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災厄色の髪






 分かっているんだ


 俺が、世界で一番存在してはいけない子供だってことは




+++




 俺が佇んでいるのは、中界と呼ばれる、精霊たちが治める世界とは異なる場所にある花畑の中央だった。

 久しぶりに訪れたそこは、何一つ変わっていない。

 いつまでも花々の咲き乱れる花畑は、時間の経過を感じさせない。

 ここはそういう場所だ。

 俺や、他の精霊が住む世界よりも、極端に時間の流れが遅い。

 本来なら、俺が足を踏み入れていい場所じゃない。


「にいさま!」


 幼く、高い声が花畑に響く。

 俺は振り向き、駆けて来る少女に微笑みながら両手を広げた。


「レイカ!」


「にいさま!」


 俺のことを兄と呼んで、走って来るその少女は、俺より少しだけ小さな子供で、長い新芽色の髪を揺らして、俺と同じ翡翠の色をした両目を輝かせていた。

 そのままレイカは俺に飛び付き、思ったよりも強かったその勢いに、抱き止めたまま後ろへとひっくり返る。

 少し花びらが散って、ひらひらとそこに舞った。


「ひさしぶりね、にいさま!」


「おう。元気にしてたか?」


「もちろん!」


 腕の中で起き上がり、人の上に座ったまま、レイカがくすくすと笑う。

 この前会った時にばっさりと肩まで切ってやった髪をゆるゆると辿って撫でれば、それは背中を越えて腰まで辿りついた。

 ここにいてなお成長の早さを感じさせるレイカを、そっと抱き寄せる。


「レイカ……」


 俺の異母妹はたった一人でこんな所に住んでいる。


「……重たくなったなぁ」


 俺の呟きに、しつれいよ! と声が上がった。

 それに笑って、抱き締める腕に力を込める。

 レイカ。

 俺が育ってから産まれた、俺の異母妹。


「……大きく、なったよなぁ」


 心よりも体の成長が早い少女を見下ろすと、彼女はあどけない表情のままで軽く首を傾げた。

 髪に付いた桃色の花びらが零れて、俺の胸へと落ちる。

 それを見てから起き上がり、レイカを解放した。


「にいさま?」


 優しげな瞳に俺を反射させてじっとこちらを覗き込んでくるレイカに、微笑を向ける。


「……何でもない。家に行くか」


 そう囁くと、彼女は嬉しそうに頷いて立ち上がった。

 そして、俺が起き上がるのを待ってから、小走りで駆けていく。

 向かう先には、花畑の中央に立地している小さな白い家。

 俺が四大精霊様達に無理を言って造らせてもらった、小さなレイカの家。

 そこへと足を向けながら、俺はレイカの幼い背中を見つめた。

 極端に遅い時間の流れの中で生きながら、俺よりもわずかに速く成長しているその背中を、ただ見つめた。




+++




「それでね、レイカがじぶんでやったの!」


「そうかぁ、偉いな、レイカは」


「えへへへっ。でね、それからね、いつもね」


 嬉しそうに、レイカが話を紡ぐ。

 それに耳を傾けて、微笑んで、頭を撫でる。

 俺とレイカは、レイカの為に作られた小さな家の中で、そんな風にして過ごした。

 いつもはレイカの身の回りの世話をする使い女も、今はいない。

 俺と入れ替わりで、元々いた世界へと戻っている。

 そして、俺がここから向こうへ戻る時に、次の使い女がやってくるのだ。

 同じ人がずっとレイカの傍にいることは無い。

 この世界の時間はあまりにも遅くて、ここにい続けると元の世界に取り残されてしまうから。


「ねぇねぇ、にいさま」


 ベッドに入ってもまだ話し続けるレイカは、毛布を引き上げながら俺を見た。

 けれど、もう眠いんだろう。可愛らしい大きな瞳が、もう半分閉じている。


「おとうさまとおかあさま、どぉしてるの?」


 あふ、と眠たげなあくびを混じらせながら、それでもレイカは訊ねてきた。


「いつきてくれるの……?」


 幼い問いかけに、俺はレイカを見詰めた。

 俺の異母妹は、じっと俺を見ている。

 その、眠たげに閉じ掛けたエメラルド色の瞳に、ゆっくりと微笑む俺が映り込んだ。


「今回は忙しかったんだ。そうだな……次の、次くらいには、一緒に来れるよ」


「つぎの……つぎ?」


「そうそう」


 頷いて、もうすぐさ、と囁けば、レイカが嬉しそうに笑う。

 眠たげな彼女の肩を、毛布ごしに柔らかく叩いた。


「おやすみ……レイカ」


 おやすみなさい、と幼い声が返ってすぐに、穏やかな寝息が聞こえ出した。

