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   一〇、



 自動車が一台も通らないと分かっていても、道の真ん中で座り込もうと考えないのは、これは身体が常識に絡め取られているからなのか、本能的な防衛反応なのか。

「またそういう話か、」

 スナックバーをかじりながら、路側帯の法面に半身を横たえた南波が私にうんざりした目を向けた。

「お前は考えすぎなんだよ」

「お前だってそうだろう。いつだったか軍事学の論文を原文で読んだって言ってたじゃないか」

「論文を原文で? 本当か、南波」

 桐生がパックパックからチューブを伸ばしてアイソトニック飲料を飲んでいる。

「まあ、興味があったんで」

「どういう興味だ、」

「まあな……関係ないだろう」

 南波はもう食事を終え、路面に上半身も横たえていた。バックパックも身体からはずし、チェストハーネスも緩め、靴まで脱いでいる。あまりにだらしない姿に見えるが、休憩の取り方としてはこれが正解だ。全身を拘束するあらゆる装備をいったん降ろすと、身体はスムーズに血液を流し、全身から疲労物質を取り去ってくれる。ただし、チーム全員が同じことをすると、あまりにも危険なため、いまは南波と蓮見が無防備状態になっている。私と桐生はCIDSもONにしたまま、銃は身体から放さず、片手でバーをかじり、水分補給をした。

「それで、姉さん」

 南波が寝そべったままで言う。

「なんだ、少尉殿」

「ここは居心地が悪いって?」

「そんなことは言ってない」

「道の真ん中に寝転がるのは、気分がよくない?」

「そんなことも言ってない」

「まあようするに、あれだろう。人間は、結局のところ捕食者側ではなく、追いかけられる、追い立てられる、狩られる側の遺伝子が組み込まれてるってことなんだろうよ」

「南波、お前はそう思うか?」

「違うか?」

「だったらなんで私たちの目は真正面について、立体視ができるんだ?」

「他の動物は違うのか?」

「同じように狩られる側の動物の筆頭、シカだとかウサギだとか、あの連中は立体視はできないらしいぞ」

「本当に?」

「そのかわり、首の真後ろくらいしか死角がないそうだ」

「俺もそんな目が欲しいな。索敵に便利そうだ」

「そう考えたら、結局私たちは捕食者側の目の配置と同じなんだよ」

「クマとか?」

「そうだ。ネコとか、犬とか、オオカミとか、」

「サルは?」

「分類的には捕食者側なんだろう」

「索敵するのに必ずしも立体視が必要か?」

「必要じゃないか?」

「俺はむしろ、シカやウサギの目が欲しいな。全方位死角なしなんて、素晴らしいじゃないか」

 そういう考えもあるか。確かにそうだ。私たちはCIDSなしだと、常に首をレーダーのようにグルグル回していなければ、あるいは耳をそばだて、物音に敏感になっていなければ、視覚のみに頼ると、敵がどこにいるのか分からなくなる。

「目がよくない捕食者もいるさ」

 と私とは反対を向いたまま、桐生が言う。

「たとえば?」

 全身を弛緩させた体勢の蓮見が訊く。

「お前はどう思う?」

 桐生。

「目が見えなくて狩りができるの?」

 リラックスしているときの蓮見は、より年下臭さがにじみ出る。甘えたような声音は、生来備わったものではないだろう。後天的なものだ、きっと。

「ヘビ」

 南波が言う。

「正解」

 桐生。

「犬だって視力はそんなによくない」

「色の判別ができないだけだろう。動態視力は凄まじいぞ?」

「そうなのか」

「知らなかったか?」

「俺は犬を飼ったことがないからな」

「歩哨犬の話だ」

 と、桐生。軍用犬の訓練でも垣間見たことがあるらしい。

「でも犬というなら鼻だろう。鼻が利く」

「どういう世界なんだろうね」

 蓮見。

「人間の何万倍なんだろう? 犬の嗅覚」

「嗅覚で個体の識別ができるそうだからな」

「俺も、姉さんの匂いならすぐ分かるぜ」

 南波が白い歯を見せていた。五〇メートル先からでも見えそうな白い歯だ。

「変な話はやめてくれ」

 不健全な物言いに聞こえた。思ったとおり、蓮見が露骨にいやな顔をした。

相棒(バディ)の匂いだ。嫌っていうほど間近で嗅いでるからな」

「それをいうなら私もだ。お前の匂いならすぐに分かるさ」

「それって絆かね」

 桐生が言う。平坦な口調。

「クサいな、二人とも」

 蓮見がまったく感情のこもらない口調で言う。冗談のつもりらしい。笑ってやった。

「別な世界だろうさ」

 南波が言う。別な世界? 私が?

「犬の話だ」

「なんだ、」

「先天的に目が見えない人間は、『見える』世界が理解できないだろう。俺たちが嗅覚数万倍の世界が理解できないのと同じように。CIDSはエコーロケーション機能まであるが、それだって、視覚的に音を表示しているだけだからな。コウモリやイルカのエコーロケーションと俺たちのそれでは、たぶんぜんぜん脳みそでの処理方法が違うんだろう?」

「そうだろうな」

 と私。

「かといって、鼻が利かなくても、エコーロケーションができなくても、俺たちは困らない。……先天的に目が見えないってのも、もしかしたら困らないんじゃないか?」

「それは分からない……そうかもしれない」

「人工眼を先天的に視覚障害がある患者に装着させても、物理的には見えているが、視覚として感知できないって話を聞いたことがある」

 南波はけだるそうなしぐさで言った。

「本当に?」

 寝そべったままの南波に、蓮見が訊く。

「本当かどうか、これは別に俺はその手の論文を読んだわけじゃないから、ただの伝聞さ。ただ、何となくうなずける話ではあるかな、そう思ったのさ。どうだ、姉さん?」

「たぶん、脳の処理領域の問題なんだろう。……目が見えない、ようするに、視覚からの入力がない脳は、おそらく私たちの視覚野で処理している情報を、聴覚や触覚から分散させて擬似的に処理しているんだと思う。よく言われる、脳が平素は三〇%程度しか稼働していないっていうのは、あれはまるっきり間違いらしいから。身体に不要な要素はなにひとつないってことだそうだ。活動していないように見えていても、相互に支えあい、それぞれの区画が不可欠なんだと。……なんかに似てるな」

「そんな気がするな」

「人間関係か。それとも俺たちのチームのことか。いま俺が休んでるのがうらやましいか?

目が見える見えないの話は、俺も姉さんに賛成だ。俺もそう思うな。もちろん目が見えるに越したことはないだろうが、けど、極論、俺たちに犬の鼻を付けても、たぶん役に立たないだろう。それに似てるんじゃないか」

 私。

「南波、」

 桐生がバックパックを降ろした。休憩ターンの交代。あと二十分で休憩時間そのものは終了。再び北へ向かう。

「なんだ、桐生」

「お前と入地准尉は、いつもこんな話をしてるのか」

「いつもじゃないが、退屈しのぎさ。……蓮見の悩み相談室の方がいいか?」

「やめてよ」

「さっきは付き合ってやったろう。お前、案外繊細だな。本当に気をつけろよ。できれば俺はお前に銃を持たせたくないな。お前の銃、弾抜いて俺によこせ」

「バカ、」

「本気で心配してるんだ。頭を撃つなよ。お前のそのかわいい顔がグチャグチャになるのは見たくないからな」

 南波はすでに半身を起こしており、タクティカルベストのハーネスをしめるのとブーツをはき直すのを同時にこなしていた。桐生はすでにバックパックもベストもはずしていたから、身繕いを始めた蓮見の横で、私も重いバックパックと予備弾倉ぎっしりのチェストハーネスをはずし、気が引けたがブーツも緩めた。

 これだけで、身体が一気に軽くなる。

 二十分。

 きっと一瞬で終わってしまうのだ。

 体感的な時間。

 そういう機能は、すべての動物が持っているものなのだろうか。

 時間という概念を持っているのは、私たちだけなのだろうか。

 次の暇つぶしで、南波に仕掛ける話題を、なんとなく私は整理してみた。


 最初から嫌な雰囲気だった。

 私たちが森を抜け、わずかな空間から空が覗いていたが、それは、私たちが辿った細い獣道と、別の獣道が交差するジャンクションであり、そこから空が見えたのだ。

 曇っていた。

 CIDSを起動させているから、時間の割に空も森も明るい。むしろ濃淡がはっきりしない、コントラストの非常に弱い視界。けれどものの輪郭はやたらとくっきりしている。それは光学補正がかかっているからだ。極端な話、月の明りでもあれば昼間と同じ。星座が見えれば行動に支障はなく、しかしこちらの思惑としては、月の光も星の光も一切合切不要で、今のように曇り空、しかもぶ厚い曇り空で、雨など降ってくれると最高だ。雨が私たちの体温をすべてごまかしてくれる。敵も私たちのCIDSと同じような、野生の勘を機械的に再現して詰め込んだ装置を装備している。体温は恒温動物が生きている証であり、人間の体温は範囲がひどく狭く、その幅約二度前後。もし私たちが赤外線をほとんど放出しないこの特別あつらえのスーツを脱いだラフな格好でうろつけば、みんな似たような体温で似たような行動様式のサーマルデータが表示されることになる。いくら姿を隠したところで無意味だ。人の形をしたサーマルデータは、見る人間が見ればここに特殊訓練を積んだ兵士がいることにすぐ気がつく。もっとも、航空機や戦闘車両がレーダー反射に気を使った設計で、およそ従来の感覚からかけ離れた気色の悪い形に進化し、光学的電子的にあらゆる欺瞞対策を施したところで、それは盾と矛の関係であり、高性能なアルゴリズムを奢ったレーダーと解析装置があれば、小鳥サイズのレーダー反射面積(RCS)を誇る戦闘機とはいえ見破られてしまう。小鳥と戦闘機では実寸が違いすぎる。レーダー反射のベクトルや反射幅、そういったものを高性能で多大な犠牲の上に構築したシステムにかけると、あら不思議、真の姿が見えて(・・・)しまうのだ。

「嫌な雰囲気だな」

「何か見えるか」

 私は彼に続いて二番手。

「保養所の入口ってところだろうな。小さい建物……小屋が見える」

「小屋だけか」

 南波は前方を警戒。私は彼から一〇メートルほど方向で左右方向、どちらかというと左側を警戒し、その後やはり一〇メートルほどの距離に蓮見がいる。彼女も左右方向、どちらかというと右側を警戒している。桐生が最後尾で、後方を警戒する。全員のCIDSはスーパーサーチモードに設定してある。偵察衛星、早期警戒管制機からの情報を参照し、たとえば表面温度三五度前後の物体が接近した場合や、一〇〇度オーバーの吐息をまき散らしながら接近する物体が見つかれば、即座に警告してくれるはずだ。が、今は全員のCIDSが沈黙している。脅威判定はレベル一。作戦中の警戒レベルとしては最低だ。

