるので容認しているが。
「リューテシアお姉ちゃんはイチゴが好きなんですか?」
「というか、多分甘い物が好きなんだと思うわよ。パイナポーも目を輝かせて食べてたし」
「でも、これだけで食べ物って育つのか? 何か凄い楽チンなんだな」
「楽チンになるように徹底的に整備したからね」
他の農場でもこれ程育成が楽だとは思っては困る。
「さて、農場に関してはこんなものよ。後は……そうね、他の三人には話したんだけど、リサとルナールにも私の物の考え方、その根幹を教えちゃいましょうか」
化学教室りたーんず。
大広間にて机や椅子、道具を並べて簡単な実験を交えつつ、以前話した原子論の考え方をリサとルナールにも教えてみる。
子供にも分かりやすく、興味を持ち易い題材を用いて、魔法ではなく科学という考え方を浸透させていく。
この二人はリューテシア達三人と比べまだまだ年が若く、常識にまだ囚われていないようで、疑問を持たずに知識を吸収していってくれた。
「――以上。これが、原子論って考え方よ。今すぐには理解出来なくても良いから、こういう考え方があるという事を頭に入れといてくれればいいわ」
「ふーん、そうなんだ」
「濡れてる訳でも無いのにどうやっても火が付かないなんて事があるんですね、初めて知りました」
一通り話し終えたが、食い付きはルナールよりリサの方が良いように見える。
「二人が魔法を使えれば魔法を応用した化学実験なんかも出来るんだけど……魔法を習うなら、リューテシアに習った方が良いわね」
「リューテシア姉ちゃんにか? リューテシア姉ちゃんって魔法使いなのか?」
「ええそうよ。それもとびっきりの腕前のね。流石に勇者や魔王なんてレベルには届かないでしょうけど、それ以外の枠の中であらば上位なのは間違いないわ」
「すげー! 俺もリューテシア姉ちゃんに習ったら魔法使えるようになるかな!?」
「さぁ? それはルナールの頑張り次第ね」
「よーし! なら、リューテシア姉ちゃんが帰ってきたら魔法の使い方を教えて貰おうっと!」
ルナールは科学よりも魔法の方に興味があるようだ。
私に面倒事を押し付けて脱兎の如く逃げ出したリューテシアに魔法の先生という役目を与えて仕返ししつつ、私達はリューテシア達の帰りを待つのであった。




