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18-2

 蓮見の走りに迷いはなかった。CIDS上に、戦闘機が目標へ誘導されるようなステアリングキューが表示されているからだ。地雷が埋設されている可能性があれば、哨戒機や衛星による分析結果をそこに表示させ、もっとも安全と思われるルートを提示してくる。もっとも、表示されるのは視覚的情報だけで、今回のような「音」に対する脅威判定までは行っていない。今後、ソフトウェアがどうバージョンアップされるのかはわからないが、いずれ、「音」への警戒情報も表示されるかもしれない。「音響兵器」など、誰が思いついただろうか。

 蓮見は迎えのヘリコプターが着陸を予定する場所まで誘導されている。ヘリコプターは、自身がその場所を決めるのではなく、やはり前線航空管制機や哨戒機の情報から、安全と思われる場所に誘導される。

『レラトランスポート〇一からモールグループ。当機は間もなく着陸態勢に入る』

 イアマフを通して、ヘリコプターのローター音が届いてくる。往路よりもはるかに低空をヘリは飛行してきていた。

『当該地域に敵地上部隊の脅威なし。脅威判定レベル三。このまま着陸する』

 ダウンウォッシュがすでに草や枝、土を巻き上げている。針葉樹は枝をしならせ、おそらくはざわめきを発しているだろう。私たちには聞こえなかったが。

 汎用ヘリをガードしているのは、往路と同じく二機の戦闘ヘリコプターだ。もともと八機が作戦に参加していたが、四機は「撃墜」されてしまった。いま、二機が汎用ヘリをエスコートし、もう一機はやや後方、やや高空を警戒飛行中。もう一機の姿はなかったが、墜落したとの情報はなく、おそらく洋上に退避したか、揚陸艦まで戻ったのだろう。

『急げ、長くは留まれない』

 七七式汎用ヘリが着陸。着陸したとはいっても、降着装置が地面に触れている程度だ。荷重をかけられない建造物の屋上などに接近する際にこうした着陸方法が選ばれる。ほとんどホバリングに近い。今回はしっかりした地面の上に着陸しているわけだが、これは駆けだそうとする人間がつま先立ちしている感覚に近い。

 蓮見は走る勢いそのままできないに飛び込んだ。すぐに私が続き、日比野、瀬里沢、田鎖、そして南波が乗り込んでくる。

「全員収容、行ってくれ!」

「了解だ」

 パイロットは返事と同時にコレクティブレバーを引く。三基のターボシャフトエンジンのパワーにものを言わせ、機体は一気に浮き上がる。機体が浮上したのち、すかさずパイロットがサイクリックスティックを引くのが見える。急上昇しながら、機体は急激に機首下げの姿勢になり、加速する。南波がスライドドアを勢いよく閉めた。

「蓮見、落ちるなよ」

 南波が笑ってみせる。蓮見は呼吸を整えながら、先ほど私がしたように、親指を立てた。

「南波少尉、災難だったな。耳は大丈夫か」

 操縦席の向かって右側シートから、副操縦士(コパイロット)が振り向き、話しかけてくる。

「なんとか聞こえているよ」

 南波は機体内壁にもたれるように座った。

「そっちこそ、四機も墜ちた。あんたらは平気だったのか」

「距離があった。俺たちは海の上だったからな。『音』はしっかり聞こえた。最初は何かわからなかった」

「いまはわかるのか」

 瀬里沢が訊く。

「窓から見えるなら、プラントを見てみるんだな」

 コパイロットは前方に向き直り、腕を伸ばして左前方を指し示す。離れつつあるプラントエリアの一部が、低空とはいえ展望として開ける。

「……爆撃でもしたのか」

 南波がスライドドアの複層アクリル製窓から外を覗き、言う。

 私も南波に並ぶ。

 同盟が整備を進めていたというプラント施設は、その大部分が地下構造だと事前に知らされていた。揚陸艦を発つ前に衛星からの偵察写真も見た。なだらかな牧草地か、風雪によって樹木が発達しない丘陵か、そんな地形で、地上部分に施設らしい施設はほとんど露出していない構造をしていた。プラント内部の換気を行う無味乾燥的な塔が規則的に並ぶほか、作業員用の小ぶりな建物がいくつかあるだけだった。