「嫌な雰囲気だ」

 南波は笹の茂みに身を沈めて、自動小銃を構え、首をゆっくりと巡らせている。南波の勘はCIDS以上だと私は思う。「嫌な雰囲気」を数値化できれば、きっとCIDSの性能も向上するだろう。だが、様々な経験則、要素、それらを瞬時に計算する人間の皮膚感覚や、そう、「勘」と呼ばれるものはなかなか機械化できないでいる。正確さには欠けるが精緻なこの感覚を、機械はどうしても再現できない。千差万別、新兵が感じる「嫌な雰囲気」は上官の顔色であったり、突発的な所持品検査の気配であったりするだろう。パイロットが感じる「嫌な雰囲気」は、雲間に見えたような気がする敵の姿だろう。敵の戦闘機の主翼が切り裂いた空気のかけらかもしれない。潜水艦を追い回す海軍の哨戒機の戦術員の「嫌な雰囲気」は、波間に見え隠れする潜望鏡やアンテナの気配かもしれない。戦車乗りの、ヘリコプターのガナーの、整備員の、将官の、それぞれが感じる「嫌な雰囲気」。私は思う。そんなものは数値化できっこない。兵士だけではない。なぜ私たちが戦場にいるのか。なぜ南波が4726自動小銃を構え、私が中腰姿勢でじっと茂みから目を光らせるのか。数値化できない何かがここにあるからだ。野生動物たちはそうした感覚をより強く持っているだろう。彼ら動物たちの戦術を理解することはできない。まず私たちの言葉が通じない。思考回路も世界観も何もかもが違う。もしかしたら、「死」の概念すらないかもしれない。彼らに「時間」の概念はあるだろうか。ないかもしれない。そんな連中の行動パターンを読めるか? 読めるはずがない。だから私はむしろ、祖父と巡った山野で追った動物たちの行動と比べて、ある一定のパターンを持っている兵士の動きのほうが読みやすいと思った。同じ人間だからだ。

 私たちが米飯を食べる代わりにやや酸味の効いた黒パンをかじり、やはり米でできた酒を飲む代わりに燃料(エタノール)のような酒を食らう彼ら北方会議同盟軍兵士の行動。生活様式や背景にしている文化が違えど、同じ人間である以上、動きは読めるのだ。さらに「兵士」というさらに特殊な職業に就いている場合はなおさら。

 私は優秀なハンターではなかった。繰り返すが、やはり銃を撃つのは苦手だ。

 祖父やユーリは、銃を撃った瞬間、当たるか当たらないかが分かると十代の私に言ったものだ。弾が当たるまで獲物を凝視し続ける必要などないのだと。必要なのは、獲物が次にとる行動を予測すること。初弾を外すことは論外としても、第二射に備えて、獲物の動きに追従できるよう、身体も銃も準備させなければだめだ、と。

 同じような話を、私は軍に入ってから、年老いた元戦闘機パイロットに聞いたことがあった。彼が乗っていたのはコンピュータが機体を制御している現在の戦闘機ではない、大排気量のレシプロエンジンを積み、プロペラを回す大洋戦争時代の戦闘機乗りだ。彼は言った。敵機を追いかけまわし、ジャイロ照準器に敵の主翼が、胴体が瞬間入りかけたときにトリガーを引き、曳光弾がすっと飛翔していくとき、もう狙っていた敵機の姿など見ていない、と。当たると確信が持てるときしか機銃のトリガーは引かない。だから、トリガーを引いたあとは、次の敵機を探すか、バックミラーを見て、別の敵機に背後を取られていないか警戒していた、と。

 そういうものかと思う。

 計算できない何かだ。

 いやいずれ計算できるのかもしれないが、不確定要素が多すぎて、これをアルゴリズム化してCIDSなりに組み込むことはできないだろう。そうすれば行動様式がパターン化されてしまい、逆に危険だ。そういう部分からも、軍は本気で兵士の「勘」を数値化しないのかもしれない。

「嫌な雰囲気だ」

 南波はぶつぶつと同じ言葉をリップマイクに吹き込んでくる。チームを動かそうとしない。

 目の前は、広葉樹と針葉樹がまだらに混じった森。その向こうに敵の保養施設が垣間見えている。

 目標だ。

 戸数、十一。

 衛星からの支援でも、ここが目標地であることが分かる。緯度経度すべて正しい。

「灯り、点ってるじゃない」

「だから余計怪しくないか。いまは戦争中でここは最前線だぞ。みたところありゃ平和でのんきな木こりの村って感じだ。気に食わない」

「考えすぎなんじゃないか。ここは、国境から五十キロも同盟の領土に入ってるんだ」

「ぶっ飛ばしたメタンハイドレー採掘基地は、海上の中間ラインから百五十キロもこっち側だったぜ。だけど敵さんは攻めてきた」

 と、南波。

「こことは別さ。このあたり、他にはめぼしい軍事目標は何もない。同盟空軍の前線基地までだってかなりあるぜ」

「目の前のはいちおう軍事目標だぜ。俺たちが来てるんだから」

「そうだな。上が目標だと言えば目標だ」

「棘のある云い方だ」

「そう感じたか」

「ああ」

「そのつもりで言ったんだ」

「おいおい、桐生。ハスミ病か」

「なによ、ハスミ病って」

「任務に疑問を感じるのか」

 南波が言う。平板な声音。

「感じない」

 蓮見。

「俺も、疑問など感じない」

「任務だからここに来た、なんていう奴はいないだろうな」

「いるわけない」

 蓮見。

「よし」

「で、」

 私。

「嫌な雰囲気ってどういうことだ」

 言うと、南波は全身を、水に潜るように笹の茂みに沈めた。私も倣う。

「本当にここに敵のパイロットたちがいるのか」

「情報に疑問が?」

「ない」

「なら、」

「ただ、感じるんだ」

「雰囲気?」

「そうだ。……あんたもシカ撃ったりしてたんだったら分かるだろうよ。この雰囲気がよ」

「私は何も感じない」

「錆び付いたか」

「麻痺かもね」

「勘弁してくれ」

「二人とも、何話してるんだ」

 蓮見がいぶかる。

「聞いてのとおりだ。蓮見、異常、なしか?」

「なんにもないよ」

「桐生、」

「オールクリア、ってとこだな」

「姉さん」

「クリア」

「オールステーション、オールグリーン。……行くか?」

「あんたがリーダーだ。南波少尉」

「了解、入地准尉」

 そう言いながらも、南波はまだ茂みに沈んだままだった。

「どうした」

 私が訊く。

「様子を見る」

「この期におよんで、」

作戦決行時間(タイムリミット)まではまだある。早着したからな」

「いやなカウントダウンだ」

「同盟空軍パイロットの死刑執行って? 嫌なことを言うな」

「そのために来たんだろう?」

「ハスミ病が伝染(うつ)ったな」

「だからなによ、その『ハスミ病』って」

 蓮見の声。

「静かすぎないか。虫の声も聞こえねぇ」

 蓮見の不満げな声を無視して、南波。

「季節考えろよ」

 私。

「北洋州育ちらしくない返事だ。それも気に入らない」

「なんだ、絡むなよ」

「オールステーション、とりあえず待機(ホールド)だ。あと五分」

「そんなに?」

 蓮見が鼻を鳴らす。不満げに。

「蓮見准尉。リーダーは俺だ。これは命令だ。分かったな?」

「了解、南波少尉。……でもなんで」

 南波の頭がこちらを向いた。実際、衛星が監視しているので、ごく短時間目標から視線をはずしたところで危険度はさほど上がらない。チームの誰かの目が視界に捉えていればいい。

 煙突から細く煙をたなびかせ、暖かい色の灯りが点り、なんの変哲もない村にしか見えない目の前の目標。

「まだだ……友軍(フレンドリー)がまだ合流していない」

「合流? どういうことだ」

 私が問い返す。声にならないように注意したつもりだが、声になったかもしれない。

「私たちだけの作戦じゃないのか」

「四人で? 姉さん、それはないぜ」

「合流って、同じハケンの?」

 桐生が訊ねる。

「違う」

「じゃあ、」

「海軍の第七二標準化群だ」

「海軍だって? バカな」

 桐生が鋭く言う。吐き捨てるように。

「本当に?」

 蓮見。

「本当だ。保養施設の反対側に、もう到達しているはずだ」

「だから五分待つっていうのか。挟撃するのか?」

「そんなところだ」

「海軍との共同作戦だっていうの? そんなこと私、聞いてない」

 蓮見が姿勢を変えたらしい。茂みががさつく音がした。

「蓮見、目立つ」

「ごめん……そんなことより、本当に海軍の第七二標準化群(ナナニー)が?」

「本当だ。……情報漏洩の防止だ。各チームリーダーにしか知らされていない」

 海軍第七二標準化群。帝国海軍の特殊部隊。敵地への逆上陸作戦や陸軍主力部隊が攻撃を仕掛ける前に前線へ切り込んでいく部隊だ。そうした役目は艦艇と作戦用航空機、そして陸上兵器をバランスよくそろえた軍隊というと海兵隊だが、帝国軍は海兵隊を持たない。しかしルーツは、巡洋艦に乗り組み、敵艦の臨検や、港湾の警備、寄港地での警衛、そうした任務を請け負う部隊だ。内地から外地まで、くまなく海軍艦艇に乗り組み、正確無比な射撃と機動力を誇っている。歴史的には陸軍の特殊作戦群……私たちの第五五派遣隊を筆頭に……よりも古い。

「なんで海軍が」

 桐生が呟く。

「ここで議論したいか」

 南波。

「そうは言っていない」

「すると、」

 私。

「近接航空支援の類は、海軍がやるのか」

「そういうことだ。俺たちが失敗したら、戦艦の艦砲射撃でボコボコにされる。地形が変わるぞ。八九式支援戦闘機のあのやかましい爆弾の比じゃないぜ」

「戦艦が来てるの!?」

 蓮見が南波に問い返す。

「戦艦も空母もいる。戦艦の艦砲は炸薬の量が違うからな。よかったな蓮見、戦艦の艦砲射撃なんて、なかなか見られないぞ」

「航空優勢も自前で確保してるのか」

「取れてなきゃ来ないだろうな」

「だったら空軍でいいはずなのに」

 蓮見が言う。嫌悪の色をにじませながら。その理由は分かる。陸軍には、海軍の陸戦部隊に対する対抗心が強いのだ。そして帝国空軍はもともと陸軍航空隊から分化している。いわば弟のような存在だ。敬礼の仕方から銃の撃ち方、シーツのたたみ方から休日の過ごし方まで、陸軍と空軍は似通った匂いがある。漂う空気に銃弾の炸薬の匂いを感じるか、航空燃料のツンと来る匂いを感じるかの違いだ。だが海軍は明らかに空気が違う。

「海軍さんが今回の作戦は出張ってきてるのさ。終わったらお船に乗せてもらって、自慢のカレーライスを食わせてもらうしかないな。どうだ蓮見。お前カレー好きだろう」

「おい南波少尉、帰り便は海軍に頼むのか」

 桐生が聞く。

「気になるか? 帰りのことが?」

「当たり前だ。帰るためにここに来てるんだ。」

「ナナニーと合流して、この村をぶっ潰し、次の拠点まで一緒に移動して、帰りはお船に乗って帰るのさ」

「船?」

 蓮見が聞き返した。

「船だ。北洋艦隊の旗艦が出張ってきてるぞ」

「蓮見、船は好きなのか。海軍は嫌いなのに」

 私が訊いてみる。

「私は、内陸育ちだから」

「どこだった?」

出水音(いずみね)

「そうだったのか。確かに内陸だな。えらい山奥じゃないか」

 南波。

「失礼だな。姉さんの柚辺尾よりずっと都会だ。……城下町だし」

「城下町だったか」

 思い出してみる。列島中央部に楯のように連なる山脈と山脈の間の盆地……その中心都市。けれどそこまでだった。すまない、蓮見。私にはお前の故郷の十分な情報がない。知ろうとしてこなかったからだ。彼女の故郷のイメージが湧かなかった。