 それを聞きながら、肩を叩くことを止め、そして自分の掌を見詰める。

 まだ幼さの残った小さな掌は、何も掴む事など出来ない。

 これがただの凶器なのだと言うことを、俺は知っている。

 拳を握って、それから、俺はゆっくりと起き上がった。

 レイカは一緒に眠って欲しいと言うけれど、まだ一緒に眠った事はない。

 俺の寝床は、レイカの寝室の隣りにある、リビングのソファだ。

 ベッドを降りて立ち上がり、レイカの眠る寝室を出る。

 早く眠ってしまおうとは思うけれど、まだ眠くなかった。


「……散歩にでも、行くかな」


 ぽつりと呟く。

 少し夜風にでも当たれば、眠気もやってくるだろう。

 俺の足は、ゆっくりと、家を出るために動いた。




+++




 土を踏み締めて、夜空の下を歩いた。

 風が穏やかに吹いて、暗闇の中で花達を揺らす。

 空には月がいたけれど、その光は弱々しくて、俺の影を僅かに大地へと縫いとめるくらいしか出来ていない。

 さて、何処まで行こうか。

 俺は立ち止まり、周囲を見回す。

 後方には、レイカが眠る小さな家。

 前方には広がる花畑と、暗い森。


「どっちも同じか……」


 ふぅ、と息を吐きながら呟く。

 その時、不意に吹いた風に乗って、小さな唸り声が聞えた。


「え……?」


 思わず、耳を澄ませる。

 先程よりも強く、それが聞える。

 低く、小さな、唸り声。

 人の姿をしたものが発しているとは思えない、声。


「何だ……?」


 呟いた俺は、声が聞えてきた、前方の森の中へと足を進める事にした。




+++




 深夜の森は、異様なまでに光を通して明るく、そして酷い匂いに満ちていた。

 顔を顰めながら、足を止めて、前に立つ影を睨む。

 森に入ってすぐに、俺は、先程の奇妙な唸り声の主を見つけた。

 それが、目の前にいる奴だ。

 月が、星と一緒に懸命に、俺とそいつを照らす。

 そいつは、魔物だった。

 そして、本で見たり、炎の精霊達が倒し連れて来たりする奴よりも、巨大に見えた。

 どうしてこんな所にこいつが居るんだろう。

 中界で魔物を見たという話なんて、聞いたこともない。

 レイカだって、一言も言わなかった。

 だから、居ないんだと思っていたのに。

 けれど、目の前にいるこいつは、現実に存在している。

 ぐるぐる、と魔物が唸る。

  俺の五倍は軽くあるだろう体を、鳥のような鋭い爪のある足で支えている。

 体自体を覆っているのは獣みたいな毛皮で、顔はひひのみたいだ。

 両の肩から垂れ下がる2本の腕は大地に付くくらいに長く、背中には、出来そこないの虫の羽が生えている。

 そして、そいつの体全てから、腐りかけた魚みたいな、嘔吐を誘う悪臭が放たれていた。


「……くそ……っ」


 匂いに慣れない鼻に舌打ちしながら、周囲の木々へと呼びかける。

 魔物を抑えてほしいという俺の願いに、眠たげな動きをしながらそれでも木々は応えてくれた。

 木のつるが、四方八方から目の前の魔物へと伸び、巻きつき、捕らえる。

 けれどすぐに、巻きついたつるは黒い色へと変色し、腐ってぼろぼろと落ちていった。


「っ!」


 驚いて見開いた世界で、目の前に立つ魔物が長い手を振りかぶる。

 それは鞭のようにしなって俺へと放たれ、左の頬に酷い痛みを感じた時には、俺の頭は大地へめり込んでいた。

 視界がぐらぐらと揺れる。

 体の上に、重みが与えられた。

 踏まれてると気付いた時には、体がきしむような力が加えられて、口から無意味に息が吐き出される。


「っは……がっ!」


 口から思わず吐き出した唾には血が混じっていた。頬を打たれた時に口の中を切ったらしい。

 痛い。とても痛い。

 手の先がしびれて動かない。

 俺の上で、魔物が雄叫ぶ。

 どうしよう。

 どうしたら良いんだろう。

 どうにか、しないと。


「……レイカ……!」


 花畑の中央にある小さな家の中で眠る、小さな俺の異母妹。

 もしも俺がここでこいつに殺されたら、次は、レイカだ。

 そんなのはいやだ。

 耳の奥で、心臓の音が鳴っている。他の音を掻き消すような大きな音の鼓動が聞える。

 しびれて痛む体の隅々まで、ざわざわと漣のような感触が広がっていく。

 目の前が赤く染まった。

 体を突き動かしたのは、怒りにも似た恐怖だったのかも知れない。




+++




 気付けば、俺はぼんやりと立ちつくしていた。

 生臭い匂いに既に鼻は麻痺していて、体中がべたべたして気持ちが悪い。

 足元には、ドロドロとした赤い液体と、それに浮く幾つかの塊たち。