 それが一変していた。

 巨大な穴、と呼んでもさしつかえないほどのクレーターが穿たれている。

「爆撃というより……」

 瀬里沢がつぶやく。

「中から崩れたみたいだ」

 蓮見が続ける。

 そうだ。大出力の地下核実験を行ったあとのようだ。地中に大きな空洞があり、それが崩壊したあとのような。

「蓮見が言ったとおりだったのかもしれん」

 南波。

「本当に音響兵器だったっていうのか」

 瀬里沢が南波に問い返す。

「スピーカーみたいじゃないか。あれ」

「そんな馬鹿な話があるか。移動もできない、ただそこに据え付けてあるだけの兵器なんて聞いたこともない」

「そこにあるのは、そういう類のものに見えないか」

「実際そうなんだ」

 コパイロットが応える。

「なんだって?」

 瀬里沢がかみつく。

「本部はそう判断した。まったくありえない。あんたの言うとおりだ。移動もできないし、だいたい規模がでかすぎる。こんな使い方しか考えられん。おそらく、俺たちの作戦と最終的には同じことを考えたんだよ、あいつらは」

「同じこと?」

 蓮見が問う。

「俺たちの……帝国軍は、敵目標を奪取する作戦を実施するとき、最終的なオプションとして何を用意する?」

「奪取できなければ、破壊せよ」

「蓮見准尉、ご名答だ」

 コパイロットが皮肉めいた笑いをもらす。彼もこの機体もエスコートの戦闘ヘリも、陸軍第五五派遣隊隷下にある。私たちの作戦上、最後に採られるオプションは、癇癪を起こした子どもが自分のおもちゃを取られまいとして、破れかぶれに自ら壊すがごとく、奪取できなかった目標は、総攻撃して破壊する。

「あのプラントは、連中の虎の子だったんだろう。どういう目的の施設なのかはよく知らないが、稼働テストの模様はつかめていた。高エネルギーを発生させる、一種の発電所みたいなもんだったようだ」

「リングみたいな構造は、加速器か何かか」

 南波はもう窓から視線を外していた。

「そうだろうな。こんな僻地の島でな」

「あっさり自分でぶっ壊しちまったってことか」

「壊れたかどうかは知らんが、とりあえず近寄れなくなった。……見えなくなるぞ。もういいか」

「もういい」

「敵さんが自爆したがっているんなら、だ」

 南波がコパイロットを向き、言葉の続きを待つ。

「わが軍が手助けをするそうだ」

「なんだって」

「結局、奪取できなかったわけだ。俺たちは」

「ああ」

「だから、完膚なきまでにこのプラントを破壊するそうだ」

「攻撃するのか」

「敵の第三波が確認された。大陸の基地から、またぞろ大群が押し寄せつつある。だから帝国三軍による総攻撃を行うそうだ」

「いつだ」

「俺たちが手近な前線基地か、海軍さんの揚陸艦に戻るよりも早くだ。だから急いでいる。味方の弾は食らいたくないだろう」

「もうすぐに実施するのか」

「そうだ。南波少尉、そのCIDSで戦闘情報を閲覧してみろ。そっち方面の警戒情報がいくらでも出てくるぜ」

「気の早いこった」

 南波はそう言って内壁にもたれたままだった。

「対象地域は」

 瀬里沢が訊く。

「自分で調べないのか」

「あんたに訊いたほうが早そうだ」

「北緯五十度以北ほぼ全域になる。もっとも、核攻撃以外でそこまで大規模な攻撃はできないから、ある程度的を絞ったものにはなるんだろうが。展開していた地上部隊は即時撤退を開始したよ」

「このあたりを猛攻するのか」

 私は思わず身を乗り出して訊いていた。

 シカイ……、ターニャ。あの村がある。

「地形が変わるだろうな。上層部は怯えているのさ。あのプラントみたいに、森の地下に何があるかもわからない。衛星から地面の下は覗けない。だったら、掘り返してみればいい。そういうことなんだろう」

「マルナミ、後ろばっかり向いていないで助手の仕事をしろ」

 機長が低くコパイロットをたしなめた。円波と呼ばれたコパイロットは南波と同じ少尉の階級章をつけている。

「了解キャプテン」

 機長(キャプテン)は実際に大尉(Captain)の階級章をつけている。私の位置からは表情が見えない。低空を背の高い樹木の梢をかすめて飛びながら落ち着いている。その機長に私は呼びかける。