「海は遠いな、確かに」

 南波が答えた。南波は内地の出身だ。私よりはイメージしやすいのだろう。

「だから船に乗りたいのか?」

 からかうように桐生が言う。銃を構えたままだ。光学照準器も弾倉も込みで合計四キロ以上ある自動小銃を保持し、ぴくりともしていない。桐生は体格が大きいだけではなく、筋肉の量も半端ではない。おそらく身体能力は南波の比ではないだろう。白兵戦になったら頼りになるのは桐生かもしれない。

「乗れるならね」

「俺はカレーを食わせてもらう。それでチャラだ」

 南波はもう前を向いて、4726小銃を照準していた。もう約束の時間を迎えようとしている。

「何か合図はいるのか」

 南波に問うてみる。挟撃するのなら、同時に発砲すると効果的なのは自明だからだ。

「カウントダウンと、衛星リンクからのゴーサイン。それだけだ」

「……その衛星はどこの管轄だ?」

 桐生は構えた銃を森の中に向けていた。

「空軍だな」

 南波がそっけなく答えた。

森は真っ暗だ。CIDSが光学補正をかけているが、ひどく暗い。獣の気配がする。

 けれど、確かに虫の声はしない。

 初夏。

 気の早い虫たちはどこへ行ったのか。

 鳥の声も気配もない。

 私は、故郷の森を思い出してみた。

 祖父と、ユーリと歩いた森。

 祖父は日が暮れてからは森に入ろうともしなかったし、日が暮れかけたらすぐに森から出た。

(光のない場所では、私たちの出番はないんだよ)

 そんなことを言っていた気がする。

 人の目は弱い。

 暗闇。

 本当の暗闇に包まれた森の怖さを、そういえばこのチームの面々は知っているのかとふと考える。

 南波は、知らなくても大丈夫だろう。彼はどんな場所でも生きていける。野生動物の匂いがする。それが南波だ。

 彼は暗闇の中で動かないだろう。それも正しい。むやみに動いては、自分の匂いを獣たちにまき散らしているのと同じだ。光があるうちには銃を携えて狩る側にいたはずなのに、日が暮れると、私たちは狩られる側になる。銃は、照準できなければただのおもりだ。それはここでも同じ。もしCIDSにトラブルを来たし、光学補正ができなくなったら、その時点で作戦の九九%は失敗したといっていい。エコーロケーション機能が生きていたとしても、それは退路を確保するために使う。攻撃には使えない。

「そろそろだな。オールステーション、スタンバイ」

 全員、無言。それが了解のサインだ。

「よし、行くぞ!」

 南波が肉声で短く強く言い放ち、より姿勢を低くした。肉食獣が獲物に襲いかかる寸前の姿勢のように。

 私は左側に注視しながら、視界の端に暖色の灯りを捉えている。

 煙突から煙り。

 本当にここに、一個飛行隊分のパイロットがいるのか?

 確かにそうだ。嫌な雰囲気だ。

「南波少尉」

「入地、なんだ」

「嫌な雰囲気だ」

「だからずっと俺はそう言っている」

 全員の4726自動小銃は、ロック・アンド・ロード。薬室に第一弾はすでに装填されている。用心金(トリガーガード)の外に伸ばして添えている全員の人差し指に、静かな緊張が行き渡る。

 READY?

 煙。

 灯り。

 誰も出てこない集落。

 建物の中に、人の気配はあるか?

 気配?

 気配を感じるか?

 気配とはなんだ?

 4726自動小銃の光学照準器をのぞき込む。

 視界は明るい。光学補正をしているわけではない。レンズそのものの品質が高いのだ。光学照準器を銃に載せているマウントは、裸眼よりも出っ張っているCIDS装着に合わせて少々遠くセッティングしてある。なので、裸眼でのぞく際は、銃床の頬付け位置を少し調整しなければならない。

 照準器の中に、建物の灯り。

 窓。

 井戸だろうか……ポンプが見える。

 保養施設というより、南波の言うとおり木こりの村のようだった。簡素な木造の家と家の間隔は、この地域や北洋州の古い一般的な集落のそれと同じだ。およそ戦闘機パイロットの保養施設にふさわしくない外観以外に、不審な点はなかった。

「行くぜ。じゃあ戦闘機乗りっぽく言うか。オールステーション、『マスターアーム・オン』だ」

 CIDSと光学照準器はリンクしている。戦闘機のHUDやHMDシステムと同じように、目標を指示するとTDボックスが表示される。

「いきなり突入か?」

 私。

「いきなりだ」

 南波。

第七二標準化群(ナナニー)は?」

 蓮見。

「方位二七〇。八名」

 南波。

「確認した。本当にいやがる」

 桐生。

「撃つなよ、一応味方だ」

 南波。

「誰が」

 蓮見。

「カウント、」

 南波。

「嫌な感じだ」

 私。

「とりあえず忘れろ」

 南波。

 私は分かる。南波の勘、皮膚感覚のようなもの。

 私は祖父に銃での狩りだけを教わった。

 ライフルの撃ち方と、シカの探し方、シカの生き方、歩き方、その他その他。

 けれど、狩りの方法はひとつだけではないのだ。

 祖父は銃の扱いに長けていた。銃を持たせれば、きっと今でも私は祖父に敵わない。敵うとすれば、クマと対峙するときの人のように、足りない機能を山ほど補い、むりやり対等な立場になるべく、光学照準器に衛星の支援、CIDSという野生の勘そのものを盛り込んだ機材を使ってだ。そうすれば、あるいは祖父よりも早くシカを見つけられるかもしれない。クマを見つけられるかもしれない。

 祖父の横顔。

 銃を使わない狩りの方法。

 嫌な雰囲気だと獲物に思わせたら、こちらの負けなのだ。

 嫌な雰囲気だと感じさせず、普段と何も変わらない山野を演出する。

 そこに、彼らの油断が入り込む。

 たなびく煙。

 木造の家屋。

 井戸のポンプ。

 暖色の灯り。

 では、この灯りはどこから供給されているのだ?

 集落には……発電施設はあるのか?

 電線も電柱も見あたらなかった。

 風力発電のブレードも、太陽光発電のパネルも、コージェネレーションの装置も。

 嫌な雰囲気の理由。

 考え出すときりがない。

「南波、」

「入地准尉、もうダメだ、行くぞ」

「これは、」

 もしかして。

 私は言うべきだった。

 この雰囲気は、猟に慣れない素人が仕掛けた、あれに似ているのだ。

 南波、これって、罠じゃないのか?


 私は茂みに潜みながら、こんなことを思い出していた。

 衛星軌道ステーションとの交信。

 中等科の一年生だった頃、特別授業で、軌道ステーションに滞在している宇宙飛行士と交信するイベントがあった。十三歳の私にとって、宇宙がどのようなポジションに位置する世界だったのかというと、あのときの飛行士には申し訳ない気持ちになるが、あまり興味のある世界ではなかった。私はもうその頃祖父と一緒に山を歩くようになっていた。ユーリと三人で。祖父は古びた村中式ライフルを、すっかり年季が入って柔らかくなった革製の負い紐で肩から提げ、白く息を吐きながら、風下から歩いた。禁猟が明けたシカを狙うとき、初日の山行きに、祖父は私を誘うようになっていた。だから、私にとって身近だったのは山野であり、鉄橋が二キロ近くも続く対雁(ついしかり)川であり、夕暮れ、ユーリの運転するマツシマ自動車製RS180の後部座席に斜めに座り、道路と並び、やや離れて渡河するくすんだ緑色のトラス鉄橋を、もうもうと煙を吐き出す蒸気機関車が牽引する石炭列車を眺める、あの風景だった。

(何か、宇宙飛行士にメッセージはありませんか?)

 教師ではなかった。

 イベントだったから、多目的教室の壁の全面ディスプレイにノイズ混じりで映し出された細面の宇宙飛行士のはにかんだような笑顔に向かって、気の利いた質問でもせよと、宇宙機関の人間か、イベント会社の人間か、はたまた新聞記者かテレビ局のディレクターか、制服姿の私たちに、引きつったような笑顔を向けながら、そう促すのだ。

 メッセージ?

 教師達はイベントの数週間も前から落ち着きがなかった。自身も宇宙飛行士を目指していたんだと、イベントを前にして初めて告白した理科担当の教師は、ぶ厚いレンズのメガネをかけており、とうてい宇宙飛行士の適性などはなさそうで、だから私は、私たちは、彼のコメントもまた、イベント用に用意していた台詞だったのだろうと思うことにした。

 人口百万人を越す大都市とはいえ、北洋州の州都たる柚辺尾市はしかし、帝都から二〇〇〇キロ近くを隔たっており、明らかに辺境の土地であり、「開拓」という言葉がまだここでは死語にならず、憧れと郷愁を持って語られていた。住民たちは素朴だったが、思慮に欠け、唐突に実施が決まった国家的英雄との交流に、平静を装えた人材はごくわずかだったに違いないのだ。

(宇宙では夢を見ますか?)

 級友がこんな質問をした。

 今にして思えば、危険な質問だった。宇宙飛行士は空軍や海軍のパイロット出身者が非常に多く、それは国家的エリートと同義であり、そしてすでにその時代から、国家的エリート集団に、第二世代選別的優先遺伝子保持者(PG)は確実に存在していたはずなのだ。実際、私たちが通信交流をした宇宙飛行士もまた、空軍で八一式要撃戦闘機に乗っていたエリートだった。軍隊出身者は危機管理能力が高く、厳しい訓練にも耐えられ、しかもパイロットたちは頭の回転が速く、何かに盲進するような一転集中型がいない。宇宙飛行士の適性は十分だ。だから、軌道ステーションのクルーの大半は、そうした空軍や海軍のエリートたちであふれている。そしておそらく彼女ら、彼らは夢を見ないのだ。

 当時読んだ本に、白夜や極夜の元で眠ると、極彩色の夢を見ると書いてあったことを思い出す。私たちの住む北洋州は、宇宙へ行くよりもその極彩色の夢を見られるという北極圏のほうが近かった。行こうと思えば、国際航路の貨客船に乗れば、夏休みや冬休みの「冒険」として行ってくることができた……北方戦役がここまで膠着状態に陥らなければの話だが。

(宇宙では夢を見ますか?)