 それが何なのかを理解して、溜息が出た。


「……汚ね……」


 呟きながら、魔物の体液に塗れて汚れた、汚い掌で己の髪を掴む。 

 伸ばした髪はいつも鏡でみるような混ざり合った緑色ではなく、すべての色を混ぜたようなにごった黒に染まっていた。

 感情が高ぶった時、黒へと変色してしまう髪。

 それは、俺が、異端児である証だ。


「……はは……ははは……」


 小さく笑ってみたが、声が擦れてみっともない。

 口を閉じ、ついでに目を閉じる。

 精霊の世界にだって、いくつかの禁忌がある。

 みだりに他の世界へ行ってはいけないだとか。

 四大精霊、つまりは<王>様達の命令には従わなくてはならないとか。

 『純血種』を創ってはならない、とか。

 そして、俺はその禁忌の子供だった。

 『純血種』は、血の近い二人の間に生まれる、とてつもなく濃い血を持った精霊。

 俺の母親と父さんは、兄妹だった。

 一族から追い出されても気にならないくらいに互いを求めた、たった二人の兄妹だった。


「…………」


 目を閉じたままの暗闇で、叫び声が蘇る。

 『殺してやる』と、父さんが叫んでいたのを、俺はちゃんと覚えている。

 産まれた瞬間に、俺は実の父親にとっての仇になった。

 ああ、でも当然じゃないか。

 俺は自力で母親の腹を突き破り、世界へと生まれ出でた。

 そうして父さんの愛しい人を殺した。

 だから『純血種』は禁忌とされているんだ、とセイクウ様が言っていた。

 その存在は、産まれた時から業を背負ってしまうから。

 必ず母親を殺してしまうから。

 不幸に、なるから。

 君だけじゃなかったし君のせいじゃない、と優しい大きな掌が俺の頭を撫でる度に、俺はどうして良いのか分からなくて笑っていた。

 だって、憶えているんだ。

 初めて見た外の世界を、彩る赤黒い飛沫の花びらを。

 産まれた俺を見下ろした、憎しみに満ちた父さんの瞳を。

 伸びてきた大きな手を。

 圧迫された首を。

 産声を上げる前に呼吸を奪われた、その苦しさを。

 憶えているんだ。

 弱々しく、それを止めた女の人の声を。

 その、笑顔を。

 俺は殺したのに、俺を産んだあの人は微笑んでいた。


「……っ……ふ……っ」


 惨めに漏らした嗚咽は、酷く大きく聞こえた。

 ごめんなさい、と、どれだけ謝ってももう遅い。

 だから俺は暫く、そこに座り込んでいた。




+++




 夜が明ける前に帰ろうと、ふらふらと森の中を歩いて、花畑に辿りつく。

 そうして足を花々の間へ伸ばした途端、体中に貼りついていた魔物の体液が、吹き飛ばされるように俺から剥がれて落ちた。

 驚いて目をやれば、花畑の外で、魔物から滴っていたのと同じ水がたまった水たまりがある。

 そして、俺の体には、もう一滴もそれは残っていなかった。


「……ああ、結界か……」


 ふと気付いて、ぽつりと呟く。

 きっと、<王>様達がこの花畑に結界を張っているのだ。

 それが、レイカを守ってくれている。

 だから魔物の気配であるものを全て拒むんだろうと、水たまりを眺めてそんな風に思った。

 つらつらと考えているうちに、気持ちが平静になってきたのかも知れない。風が吹いて揺れた俺の髪は、もとの色に戻っていた。


「……早く戻ろう……」


 ふ、と息を吐いた。

 弱々しい月光を発する塊ももう空から傾いているから、あと少しで夜明けがやってくる。

 それまでに家へ戻ろうと、俺は足を動かした。

 帰ったら、とりあえず水でも浴びよう。

 もう汚れは殆ど結界に阻まれて落ちてしまったけれど、それでも体に染みついた感触が気持ち悪いから。

 それから、出来たら、少し眠って。

 いくらかは魘されるかもしれないけれど、多分いつもよりマシだろう。

 そして、起きてきたレイカに起こされたら、一緒に食事を作ろう。

 いっぱい話をしよう。

 いっぱいいっぱい、話をしよう。

 ただひとりのきょうだいと、その寂しさを分かち合えるように。

 俺の足は、きちんと小さな家へと辿り着いた。

 俺の汚れた掌がゆっくりと扉を開き、


「……ただいま」


 とても小さな声で呟いて、小さな家の中へと入った。




+++




 分かっているんだ

 俺が、世界で一番存在してはいけない子供だってことは

 親を殺した最悪な子供だってことは


 誰かに望まれる 価値すら無い子供だってことは




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