「このまま洋上へ出るのか、機長」

「すぐには出ない。敵航空機の脅威判定がレベル二以下になるまで、遮蔽物のない洋上には出られない」

「途中、寄ってほしい場所がある」

「なにを言っている」

 機長はこちらを向かない。当たり前だがウィンドシールドを向いたままだ。

「姉さん、何を言い出すんだ」

 南波が私に向き、囁くように言った。CIDSが作動しているから、「ささやいているような普通の声」として全員の耳に届く。

周辺住民(・・・・)への警告も行わないのか」

「このあたりに町はないぞ」

 機長が返す。

「……イルワクの村がある。知ってるはずだ」

「入地准尉、よせ」

 南波が私を制するが、かまわず続けた。

「集落が点在しているのは、確認されている。無差別攻撃みたいなことをするんなら、彼らに通告すべきだ」

 私が言うと、機長が振り向いて言った。

「それは俺たちの仕事ではない。俺たちの仕事は、あんたらを安全地帯まで送り届けることだ」

「わかっている。それを承知で頼んでいるんだ」

「全部の集落にふれて廻るのか。すべての位置を把握しているのか」

「入地、やめておけ。疑われるぞ」

 瀬里沢がいつのまにかCIDSを跳ね上げ、こちらをにらんでいた。

 機長は前方に向きなおり、低い声で言う。

「准尉、なぜだ。いままでの作戦で、あんたは周辺住民全員へ、攻撃前に危険を通告してきたのか」

 風連奪還戦。廃墟と化した縫高町。

 事前通告などしていない。それは私たちの仕事ではない。

 わかっている。

 ターニャの家の風景が、見える。

 過去の記憶としてではなく、現在の光景として。

 縫い物をしている彼女の後ろ姿が見える。

 ライフルを提げた男たちや、シカイの家の前にいた少女の横顔が、生きている映像として私には見える。

 帝国軍の総攻撃が始まったならば、それらはすべて消える。

 私と蓮見の記憶の中に留まるのみを許され、実体は消え去る。

「姉さん、……血迷ったか」

「違う」

「どう違う」

 瀬里沢。

「姉さん……」

「蓮見、お前はどうなんだ。見殺しにするのか」

「やめてよ。……姉さんらしくもない」

「そうだ。入地准尉。姉さん、あんた前に言っていたじゃないか。シカを仕留めたとき、そのシカには子どもがいた。親子だったんだ。でもあんたは、小ジカも撃とうとした。でも、あんたはあんたの祖父さんに止められた」

 谷あいの斜面。対岸に見えたシカの姿。スコープの中で、真っ黒い瞳が私を向いていた。引金を絞り、命中の確信をもって撃った。シカは倒れた。そのかたわらから、弾け出るように小ジカが現れた。私はその小ジカにも狙いを定めた。迷いはなかった。親を失った小ジカは、私が撃たずともやがて飢えて死ぬ。あるいは親の庇護を失い、ほかの動物に襲われて死ぬ。ならば、親を失った現実をまだ理解できない今のうちに、私が仕留めるのが、その子の幸せだ、と。

「知らせてどうするんだ。ヘリに乗せるのか。連中は文明から程遠い生活をしていると聞いた。奴らには自動車があるのか。集落全体で避難できるような手段があるのか」

 南波がまっすぐに私を向いている。

「軍は動かない。揚陸艦は、難民船じゃない。戦場で命を拾おうと思ったら、ポケットだけでは足りないんだ。それは姉さん、わかってるはずだ」

「わかってる」

「じゃあなぜ固執する。あんたがステイした村に行くのはいい。だが、ここもそこも、帝国の領土じゃない。ここは同盟の領土だ。あんたが出て行ったあと、村には敵の部隊が駐留しているかもしれないんだ。そんな危険を冒して、俺はチームを動かすことはできない。入地准尉、あんたのリコメンドは却下だ」

「南波、」

「機長、聞かなかったことにしてくれ。このまま戻る。頼む」

 機長は応えない。が、ヘリの進路も変わらない。

 私は言葉を探していたが、見つからない。瀬里沢はすさまじい憤りを隠そうともせず、私を睨みつけている。日比野も田鎖は素知らぬ顔だ。蓮見はCIDSを降ろしたまま、唇を噛んでいた。

