ドッグファイトの決着
知ってるか? ムーンランナーには三種類の人間がいる。
一つ、走りの速い奴。
一つ、バトルの強い奴。
そして……その両方で突き抜けた奴。
お前は、そしてあいつは――奴らは?
その答えは、くそったれな鳥かごドームを飛び出した先。
真空の星空の下にしかないのサ。
激しい加速の中、フロントガラスを小さな宇宙のチリが叩く。真空といっても、全てが無の世界ではない。激しい紫外線や放射線が降り注ぎ、ミクロン単位のチリが舞う過酷な環境だ。
人類は、ドーム都市であるリージョンの中でしか生きていけない。
それも必死で、毎日を勤勉に働かねば生き残れないのだ。
そういう環境が自然と、国家間の戦争を忘れさせたのだった。
「カケル、見えてきた! 今、メーター読みで240km出てるから」
「決着は走りでつける……アル、もっといけるかな?」
『肯定。アルク、タキオン粒子のブースト圧をもう少し上げてください』
漆黒の闇を切り裂き、純白のモビル・モービルが駆け抜ける。
かつて人は、こうした特殊なハイチューンドを『地上の戦闘機』と称した。そして実際、モビル・モービルは生まれながらの戦闘機、兵器である。
カケルの目視でも、先を走るモビル・モービルが見えてきた。
ミサキと同じストライートだが、灰色に塗られた次世代モデルのGV-R34である。
現時点で、日本エリアでは最速にして最強のマシーンの一台だった。
無言でカケルはパッシングと同時にアクセルを踏み込む。
「変形して狙撃すれば、カケルッ!」
「駄目だよアルク。もうリージョン大江戸が目の前だ。それに……こいつの武器は強力過ぎる。――ッ、くっ!」
じりじりと眼前に迫るストライートのリアで、丸いブレーキランプが点灯する。それと同時に相手は変形、振り向きざまにショットガンを放ってきた。
そしてそのまま再変形、モービルモードで加速してゆく。
とっさのレーンチェンジを強いられつつも、律儀にウィンカーを出しながらカケルは愛車をギリギリまで路肩に寄せた。散弾のごくごく一部が、車体を構成する流体金属装甲に細かな銃創を無数に刻む。
『――ん、ぁ……っく! マスター、前方にエアゲート。リージョン大江戸です』
「あ、ああ! アル、大丈夫か。今の、もしかして」
『無問題。マスターは運転に集中してください。もうすぐ路面が1Gに戻ります』
「……さっきのトリックムーブ、かなりの腕だ。瞬間的な変形と後方への射撃、その反動で再変形からのターンして加速。アルクッ!」
無言でアルクが、懐からスティック状のメモリ媒体を取り出す。それをノートパソコンに差し込むと同時に、疾駆するオリュオーン911-TEは分厚い空気の幕へと突っ込んだ。
真空とリージョン内を隔てる強烈な気圧の壁、エアゲートである。
リージョン内で排出された二酸化炭素を用いて、ドーム都市は空気を循環させている。こうしてエアゲートで使われた気圧が地下のフィルターで浄化され、酸素となってガラスの空に大気を形成しているのだった。
「くっ、気流に負ける……離される!?」
「あっちの34、あの下品なリアウィングは伊達じゃないって感じ。エアロパーツもいい仕事してる」
「アルク、このバトルが終わったら」
「うん、パパに相談しとく。カケルになら二割引きでいいよ! 工賃もサービスで!」
「や、それは駄目でしょ。プロの職人として、さあ!」
真っ白な世界を飛び抜けると、その先にはリージョン横浜とは全く違う光景が広がっていた。夜の空に煌々と灯る大都会のネオンサイン。
その足元に広がる下町は、全てが瓦屋根の木造家屋だ。
リージョン大江戸は、月でも有名な文化保護特区である。ここには、旧世紀の東京と、それ以前の江戸の全てが詰め込まれているのである。
摩天楼のごとき高層ビルの谷間を、ハイウェイは次のリージョンに向かって続く。
やや離されたが、しっかりカケルはハンドルを握って各メーターをチェックした。
「いくよアルク。アルもいい?」
「いつでもオッケー! ……あれ、使うんだよね。どこで仕掛けるのかな」
