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10-2

 九六式装甲輸送機は、海軍の特殊部隊隊員と同じ、紺色の迷彩を纏っていた。正確には紺色系。曇天と鉛色の海の色に合わせて、今は濃いめのグレーにも近い色になっている。期待中央部のスライド式のドアに、側面に並んだ円い窓、直方体に近い機体形状は、やはりバスそのものといえた。回転翼を採用せず、機体四隅のスタブウィングに不釣り合いなほどの大きさのターボファンエンジンを搭載したのは、航続距離が短くなるデメリットを、回転翼によるデメリットを上回ると海軍が判断したからだという。ヘリコプターは回転翼が障害物に接触する危険性をいつもはらむ。だから、電線が張り巡らされているような市街地にはなかなか着陸できないし、森の中も同じだ。海軍第七二標準化群は、いわば海軍の切り込み部隊だから、ヘリコプターが安心して着陸できるような場所を常に確保できるとも限らない。それゆえ、回転翼と障害物とのクリアランスを保つ必要性と機体規模をトレードオフしたのだろう。確かにこの機体ならば、電線だらけの市街地でも枝葉の茂る森の中でも、その気になれば入っていけるだろう。不格好だが。

  九六式装甲輸送機は丘陵の中腹にホバリングした。ダウンウォッシュと甲高い爆音はヘリコプターの比ではない。ドアガンの射撃手がすでに射撃を開始していた。私もニーリングの姿勢で、集落方向を警戒する。私の位置からは稜線がちょうど死角になっているが、やって来ないとも限らない。

「入地准尉」

 谷井田少尉が私を呼ぶ。負傷した部下を機体に収め、私たちチームDの面々を呼んでいるのだ。私が一番機体から離れた場所にいた。蓮見は桐生が肩を貸し、南波が警戒しながらもうバスに乗り込んでいた。私はニーリングから中腰姿勢になり、銃を構えたまま後ずさる。ドアガンはまだ撃っている。射撃音とエンジン音が凄まじい。

「七四艦戦だ」

 南波の声に振り仰ぐと、CIDSの視界にTDボックスが素早く雲底を割って飛び込んできた海軍航空隊の七四式艦上戦闘機の姿を捉える。後退角度の浅い主翼に大振りの水平尾翼、双発のエンジン、そして『バス』と同じような濃い紺色の迷彩色。低空で七四式艦上戦闘機は急旋回した。主翼前縁部のストレーキから盛大に水蒸気(ヴェイパー)を発生させていた。やや外側に傾いた二枚の垂直尾翼がはっきり見える。二機編隊(エレメント)

「伏せろ、近接航空支援(CAS)だ」

 谷井田少尉が怒鳴り、私に向かって早く来いと手を振る。私のCIDSのサブ窓が、遠ざかる七四式艦上戦闘機をズームして追跡している。主翼パイロンから、合計四発の爆弾を投下したのが見える。精密誘導式ではない、自由落下タイプの爆弾。艦載機なので空軍機ほどの搭載量はない。視界の端に閃光、四秒ほど遅れて爆音が届く。黒煙が上がる。

「入地准尉!」

 南波が機体のステップに足を載せ、私を呼ぶ。私は彼の言葉に駆ける。笹藪が深い。走りにくかった。夢の中で走っているような、おかしな感覚だった。

 乗り込んだバスの中は、私たちが往路で乗った陸軍のヘリコプターより広かった。シートは対面式のロングシートだが、本当にバスのようだ。機内では救難員が負傷した72S隊員と蓮見の応急処置を始めようとしていた。72Sの負傷兵の傷は深そうだ。戦闘服を脱がせると、機体の床に血が漏れ流れた。負傷兵は意識ももうろうとしているようだったが、蓮見はそんな彼らの様子を、顔をしかめながらもはっきりとした表情で見つめていた。

 私が乗り込むが早いか、機はすぐに上昇を開始した。スライドドアは素早く閉められる。ドアが閉まる。機体が揺れる。

「盛大な罠だったな」

 南波が呟く。肉声で。

「たった俺たちだけを罠にかけるのに、保養施設まで作るかよ」

「私の祖父は、一頭のシカを追って、三日三晩山から帰ってこなかったよ。たった一頭のシカのために」

「シカだろう? 俺たちは違う。……あんたのじいさまも、シカを捉えるために村までは作らなかっただろう」

「本当に罠だったのか、」

「いまさら」

 小さな円い窓から、私たちが走った草原が見える。黒煙を上げる集落。新たに四つの閃光が目を射る。七四式艦上戦闘機の攻撃が続いているようだ。

「このあと、艦砲射撃を実施するそうだぜ」

「どっちが仕掛けた罠なんだか」

「俺たちは餌か」

「違うと思う?」

「どっちだっていい。とりあえず、危ないところだった」

 南波が言い終わるかのタイミングで、機体が派手に揺れた。衝撃音。

「なんだ?」

 シートから落ちそうになり、南波はとっさに対衝撃姿勢を取る。

「対空砲火だ!」

 CIDSのヘッドセットに、コクピットからの音声が届く。

「対空砲火?」

 南波。

「奴らそんな装備、」

 機体後部に衝撃。同時に、激しく機は動揺、大きく左に傾く。簡易寝台に載せられていた72Sの負傷兵がうめく。コクピットから警報が聞こえる。

「なんの音だ、谷井田少尉」

「火災警報だ、おそらく」

 私は窓に張り付いた。

「入地准尉、よせ。窓から離れろ」

 南波が私の腕を引いた。

「第四エンジン火災(ファイア)。みんな、掴まれるところに掴まれ」

 パイロットが叫んだ。

「小銃弾じゃねえぞ」

 南波が顔をゆがめて私に怒鳴った。私はCIDSをオープンにした。機外を向く。索敵モード。前線管制機からの情報が瞬時に表示される仕組みだ。

「あいつだ」

「姉さん?」

「SDD-48」

「まさか」

 南波はわずかに窓から離れ気味にして外を向く。

 視界。

 森の中から、ゆっくりと現れたのは、縫高町で友軍の八二式戦闘ヘリコプターを空沼川に沈めた、あの自走対空砲だった。三五ミリ機関砲を備え、地上掃射も可能な車両。

「いまごろお出ましか」

「近接航空支援であぶり出されたんだ、おそらく」

「なんで最初から出てこなかったんだ」

「奴らに訊いてくれ。とりあえず運が良かったってことにしておこうぜ」

 三五ミリ機関砲の曳光弾が見えた。

 この九六式装甲輸送機は、図体こそ大きかったが往路で乗った七七式改ヘリコプターと固定武装面で大きな違いがなかった。せいぜい、ありあまる推力の恩恵で、機体にぶ厚い装甲を施していることか。小銃や重機関銃の銃弾ならば堪えられないこともないだろう。しかし三五ミリ機関砲弾の直撃を防げるとは思えない。三五ミリ弾を確実に止めようと思うなら、戦車の装甲が必要だ。

