第9話 発表会の音
発表会当日の朝、オレは鏡の前でネクタイを直していた。
手が震えていた。
緊張とかじゃない。
ここまでの全部が胸に溜まって、勝手に震えてた。
応援ばっかで練習できなかった。
先輩は辞めた。
顧問とはぶつかった。
オレの音はどこにも届かないと思ってた。
でも——
今日だけは、違う音を出したかった。
「奏多、準備できたか?」
ユウキが部室の扉から顔を出した。
「……まあな」
「お前、顔こわっ。
大丈夫か?」
「大丈夫じゃねぇけど、大丈夫って言うしかねぇだろ」
「だよな」
ユウキは笑った。
その笑顔に、少しだけ救われた。
ステージ裏に並ぶと、上級生たちも緊張していた。
でも、どこか空気が違った。
——発表会の空気だ。
応援とは違う。
誰かのためじゃなくて、
“自分たちの音”を出すための空気。
「一年、ソロ頼んだぞ」
トランペットパートの二年の先輩が言った。
「……はい」
ソロ。
応援じゃ絶対に回ってこない役割。
でも、発表会の曲には一年にもソロがある。
オレは深呼吸した。
幕が上がる。
ライトが眩しい。
客席が暗くて、顔は見えない。
でも、空気が震えてるのがわかった。
「——始めます」
顧問の声が響き、曲が始まった。
最初のフレーズは木管。
次に金管が重なる。
応援とは違う。
ちゃんと“音楽”だ。
オレの順番が近づく。
心臓が跳ねる。
手が汗で滑りそうになる。
「奏多、いける」
横からユウキが小声で言った。
「……ああ」
そして——
ソロの瞬間が来た。
息を吸う。
唇にマウスピースを当てる。
音を出す。
——響いた。
応援では絶対に出せなかった音。
雑音じゃない。
誰かのためじゃない。
“オレの音”だった。
会場の空気が変わった気がした。
ほんの一瞬だけど、
誰かが息を飲んだ気がした。
その一瞬で、胸が熱くなった。
——届いた。
そう思った。
曲が終わると、拍手が起きた。
応援のときとは違う拍手。
ちゃんと“音楽”に向けられた拍手。
ステージ裏に戻ると、先輩たちが声をかけてくれた。
「奏多、よかったぞ」
「一年であれはすげぇよ」
「お前、やっぱ音いいな」
そんな言葉、初めて言われた。
「……ありがとうございます」
声が震えた。
でも、涙は出なかった。
泣くほど報われたわけじゃない。
でも、確かに何かが変わった。
顧問も近づいてきた。
「藤倉」
「……はい」
「今日のソロ、悪くなかった」
それだけ言って、顧問は去っていった。
褒められたのかどうかもわからない。
でも、胸の奥が少しだけ軽くなった。
帰り道、ユウキが言った。
「奏多、今日のソロ……マジでよかったぞ」
「……ありがとな」
「お前の音、ちゃんと届いてたよ」
その言葉に、胸が熱くなった。
——届いた。
ほんの一瞬でも、
ほんの少しでも、
誰かに届いた。
それだけで、今日までの全部が報われた気がした。
でも、わかってる。
明日になれば、また応援が始まる。
また炎天下。
また単調な曲。
また誰にも聞かれない音。
それでも——
今日だけは、
オレの音が確かに存在した。
その事実だけが、胸の中で静かに光っていた。