 極地で見る夢。極彩色の夢。オーロラに彩られた、儚くも切ない夢。私は漠然と、氷と雪に閉ざされ、一日中太陽が昇らない極地のベースキャンプで、ぶ厚いシュラフにくるまって見る夢のことを思っていた。傍らにはボルトアクション式のライフルが、しっかり銃口をカバーして置いてある。テントの中に入れておいては銃が結露してしまうから、外に置く。量販店で売られていて街人が好んで使う白灯油を使ったランタンはやたらとやかましい音がするから、祖父たちは昔ながらのランプや、先住民(イルワク)たちは動物性油脂から精製した油で夜を過ごす。そこで見る夢。

 極彩色の夢。

 では、宇宙で夢を見るとしたら、どんな夢を見るのだろう。

 すまし顔でディスプレイに向かう級友の横で、私は宇宙飛行士も高度二〇〇キロの衛星軌道から見る地球の映像もどうでもよくなり、軌道上で見られるかもしれない夢のことを考えていた。なぜかそのことをはっきりと覚えている。宇宙飛行士がなんと答えたのか、まったく覚えていないにもかかわらず。

「入地准尉、」

 茂みの中で、私の意識は、二〇〇キロ上空の地球周回軌道に飛んでいた。もちろん、地上で索敵中の私の感覚器機はちゃんと生きている。聴覚もオープン状態。だから私を呼ぶ南波の声はちゃんと聞こえている。

「なんだ」

「行くぞ、」

「南波、ちょっと待って……少尉、おかしいって」

 腰を浮かせた状態の南波に向かって、私は呼びかける。

 私の脳内に開いていたサブ(・・・・・・・・・・・)が閉じる。

 宇宙飛行士との対話。

 中等科一年の秋。

 蒸気機関車の煙。

 長大な石炭列車の編成。

 鉄橋。

 ライフル。

 それらイメージの霧散。

「本当にここで間違いないんだな」

「入地准尉、」

「なんだ」

「間違いない。リーダーミーティングでも指示されてる。緯度経度とも秒まで正しい。ここだ。敵空軍の一個飛行隊規模のパイロットが休息している村だ」

「人影がない」

「時間を考えてみろ。まだみんな寝てるんだよ」

「本当?」

「今何時だと思ってる?」

「煙が出てる」

「寒いからな。暖房だろう」

「灯りが点ってる」

「寂しがり屋がいるのさ。さすがにどの棟がパイロット宿舎かという情報まではない。……掃射する予定だからな、どれでもかまわない」

「姉さん、気になるのか?」

 後から蓮見が囁く。

「蓮見、おかしいと思わないか」

「何がだ?」

「この村、おかしくないか?」

「私には、よくわからないけれど」

「入地准尉……姉さん、」

 南波がこちらを向く。CIDS越しに彼の目が見えたような気がした。見えるはずはないのだが。

「何か感じるのか? 奇妙なことでもあったか?」

「上手く言えないが、……下手な猟師が仕掛けた罠みたいだ」

「罠?」

 オウム返しは桐生だ。

「ここが?」

「上手く言えないけど、気配が変だ」

「気配がするか?」

 桐生。

「しないのがおかしくないか?」

「けど、ここで間違いない。……煙突から煙も出てる。……熱源反応もある」

 南波が言う。CIDSのモニターを切り替えているのだ。規模的には簡易なものだが、温度(サーマル)センサーも内蔵しているから、視覚に頼らずヘビのような狩りもできるのがこの機械だ。策敵モードをスーパーサーチにすれば、衛星か、近傍上空を飛行中の早期警戒管制機や観測機のデータともリンクできる。強力なセンサー情報で、建物の中の熱源反応もチェックできるのだ。南波はまだスーパーサーチに切り替えてはいないようだが……近接戦闘を考えると、スーパーサーチでは高感度すぎる……、確かに並ぶ家や小屋の中からは、複数の熱源反応があった。

「入地准尉、過敏すぎるぜ。いくぜ」

 私たちはCIDSのコマンドモードをSTANDBYからREADYに切り替える。まさに戦闘機のマスターアームスイッチのようなものだ。戦闘情報が個々人の判断を待たずにサブ窓へ表示されたり、衛星や観測機からのデータを参照すると、目標をTDボックスが自動追尾する。

 サブ窓が開く。温度センサー画像だ。煙突の排気口が赤い。建物内で火が焚かれている。

「いいか、最初に行くのは海軍さんだ。俺たちは外周から攻める……切り込み隊長は、第七二標準化群(72S)てことだ。奴らの撃ち方に続けばいい……姉さん、わかったな」

「わかった……」

 カウントダウン、あと六〇秒。

 私はまた茂みに潜り込んだ。茂みを透過して、さらには森の木々まで透過して、私の視界に友軍を示すピンク色のTDボックスが表示されているのは、海軍第七二標準化群の部隊だ。八名。彼らも同仕様のCIDSを装備しているので、向こうもこちらが見えているはずだ。

 サブ窓。ズームしろと意識する(・・・・・・・・・・)と画面がズームする。彼らの姿をとらえる。

 彼らは温度センサーにはほとんど反応しない。私たちと同じ仕様のスーツ。体温……言いかえれば赤外線を外部にまったく逃がさない。民生品の応用だと云うが、防寒性能よりも、赤外線を漏らさない点に神経が使われている。生きている証である体温……熱……赤外線を漏らすことは、戦場で死に直結する。クマはヒトの数万倍という嗅覚を武器にするが、ヘビのように赤外線は感知しない。だが、私たちのCIDSはそれができる。そして敵部隊にもCIDSに近い機能の装備がある。生きる証を狙い撃ちにしてくるのだ。現代の兵士は、生ける屍のように、生きていることを悟られないように、生きる。

 4726自動小銃を膝撃ちの姿勢で私は構える。誰も伏せ撃ちの姿勢では待機していない。すぐに飛び出せるように。しかも低い姿勢で。できるだけ走りにくい場所を選んで。敵に狙われないように。

「目標は、武装している?」

「さあな。准尉、それは分からんよ。けど、いくらパイロットだっていったところで軍人は軍人だ。武器は持っているだろう。だが、重武装しているという情報はない。知ってのとおりだ。保養施設だからな」

 南波の囁き。

 そして。

 炸裂音。

 私の耳に届く、聞き慣れた音。

 懐かしい音。

 祖父が持っていたライフルと同じ口径……三〇口径弾の発射音だ。

 一発目が合図だったかのように、次々に射撃が始まる。

「オールステーション、ターゲット・インサイト」

 南波の囁き。

 四倍率の光学照準器を覗き、私は右手親指でセレクターを安全位置から単発に。右手左手どちらからでも操作できるアンビタイプのセレクターレバーだが、レバーの長さそのものが短く、兵士たちからは不評だ。実際、私の小さな手……短い指では訓練しなければ素早く切替ができないのがつらい。もっともそうした操作のしづらさ、使い勝手のよくなさも、訓練が克服してくれる。慣れればどうってこともない。

 発射音は断続的に、連続的に続く。CIDSは耳も覆っているので、射撃音が鼓膜を痛めることはない。銃声や砲声、爆発音と云った類の周波数を選別してフィルタリングしカットする機能があるためだ。人の声などの周波数は積極的に透過する。だから、銃声はマイルドなのに、撃たれた兵士の悲痛な叫びやうめきだけがやたらとはっきり聞こえるという状況があり得るということだ。まったく悪趣味極まりない。

 射撃が続く。

 窓ガラスを粉砕し、木造の質素な建物の壁を、三〇口径弾が次々と射貫いていく。

 海軍第七二標準化群部隊との直接通信は行われていない。そのかわり、私たちのCIDSには、第七二標準化群(72S)が現在どの目標に対して照準しているのか、リアルタイムで表示された。これだけで十分だ。南波が射撃を開始した。72S部隊が照準していない建物を狙っている。彼らからは死角になっているか、別の建物の影になっている目標。それを狙う。

 私も続く。

 熱源反応が動く。

 小屋の中に誰かいるようだ。

 当り前だ、と思う。思いながら、引き金を引く。肩に反動。空薬莢が飛ぶ。セレクターは単発(セミオートマティック)。この銃はオプションパーツの二脚(バイポッド)を装備しなければ、連射(フルオートマティック)での射撃を制御できない。反動が強いのだ。射撃の精度が最も高いのは第一射目であり、二射目の精度は著しく落ちる。だから連射は弾幕を張るだけ。二脚なしではどれだけ訓練を積んでも、三〇口径弾の激しい反動に銃が踊ってしまい、照準などできない。だから私は、しっかりと狙いを付け、一発ずつ撃つ。反動を全身で受け止めながら。壁を抜き、ガラスを粉砕し、次々と撃つ。蓮見、桐生もそれぞれの方を向き、射撃している。

 南波が一次射撃を中断し、茂みの中を右方へ短く走った。ポジション替えだ。ここから狙える建物はすでに射撃を終えたということだ。南波に続いて、桐生が走る。続いて、私と蓮見の(エレメント)が続く。短く走り、腰を落とし、膝撃ちの姿勢で銃を保持し、撃つ。

 まだあたりは薄暗い。空は曇っている。気温も低い。目標の煙突からは煙がたなびいている。風はそれほど強くない。射撃音。同士討ちは避けなければならない。撃つ方も撃たれる方も。彼我の位置は常にCIDSで調整する。射撃線がお互いのチームで交差し始めると、CIDSに警告が出る。第七二標準化群と五五派遣隊チームD。一度として共同訓練も共同作戦も行ったことがない。しかし、CIDSのナビゲーションと戦闘情報表示、お互いのリーダーの無言の連携で、いま北方会議同盟軍の空軍パイロット保養施設だと指示された集落を挟撃している。無駄なく、効率的に。

 発砲。そして、ボルトがホールドオープンした感触。光学照準器で目標を捉えたまま、素早くベストの弾倉入れから予備弾倉(スペアマガジン)を取り出し、同時に右手の人差し指が弾倉受けボタン(マガジンキャッチ)を押す。空弾倉が銃から抜け落ちる前に、予備弾倉を持った左手で空弾倉を引っこ抜き、同じ動作で予備弾倉を銃に装填する。空弾倉を左手の薬指と中指で挟み込んだまま、親指でロアレシーバー左側面のボルトリリースボタンを押す。すると、重いボルトが前進する確かに感触が頬に伝わり、予備弾倉から三〇口径弾が一発押し出され、4726自動小銃のタイトな薬室にきっちり送り込まれるのが分かる。ボルトが閉鎖される小気味いい音。ボルトアクションのライフルでも、薬室に弾薬を装填するときの動作が私は好きだ。気持ちのいい音がする。射撃再開。弾倉交換に要する時間は十秒かからない。それ以上かかると死ぬのはお前だと、訓練校の助教にさんざん叩かれた。

 敵はまったく撃ち返してこなかった。

 戦闘情報では、目標の建物内にいるのは全員がパイロットとその関係者ということになっている。黙っていれば、戦闘機や攻撃機を飛ばし、私たちの友軍や、あるいは私たち……私めがけて爆弾を投下してくるかもしれない連中だ。ミサイルレリーズや爆弾投下のスイッチを押すのは、コンピュータでも戦闘機そのものでもない。パイロットとその意思だ。むろんパイロットは自己の判断以上に優位にある上官の命令を携えて指を動かすのだが、戦闘機や攻撃機、爆撃機を飛ばすのはパイロットが培った技術であり肉体である。パイロットの存在なしに航空機は飛べない。だから、パイロットを無力化するのは、長期的に見て、航空機を複数無力化することに等しい。

 それが今回の作戦の主旨だという。

 シカを追って山野を巡る方がよほど気持ちがいい。

 私も祖父と同じで、射撃場での標的射撃が好きではなかった。面白みがなかった。理科の授業でなら、机に向かっているより、フラスコやビーカーを操る実験の時間のほうが好きだったのと似ているかもしれない。

 銃を撃つのは手段であり、目的ではなかった。

 目標を追い、感じ、目を合わせ、お互いの命を見せ合い、引き金を引き、獲物を斃す。命をいただく。あの感覚が私は好きだったのだ。

 反撃もない集落に、一方的な射撃をくわえるような今回の作戦は、蓮見ではないが私の本意ではなかった。

「南波、」

 呼びかけてみる。

「入地准尉?」

「次、」

「三時、二棟」

「了解」

 南波は、北を方位000(ゼロゼロゼロ)とする絶対方位から、自位置を基準とする相対方位に切り替えて目標を示した。どの建物も、窓には明りが見えた。白いカーテンが掛けられている。簡素なもの。私たちの宿舎で使っているようなもの。日が落ちたあと、部屋に灯りをともし、窓辺に立てば、外からはっきりと人影が見えてしまうような、質素なカーテン。

 撃つ。

 窓ガラスが砕け散る。

 空薬莢が散る。強い反動で銃が浮き、そして銃の重量でふたたび沈むのに合わせて二発目。

 カーテンに穴が空く。

 明りが消える。

 撃つ。

 気の窓枠が折れる。

 窓が落ちる。

 カーテンが揺れる。

 撃つ。

 撃つ。

 この地方ではありふれた、質素で粗末な家。

 木造の。

 窓辺に野花を飾っている棟まである。

 本当にここはパイロットの保養施設なんだろうな?