「早く、海の上まで急げ……! 射程の外へ」

 南波は視線を窓からはずさずに一人呟いていた。

「第二エンジン火災(ファイア)!」

 パイロットの叫び。

 左舷側のエンジン二基が火を吹いている。

「バランスを失う……」

 私は思わずつぶやいていた。

「姉さん、掴まってるか、何かに」

「墜ちるとしたら機体ごとだろう、意味ないよ」

 『バス』は明らかに動揺し、迷走を始めた。低空を飛び続けている。高度を上げられない。だいたい高度を上げれば、SDD-48の三五ミリ機関砲の餌食になってしまう。

「陸軍さん」

 谷井田少尉の声に南波が振り返る。

「南波少尉だ、谷井田さん」

「南波少尉。我々が帰還できなければ、艦隊は即座に艦砲射撃を始める」

「なに?」

「我々の帰還が困難になった場合、あるいは我々が全滅した場合、艦隊は目標を殲滅するため、全火力を投入する予定になっているんだ。……私の腕には生体マーカーが埋め込まれている。……あんたらも同じだろう。これのビーコンが消滅した時点で、艦隊はここに砲撃を開始する」

「あんた、谷井田少尉、艦砲射撃はもう要請したって言っていなかったか」

「私たちが安全圏まで離脱できたら開始する算段だった。だが、もともと、我々の部隊が行動不能になった場合、あるいは全滅した場合、……帰還が困難になったと判断された場合は、即座に砲撃が開始されることになっているんだ」

 訊いた南波がうんざりした顔をした。

 同じだったからだ。

 私たち第五五派遣隊の作戦でも、任務が完遂できない場合、あるいは任務継続が困難になった場合は、陸軍砲兵部隊による砲撃か空軍に近接航空支援を要請し、「仕方なく」目標を破壊する。奪還できなければ破壊せよ。確保できなければ破壊せよ……。そういうことだった。いままで、私たちの部隊が戦闘能力を喪失したことを原因にした殲滅攻撃が実施された例はほとんどなかったが、そういうことだ、谷井田少尉が話したように、私たちの生体マーカーのビーコンが消滅した場合も、空軍は躊躇なく近接航空支援を実施する。そういう契約なのだ。

「谷井田少尉、もし墜落して、あんたがもし死んでたらだ、その腕切り離して俺が持って行くよ。マーカーごとだ。腕にレーションでも食わせれば、細胞もしばらくは生きているだろう。俺たちが安全圏まで脱出するまで」

「たちの悪い冗談だな……さっきの仕返しか」

 言って、谷井田少尉は笑わない目を私に向けた。私も笑わず、じっと彼の目を見返した。

彼は視線を私から逸らすことはしなかった。対抗心か、それとも別の感情だろうか。味方に向ける視線とは思えなかった。

「酔いそうだな」

 南波が苦笑混じりに呟く。機体は左右はおろか上下にも激しく揺れていた。パイロットとフライトコンピューターは機体を制御できているのかどうか疑わざるを得ない、はなはだあやしいほどの動きだった。

「艦隊はどこまで来ているんだ」

 南波が訊ねる。

「沖合、二〇キロ」

「近いな」

「戦艦の主砲の射程だ。重巡洋艦も来てる」

「島を耕しにか?」

「目標を殲滅するためだ」

「結果的に地形は変わるだろう?」

「何が言いたい」

「艦砲射撃をくわえる口実が欲しかったのか? あんたらは」

「なに?」

「先に手出しはできないから、俺たちをばらまいた。陸軍も同意した。幕僚監部の連中は敵の罠に引っかかったふりをした。どこからが罠なのかもうよくわからんが、だいたい『パイロットの保養施設を襲撃し、敵パイロットを殺害する』なんてのは、回りくどくて気乗りのしない任務だったし、取って付けたような気がした。そうか、そういうことだったんだな」

「そういうこと?」

 谷井田少尉は両足を床で踏ん張っていた。南波は彼に身を乗り出す。揺れる機体で身体をなんとか保持しながら。4726自動小銃が揺れる。

「俺たちやあんたらが出張れば、とうぜん、連中はあの<THINK>を装備した部隊を送り込んでくる。<THINKER>か。連中は俺たち帝国の特殊作戦部隊に対抗するための部隊だからだ。そうだよな?」

「……」

「だが奴らは手強い。……そして、奴らは最低でも中隊規模で動く……機甲部隊もくっついて。バックアップが万全なのは、俺たちよりも連中……<THINKER>のほうが、単価が高いからだろう」

 確かに風連奪還戦ではそうだった。モジュラー装甲を取り外し身軽になったSDD-48や歩兵戦闘車が 森の中で待ち伏せしていた。巧妙にカムフラージュを施して。早期警戒管制機(AWACS)や八九式支援戦闘機の目をごまかし、衛星を欺き、私たちを待っていた。