「姉さん、……高泊に戻ったら、休養が必要だ。付き合ってやる。……少し休め」

 私は南波の穏やかな声音にも応えず、言葉を探していた。

 ヘリは速度を落とすことなく、起伏をなぞるように、梢をかすめるように、飛行を続けていた。

「なぜ、あんたはそこまで猟師村に拘る」

 南波がなかば投げ出すような口調で私に問う。

「無差別攻撃をしようっていうわけじゃない。そもそも脅威判定が下されていない地域を攻撃するほど、俺たちの火力は無限でもない」

「あのプラントのような地下施設がさらに存在する可能性があるんだろう。なら、……攻撃で地面を耕すしかないんだろう?」

「北緯五十度以北というだけで、椛武戸がどれだけの面積だと思う? 核攻撃は考慮されていないぜ」

 南波はちらりと機長席に視線を走らせる。

「核攻撃なんてもってのほかだ」

「以前はやってる」

「あれは鉱山都市の機能を奪うためだ。攻撃した時点で民間人はいなかった」

「そういうことになってるだけ(・・・・・・・・・・・・・)だ。姉さん、あんたのいうことはダブルスタンダードだ。言葉が矛盾している。あの鉱山都市は無人ではなかった。運転員もいれば敵の軍属もいたぜ。けど攻撃は実施された。あんたは顔色一つ変えずにその情報を確認していたじゃないか」

「対象が違う」

「顔が見えたからか。鉱山都市はあんたも俺も派遣されたことがない。初期攻撃を実施したのは俺たちハケンじゃなく空挺部隊だった。結局奪還できずに消し去ったわけだが。その状況を、俺たちは高泊で眺めていた。スクリーンを通して。衛星が撮影した攻撃後の映像を見たんだ」

 帝国軍は大陸沿海部に存在した敵の鉱山都市を一つ核攻撃で消し去っている。核出力は五十キロトン程度だから戦術核だ。八一式要撃戦闘機に護られた六四式戦闘爆撃機が空中投下式の誘導型核爆弾を使用した。高純度のレアメタルを産出していた鉱山は、周辺に中規模の工業地帯と、労働者や軍属が暮らす都市を形成していた。それでも人口は十万に満たない。北方会議同盟(ルーシ)連邦の政府発行の地図にすら載っていない閉鎖都市だった。もっとも、衛星軌道から兵士が携行する武器の種類まで判別できる現在、そっくり都市上空に蓋でもしない限り、そこに何があるのかはすぐにわかる。カモフラージュをしても無駄だ。

 私たちが見ても何の変哲もない街だと判断する衛星画像を、専門教育を受け場数を踏んだ分析官たちはたちどころにそれを見破るのだ。高価な道具を効果的に操るには、高度な技術と高度な知識と豊富な経験がいる。そんな彼らが鉱山都市に脅威判定をした。本来は空爆で敵の戦力を無力化したのち、施設を地上部隊が奪取、少なくとも再建に半年以上かかる程度に破壊する作戦だった。だが、敵の反攻に遭遇し、友軍は撤退した。そして行われたのが、敵部隊もろとも鉱山都市をまさしく地上から消し去る核攻撃だった。

 「私たち」はそうして、シェルコヴニコフ海に浮かぶハイドレート採掘基地や海上油田、敵の精製施設を消し去ってきた。現存しているのは縫高町作戦の前になんとか設備を封印したあの発電所程度だ。北緯五十度以北のめぼしい都市は、高規格道路から鉄道、空港施設までが破壊あるいは寸断され、機能しているところはほとんどなかった。膠着状態に陥った北方戦役で、以前と変わらないのは海と川と山と森、そしてさしたる軍事的脅威を判定されなかった小規模な村落、それはイルワクの猟師村をはじめとする、数十からせいぜい千人程度の住民が暮らす村や町などだった。

「敵は主要施設の秘匿化を進めている。地図に載っていないが上空からは丸見えなんて、冗談みたいな秘密都市はもう奴らは作らない。あのプラントを姉さんも見たろう。自爆して初めてその規模がわかった。目的すらよくわからない施設だったが、連中は何かをこの島で作っているんだ」

 島と呼ぶにはあまりにも広い椛武戸。北端は北極圏に達する。陸上に国境線を引く帝国と同盟での面積比は一対三以上だ。もともと北方会議同盟(ルーシ)連邦の首都は大陸の東へ数千キロ隔たっており、このあたりは彼らが極東と呼び、本格的な開発が始まってからは二百年とたっていない。そういう意味では、私たちも同盟勢力も、イルワクたち先住民からすれば侵入者にすぎない。