 南波と縫高町作戦のあと国道を彷徨い、小谷野大尉の戦車部隊に出会う前、トマトをいただいたあの家々と、目の前の集落はなんの変わりもないように見えるのだ。

 もし、パイロットの保養施設ではなかったら。

 眠っているのが敵のパイロットではなく、朝がいつもどおり来ることを疑わずに床についた、無辜の住民たちであったなら。

 おやすみの声とともに両親と別れ、自室で夢の世界に旅だった子どもたち。

 その子どもを見守る暖かい視線の母親、不器用な父親。

 あるいは翌日、子どもたちと海岸線まで魚介を探しに行こうと考えている祖父母たち。

 光学照準器の向こう。

 もしそんな世界が広がっていたのなら。

 任務だから。

 これは仕事だから。

 私はそんな低次元な意思でこの部隊に参加しているのではない。

 積極的に敵を排除するためにここにいる。

 そのためには、非武装のパイロットを、就寝中に、休養中に射殺することも厭わない。

 だが、この村が、敵のパイロットたちとなんの関係もない存在だったなら。

 私はちょっと後悔するだろう。

 高泊の駐屯地に帰ってから、もしかしたら何種類かの薬物を投与してもらうかもしれない。すべての罪悪感を不謹慎にもきれいさっぱり流し去ってくれる便利な薬だ。それにダメ押しするようにして、専門資格を持った医官によるカウンセリングを受ける。カウンセリングとは名ばかりの、やはり罪悪感を消し去る洗脳行為だ。

 私はそんなことを考えながらも、引き金を引く指に躊躇を与えず、三本目の予備弾倉を小銃に装填していた。

 三〇口径弾の威力は想像よりずっと大きい。木造建築の壁くらいなら抜いてしまう。そして、その壁の向こうに人間がいたとしても、木の壁は七.六二ミリライフル弾にとっては弾よけにならない。十分な殺傷能力がある。

 弾薬に躊躇はない。感情もなければ、苦悩もない。

 苦悩するのは撃った私だ。あるいは蓮見であり、……桐生と南波は良心の呵責という言葉が彼らの中に存在しないだろうから、躊躇も苦悩もないだろうが。

 撃つ。

 撃ちながら、私は耳を澄ませていた。

 反応がないのだ。

 ほとんど一方的とも言える射撃。

 反撃がないのだ。

 いくら壁を容易に抜ける三〇口径弾とはいえ、すべての建物を四方から同時に攻撃しているわけではない。私たちの初弾がそのままパイロットたちの息の根を止めているはずもない。保養施設とはいえ、戦闘地域にあって、軍隊の構成員が、まったく小銃一挺すら持っていないというのは解せない。そんなはずはない。

 悲鳴もない。

 私たちの射撃能力が、一般部隊の小銃小隊のそれと比べて高精度だとして、一発一発すべてが敵兵士の頭を撃ちぬいているわけでもあるまい。そもそも私は撃ちながら、一発たりとも手応え(・・・)を感じていなかった。

 撃つ対象がシカだろうがクマだろうが人間だろうが、銃を撃ち、弾が獲物に当たるかどうか、感覚的だが手ごたえというものがある。。いや、明らかに命中する、絶命させられるという一撃を放ったとき、不思議と分かるものなのだ。これは南波も桐生も、蓮見ですら異論はないだろう。実戦経験があれば必ず理解できる感覚だ。乱暴にたとえてしまえば、小石を池に放って、狙った場所へ飛ぶかどうか、投げた瞬間に分かるような。それと同じだ。

 確かに窓ガラスには当たっている。カーテンを貫通している。しかし、その後がない。

 明りは消えていく。

 だが、煙突から煙は出たままだ。

 私はCIDSの機能を温度センサーに切り替える。

 そもそも、行動開始直前から、熱源反応は見られたが、はっきりと人間の形を捉えていたかというとそうではないのだ。屋内に複数の熱源反応があり、それは「おそらく人間」だと断定しての行動だった。それはそうだ、家の中の熱源反応はたいていが人間だ。だが、それが擬態だったら?

「撃ち方止め」

 南波の声。CIDSの戦闘情報にも表示が出た。

 海軍第七二標準化群と私たち。同時に射撃が中断される。

 温度センサーモードのままのメイン窓。

 着弾点が転々と赤い。

 あたりに散らばっている赤い反応は、私たちの小銃から吐き出された空薬莢だろう。射撃後の空薬莢はそうとう熱い。

 射撃をやめると、発砲音がこだましながら遠ざかっていくのが分かる。そして一気に静かになる。

「オールステーション、」

 南波だ。

「72Sが各戸の探索に入る。オールステーション、そのまま待機(ホールド)

「了解」「了解」

 蓮見と桐生。

「連中に続く?」

 私から南波へ。

「バックアップに行く……離れるなよ」

 チームD四人はこういう場合不可分であり、先頭南波、二番手桐生、三番手が私で後方警戒を蓮見のポジションで、建物に迫る。

「南波、」

「なんだ、姉さん」

「おかしい、絶対」

「なにがだ、入地准尉」

「手応え、あったか?」

「撃ちこんでか? なかったな」

「目標の姿を見たか?」

「見なかったな」

「蓮見?」

「見ていない」

「桐生も?」

「同じだ」

「変だぞ、ここは」

 全員、小銃はローレディ。人差し指は用心金(トリガーガード)の外に伸ばしているが、いつでも撃てる体勢だ。銃口は全員が違う方向。一棟目に近づく。私は温度センサー表示をサブ窓に変更し、近づく。壁やカーテンが燻っている。弾着のあとだ。

「行くぞ、」

 ドアの前に立ち止まり、南波がやや腰を落とす。ドアを開けるのは桐生で、突入役が南波、二番手に私が続き、ドア向かって右側の警戒を桐生、左側を蓮見が担当。ドアブリーチングから建物への突入は、任務の性質上、私たちのチームはあまりやらない。第五五派遣隊にはもちろん屋内戦が専門のチームもいるが。

「クリア」

 飛び込んだ南波の声。南波の背中に銃口を絶対にクロスさせないよう、私は照準をする。こういう屋内戦闘では、4726自動小銃は重く大きく、そして銃身が長すぎる。取り回しは不便だ。せめてフォアグリップが欲しい、と思う。

「クリア」

 私も宣言。

「誰もいないぞ」

 南波。

 室内に灯りはなく、光量補正はCIDSに頼っている。足許で割れたガラスがバリバリと鳴った。

「蓮見」

 南波が呼ぶ。

「なに」

「お前、いちばんちっこいから、こっち来い」

 この建物にはもはや脅威がないと判断しての声音。南波が蓮見を呼ぶ。桐生がドアの前で警戒。

 小銃をローレディにしたまま、蓮見が駆け込んでくる。

「クリア」

「ああ、『クリア』なんだ、分かってるんだ」

 南波。銃を降ろしている。

「なんで、」

 蓮見も銃を降ろす。

 射殺されたパイロットが転がっていると思っていたのに。

 私は内心息をついていた。名もなき簡素で幸せな家族を全滅させたのではなくて、正直ほっとしていた。なぜ? 感情移入能力だけは、五五派遣隊の「精神的訓練」でも弱めることはできなかったから。私はこれとの闘いを、入隊以来続けていることになる。

「クリア……なんにもないな」

 建物を出る。出るときは銃を構えて。お互いの肩に触れながら、自分の位置を主張する。友軍狙撃はこうした近接戦闘でこそ注意が必要だ。

 南波は早足で、しかも足音を殺す独特の歩調で、隣接する農家の母屋風の建物に向かう。

「いいか?」

 南波の確認に全員が返答。

 先ほどと同じ順序で突入。

「クリア」

 南波の声。

「クリア」

 居間。弾痕の残るソファ。砕けたテレビ。私のコール。

「クリア……全員、来い。おかしい」

 南波はダイニングキッチンにいた。

 私は銃口を部屋の外側へ向けながら、後ずさるようにして南波に接近する。

「誰もいないぞ」

 私。足許に割れたグラス。転がった食器。

「わかってる」

 南波はまた銃を降ろしている。食卓の上に、食器が散らばっている。

 食器。

 グラス。

 マグカップ。

 パン。

 パン?

「朝飯には早い」

 南波がパンを取り上げ、まじまじと見つめて、不意に私に放る。左手でつかむ。銃がぶれる。

「なんだ、これ」

 つかんだパン。

 柔らかさもなく、香りもない。乾燥しているわけでもない。……原材料は、いったい何だ?

「なんだこれ? パンじゃない」

「バカにしやがって」

 南波は銃床で私が放り返したパン……プラスティックか何かでできたパンの形をした物体……を乱暴に潰した。パンの形をしたそれは変形したが潰れることはなく、バランスを崩した南波の4726の銃床が、並んでいたプレート類を粉砕した。派手な音がして、リビングから蓮見が、客間らしき部屋を探索していた桐生が駆け寄る。

「何?」

 蓮見。

「ここはなんだ!? モデルルーム(・・・・・・)かよ、」

 南波が苛立った声を隠そうとしない。

 不思議そうな顔をしている蓮見に、私は潰れかけたパンの模型を放る。

「なによ……これ」

「誰かいたか」

「誰もいない」

 桐生。

「二階も?」

「誰もいない。熱源も反応しない」

「そんなバカな」

「反応はあったよな」

 桐生が蓮見を向く。

「あった」

「俺もだ。確認してる」

 南波。

 そうだ。行動開始前、各戸の屋内に、ゆっくりと動く熱源は確かにあったし、煙突から煙はたなびき、各戸の窓からは明りが漏れていた。

「行こう、」

 行きがけに南波が思いっきり食卓イスを蹴り飛ばし、建物を出る。椅子はシステムキッチンのカウンターにぶち当たったが、壊れはしなかった。

 外はかなりの明るさになっていたが、相変わらずぶ厚く雲が垂れ込めていた。朝と呼べる時間帯になっていた。

 建物の外に出ると、数軒隣に第七二標準化群の隊員の姿が見えた。

 南波が手を挙げる。

 先頭の隊員がこちらに手を振る。「ダメだな」、そんな表情。

 と、その瞬間、手をこちらに振った72S隊員の身体が揺れた。

「伏せろ、敵襲!」

 南波の反応は早かった。南波の言葉に反応するより早く、私も桐生も蓮見も、その場に伏せた。

 72Sの隊員はその場に崩れ落ちていた。向こうの反応も早い。他の隊員はすでに遮蔽物を利用したか、建物の中に逃げ込んだかで、姿は見えなかった。

「まずい、ここは丸見えじゃないか」

 南波が呟くのが聞こえる。

 農家の母屋風の建物。

 遮蔽物が何もない。

 茂み。

 花壇。

 広葉樹が数本。

 広場風になった前庭から向こうの森まで、途中何もない。

「スーパーサーチ」

 南波。衛星リンクに接続したCIDSはしかし、なんの脅威も表示してくれなかった。ただ、脅威判定レベルだけが二を示している。

「オールステーション、」

「なんだ」

「建物に逃げ込む。いいな」

「駆け込めってわけじゃないだろうね」

 私。

「バカも休み休みいうもんだぜ。死にたきゃやってくれ。俺は許可しない。はっていけ」

 言われなくてもわかっている。

 狙撃された。

 おそらくこの集落そのもの(・・・・・・)が罠だ。

 誰を狙って?