「なんで艦砲射撃なんだ。ご自慢の艦載機で精密誘導爆弾を使えばいい。空母機動部隊には、空軍に頼らず第一撃をかませられるような艦載機もいるだろうよ」

「より効果的なのは戦艦の主砲による艦砲射撃だ」

「どうしても地形を変えたいのか」

「……南波少尉。ここで私たちは、四個中隊を失っているんだ」

 CIDSのバイザーを上げ、左右に揺れる機内で、谷井田少尉は低く、だがしっかり通る声でそう言った。

「なんだって……?」

「あんたら陸軍が、内陸の風連や敷花で凄まじい犠牲を払ったことは私も知っている。敷花防衛戦が壮絶な結果になったことも」

 嶋田准尉の顔がよぎる。が、表情が思い出せない。瞬間的に蓮見の顔とオーバーラップした。誰もいない部屋。私の部屋。嶋田准尉の部屋。敷花防衛戦で戦死した彼女。

「風連の発電所奪還戦で、あんたらが奮闘したのも聞き及んでいる」

「そいつは嬉しいね」

「だが、メタンハイドレートの洋上基地を空軍が吹き飛ばしたとき、我が艦隊も近傍にいた。機動部隊もだ。艦隊は洋上で、敵の北氷洋艦隊を迎え撃っていた」

「艦隊同士で?」

「そうだ。……その後、私たちが海岸伝いにここまで来た」

「ここに何があるっていうんだ。軍事目標なんてありはしないぜ」

「地表にはな」

「どういうことだ?」

「海岸線からはわからんが、このあたりの内陸に、同盟の核融合プラントの建設が予定されていた」

「ここに?」

「そうだ。ボーリングも行われていたし、実験炉の設置準備工事に入っていた」

「そんな情報、俺は知らないぜ」

 言いながら南波は私を見た。私も知らない。首を振った。

「当初脅威にはならないと思われていたが、プラントの警備を行っていたのが、あんたらのいう〈THINKER〉さ。警備がいるとも気がつかなかった」

「この近くなのか」

「俺たちを嵌めてくれた同盟の保養施設から半日も歩けば、もっと立派な村が作られてるさ。本当に人が住んでる。プラントの建設作業要員とその家族、そして警備隊」

「行ってきたのか」

「だから、四個中隊が全滅したんだ。……今回はその報復だ」

「谷井田少尉、」

 私が言葉を挟む。

「海軍は、それを分かって?」

「最初から、全滅させるつもりでいた。艦隊の総火力で」

 私は嘆息した。

 陸軍は勢子役を買って出たわけか。たった四人のチームで。

「俺たちは、この作戦に他にもチームを送っている。よそも同じってことなのか」

「他は知らない。ここはそういう場所だった。俺はほかの作戦については知らされていない」

「そうか、」

 南波が言葉を句切り、シートに座り直そうとした瞬間、機体後部で激しい爆発があり、一瞬私は耳が聞こえなくなった。ヘッドセットのフィルタリング機能を上回る爆発音。機内全体に警報が響く。煙が後部から吹き出し、一瞬にして機内の視界がゼロになる。

「ドア開けろ、キャビン内で火災だ!!」

 誰かが怒鳴っている。

「撃たれる」

「見えないよりましだ、早くしろ!」

 誰かがドアを開けた。一瞬で視界がクリアになる。

「う」

 すぐ横でドアガンを構えていた射手が呻いて倒れた。血しぶきが煙のように散った。胸に大穴。即死だ。破片か、砲弾の直撃か。いや、三五ミリの直撃なら、人体など跡形もなくなる。

「誰か、ドアガンを」

 また誰かが叫んでいる。

 谷井田少尉が何も言わずにドアガンに駆け寄り、弾が装填されているのを確認し、撃った。発射煙が鼻を突く。三〇口径の機関銃。連射速度が速く、射撃音がまるでモーターサイクルのエンジン音のように一連に聞こえた。空薬莢がすさまじい勢いでばらまかれる。

「姉さん、」

 南波少尉が銃を構えようとしていた。さりげなく私たちの盾になるような姿勢で。

「かなりまずいな」

 桐生も、蓮見も身構えていた。

「どうやら、敵は大部隊を投入してきたようだ」

 南波がCIDSを下ろして言う。私のディスプレイにも戦闘情報表示で大部隊の存在が示されていた。

「あ、」

 誰かが短く叫ぶ。

 機外。空。黒煙を曳いて、七四式艦上戦闘機が墜ちていくのが見えた。離れてパラシュートが開く。パイロットは脱出したようだが、誰がパイロットの救出に行けるだろうか。

 そして私たちの乗った機体の動揺はもはや制御不能を予感させるほどになっていた。

「これは墜ちるな」

 南波が呟いた。冷静な声。状況をそのまま口にした声。

 谷井田少尉は無言でドアガンを撃ち続けていた。動揺に合わせて空薬莢がこちらにも飛んでくる。熱い。弾が切れ、別のクルーが谷井田少尉に予備弾薬を手渡す。

「入地准尉、姉さん」

 南波が真正面から私を見た。

「ダメだ。こいつは墜ちる。……巻き添えはゴメンだ。そうだな?」

 私はうなずいた。

「俺たちの任務はなんだ?」

「次の任務をこなすこと(・・・・・・・・・・)」

「そうだな。帰らなきゃならない」

 激しい振動。また誰かが叫んだ。

「南波少尉!」

 谷井田少尉が叫ぶ。

「すまない。不時着するそうだ。何かに掴まれ」

 不時着? 墜落の間違いだろう。すでに対地高度は二〇メートルを切っているようだった。下は湿地なのか、まだらに沼と茂みが続く。歩きづらそうだと私は真っ先に思った。

「姉さん、先に飛び降りろ。……この高度なら、できるだろう?」

「機を捨てる?」

「まともに着陸できると思うか? この飛行機が」

「無理だろうな」

「蓮見、」

「生きてるよ」

「見れば分かるさ。入地准尉と行け。降りたら、入地准尉に『言葉の話』をしてもらえ。お前から質問するんだぞ。『しゃべらなくても成立する言語が存在するか』ってな。悩み相談はするなよ。余計悩んじまうから」

「なんだって?」

「いいから、お前と姉さんで先に降りろ。俺たちはあとから行く。ビーコンは出しておけ。俺たちがお前たちに追いつく。必ず合流する」

 私と蓮見は無言でうなずく。

 『バス』は木立があればかすってしまうほどの高度まで降りてきていた。しかし速度が出ている。ヘリコプターとは違い、低速飛行が苦手な飛行機なのかもしれない。もっとも、墜落した場合も、自機のメインローターで自ら機体を切り刻んだり、ちぎれたローターが飛散し周囲を修羅場に変えるような心配はなさそうだ。

「なるべく、下が水の方がいい」

 蓮見のスーツの故障が気になったが、それは言えなかった。南波もわかって言っている。

「あんまり深いところに墜ちるなよ。まだこのへんは水浴びには涼しすぎる」

「わかってるさ」

 キャビンの外で細かな水煙が上がる。生きている側のエンジンが沼の水を巻き上げているのだ。対地速度は、自動車並みだろうか。転がると痛そうだが、水面に落ちればそれほど怪我をしないでも済みそうだった。

「姉さん、行け」

 私はうなずき、ドアに歩み寄った。後には蓮見。

 途端にドスンと凄まじい音がして、機体は段差から落ちるように急激に高度を失った。

「第二、第四エンジン、オールロス!」

「あっ!」

 パイロットの声に続いて、蓮見の短い声が聞こえた。危ない、そう思った。蓮見の腕をつかもうとした。南波は4726を構えていた。その私と南波の間を、傾いた床に足をさらわれた蓮見が滑った。

「蓮見!」

 南波が手を伸ばしたが、蓮見の身体はそれをすり抜けるようにして滑った。

 滑った先は開け放たれたドアだ。蓮見はそのまま姿を消した。

「蓮見!」

 私も叫んだ。

 キャビンから虚空へはじかれた蓮見の身体は、慣性から抜けると、すっと重力に引かれて落ちていく。背面跳びのような形ではじかれた蓮見と私の視線が交錯する。一瞬彼女と眼があった。見開かれた蓮見の目。

