ミル・クレープに誘われて
少し切れ長の瞳が俺を見つめている。つんと澄ましたように上を向いた睫毛はしなやかな黒猫を連想させる。
「君みたいな人を、無愛想と言うんだろうね」
「……はあ」
頬杖をついてそう言った彼女の表情は、決して嫌みったらしいものではない。寧ろ子供のように楽しそうな、それでいて何処か母親のように微笑ましそうでもある。
そんな表情と言葉を向けられた俺はどう返せばいいか分からず、とりあえず適当に頷いてから温かいミルクティーをちびりと啜る。
耳に心地よいジャズがゆったりと流れる店内には、俺と彼女以外を挙げるならば、店員が一人と、それぞれ思い思いの事をしている客が二人。しかし、大して広くも無いこの喫茶店には丁度良い人数だった。
「人と接する事が嫌いかい?」
「いや、そんな事は無いですけど」
「そうだろうね。現に君には友人が何人もいる」
うんうんと頷いた彼女は、中で真っ黒な珈琲が揺らめくカップに口付ける。苦くて芳ばしい香りが此方まで漂ってきた。それに対抗するわけでは無いけれど、俺も再びミルクティーに手を伸ばす。優しい甘い匂いが鼻を擽った。
「でも、いつ見かけても表情が固い」
「それは友達にもいつも言われます」
「知ってるよ。昨日もネタにされていたね」
「……見てたんですか」
何だか気恥ずかしくなって、俺は置きかけたカップをもう一度口元に運ぶ。そんな俺の心境を見抜いているのか、彼女はくすくすと笑ってまた頬杖をついた。
「無表情でつっこむ君の姿は、なかなかに愉快だよ」
「……褒め言葉として受け取っておきます」
「今だって恥ずかしがっているだろうに、顔には出ていない。器用な表情筋をしているんだね」
「……そんなに無愛想ですかね、俺」
自分の頬をぺたりと触ってみるが、当然ながら分からない。確かに愛想の良い方では無いとは思うが、そこまで表情が変わらないのだろうか。
「うん、見事にね。果たしてどうしたら君の笑顔が見れるのやら」
「……俺の笑顔、見たいんですか?」
彼女の言葉に質問で返せば、今まで薄い笑みを湛えていた彼女はきょとりとした。それと同時に店員が俺達の席までやって来て、トレイに乗せた皿をテーブルの上にことんと置いた。
「お待たせ致しました。ミルクレープです」
「あ、有り難うございます」
ごゆっくりどうぞ、と去っていく店員を見送った俺は、皿の隅に添えられていた小さなフォークを早速手に取る。此処のケーキはどれも絶品で、特にこのミルクレープは舌触りの良い生クリームとしっとりとしたクレープ生地が絶妙に組み合わさった、俺の大好物の一つである。
綺麗に重ねられたミルクレープにフォークを入れるのは些か勿体ないが、心底からこみ上げる食欲には勝てない。
「いただきます」
俺はフォークでそっと一口大に切り分けたそれを、ゆっくりと口に運んで味わった。舌の上で広がる甘さは求めていた通りの美味しさで、心がじんわりと喜びに染まっていくのを感じる。ああ、本当に美味しい。
「……成る程な」
「え?」
今まで黙っていた彼女が不意に呟いて、ミルクレープのの美味しさに浸っていた俺はふと我に返る。
彼女はふーっと長い溜め息をついた後、珈琲を静かに啜ってから、皿の上に座っている食べかけのミルクレープを何故か難しい表情で見下ろした。
「私のライバルはこんな所にいたのか」
「え? 何がですか?」
「いや、気にしないでくれ。此方の話だ」
「……はあ」
何も理解が出来なかった俺は首を傾げ、とりあえず目の前にあるミルクレープにフォークを伸ばす。本当に美味しい物を食べると『頬が落ちる』なんてよく言うが、この例えは間違いないと思う。
人間は美味しい物を食べると、そう例えたくなる程にこうして頬が緩んでしまうのだから。
END.
笑顔の日に因んで書いた筈が、何故かケーキの話になっていました。美味しい物を食べている人の笑顔って生き生きしていて好きなんです。