「忘れ物でもしたのか」

 円波少尉が振り向く。

 虚を突かれて私は言葉を返せない。

「まさか俺たちを敵の真っただ中に誘い込んですり潰そうなんて考えてるわけじゃないだろう」

「当り前だ」

「なにを忘れてきたんだ」

 円波少尉が私の目をじっと向いている。CIDSのバイザー部を下ろしているが、なぜか彼の目が感じられた。

「……日常」

 考えるよりも先、私の口が勝手に音声化した言葉はそれだった。蓮見が私に向いたのがわかった。南波は変わらず、私を見つめている。

「日常?」

「……朝起きて、食事をして、空を見て、……今がいつなのか、ここがどこなのか、そういうことを考えて、……考えることを思い出したんだ」

「それはいつもやっていることだろう」

 南波が言う。

「高泊でふだんしていることと何が違う。俺たちは飯を食うし、訓練が終われば夕日を見てきれいだと思うくらいの情緒は持ち合わせている。……それとは違うのか」

「都野崎にいたころ、私は、いまがいつの季節なのか、いつもわかっていた。柚辺尾にいたときも。紀元記念公園で桜を見た。夏になれば見上げるような入道雲を見た。雨が降る前には雨の匂いがした」

「それがなんなんだ。いまは違うのか」

「……知らないうちに、私は死んでいるのかもしれない、そう思っていた」

「バカなことを。姉さん、あんたは生きている。死人じゃない。あんたが死んでいるんなら、俺たちはなんなんだよ」

「実感がなかったんだ。……私は、都野崎の帝国大病院で何人ものパイロットから同じ話を聞いた」

「あの世の入り口の話だろう」

「ワタスゲの原だ。一面の」

「あんたはそこを歩いてきたんだろう」

「そうだ」

「それと、あんたの生き死ににの話とどう関係があるんだ」

「私は来世も天国も信じちゃいない。南波、あんたと同じだ。祈ればすべてが許されるなんて都合のいい信仰も持っていない。死んだら機能停止。物理的に考えたら、それが自然だ。電子機械が沈黙するのと同じ。自分が自分だと認識する機能が消滅するだけ。魂なんて存在しない」

「俺も同感だ」

「不思議に思ったんだ」

「なにをだ」

「ワタスゲの原さ。私の生まれた柚辺尾の、ちょっと町はずれに行ってもワタスゲは生えている。湿地があれば」

「そうなのか。そうだとして、何が不思議なんだ」

「ワタスゲが咲くのは、初夏なんだ。いまくらいの季節」

「花だからな」

「花が咲いたあとの種子飛ばしなんだけど。……わからないか。パイロットたちはみな、同じような風景を見たというんだ。戦線は膠着し、もう何年も北緯五十度線を挟んで戦闘は続いているのに、決まって帰還者が口にするのは、初夏の風景なんだ」

「たまたまじゃないのか」

「聞き取りをしている最初のころはそう思ったよ。でも、私たちが……研究室で聞き取り調査したパイロットは全員、同じ風景を見ていた。一人や二人じゃないんだ。同じ飛行隊のパイロットが一度に遭難したというならわかる。けれど、みんな違った」

 円波がじっとこちらを向いている。

「なぜ初夏なのか。偶然なのか」

「冬に遭難したら、そのまま凍死するからじゃないのか」

 円波が言った。ずっと話を聞いている。

「そういう与件を排除して、……全員に共通していたのが、私も歩いたあのワタスゲの原のイメージだったよ」

「姉さん、前に、空軍のパイロット……何て名前だったか忘れちまったが、蓮見みたいな女の子と話をしていたとき、言っていたな。軍が偵察機まで飛ばして、くだんの『天国の入り口』を探したが、それに該当する場所は存在しなかったって。矛盾してるじゃないか」

「イメージが違うんだ。私が歩いた場所は確かにワタスゲの群生だったけど、撃破されて擱座した戦車もあった。撃ち落とされて地面に刺さったみたいな飛行機の尾翼も見えた。十字架みたいだった。けど、あそこは天国とは程遠い場所だったよ」