 不意を突かれて。

 水音。

 機体が一瞬安定したのを機に、躊躇を捨てて私も飛び降りた。

 機体から離れると、すぐに慣性から抜けた。やはり機速は自動車以下だ。身体をできるだけ丸め、銃は負い紐にしっかりとあずけて、着水に備える姿勢を取る。いくら速度が出ていない、高度もたかが知れているとはいえ、角度によって水面はコンクリート並みの硬さになるからだ。いくつか口の中で秒を数えると、すぐに刺すように冷たい水に全身が覆われるのを感じる。着水。かなり潜る。全身を脱力させて、浮力を得る。顔が水面から出る。息を吐く。吐息が白い。

 『バス』が見えた。飛んでいるのが不思議なほどに、あちこちから黒煙を上げていた。左舷側エンジンは二機とも黒々とした煙を、上り坂であえぐ蒸気機関車のようにもうもうと吹き上げており、とうてい機能しているとは思えなかった。ドアから南波少尉の顔が覗いていたが、機体はフラフラとバランスを失い、一時として同じ場所にはとどまらず、私たちから遠ざかっていった。

 蓮見は。

 離れた場所に、蓮見が浮いていた。両手で水をかいている。意識もあるようだ。よかった。水は切るように冷たい。蓮見を一刻も早く引き上げなければ。

「蓮見、」

 銃声と、爆音が聞こえたが、不思議に大きい音ではなかった。

 蓮見へ向かって泳ぐと、つま先が水底についた。つま先で歩くような格好で蓮見に近づいた。

「姉さん、……」

 辛うじて水面に顔を出しているような状態だった。沼の水は本当に冷たい。私のスーツは生きているから、素肌をさらしている部分以外は冷たさを感じない。が、サーモスタットが機能せず、大腿部に大きな裂け目があり、しかも負傷し衰弱している蓮見には死活問題の温度だ。

「蓮見、動けるか」

 流れのない沼でよかった。川だったらおそらく彼女は為す術なく流された。それでおしまいだ。私は蓮見の返答を待たず、ベストをつかみ上げ、そのまま引いた。浮力に任せて、蓮見の身体を岸まで牽引する。もともと軽いはずの蓮見の体重がまったく感じられなかった。まるで彼女の命の重さが失われていくような気がして、私は嫌な気分だった。

 嫌な気分?

 私は先ほど、4726小銃で、敵兵三人を葬った。そしてそれに快感を覚えた。誰にも言えないが、紛れもない快感だった。弾頭が敵兵の頭を砕く感覚。ライフルを投げ出すようにして斃れた兵士の姿。

 殺すことに快感を覚えるのではない。

 斃すこと。

 私が感じる興奮と快感はそこにある。

 兵士の中には、本当の快楽殺人者になってしまった悲惨な者いることだろう。私は幸いにして会ったことはなかったが、戦場は少なからずヒトの精神をむしばむ。極限状態は、人の心を両極端にする。隠されていた性質まであぶり出す。温厚だった人間が凶暴になり、周りへの気遣いを忘れなかった人間が、自分が生き残るため、周りの仲間を見殺しにする。そういう現場はいくらでもある。

「蓮見、」

「姉さん……」

「極限状態が、」

 私の吐く息が白い。これで初夏か。

「お前は、こういう極限状態が好きなんだろう、しっかりしろ」

「ごめん、姉さん」

「蓮見准尉!」

「大丈夫……」

 爆発音と、断続的な射撃音。遠い。三五ミリ機関砲の音だ。

 『バス』はどうなったのか。

 私は蓮見を岸まで引きずり上げて、枯れ色の草を両手で押し開いて視界を確保した。

 九六式装甲輸送機はまだ飛んでいた。

 フラフラと。

 右舷側のドアガンはまだ生きているようだったが、この距離からだと四基のエンジンのどれが生き残っているのか分からなかった。それくらいに機体は黒煙に覆われていた。傾きながら、懸命に機体を制御しようとしているのだ。もっとも、機体を制御しているのはフライトコンピュータで、その入力支援をするのがパイロットの手足に頭脳だと言っても過言ではない。ああした、飛行にとても適しているとはいえない形状の航空機を飛ばしているのは、常に大量の冷却が必要な大容量かつ高速処理能力を持ったフライトコンピューターと大出力のエンジンだ。現用の航空機は輸送機から戦闘機にいたるまで、フライトコンピューターの支援なしには一秒たりとも安定して飛行できない。戦闘機はそれが顕著であり、高機動性を確保するために本来人間が操作できる限界を超え、静安定を設計段階から失わせている。それを補うのは高性能のフライトコンピューターというわけだ。そのかわり、飛行機とは呼べない超越的起動も可能になっている。エンジン推力にものを云わせて、機首を天に向けたまま空中で静止する、高度を変えずに宙返りする、その過程で後ろ向きに飛ぶ。その姿はもう飛行機のそれではなかったが、コツをつかめばパイロットは誰でも同じ機動ができる。コンピュータが飛ばしているからだ。

 九六式装甲輸送機。

 装甲板で保護されたキャビンはおそらく、回転翼機(ヘリコプター)のそれよりはるかに重い。装甲がすさまじい重量を要求するからだ。回転翼ではなくターボファンエンジンを四基も装備しているのはそうした理由もあるのだろう。ヘリコプターは便利な乗り物だが、機体を含む搭載量に対して要求されるエンジン出力は固定翼機のそれを大きく上回る。もっとも、燃料を馬鹿食いするエンジンを四基も装備し、揚力を生む主翼を持たない『バス』の効率の悪さはヘリコプター以上かもしれない。だがそれも運用される場所とプラットフォームがある程度限定されるから許される。洋上の艦隊から離陸して、特殊部隊兵士を戦地に送り届けるシャトル便としての役目だ。陸軍のヘリコプターほどに航続距離は求められないから、そうした機体の存在が許されるのだろう。

 私は銃の光学照準器で機影を追った。

「姉さん……南波少尉は……」

「わからない」

 照準器の中で、機はさらに高度を下げ、時折姿が見えなくなった。森がある。機は背の高い針葉樹林に突っこむようにして完全に姿を消した。

「姉さん……、南波、少尉は、……脱出、できた……」

 蓮見を見る。顔色が蒼白だった。両手が震えている。顎も激しく細かく震えていた。低体温症だ。危険な兆候だと思った。

「蓮見、南波なら大丈夫だ。必ず生きてる。また会える。お前が生きていれば」

 私は本気で言った。私たちが生きていれば、南波となら必ず会える。彼は死ぬことを知らない。生きるための行動しか知らない。だからあいつは大丈夫だ。

 私は再び光学照準器を覗く。

 曳光弾の軌跡が幾筋も伸びる。爆発。轟音。

 針葉樹林の向こうに姿を消したきり、バスは見えなくなった。

 森の中に降りるつもりだろうか。

 しかし、機体の制御はもう完全に失われているはずだ。

 安全な着陸などはもう望めない。機体が地面に降りるとすれば、それは墜落以外にはあり得ないだろう。私は、南波と桐生が、墜落前に機体から脱出していることを願い、信じた。