 私たちだ。

 陸軍第五五派遣隊。

 海軍第七二標準化群。

 ここへ来ることになった友軍の部隊。

 いくら射撃をしても、パイロットたちはいなかったのだ。

 おそらく最初から。

「熱源反応はなんだったんだよ」

 蓮見。ゆっくりと匍匐している。彼女がいちばん建物に近い。

「カーテン、あとで調べて見るさ」

 南波。

「ディスプレイ?」

 私。

「なんのことだ?」

 桐生。

「カーテンの形したディスプレイなんて、作ろうと思えばいくらでも作れるだろう」

 南波。そうなのだ。ペラペラで柔軟性のある電子ディスプレイなど珍しくもない。私たちの携帯電子端末(ターミナルパッド)のディスプレイも実は薄さ一ミリ以下のフィルム状であり、直下のスペースにぎっしりと電子デバイスが埋め込まれている。だから機能の割に薄く、ディスプレイは物理的に割れたりすることがないのだ。フィルムだから割れるわけがない。

「ニセの熱源情報でも表示していたのだろうよ、あの距離では見抜けない」

「疑いもしなかったからな」

 私。

「俺を責めてるつもりか」

「リコメンドした」

「あんなもの、リコメンドのうちに入らないよ、姉さん」

 私たちのタクティカルベスト、スーツは、建物前の植生に合わせて、淡い緑色に変色をしている。が、短く刈られた……というより、芽吹いたばかりの草原で、人間の凹凸は目立ちすぎる。いつ撃たれてもおかしくない状況になってしまった。

「入地准尉、」

「南波、」

「なんか見えるか」

「私の目には何も」

「俺もだ」

 蓮見が玄関に転がるように飛び込んだ。途端に、ドアに穴が空く。銃撃されている。弾着から遅れて発砲音。さほど離れた距離ではない。ようするにこちらの存在をしっかり把握して撃ってきているということ。

「おいおいおいおい」

 南波がぶつぶつ言っている。続いて桐生がダッシュ。壁がはじけた。

「ドアは見えてるんだな」

「私たちが見えていない?」

「そこの、」

 南波が指をさす。小さな花壇と、アジサイらしき植え込みがある。

「あれが死角になってるんだ、たぶん」

「嫌な感じだ」

「撃つなよ」

「弾の無駄」

「そのとおりだな」

 南波が玄関に駆け込む。段差部分の階段がはじける。

「入地准尉、急げ」

 南波が呼ぶ。

「急げといわれても、」

 私の肘の先で地面がはじけた。捕捉されている。地面が柔らかくて助かる。跳弾でやられる危険性は低い。その前に直撃されないことを、もはや祈るしかなかった。

「早く、」

 蓮見の声だ。玄関まで、四メートル。おそらく、このあたりからアジサイの茂みの死角に入る。もっとも、敵部隊が移動していれば話は変わるが。

「早く!」

 南波だ。

 私は重心位置を鼻先あたりに置くつもりの姿勢で、おもいっきり駆けた。左足のつま先で何かが爆ぜる。続いて右足の脛の直前を何かが通過した。銃弾だ。分かってる。

 玄関。

 一段、二段、三段。

 飛び越えるようにして、頭から屋内に転げ込んだ。背中のバックパックが痛い。

「セーフだ」

 私を抱きかかえるようにして、南波が言う。

「ありがとう」

「ここはちっとも安全じゃないぞ。こんの木の壁は簡単に抜かれる」

「私たちがやったみたいに?」

「そういうことだ」

「脱出だね」

 蓮見。銃を構えている。だが、何を狙っていいのか分からない。

 全員、姿勢を低くした。床に匍うように。呼吸を整える。いくらスーツが赤外線を封じ込めても、吐息に熱が混ざれば台無しだ。敵も衛星リンクを使用した場合、私たちの位置など丸見えになる。いや……、私は恐ろしい事実に思い至る。

「南波少尉……」

「俺もいま思ったんだ」

「なによ」

 蓮見が銃を構えたまま、訊く。

「姉さんが言ったとおりさ。俺たちは、罠の中にいるんだ。はめられたんだ」

 南波の声が低い。はっきり発声している声だ。

「どういうこと?」

 蓮見。

「この家さ」

「この家がどうしたのよ」

「これがモデルハウスならだ、」

「なによ」

「侵入者は逃しません。しっかり捉えるセンサーを各所に配置し、お客様の暮らしを守ります。そういう設計だったらどうするよ」

 蓮見が絶句した。銃を構えたまま。

「建物そのものが、罠だって?」

「いま外に出るのは自殺行為そのものだけどな。蓮見准尉でもご存じのとおり」

「でも、」

 蓮見の声が微かに震えた。肉声だ。

「南波少尉のいうとおりセンサーだらけだとしたら、俺たちの場所は敵さんに丸わかりだな」

 桐生が大きな身体をかがめながら言う。

「たとえば俺たちが逆の立場だったとして、敵が俺たちの作った罠にのこのこやってきたどうするよ? 蓮見」

 南波は囁く。この建物そのものが罠……センサー類を奢った、居住にはまったく適さない、巨大探知機のような仕様だとしたら。

「家ごと……侵入者を消すか」

「正解、だろうな。ネズミがネズミ捕りに入ってきたら、そのままドカンってやっちまおうって寸法だ。俺ならそうするね」

「だったら、早く……」

 蓮見が言うが早いか動き始めた。

 と、蓮見の進行方向、一人がけソファの背がはじけた。私たちの言葉をしっかり聞いているかのような、的確な射撃。

「まずったな」

 南波は言うが、声音も表情も言葉どおりには感じない。困っている様子には見えなかった。

 次の瞬間、爆音が響き渡る。音そのものはCIDSが遮断したが、地面伝いの振動と、空気を伝わる衝撃波が私たちを襲う。

 炎が上がっていた。

 一ブロックほど離れた場所だ。

 第七二標準化群のチームがいるはずの場所。

 飛び込んだ家がやられたか。

 家ごと。

「まずったな……」

 南波が同じ言葉を、さして困った様子もなく言う。

「とりあえず、出るしかない。ここにいても死ぬ」

「外は、でも」

 蓮見。

「また敵の立場に立ってみろ。俺たちの四方を囲むはずがないだろう。簡単に同士討ち(フレンドリーファイア)だ」

「抜け道があるって?」

「この状況からして敵の大部隊の待ち伏せには思えない。ヘリも飛んでこなければ、重火器類の攻撃もない。おそらく敵の勢力は……俺たちと似たようなレベル、そんな気がする」

「根拠は?」

「蓮見、勘だよ。俺の。歴戦の勇者である俺の勘だよ。頼りになるだろうが」

 南波は銃を構えることもなく、しかし足音を殺すように、歩く。できるだけ遮蔽物が自分の身を隠すように。窓から離れて。私たちも続く。蓮見は傍目に分かるほどにおびえていた。が、南波は平然としていた。縫高町で4716自動小銃を失ってなお平然としていた彼の横顔を思い出す。だから私は気分が楽になるのだ。帰れるような気がするからだ。南波がいれば。

「オールステーション、」

 各局。南波が呼びかける。

「建物から出たら、全速力だ。あの広場を突っ切る」

「えっ」

「蓮見、あっちのほうが絶対に安全だ。死にたくなければ、ついてこい。いいな」

「了解」

 瞬間、南波は駆けだした。リビングの窓を体当たりで破る。桐生が続き、私も続き、蓮見が続く。撃たれている。敵の銃声はフィルタリングされて耳を聾するほどではなかったが、弾着に遅れて敵が発砲しているのはわかる。CIDSのフィルタリング機能がそうなっているからだ。銃声や砲声そのものを消し去るのは危険すぎるのだ。痛いと分からないければ、怪我をしたことに気付かず、そのまま手遅れになるのと同じ。そして敵の銃弾が激しく掠める音が聞こえる。嫌な音だ。南波が低い姿勢のまま走る。

「できるだけ離れろ、ただし離れすぎるなよ」

「南波、どこまで?」

 南波は答えず、全速力で行く。南波のダッシュは速い。私たちもついていく。全員の肉体的スペックは、出来るかぎり均等になるよう微調整されている。それぞれの機能が大差ないようなチーム組になっているのだ。いちばん小柄な蓮見も、走るのは速いし、筋力も基準レベルには達しているのだ。

 南波は黒煙を上げて燃える住宅風の建物へ駆けている。

 そう言うことか。

「燃えちまえば、センサーなんて関係ないからな」

 私は、南波と桐生の背を追う。

 もちろん、CIDSのサブ窓は、後方警戒モードに切り替えて。

 蓮見が、ついてきている。

 とんだ感情移入だった。この村に住人などいなかった。

 夜は明けていた。

 もう夢を見るような時間ではない。

 走る。

 銃弾が、追いかけてくる。


 不意に耳許で肉声が弾けた。

「72Sリーダーからオールステーション」

 第七二標準化群指揮官からの声だ。無線通話が完全にオープンになっている。

「作戦は失敗した。ここから脱出する。オールステーション、施設北端の屋根へ集まれ 」

 南波と比べると、ややうわずったような甲高い声だが、慌てている様子はない。

「聞こえたか」

 走りながら、振り返りもせず、南波が言う。彼の声もすでに肉声だ。

「共同作戦ってことでいいのか」

 私が問い返す。

「そのとおりだ。撤退も合同だ」

「失敗した?」

 蓮見の声。

「成功したように見えないからな」

 私たちは中腰のような姿勢……できるだけ前面投影面積を小さくしたスタイル……で駆けていた。建物に接近することはできなかった。ここは敵……北方会議同盟軍の仕掛けた大がかりな罠だ。建物すべてが仕掛けられた罠なのだ。猟と同じだ。獲物はみな殺される。走りながら、集落全体が地雷原である可能性に思い至ったが、施設へ接近する際の脅威判定に地雷の要素がなかったことを思い出す。だいたいこれだけ走りまわって無事である点で、その可能性は否定できるだろう。ただセンサーが目覚めていないだけかもしれないし、すでに目覚めたセンサーを、たまたま幸運にも私たちが踏んでいないだけかもしれない。しかし標準的な地雷ならば、やはりCIDSが警告を発するはずだ。地雷原としての規則性、衛星や早期警戒管制機のレーダー、センサー類は、対人地雷のごとき土壌表面にさっと埋めてあるような物体を、そうそう見逃すことはないのだ。金属製か樹脂製かなどは問題外で。どのようなアルゴリズムで発見しているのかはよくわからないが。

「第七二標準化群(72S)リーダーから第五五派遣隊(55EX)チーム(デルタ)リーダーへ」

「こちらデルタリーダー」

 72Sリーダーからの呼びかけに、南波が応答。

「『バス』を呼ぶ。現在位置は?」

「すまない、立ち止まれない。そちらの位置は見えている。そのまま誘導して欲しい」

「了解」

 CIDSの視界には、私たちと同じようにジグザグに走っている72S部隊の姿が見える。ただし、動きが非常に鈍い。走っているようだが、八名全員が無事ではないのだろう。先ほど爆発した家屋にいたのは何名か。無事に機動しているのは三、四名程度に見えた。

「『バス』って」

 蓮見が訊くが、息が上がっていた。

「海軍の九六式装甲輸送機だよ。……蓮見大丈夫か」

「なにが、」

「お前のパーソナルデータがおかしいぞ、」

「……被弾した」

「どこに!?」

「バックパックに当たった。スーツの制御ボックスが粉々になっちゃった」

「循環は?」

 今回の作戦で着用しているスーツは体温を逃さない。従って赤外線を放出しない。そのかわり、内部の熱もそのままたまり続けることになる。そうすると、タクティカルスーツがそのままサウナスーツになってしまう。人間の体温が上昇すれば汗をかき、気化熱で冷却するが、その気化熱を使用できない以上、タクティカルスーツそのものに冷却機能を持たせていた。動力源は私たちの体温だ。薄い皮膜状の層に、私たちの身体から放出される水分を吸着させ、それが循環する。制御装置は、スーツと接続されるバックパック下部についているが、蓮見のそれに被弾したようだ。