「それと日常がどう結び付くんだ」

「私の場合は、地続きだったんだ」

「地続き?」

「南波たちと分かれてから、蓮見と歩いて行った。一本、湿原の端から南へ、ずっと道が続いていた」

「道?」

「道路じゃなく、道。驚くほどくっきりと、人がひとり歩く幅で、ずっと続く道だよ」

「そんな道があるのか」

 意外そうな顔をして南波が言う。

「あった。蓮見と歩いたんだ。気づいたら、ワタスゲの原にいた。あのパイロットたちが言っていたような、見渡す限りのワタスゲの原だった。でも、私はそこが天国の入り口だとは思わなかった。疲れていた。とにかく国境まで歩こうとね。むしろ、朽ち果てた戦車のほうが脅威に感じたよ」

「案外まともな精神状態だったんだな」

「私を疑っているのか」

「瀬里沢じゃなくても、多少はな」

「心外だ」

「続けてくれよ。で、その風景がどうやってあんたの日常を喚起したんだ?」

「私が都野崎の病院で聞き取りをしたパイロットたちは、空中から突然ああいう場所に放り出されたんだ。突然彼らの日常は断絶されたんだ。円波少尉が言ったとおり、冬なら海に落ちなくても、十分に遭難する気候だから、初夏の印象が強くなるのは当たり前だと思う。……ワタスゲが一面に咲くのは、季節の中では短いんだ。ほんの数日、それくらいの短さなんだよ。ねえ南波、いままで北方戦役で戦死した味方の数は知っているか」

「知らないね。そうした数字にはあまり興味がない」

「一万三千人」

 蓮見が短く答えた。

「蓮見、お前そういう数字には強いんだな」

 南波のまぜっかえしに蓮見は応えなかった。

「傷病兵はその三倍以上だよ。戦闘中に行方不明になった兵士の数は二千名を下回らない」

「死者行方不明者数、一万五千人ってことか」

「メディア風に言えばね。けれど、死んだのと行方不明では天と地も違う。文字通りね」

「行方不明者は地面をうろうろしているかもしれないって?」

「自力で生還した者が、『帰還者』ってこと。……条件的には私も蓮見もそれに入るんだろうな」

「当り前だ。帰ってきたんだから」

「原隊に復帰しただけだ。『帰ってきた』わけじゃない」

「まだ姉さんは行方不明ってことかよ」

「どこへ帰るんだ」

「部隊へだ」

「部隊が私の日常?」

「蓮見流に言わせれば、非日常の連続かもしれないが。けど、俺にとってはこれが日常だよ」

「行方不明になって帰還した人数、知ってるか、蓮見」

「一割もいないんだよね」

「そうだ。そのうち、航空要員はさらにその半分以下だ」

「五十人くらいかよ」

「定義があいまいだから、行方不明者数にカウントされていない帰還者もいるようだけど。研究室時代に追跡調査しようと思ったけど、防衛機密とやらに阻まれて、せいぜいが帝大病院で聞き取りが許された程度だった。……みんな、現実感を失っていた」

 円波少尉は機長に促されて私たちからは視線を外していた。南波だけがずっと私を向いている。

「あのワタスゲの原と、イルワクの村は、地続きなんだ」

「それが、あんたの忘れものだと?」

「柚辺尾の街とあの村は何も変わらない」

「全然違うんじゃないのか」

「同じだよ。人が生活している場所なんだ。……私はパイロットたちが迷い込んだワタスゲの原……天国なんてものがあるのなら、その入り口を探してみようと思った。全員が共通して同じイメージを持っていることにも疑問を感じたんだ。合理的に考えれば、遭難時期がみな似かよっていて、たまたま撃墜された空域が近かっただけかもしれない。洋上で撃墜されたパイロットの生還率は極端に下がるし、敵勢力下に降下すれば、すんなり帰国できるわけもない。悪天候時は航空作戦が遂行される率も下がる。結果的に、初夏の好天時の作戦で、有視界戦闘に陥ったパイロットの被撃墜率が上昇し、それで同じようなイメージが共有されるのかもしれない」

「俺はそれが真実だと思うけどな」

「じゃあなんで北方戦役で遭難したパイロットはみんな、精神科にぶち込まれているんだ。みんな、それまでの日常を忘れてしまったみたいに、元の生活に戻れている人間なんてほとんどいない」