 閃光。

 針葉樹の向こう、低く垂れ込めた雲と霧に反射して、爆発が見えた。

 かなり遅れて、爆発音がやってくる。

 黒煙。

 もうもうたる黒煙だ。

 間違いない。『バス』が墜落したのだ。

 南波。

 私は信じていた。

「蓮見、行くぞ。立てるか」

 震える手を私に伸ばしてくる。私は銃を背中に回し、蓮見の手を握った。沼の水と同じくらい冷たかった。強く握った。小さな手だった。私の手よりも小さく、細い指。まるで、少女のような。蓮見は私たちのチームでもっとも兵士に見えない隊員だ。だから、市街地への潜入任務では街に溶けこみやすい。迷彩服や軍服を着ていなければ誰も彼女を特殊訓練を受けた兵士だとは思わない。高等科の生徒だと思うはずだ。きらきらした好奇心にあふれた視線は彼女の生来持つ特性だ。私の目とは違う。悩むことがどういうことなのか教えなければ分からないような南波と違い、蓮見は悩んだ。人間らしいと思った。だから、もしかすると私たちのチームは彼女にとって……。

「姉さん、」

「立て。ここにいても死ぬ。安全な場所まで移動する。すぐに南波少尉と桐生が追い付いてくる。大丈夫だ。蓮見、行くぞ。CIDSを下ろせ」

 震える蓮見の手は私の指を握ったまま、動かなかった。私は右手を彼女の指からほどき、蓮見のヘルメット・バイザーを下ろした。

「立て」

 蓮見は高熱を出した子どものように震えていたが、立ち上がろうと私から手を離した。

「そうだ、立て、蓮見。行くぞ」

 彼女の脇から背中に腕を通し、引き上げた。冷たい。私の首筋に触れる彼女の身体は氷のように冷たかった。バックパックは完全防水されているが、迷彩を施した戦闘服はずっすりと水を吸っている。できれば戦闘服を脱がせたかったが、その下のスーツは原理的に水分は吸い込まない。皮膜状の一層だけが水分を保持するのみで、基本的に防水材質なのだ。冷たいのは彼女の身体自身。今触れている蓮見のスーツは、いわば彼女の皮膚そのものだといえる。ほぼ全身を覆うスーツの表面積は広い。そこから一斉に熱を奪われれば、本格的に凍死の可能性を考慮しなくてはならない。火を焚きたかった。戦場での焚き火は自殺行為ではあるが。

 とにかくこの湿地を離れるのが先決だった。足場が悪すぎ、蓮見を支えて歩くのが至難だったからだ。縫高町作戦のあとの私と南波と今の私と蓮見で決定的に違うことは、ひとつ、蓮見の負傷。ひとつ、またもチームがバラバラになったこと。プラス要因、ひとつ、CIDSにライフルをはじめとする二人のお役立ち装備がほぼ無傷であること。蓮見のスーツを除いてだが、CIDSはまだ生きているし、二人とも自分の癖に合わせて調節した4726小銃をまだ持っている。予備弾倉もある。ホルスターにはメルクア・ポラリスMG-7A・九ミリ口径拳銃、そして予備弾倉が四本。十分だ。バックパックも無事で、戦闘糧食もサバイバルキットもある。

「蓮見、その調子だ」

 しきりに爆音と閃光と頭上を曳光弾がよぎっていたが、私たち二人は戦闘から無視されているようだった。CIDSはスーパーサーチにしてある。蓮見に肩を貸し、時速二キロがいいところの速度で歩く。十五メートルごとに立ち止まり、蓮見の身体を抱きしめながら。

 本当にどこかで焚き火をしなければ蓮見は危険かもしれなかった。私が蓮見を抱きしめたところで、私の身体からは赤外線がまったく出ない。蓮見の身体からの放熱を遮る効果はあっても、私の体温で彼女を暖めることはできないのだ。私がスーツを脱げば暖められるが、それはまったくこの場ではナンセンスなことだった。

「姉さん……入地准尉」

「蓮見、なんだ」

「私のこと、置いて行っていい」

 言うと思った。そして蓮見は本気で言っている。始末に負えない。

「寝言は寝てから言え。そして今寝たら私がお前を殺すからな」

「冗談……」

「お前を置き去りにはできない……センサーの数が五個減る」

「五個?」

眼球(アイボール)

「……それじゃ二つだよ」

「残り、当ててみろ」

 蓮見は左足をかばいながら歩いている。いや、私が引きずっているというのが正解に近い。いくら海軍の救難員と南波に応急処置を受けたとはいえ、本格的なものではない。痛みまでは取れないだろうし、せいぜい止血処置をしただけだ。

「姉さん……わからないよ」

「耳」

「ああ……あとは」

「鼻」

「それで……五つ?」

「人間の感覚は……」

 蓮見の息は、体温に逆行して熱い。ダメだ、蓮見。熱を放出するな。お前の身体の中の熱は有限だ。これ以上熱を放出したら、帰れなくなる。私の脳裏に、上半身を失った野井上の姿がフラッシュバックする。

風連の発電所奪還戦。あのとき、野井上は私を振り向いた。銃を構えようとした。火線の先には、同盟軍の<THINKER>がいた。姿は見えなかった。森の向こうに、何かのモニュメントのように、発電所の巨大な冷却塔がそびえていた。場違いなほどに巨大で、原子のままの森の風景の中に存在する無機質な巨大建造物の姿は、熱にうなされた悪夢の中に出てくる風景にそっくりで、だから私はそのあと何度も同じシーンを夢に見た。野井上は私を向いて、何か叫んだ。爆発音と砲撃の音が凄まじく、彼の声はよく聞こえなかった。次の瞬間、私は南波に突き倒された。激しい音がした。土が巻き上がり、視界がなくなった。針葉樹の葉がちぎれ飛び、不思議といい匂いがした。森の匂いだ。目を開くと、野井上の破片が散らばっていた。腕があった。左腕は三分割されていた。右手は肘から先が私の頭の向こう二メートルに転がっていた。4716小銃のグリップを握ったままだった。だが、小銃はロアレシーバーを残して、アッパーレシーバが見あたらなかった。野井上の「本体」は、腰から上がそっくり失われていた。不思議なことに、両足はほとんど無傷で、しかも小刻みに動いていた。野井上……私は口の中で呟いた。呟きはCIDSが増幅して全員に耳に届く。