「もうスーツの機能がおかしい……寒い」

「寒い?」

「過冷却っぽい」

 サーモスタットが故障すれば、そのまま内部に熱が溜まる一方だが、どこかの回路も一緒にやられたのだろう。あるいは、スーツの全機能が喪失して、……外気温の影響をもろに受けているのかもしれない。私たちはさほど厚着をしていない。むしろ、気候から見ればおそろしい薄着といえた。それはこのスーツの性能を受けてのことだ。北緯五〇度を越えたこのあたりは、初夏とはいえ昼間でも最高気温は二〇度に届かない。

「お前本体に負傷はしていないんだな」

「大丈夫、たぶん……」

「嘘をつけ。血が出てるぞ。弾がかすったか。海軍がピックアップに来る。できるだけ海側へ走れ」

「海岸線って、視界が開けすぎてる」

 蓮見が駆けながら叫ぶ。

「森の中へ逃げ込むわけにはいかないぞ、命の保証はできないな」

 そのとおりだ。遮蔽物だらけの地形は、私たちにとっても敵部隊にとっても、格好の場所なのだ。逃げ込んでそのまま潜むならいい。近寄ってきた相手を一人ずつ始末してもいい。しかし、現時点で私たちはゲリラ戦を展開するわけにはいかなかった。敵はそもそも森の中から撃ってきている。

 炎上する住居……に見せかけた壮大な仕掛け罠……を利用して敵の火線をくぐり抜けているが、身体の周囲をしきりに弾丸が空気を切り裂いている。

「オールステーション」

 南波だ。

「誰か、敵の姿を見たか」

「見ていない」

 桐生が即答した。

「私も見ていない」

 私も答える。振り返ると、蓮見はついてきているが、足取りがおかしかった。

「……蓮見、ちょっと待て」

 私が蓮見を呼びとめようとした瞬間に、閃光、そして衝撃波が襲ってきた。さほど近くはなかったが、建物のひとつが派手に爆散したのだ。窓枠、外壁、屋根材、様々なものが降ってくる。身体を丸くして伏せる。

「蓮見……足をやられたのか」

 私は匍匐するようにして蓮見に近づいた。蓮見も私も4726小銃を構えているが、敵の姿は見えなかった。撃ち返しても弾の無駄。見えない敵は撃てない。伏せるしかない。

「姉さん、私は……大丈夫」

 蓮見の左の腿のタクティカルスーツの生地がかぎ裂きになっていた。

「直撃してない」

 傷自体はさほど深くはないようにも見えたが、確認するにはスーツを脱がすかさらに裂くしかない。そしてそれは今はできない。海軍の九六式装甲輸送機(バス)が到着すれば、その中で応急処置をするのだ。それまで、蓮見には我慢を強いるしかない。

「蓮見、走れるか」

「大丈夫」

「よし、ここに残っても死ぬぞ。行こう」

 十数メートル前方で、姿勢を低くし、桐生が後方、南波が前方を警戒しながら待機している。分隊支援火器があればと思ったが、前線でないものねだりは禁止だ。

「オールステーション、無事か。返事は聞かない。行くぞ」

 南波。

「行こう」

 私。蓮見に対しても。

 姿勢を上げられない。銃弾が飛び交う。空気が切り裂かれる鋭い音。いつ聞いても嫌な音だ。

「森からだ」

 桐生が言う。

「わかってる。……物音もしない。嫌な奴らと再会ってことだな」

 南波が憎々しげに言う。

 発電所と、空沼川が蘇る。

 上半身を吹き飛ばされた野井上。

 声を出さない兵士たち。

 視線を感じると、蓮見の目がそこにあった。

「<THINKER>?」

「行くぞ、蓮見」

 風連発電所奪還作戦。

 結局、私たちは発電所の奪還には成功した。巨大な発電機に封印の呪文をかけ、「読み聞かせ」なしには友軍部隊ですら再起動できない状態にし、そして縫高町まで撤退した。なんとか撤退できたのは、私と南波の二人だけだったが。

「蓮見、お前、風連奪還戦で奴らを見たのか」

 蓮見の軸足は左だ。駆けだそうとして、顔をしかめた。スーツの腿が赤黒く光っているのは、出血だ。あふれるほど流れていないことにやや安堵するが、放置すれば悪化するのは目に見えていた。

「はっきりは見ていないよ。ただ……いまと同じで、森の中から撃たれた。銃声以外に気配も何もしなかったんだ。いまと同じ」

 屈んだ蓮見の腕を、私は二度、強く叩いた。蓮見はもう一度私の目を見て、バイザーと一体化したCIDSを下ろす。

「72Sリーダーから55EXデルタリーダー」

「デルタリーダー」

「『バス』が応答した。到着まで二十分」

「了解だ……」

「二十分!?」

 桐生の声。うんざりした声音。

「とりあえず、」

 南波。

「海軍の連中と合流しよう。俺たちだけでは、ダメだ……走るぞ。姉さんと蓮見は、後だ。照準しなくていい。適当に撃て」

「分かった。蓮見、頼む」

「よし、姉さん、行くぞ。桐生、」

「大丈夫だ」

 チームD、四名。とりあえず健在。

 燃えさかる建物と、その残骸。ただのモデルハウスで、大仕掛けの罠。

 罠?

 駆けだした南波、桐生の背中を横目にして、私は森に向かって、それでも四倍率の光学照準器を覗いて……サイティングしないで銃を撃つのは、どうもやはり私の性分に合わないのだ……撃った。反動が肩に響く。予備弾倉はまだ残っている。撃つ。短く。蓮見も続く。なんとか彼女も走れる。痛みをコントロールしている。痛みを感じないよりはいい。怪我をしても死ぬまで気がつかないからだ。だから私たちは、結局戦場でも痛みからは解放されないでいる。闘いにおける重要な要素だからだ。痛みを感じない兵士がいたら、すぐに死ぬ。痛みを感じないよう、戦闘をできるだけ回避しようと努力しなくなるからだ。

 痛くないように。

 痛みを感じないように。

 そうした作戦をとる。

 周りはもうCIDSの補正なしに十分明るかったが、視程は悪かった。全体的に海霧がたなびいており、空はぶ厚い雲に覆われて、太陽がどこにあるのか、一見しても分からなかった。

 肌寒い。

 気温が上がらない。

 スーツの機能を失った蓮見にはつらいかもしれない。流血していることも、寒さの原因になる。どこまで行っても苦痛ばかりだ。しかし、この場で苦痛から避けようとすれば、敵の銃弾に倒れるのがもっとも手っ取り早い手段であり、そしてそれはもっとも禁忌されるべき行為だった。私たちがこの先さらに生きていくには、しばらくは苦痛を感じ続けるしかないのだろう。

 撃つ。

 空薬莢が視線の端で舞う。

 膝撃ちの姿勢で撃つ。

「蓮見、先に行け。今のお前ではバックアップにならない」

「姉さん、ごめん」

 短くうめき、蓮見が駆けた。

 草原。木。燃える家。その置くに蒼く黒い森。

 光学照準器の中には、弱い風に揺れる森の木々しか見えない。それでも私は敵に照準されている。弾が飛ぶ。空気を切り裂く音がする。CIDSのヘッドセットは、この音まではフィルタリングしないようだ。そう、危険信号だから。爆音と違い、銃弾が空気を切り裂く音は、狙われていることの証左だから。

 マズルフラッシュでも見えないかと素早く銃を振り、照準器で探るが、見えない。

 銃声もほとんど聞こえず、マズルフラッシュも見えないとすると、どこかの暗殺部隊並みに減音器(サプレッサー)を装備しているのだろう。銃声を轟かせないためというよりは、発射点を分からなくさせるためだ。銃弾自体は音速の三倍近い初速を持つので、衝撃波までは消せない。結構な音はするのだ。しかし、音がした頃には銃弾は通過しているか、命中している。音より速いものは光であり、減音器はマズルフラッシュを消す効果もある。彼ら<THINK>を装備した<THINKER>はそれを狙っているのだろう。音もなく近寄り、気づいたときには獲物は息の根を止められている。戦闘というより、ハンティング……猟に近い。

 私は短く走り、立ち止まって膝撃ちの姿勢から数発撃ち、そして走るという動作を繰り返した。蓮見も時々同じようにして撃った。だが少なくとも私はまったく手応えを感じなかった。

 次第に私の中に、怒りに似た感情が湧いていた。

 彼らは私たちを狩ろうとしている。

 文明の利器を最大限に利用して。

 私が祖父とユーリと森に入ったとき、無線機すら使わなかった。祖父とユーリは口笛のような音と身振りで獲物を追いつめた。本当は祖父は猟犬に獲物を追わせたかったと私に言ったことがある。しかし、祖父は新たに猟犬を育てることに躊躇していた。自分の命が尽きるのと、猟犬の命が尽きる、その時間を天秤にかけたのだと思う。

 短い距離を小刻みに走った。

 集落から抜ける。笹や背の高い野草が茂る丘陵が広がる。強い風が吹くのだろう、生える木は皆背が低く、時折のっぽな針葉樹は傾いて立っている。茂みは背が高いとはいっても腰までは届かず、身を潜めても首から上がはみ出てしまう。伏せてしまえば完全に隠れるが、そうすると身動きが取れなくなる。匍匐して進めばいいかもしれないが、私たちは敵を追いつめているのではなく、……敗走しているのだ。

 茂みに頭から飛び込むようにして転がり、私は両足を広げ、両肘を立てて銃を保持し、伏せ撃ちの姿勢を取った。すぐに移動するが、膝撃ちでは目立ちすぎた。

すでに集落を抜け、その距離は五百メートル少々、森まではもう二キロほどの距離があった。五〇口径の対物(アンチマテリアル)ライフルでならここまで弾丸を飛ばすこともできるだろうが、もし彼らが森からまだ出ていないのであれば、射程外に逃れたことになる。だが安心はできない。銃以外の重火器の類があれば話が別だ。だから私は伏せ撃ちの姿勢で警戒する。

「蓮見、大丈夫か」

 先行して待機していた南波がすり寄るようにして蓮見に近づく。

「けっこう痛い」

「見せてみろ」

 うねるような地形の茂みの中腹に、72S部隊の姿が見えた。私たちのタクティカルスーツ、ベストと似た装備だが、こちらはほとんど黒に近い緑色が基調で、彼らは紺色基調の迷彩を纏っていた。

「南波少尉、」

 蓮見の足の具合を診る南波に、中腰姿勢のままで紺色の一人が近寄る。

「そちらは全員無事か」

「このチビっ子が負傷したのを除けばな」

 南波の言葉に、普段なら言い返すはずの蓮見がおとなしい。蓮見の顔色ははっきりと青白かった。体温を奪われているのか、出血がひどいのか、あるいはその両方か。ショック状態に陥っている様子だった。