「偵察機が見つけられない『入り口』がまだあるのかね」

「湿原は低地にいくらでもある。どこだって同じだよ。……私たちは、唐突に時間軸をぶった切られると、日常を認識できなくなるんだ」

「パイロットたちはそれだと?」

「私はそう思う」

「それと猟師村がどう関係するんだ」

「瀬里沢や、南波が危惧したとおり、……あの村に取り込まれそうになっていたのは私だったんだと思う」

 私は抵抗した。そうだ、私は原隊に復帰することを、国境を越えることをただ第一に考えていた。あの村を拒絶しようとした。ターニャの家での最初の夜、それがこらえきれずにあふれだした。私はさらにそれを認めることを拒み、かたくなになった。結果、私の戦闘的な日常は、あの村で断絶された。

「私は……、高泊で訓練に明け暮れていた新人時代から、もういくつ目になるのかわからない今回の作戦まで、戦闘に参加するのが日常だと感じていた。空を見上げたり、風の中に匂いを嗅いだりするのも、戦闘行為だった。そうしないとやられるからだ。でも、私が陸軍に入った目的は、天国の入り口を探すことだった。それで、天国なんて存在しないって、自分に理解させようと思った。日常は私が死ぬまでだらだらと続くもので、それは北洋州から都野崎に出て、ふつうの学生として過ごしていたときも思っていた。

 でも、北方戦役で……天国の存在が兵士たちの間で話題になっていると知って、私は気になったんだ。天国なんて日常じゃないだろう。そこで私の日常を断絶できるかもしれない。いや、反対だ。私の日常を、天国の入り口まで維持できるかもしれない、そうすれば、私の世界は、不変なんだって」

「それでわざわざ志願して、俺のチームに来たのか」

「そうだ」

「蓮見の動機のほうが、よっぽど明快で分かりやすい」

「そうだな」

「で、猟師村の件は」

「……日常を断絶できていない人間が一人いるんだ。彼を、……連れ帰りたい」

「……何のことだ?」

「私と蓮見のように、戦闘中に部隊とはぐれて、そのまま天国の入り口を通り過ぎて、もう一つの日常に埋没した兵士がいるんだ。私に弾薬をくれた男だよ」

「脱走兵か」

「脱走していない。行方不明の一人だ。二千分の一だ」

「初耳だ」

「弾薬をもらった話はした」

「イルワクの連中が友軍の装備を持って行ってるんだと思っていた」

「元戦車乗りだと言っていた。彼を連れ戻したいんだ。その戦車乗りはまだ、あの村で夢の中にいるんだ」

「今度は夢か」

「私と同じ、地続きで天国の入り口を通り過ぎた人間だよ。日常を断絶できなかったから……平穏な村の風景を拒絶したから、夢を見ているみたいに、今を日常だと認識できていないんだ」

「……姉さん。いまのあんたもそうなのか」

「どっちがどっちかわからなくなってくる」

「姉さん。……入地准尉。やっぱり戻ったらスクリーニングの上でリブートが必要だな」

「そう思う。……機長、だからお願いだ。寄り道してほしいんだ」

「南波少尉、……モールリーダー?」

 機長が抑揚なく言う。

「南波、……未帰還者の救出だ。名目はできただろう。行ってくれ……私は帰りたいんだ」

「『こっち側』にか?」

 私はうなずく。

「入地准尉。俺はチームの安全を担保できない限り、寄り道には同意しかねるぜ」

「あの村に敵の脅威判定をして、レベル二以下だったら……」

「敵脅威が確認できなければ、……機長、『ビンゴ』までの余裕は」

 復路分の燃料がもつかどうかと訊いている。

「こいつは燃費がいい。まだ大丈夫だ。少尉、俺はあんたらの運送屋だ。危なくない程度に付き合うよ。そこの姉さんは言い出したら聞かないタイプだな」

「困ってる。いつも」

 南波の言葉に、瀬里沢がうんざりとした表情を見せる。

「瀬里沢、わかってる。チームの安全を確保できない場合は、即座に引き返す。このわがまま姉さんを空中投棄してな」

「南波、」

「名目はその行方不明者の救出だ。……本当にそいつ、帰る気あるんだろうな」

「訊いてみればわかる」

 ショウキ。いや、八田堀伍長。

 悲しげな表情が思い出される。

 私の思い違いだったら。彼にとって、イルワクの村はすでにそれまでの日常にしっかりと上書きされているとしたら。

 けれど、私の日常は、あの村で、不自然な形で分断されているのだ。

 私は、帰りたい。イルワクの村での数日を、完全に過去のものにして、だ。

 ヘリコプターがバンクした。緩やかに。随伴する二機の戦闘ヘリコプターの機影が樹林にまだら模様を描いていた。


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