(野井上は戦死だ。姉さん、行くぜ)

 私の肩を二度強く叩き、南波が駆けて行った。そんな風景がフラッシュバックする。記憶なのか、その後繰り返し見た悪夢なのか、ときどき判別が難しくなる。

 私は幻想を振り払い、蓮見に話しかける。

「蓮見、人間の感覚は、精密ではないが、正確なんだ……しっかり、見て聞いて嗅いでいてくれ」

「姉さんの匂いがするよ」

「南波みたいなことは言わなくていい。……目を開け」

「大丈夫。……私はこういう感覚が好きなんだ」

「そうだ、お前はこういう状況が好きなんだ。これで終わりにしたいのか?」

「……終わりでもいいかも」

「それは、家に帰って、ソファの上でIidでも見ながら思い出すんだな」

「姉さん……優しいな」

「気のせいだ」

 CIDSのスーパーサーチモード。エコーロケーションモードもデュアルで使用。周囲五〇〇メートル以内に直接脅威なし。ただし、戦域における脅威判定はレベル三。私は蓮見を抱えるようにして歩く。

 歩く。

 歩く。

 蓮見。

 まだ、熱い息が私の頬に届く。

 蓮見。

 帰るんだ。歩くんだ。

 国境まで。友軍部隊と合流するまで。

 南波少尉が私たちと合流するまで。


 私たちがかろうじて湿地を抜けたころ、艦砲射撃が始まった。

 空気を切り裂く砲弾の音。そして、着弾。

 戦艦と重巡洋艦が数隻、一斉に主砲を解き放ち砲撃をしていた。弾着の衝撃はすさまじく、距離はあるというのに、私たちはその場にすくんで姿勢を低くし、行軍を止めた。射撃音そのものが戦域全体の空へこだましていた。艦隊は水平線の向こうに展開しているから、私たちからは見えなかった。ただ、日が陰り始めると、低く垂れこめた雲に、艦隊が砲撃するときの閃光が反射して、なんとなくきれいに見えた。ああ、稲妻のようだ。

 日が暮れて、海軍艦艇による艦砲射撃は断続的に続いていた。

 まだ空は雲に覆われているようだ。海を向くと、水平線上で閃光が瞬く。艦砲の発射炎。それが低く垂れこめた雲の中でぼんやりと光る。やがて、地を揺るがす弾着。弾着の後で、発射音が海上から轟いてくる。私たちはそれらの攻撃目標からかなりもう外れているはずだった。時速三キロにも満たないが、蓮見はなんとか私に引きずられるようにして歩いていた。

 道はなかった。

 湿地は途切れ、いま私たちが行くのは、腰までの高さの茂みだった。笹とイネ科と思しき細長い草。初夏の椛武戸。明かりあれば、この植物が萌える様子を美しいと感じたかもしれない。そして、絶え間ない艦砲射撃の轟音がなければ。

 海上の艦隊からは、圧倒的火力を誇る戦艦の艦砲射撃が続いているようだ。戦闘機や攻撃機の飛行音は聞こえなかった。CIDSにもそれらの反応はなかった。海軍はもっぱら上陸支援に使用しているはずの大口径艦砲の威力を見せつけようと、もうやたらと陸地に向かって撃ち放っているように思えた。艦砲の平均半径誤差(CEP)は、航空機から投下する誘導爆弾に比べるまでもなく大きい。お利口さまでかわいそうな(・・・・・・・・・・・・)GBU-8自己鍛造爆弾でCEPは数メートル以内に収まるというが、口径四十センチを超えるような戦艦の主砲弾のCEPなど、よくて数十メートル、通常はそれ以上の誤差が出る。精密攻撃など望むべくもない。文字通り、地形を変えるつもりで砲撃を加えるのだ。艦体の動揺、地球の自転などを考慮すれば、接近すれば接近するほど精度は上がるが、その分陸上からの攻撃にもさらされる。いま海上から盛大に発砲している戦艦は四隻。三連装主砲が一隻当たり三基。朝まで射撃を続けるのだとしたら、この付近一帯の地形は間違いなく変わる。

「姉さん……」

 蓮見と私は茂みに横たわっていた。海軍の九六式装甲輸送機から飛び降り、南波たちと分かれていから、ずっと歩きとおしだった。もちろん途中での休憩も挟みながらだったが、疲れ果てていた。とりわけ私は、蓮見の体重を支えながらの行軍だった。蓮見も消耗していたが、私も消耗していた。

「蓮見、少し休め」

 弱々しいが、蓮見の意識はまだはっきりとしていた。墜落直後の朦朧とした状態からは、なんとか脱してくれたようだった。大腿部の出血は、ファーストエイドキットで止まってくれた。痛みだけはどうしようもなかったが、彼女が痛みを感じてくれている間は、彼女自身の意識が明晰であることの証左であるから、私はそれを大事にしたいと思った。

「すごい音……」

「艦砲射撃だよ」

 蓮見が身体を横に向け、緩慢な動作で茂みを掻いた。視界を啓こうとしたのだ。

「見たいか」

「見える?」

「見えるよ」

 場違いだと感じたが、私は断続的だが中断を挟む戦艦たちの艦砲射撃で、真夏、柚辺尾の街の河川敷で見た花火を思い出していた。

 真夏。

 高緯度の柚辺尾は、夏が短い。

 盛夏と呼べるのは、七月から八月の盆までの一ヶ月少々だった。

 おそらく、高緯度地域の町や村はみんな同じだろう。みな夏が恋しい。夏がくれば、目いっぱい楽しむ。たくさんの祭が開かれ、たくさんの人たちが家から飛び出し、真上から降り注ぎ、足元に小さな影を落としてくれる太陽を全身で感じる。

 私もそうだった。

 六月が来ると、山も原も、どこも、新緑が萌え始める。一斉に花咲くように。

 日照時間は目に見えて一日ずつどんどんと長くなっていく。

 冬が遠ざかる。

 北洋州以北の住民たちは、冬とともに暮らすが、一方、冬を嫌っている。

 冬に糧を得る職業ももちろんあるが、多くの人々にとって、雪と氷に閉ざされ、一日数時間しか太陽が顔を出さなくなる冬の季節は忌むべき存在だった。

 だから、夏が恋しい。

 七月の下旬、柚辺尾市では、一週ごとに四週連続で週末金曜日の夜、花火大会が行われる。地元の企業がそれぞれに主催し、その日は町中も河川敷も、花火が見える場所はどこも観客でごった返す。周辺部の町や村からも観客は汽車に乗ってやってくる。北洋州開拓記念公園にはびっしりと露店が並ぶのは、六月中旬に開催される鎮守の社の神宮祭と同じだ。