「こちらは二名戦死。……二名負傷、無事なのは四名だ」

「二人やられた?」

「あんたに手を振ってた奴ともう一人さ。家の中にいたからな」

 72Sリーダーが持つ4726自動小銃の銃身部分から煙が出ていた。かなり激しく撃ったあとだ。私の銃の被筒(ハンドガード)からもうっすらと煙が上がっていた。

「これで済むと思うか」

 72Sリーダーは()井田(いた)と名乗った。谷井田少尉。

「済まないだろう。こいつの足の具合を見たら、すぐに移動しよう」

 <THINKER>があの場にとどまっているはずはないと考えている。私も同感だった。あの集落は私たちのために用意され、彼らは私たちのために現れた。逃がしてくれるはずがないと思った。

「そいつは、」

 谷井田少尉がCIDSを上げて蓮見を見下ろす。「大丈夫なのか」

「見かけより強い子だ。大丈夫さ。そうだろう?」

 顔をしかめ、止血処理を受けている蓮見が、連邦合衆国兵士のように親指を立ててみせた。

「このとおりさ」

「そっちの、」

 顎をしゃくるようにして私を指す。「そっちの姉さんは」

「あいつもああ見えて元猟師だからな」

「南波、違うって」

「聴いてのとおりだ。陸軍第五五派遣隊北洋州分遣隊チームDはオール・グリーンてことだ」

 南波の口調に、おどけたような様子はみじんもなかった。南波はおそらくこの谷井田少尉が気に入らないのだ。海軍風を吹かせやがって。おとなしくお船に乗っていやがれ。そんなところだろう。同盟軍の<THINK>が私たちの側に配備されていなくてよかった。こうした心の声の処理を、彼らはどうしているのか。今が戦役の時代でなければ、私は彼らに訊いてみたかった。個人的な興味として。思ったことが相手に伝わる、以心伝心が具現化された機械の使い心地を、私も試してみたかった。おそらくそれほど楽しい機械ではないのだろうが。

「『バス』は一〇分程度で到着する。ここは場所が悪い。着陸しづらいだろう。もう少し海岸線まで近づきたい」

「賛成だな」

 私は銃から弾倉を一度抜いた。まだ、五発残っている。……撃った数を勘定していたつもりだったが、訓練とは違う。なかなか思ったようにはいかない。もう一度装填し、構え、照準器に視線を戻す。

 途端に、私の二メートルほど前方の土が弾け、笹の葉が散った。

「伏せろ」

 チーム全員が即座に反応する。

「もう来たか」

 蓮見の声が力ない。

「重機関銃(キャリバー50)でも持ってくればよかったな」

 私の左手一、五メートルほどに桐生。

「誰が持つんだ」

 南波。

「俺以外の誰かさ」

「分隊支援火器(SAW)でいいから携行すべきだったな」

「誰が持つんだ」

「俺以外の誰かさ」

 海軍も陸軍の情報部も、同盟軍の<THINKER>が来ることを予見していたに違いない。

「後退、下がれ下がれ」

 谷井田少尉の声だ。ヘッドセットからではなく、私に耳に外から聞こえる。

「向こうは負傷者抱えて大変だ」

 南波が毒づく。こっちもな。言ってやろうと思ったが、蓮見の青い顔を見てやめた。

「蓮見、死ぬなよ」

「この程度で?」

「安心した。いつもどおりだな。拳銃は俺によこせ。自決用じゃないんだからな」

「わかってる」

「安心した……走れるか、姉さん、援護頼む」

「了解」

 微かに爆音が聞こえる。曇天のどこかから。

 弾着。土が弾ける。

 私の耳のすぐ横を銃弾が掠めた。七.六二ミリ弾は通過するだけで凄まじい音がする。空気が裂ける甲高い音。嫌な音だ。

 光学照準器を覗く。マズルフラッシュは見えないが、奴らはすでにあの集落に展開している。集落からこちらは開けた草原(くさはら)だ。いくら音を出さない部隊とはいえ、透明になれるはずもない。光学的にいくら迷彩を施したところで、CIDSのエコーロケーション機能を拡張すれば、無意味だ……と、私はそこまで思い至り、即座にCIDSの表示モードにエコーロケーション画像をミックスさせた。

 超音波は直進性が強いが、障害物に弱い。その性質を利用して、エコーロケーションを行う。CIDS程度の規模では、せいぜい学校の体育館ほどの広さでしか有効ではないと考えられてきたが、ここまで開けた場所にあって、はたして本当に使えないかどうか、試してみようと思った。出力を最大にして表示させた。コウモリはどうだ? あの身体の大きさで、飛行しながらエコーロケーション機能を使っている。

 見えた(・・・)。

 燃える建物と、二階部分が吹き飛んだ農家風の建物の影に、反応があった。

 考えるよりも早く、私は用心金(トリガーガード)の外に伸ばしていた人差し指を引き金に載せた。

光学照準器を覗く。距離はざっと五〇〇メートルだ。かなり遠い。この銃の零点規正(ゼロ・イン)は基本、四〇〇メートルで行っているから、さらに一〇〇メートルも遠方だと弾頭はかなりお辞儀してしまう。レティクルで敵の姿をとらえたが、照準はそのさらに上気味に。こんな遠距離射撃は通常行わない。だが、当たる気がした。銃は、射手の精神状態にかなり命中精度が左右される。当たる気がするかしないかは重要な要素だった。

 人差し指の腹に引き金を感じさせる。引き金の遊びの部分ぎりぎりまで絞り込み、シアが落ちる寸前で瞬間的に指の動きを固定する。あとわずか、意識するだけで弾丸は発射される。

 光学照準器の視界からブレが消える。私の身体がしっかりと安定した証拠だった。銃と私の身体が一体化している。

 シアを落とす。反動。マズルフラッシュ。空薬莢が飛ぶ。反動で照準が乱れる。その反動の戻りを利用して、敵を照準しなおす。だから照準器を覗いていない左目も開いている必要がある。

 照準器の中で、遠く血しぶきが飛ぶのが見えた。

命中だ。

音は聞こえなかったが、彼……あるいは彼女の骨を打ち砕く感触が五〇〇メートルの距離を隔てて感じられるような気がした。誰にも言えないが、それは凄まじい快感だ。会館は静かな興奮を全身にめぐる血に混ぜ込む。私は次の目標に照準を合わせる。ボルトアクションと違い、この銃は速射性に優れる。もっとも、反動が収るまでのわずかな時間は仕方がない。二脚があれば固定も容易だったのだがそれも今はない。左手の手のひらに銃を載せるイメージで、構える。銃床は肩胛骨あたりの骨格で支える。この姿勢で私は全身が銃と一体化する。祖父に教わった撃ち方だ。口をわずかに開いて、息を吐きながら。

「入地准尉、」

 南波の声だが無視する。

 CIDSがイメージングした、実映像とエコーロケーションの合成画。一名を失った動揺が見て取れた。私の上空を過ぎる銃弾の数が増えた。

 クロスヘア。やや上。もうちょっと上。

 残念だけれど、もう見えているよ。

 引き金に指を当てる。そして撃つ。

 照準器が一瞬、マズルフラッシュでホワイトアウト。が、すぐに飛翔する弾頭が見える。

 照準器の向こうで、敵兵士のライフルが宙に舞った。ヘッド・ショット。人間の脳はシカのそれと比べて容積が大きい分、容器(・・)も大きい。はっきり言って狙いやすい。両目の間に命中した。即死だろう。シカを撃つなら即死はさせない。心臓を最後まで動かし続け、血を抜かなければならない。だが、手負いにはしない。余計な苦痛を与えてはいけないからだ。獲物に対する礼儀であり、なにより肉がまずくなるからだと祖父が言った。

「二人目、」

「本当か!」

 南波の声が耳を打つ。

「行きな、『バス』が来るんだろう」

「姉さん、あんたも行くぜ」

「あとから行くよ」

 三人目。銃をわずかに右に振る。一階部分が潰れた民家の影にいる。ライフルをこちらに向けている。おそらく私に気づいている。だが、私は茂みに紛れ、伏せている。タクティカルスーツの迷彩が周囲のパターンを取り込み、私の姿は熟練した狙撃兵並みに目立たない。逡巡するまもなく、三発目を叩き込む。

 はずれた。

 空気がやや揺らいでいる。火災の熱だ。揺らぎの中で、ポジションを換えようと身体を起こした私の獲物。

 間髪を入れず第二弾。ボルトアクションではこうはいかない。この銃は精度が高い。個体によっては、そのまま選抜射手(マークスマン)による狙撃に用いられるほどだ。さすがに狙撃専門の連中はそれ専用のライフルを使う。もっと図太い銃身がしっかりフレームから浮いているタイプだ。

 発砲した弾頭が照準器の中に見える。

 当たる。

 血が散る。

 三人目。

 このへんか。引き潮だ。

 エコーロケーション合成画の中で、敵兵士たちが集結しつつあるのが見えた。私に気づいている。闇雲でもここめがけて掃射されれば私などひとたまりもない。

 私は低い姿勢のまま、……鼻先に身体の重心点を持って行き、自分の体重を利用して機動する。銃弾が追いかけてくる。当たらない、当たらない。なぜかそんな気がした。

「姉さん、」

 南波の声。

「何笑ってるんだ」

 笑っている?

 私が?

 笹藪に潜り込むようにして、私は駆ける。

 曇天に爆音が聞こえる。

 『バス』か?

 九六式装甲輸送機は高空は飛ばないと聞く。艦隊から出発した艦上戦闘機か。来るとすれば海軍の主力の七四式艦上戦闘機だろう。八九式支援戦闘機のように、小柄でパワフルなエンジンを備えた双発気だ。すると海軍版の近接航空支援でも実施するか。それとも、これから始まるかもしれない盛大な艦砲射撃の露払いか。

「姉さん、」

 鋭く南波が私を呼ぶ。丘陵は下り斜面。鉛色の水平線が見えた。

 椛武戸……荒涼とした海岸線の風景。

 墓標のような樹木。

 一面の笹。

 鉛色の海はしかしまだ距離がある。

 第七二標準化群の六人と、私のチームの三人が、斜面の中途にいた。そこならおそらく、集落からは死角になっていて見えない。迫撃砲でも撃ち込まれなければ、当分は安心だ。

「入地准尉」

 聞き慣れない声は、海軍の谷井田少尉だ。

「『バス』が来る。置いていって欲しいのか」

「今行く……姿勢を低くしていて下さい」

「今度は私たちを狙うか?」

「なんですって?」

「冗談だ。まもなく『バス』が来る。……艦砲射撃の要請を行った。このあたりは消えてなくなるぞ」

 何笑っているんだ。

 危うく私は声に出して言うところだった。

 本当に谷井田少尉を照準に入れてやろうか、ちょっと脅してやろうか、なぜかそう思った。

 おそらく私の精神状態は凄まじくハイになっていた。ようするに、まともではなかったのだ。

 爆音に首をひねると、波間を蹴立てるようにして超低空で進んでくる海軍九六式装甲輸送機の姿が見えた。本当にバスのような胴体の四隅にスタブウィングが設けられていて、その先端に、樽のようなターボファンエンジンが四基。コクピットはサイドバイサイド型式で、見た目はまるっきり本当に空飛ぶバスだ。機体上部に防弾板で守られた銃座があり、機体両サイドにはドアガン。

「なんともまぁ」

 南波が海を向いている。

 不格好な飛行機だ。

 たぶんそう言いたかったのだ。

 私はまだもやもやと熱気を漂わせる銃をローレディにして、チームに近づく。

 轟音が曇天に響いている。

 第一ステージ終了。

 そんな気がした。

 すぐに、第二ステージが始まる。

 その前に、ここを去らなければならない。

 『バス』が来る。

 蓮見は茂みに座り込んでいた。

 桐生が銃を構えて警戒していた。

 私はやや早足で、腰を落として近づく。



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