第4話 先輩の退部
その日の放課後、部室に入った瞬間、空気が変だった。
いつもなら三年の先輩たちが雑談してて、
ユウキが「今日も地獄だな」とか言って、
オレが「黙れ」って返すのがルーティンなのに。
今日は静かだった。
いや、静かすぎた。
「……なんかあった?」
オレが小声で言うと、ユウキが眉をひそめた。
「知らん。でも、あの空気はヤバいやつ」
「だよな」
部室の奥で、トランペットパートの三年・佐伯先輩が顧問と話していた。
いつもは優しいのに、今日は顔がこわばってる。
嫌な予感しかしない。
「佐伯、ほんとに辞めるのか?」
顧問の声が聞こえた。
辞める?
辞めるって、何を?
……まさか。
「はい。すみません。もう無理です」
佐伯先輩の声は震えていた。
「応援ばっかで、発表会の曲もまともにできない。
このままじゃ、音楽やってる意味がわからなくなるんで」
オレの心臓がドクッと跳ねた。
“音楽やってる意味がわからなくなる”
それ、オレが最近ずっと思ってたやつだ。
「佐伯先輩……辞めるって、マジ?」
気づいたら声が出ていた。
先輩はゆっくり振り返って、オレを見た。
「奏多……ごめんな。
お前ら一年に悪いと思ってる。
でも、オレはもう限界だ」
「限界って……」
「応援ばっかで、音が荒れてくのがわかるんだよ。
発表会の曲、全然触れないだろ?
このままじゃ、三年間が“応援だけ”で終わる」
その言葉が、胸に刺さった。
オレも思ってた。
でも、言えなかった。
言ったら負けな気がして。
「……オレ、どうすればいいんすか」
気づいたら、そんな言葉が口から出ていた。
先輩は少し笑った。
でも、その笑顔はどこか寂しかった。
「奏多はさ、音にこだわってるだろ。
オレ、知ってるよ。
応援のときも、ちゃんと吹こうとしてるの」
「……そんなこと」
「あるよ。
だから、奏多は……自分の音、捨てんなよ」
その瞬間、喉の奥が熱くなった。
捨てんなよ、って。
そんな簡単に言うなよ。
オレだって捨てたくねぇよ。
「佐伯、もう決めたんだな?」
顧問が言った。
「はい。今日で辞めます」
その言葉で、部室の空気が完全に止まった。
誰も動けなかった。
誰も声を出せなかった。
佐伯先輩はケースを持って、ゆっくり出口に向かった。
すれ違うとき、オレの肩を軽く叩いた。
「奏多。
お前は……ちゃんと音楽やれよ」
そのまま、先輩は部室を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
オレはしばらく動けなかった。
「……奏多、大丈夫か?」
ユウキが小声で言った。
「大丈夫じゃねぇよ」
自分でも驚くくらい素直に言ってた。
「オレ……ああなりたくねぇよ」
「だよな」
「でも、このままだと……オレもああなる」
言葉にした瞬間、胸がズキッと痛んだ。
未来が見えた気がした。
嫌な未来が。
そのとき、部室の外から声がした。
「奏多くん!」
振り返ると、チアの子が走ってきた。
「明日、また応援あるんだって!
よろしくね!」
「あ、うん……」
声が弱かった。
自分でもわかる。
「え、どうしたの? なんか元気ない?」
「いや……別に」
「そっか。無理しないでね!」
彼女は笑って手を振って、仲間のところへ戻っていった。
その背中を見ながら、オレは思った。
……無理しないでね、って。
無理してんだよ、こっちは。
音楽やりたくて入ったのに、応援ばっかで。
先輩は辞めて。
オレの音は誰にも届かなくて。
でも、吹くしかない。
名前負けしたくないから。
藤倉奏多の“音”は、まだ小さい。
でも、今日だけは、その小ささがやけに苦しかった。
オレはケースを握りしめて、深呼吸した。
……絶対、このままじゃ終わらねぇ。
そう思ったのは、今日が初めてだった。