 みんな河川敷にならび、みな一様に空を見上げ、一発目を待つ。

 私も、父や母、姉たちと汽車と市街電車を乗り継いで、中心街を流れる対雁(ついしかり)川の堤防に場所をとり、花火を待った。

 やがて、一条の光が空へ打ち上げられ、大輪の花を咲かす。

 炸裂音。

 光。

 歓声。

 それは一時間余り続くが、呼吸をするように、ふと花火の打ち上げが中断される間がある。火薬や玉の装填であったりするわけだが、その間は、観客の期待をいやがうえにも盛り上げてくれる。私はその間が好きだった。姉たちはその中断に文句を言うこともあったが、私は構わかなかった。一連で間断なく、花火大会が一瞬で終わってしまうのが私はもったいないと思った。中断を挟み、できればもっと長く、この夏の夜の時間が続けばいいと思っていた。

 水平線。

 私は蓮見と同じ視線をたどる。

 低く垂れこめた雲の中に、艦砲の発射炎が光る。

「蓮見、」

 私は彼女に話しかける。蓮見は低体温から一転して熱発していた。大腿部の傷のせいだ。彼女の身体は戦っている。そうするように陸軍医療局がセッティングした。私たちは訓練の過程で全身の調律(チューニング)を受けている。流行病に備えた民間での予防接種の拡大版だと考えてくれればいい。特に第五五派遣隊の隊員の身体には、強化した抗体(アンチボディ)が組み込まれている。一撃で息の根を止めるような負傷や、風連での野井上のように、身体そのものを木端微塵に吹き飛ばされれば話は別だが、軽度の傷病であれば、投薬や野戦病院での治療を行わずとも、ある一定レベルの身体機能を継続できるように肉体そのものが回復しようとするのだ。私たちはなかなか死なないように調律されている。精神面にもそれは及ぶ。戦場の兵士は日常生活では考えられないほどの心的ストレスを負う。いちいちそれに負けていたら、敵と戦うどころではなくなる。簡単には戦意を喪失しないような、絶望しないような調律。私たちの脳は、極限の状況でも生きていけるように強化されているのだ。外側から。第三者の手によって。

「なあ、蓮見。お前、花火、見たことあるか」

 私は自分の声の低さに時々驚く。もともとこういう声だったろうか。

 入隊以前の自分の声はどのような音だったろうか。

 丹野美春がいま私に会ったら、私を私だとわかってくれるだろうか。

「花火……?」

「そう。花火」

 発射炎。

 弾着。

 大音響。

 なぜ私たちはこんなに平然としていられるのか。

「お前、出水音(いずみね)の出身だと言っていたな」

「うん」

 出水音。城下町。水路。盆地。やはり私が知っているのはその程度だ。

 高地に広がる盆地で、夏は冷涼。都野崎から特急電車で二時間ほどの距離はずだが、訪れたことはなかった。学生のころ、都野崎に住んでいながら、私は本土をほとんど旅していない。都野崎近郊ならば丹野美春とときどき訪ねて歩いた。だから、私は蓮見の故郷も、南波の生まれ倉賀(くらが)という武家屋敷が並ぶ街のことも知らない。唯一ともいえる旅行は、丹野美春の案内で訪れた(みやこ)だった。帝の住まう帝国の首都。碁盤の目の街路、一角ごとに存在感を示す寺院、そして気高い住民たち。帝国の中心は、武士たちが群雄割拠していた中世社会を統一したとある武家政権が築城した都野崎に移った。その後経済発展を遂げ世界都市にまで成長した都野崎には政府機能そのものが置かれているが、丹野美春の穏やかな京言葉を聞きながら、帝国の歴史そのものが鎮座している京の町を歩きながら、帝の御所を生まれて初めて眺め、我が国の首都はやはり京であり続けているのだと感じたものだった。北洋州に住んでいる限り、帝は神話の世界の中でしか存在しないと思えていたからだ。

「出水音で花火、見たことあるか」

 同じ質問をした。

「ある」

「どんなだ」

「……実家の……二階の窓から見えたよ。知らないの、出水音の花火は、帝国で三番目に歴史が古いんだよ……、出水音城を築いた殿様がね、新し物好きだったんだ」

「そうか」

「お城が見えるんだけど、その、天守閣の向こうに、花火が見えるんだ」

「その花火、好きだったか」

「姉さん、どうしてそんなことを訊く?」

「さあ、……どうしてだろうな」

「まだ、撃ってる」

 海軍は一晩中艦砲射撃を行うつもりなのか。私にはもはやそれが、怨念のこもった行為に感じられて、不快感を覚えていた。

「少し眠れ」

 私は蓮見のヘッドセットを外した。

「寒い」

「熱発だ。それで寒いんだ」

「足が痛い」

「その痛みを大事にしてくれ。感じなくなったら、……置いていくぞ」

「姉さん」

「なんだ」

「本当は、姉さん、私を置いて行ったりはしない」

「……」

「だから、休むよ。姉さんも、休んだら」

「私は大丈夫だ。……海軍主催の花火大会がまだ続いているからな」

「花火大会……そういう意味だったの。……姉さん、ごめん」

「なぜ謝る。らしくない」

「わからない」

「弱気になると、死ぬぞ。『がんばれ、元気を出せ。救助は必ずやってくる』だ」

「……サバイバルキットに入ってるやつじゃない、それ……」

 蓮見は目を開いたまま、首をめぐらせて、水平線を向いていた。

「まだ食べさせないよ。……休め」

 艦砲射撃。

 音。

 着弾地点は、内陸へかなり移行しているようだ。おそらく無人観測機や合成開口レーダーを装備した戦術偵察機が高硬度から監視しているのだ。炸裂音と弾着のすさまじい衝撃で、上空に何がいるのかはまったくわからない。CIDSの索敵モードも今は近距離モードにしてあり、より電力を食うスーパーサーチモードへの変更は控えていた。少なくとも半径二キロ以内の地上に、私たちの脅威となりうる「なにか」はいない模様だった。脅威反対そのものはレベル三。警戒を解いていいのはレベル二以下だから、まだ気を休めるわけにはいかなかった。

 傍らに、というより、私は肌身離さず、蓮見と、そして4726自動小銃を抱えていた。今一度、自分の装備を確認する。ヘッツァー4726・七.六ミリ自動小銃はそろそろメンテナンスをしてやりたいところだが、こんな場所で分解結合(フィールドストリッピング)というわけにもいかない。予備弾倉は、マガジンポーチに、七本。蓮見はもう少し持っている。ふたりともグレネードランチャーを装備しないで出撃しているので、銃そのものには光学照準器とフラッシュライトのみだ。バーティカルフォアグリップも近接戦闘でのスイッチングを考慮していないので装備していない。ただし、銃本体のフレームが大柄なので、五.五六ミリ版の4716と比較すると、一回りほど大きく、一割以上重い。二脚(バイポッド)がついていれば、銃の固定や保持も楽で、より遠距離への精密射撃も可能だが、この銃は狙撃銃(スナイパーライフル)ではなく突撃銃(アサルトライフル)……もっと細分化すればバトルライフルである。そもそも今回の作戦は狙撃が主任務ではない。

 寒さに身体が震えた。さすがに初夏とはいえやはり冷え込んだ。火は焚けないが、私は蓮見に寄り添っていた。

「入地准尉……姉さん」

「なんだ」

「なぜ、軍隊に入ったの?」

 私はすこし面食らったかもしれない。南波からも訊かれたことがなかった質問だった。おそらく、陸軍入隊時……とりわけ第五五派遣隊への入隊選抜での面接以来、その質問は忘れ去っていたかもしれない。

 いや、忘れたふりをしていただけかもしれない。

「姉さんは、都野崎帝大出なんでしょう」

 それは南波がことあるごとに風潮してまわっているから、隊の顔見知りはみんな知っていることだった。(さすが姉さんは帝大出のエリートだぜ)

「ああ、そうだ」

「徴兵されたわけでもない」

「徴兵制度はもうこの国にはないからな……もっとも、軍隊経験があれば、『市民』としての手厚い権利が保障されるっていうのは魅力だったけどな」

「嘘だよ、姉さんはそういう人じゃない」

「どういう人だ」

 弾着。地面が揺れる。

「姉さん、南波少尉が言っていた、言葉のいらない民族って、なんの話?」

「話が変わるな……それは、暇つぶしのおとぎ話さ」

「どういう?」

「言葉を声に出さない民族……というか部族だな、そういう連中がいるのさ。南のとある島に。知ってるか?」

 蓮見は首を横に振った。

「十六世紀まで『文明人』が一人たりとも訪れたことのない、絶海の孤島って奴だ。そこに、文字は持っているが、しゃべらない部族がいたのさ。そういう話だ」

「そういう話を、ふだん、南波少尉としている?」

 蓮見は言葉を持つが話さない部族の話にはさほど興味を示さなかったようだ。

「二人きりになると、暇になるからな」

「私にも、何か話を……」

「子守唄は歌わないぞ。……気を確かに持て」

「大丈夫。さっきよりは大分楽になった」

 蓮見の腿の傷の出血自体はかなり前におさまっている。ただ、かなりの痛みをともなっているようだ。かぎ裂きのように太ももが切れている。応急処置だけでは今後が心配だった。いくら気温が低いとはいえ、無菌に近い氷雪地帯とは違う。雑菌が入れば、今夜あたりから彼女はさらに発熱するだろう。身体と脳の調律がそれを要求するからだ。私たちの身体は一般市民の身体とは構造が違う。生来持つ治癒能力を医学的に高められている。だから発熱量も大きくなる。そしてその発熱量を維持するだけの食料は心もとないと言わざるを得なかった。

 私は背の高い草むらに寄り掛かるように、上半身を脱力させた。両足を伸ばす。すると途端に全身が弛緩する。緊張が徐々に解けていく。筋肉という筋肉に蓄積された疲労が、ゆっくりと脳を麻痺させていく。第五五派遣隊入隊選抜時の訓練中、助教からしつこく注意されたことだった。戦場の敵よりも、自分の内なる部分から囁きかけてくる誘惑だった。(もう休め)(誰も見ていない、少し休んだらどうだ)、そういう囁きだ。肉体や精神が極限状態に達したとき、それらの囁きは実体を持って私自身に襲いかかってくるのだ。なによりも甘美で心地よい誘惑だった。

「姉さん」

「私も、少し疲れた」

 私はバックパックを下ろし、ハーネスの類を解いた。一気に体が軽くなる。

 南波は無事か。弛緩した緊張感のはざまに、南波の横顔が浮かんだ。

「しゃべらない部族の話、聞きたいか」

 艦砲射撃が一時止んでいる。私の声は自分でも驚くほどに大きく聞こえた。

「ううん。……それより、……姉さんがなぜ軍隊に入ったのか、教えてほしい」

「なぜ」

「知りたいから」

「わかりやすいな」

「話してもいいが、出水音の話も聞かせて欲しいな」

「私の街?」

「そう」

「どうして」

「私は北洋州育ちだ。……ああいう歴史のある地方に憧れがあるのさ」

「都野崎は?」

「自分の街じゃない。四年いただけだ」

「都野崎のどこに?」

 私は上半身をそのまま草むらに横たえた。背筋が一気に弛緩した。疲労に全身が絡め取られていく。心地よい。なんとか抗おうと思った。けれど、無駄な努力だとも思った。

「都野崎の……紀元記念公園のそばだ……高射砲塔がよく見える……アパートメントの二階に住んでいたよ」

 あたりはすでに夜の空気だった。曇り空のままだから月明かりも星も見えない。闇が来る。心地よい、そして危険極まりない夜が来る。

 曇天の夜は本来ならば作戦行動にちょうど良い。なにより暗い。星もなければ月もない。この時期は雪も消えるので、雪原の乱反射もない。国境を目指すなら、夜に移動するのがもっとも安全に思われた。

「蓮見……」

 もしかすると私自身の身体がすでに限界を超えつつあったのかもしれない。

「すまない。私も少し休ませてほしい」

 私は上半身をやや起こし、熱っぽい蓮見の腕を二度叩く。航空機の機長が操縦桿を副操縦士にあずけるように。”You have control……”、そのつもりだった。

「姉さん」

「すまない」

 それでも私は4726自動小銃からは手を離さない。セイフティをかけた状態で、しかし薬室からは弾薬を抜いていないから、いつでも撃てる。

「三十分でいい。……休ませてほしい」

「わかった」

 危険だとも思った。蓮見がまともに警戒できる状態ではないことも分かっていた。けれど、休みたかった。一瞬でも都野崎の風景が、この青く沈んだ水の底のような曇天の向こうに見えたような気がしたからかもしれかなった。

 私は目を閉じた。

 艦砲射撃は中断していた。

 意識が遠くなるにはちょうどいい静けさだった。

 風もなく、草木のざわめきもない。あたりからはすべての音が消えていた。

 私の意識は不意に遠くなり、記憶の中へと時間が逆転を始めた。


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