『わたしは問題ありません。粒子残量確認、フルブースト』
爆発的な加速と同時に、激しいGがカケルを襲った。
息も詰まるほどの圧力が肉体をシートに押し付けてくる。
そんな中でも、カケルは迫りくる相手のリアウィングを睨んで集中する。限界まで洗練された緊張感が、彼の一秒を永遠にも等しい長さへと引き延ばしていた。
そして、横に並ぶ。
確か、以前にミサキから聞いているが……ストライートのスポーツモデル、GV-Rシリーズには特殊なシステムが搭載されている。コーナーでのトラクションをAIが制御し、二輪駆動から四輪駆動へとシフトするのだ。ただ馬力があって直線が速い、そういう次元の車ではないのである。
対して、カケルのオリュオーンはまだ車としては未知数だ。
相変わらずハンドリングはふわふわと不安で、真っすぐ走ることさえ神経をすり減らす。そんなカケルを横目に見て、相手が通信を投げつけてきた。
『うちの若いのを倒すたあ、やるじゃねえか。……そうか、思い出したぜ! トライスター社! 300年前に存在した、伝説の七大ファクトリーの一つ!』
「そうなの、かな? けど、関係ない……今、こいつは僕のマシーンだ。生まれなんて!」
『マジモンのオリジナル世代車かよ! へっ、燃えるぜ……ついてこれるかっ!』
まるでサーキットのような高速コーナーが続く。その緩やかな曲線を、灰色のストライートが滑るように馳せる。ブレーキ痕が吐き出されたタキオンの排輝に浮かび上がった。光の帯を引くブレーキランプを、カケルも必死で追いかける。
まだ、ここじゃない。
仕掛けるのは、こういう場所ではない。
リージョン大江戸も何度か走ってきたが、この先……日本エリアの行政府へ向かうキツめの左コーナーがある。Rが厳しい上に勾配もあって、流石の相手も減速を強いられる。
そんな瞬間が訪れた、その時にカケルはインへと愛車の鼻先を捻じ込んだ。
『なっ……馬鹿野郎っ! 心中なんて御免だぜ! そんな速度で曲がれる訳がねえ!』
だが、相手の悲鳴は絶句に変わった。
それは、ッターン! とアルクが光学キーボードを奏でたのと同時だった。
まるで見えないレールがあるかのように、カケルのオリュオーンがインベタをすり抜ける。全く減速することなく、かすかに後輪を横滑りさせながら相手を追い抜いた。
一瞬の逆転劇で、再加速を二台が同時に踏む。
しかし、すでに前に出ていたカケルのバックミラーから、あっという間にストライートの灰色が消えた。コーナーからの立ち上がりで、リアにエンジンを搭載したオリオンの爆発力は圧倒的だった。
『……手前ぇ、名乗れよ! 畜生っ、嘘だろ……こっちは600馬力の34だぜ?』
「僕は、カケル。いつか、地球の大地を走る男だ」
『地球だって!? あんな禁地になにがあんだよ! 忘れんなよ、お前はそのオリジナル世代のモビモビに乗せられてるだけ、車の差で勝っただけだってなあ!』
「いつか乗りこなしますよ。じゃ」
クンクン! とシフトレバーを操作し、さらにオリュオーンは加速してゆく。
すでに勝負は決した。
相手は負けを認めて減速したし、隣のアルクが四点シートベルトを外す。
クールタイムを兼ねてカケルもアクセルを緩め、次のサービスエリアでハイウェイを降りようとした。
その時、中央分離帯の向こうを光が突き抜ける。
そう、光としか言いようのない疾風がもみ合うように走り去った。
すれ違う瞬間、ビリビリと空気が震える。
「今のは……ミサキの姐御と、タイジさん?」
『高速でリージョン横浜へと向かっています。アベレージ280kmオーバー、今エアゲートの外へ消えました』
「わわっ、ガチバトルだ。……相変わらずいい音させてんね、タイジさんのサイファー」
アルクはモビル・モービルにはやたらと詳しい。そして、彼女が言う通り結ばれ絡み合うようなエキゾーストの片方は、普通のタキオン粒子エンジンとは違ったトーンを奏でていた。
「確か、ロータリーエンジンだっけか」
「そそ。タキオン粒子でピストンを上下左右に動かすんじゃなく、エンジンの中でぐるぐる回すんだよ。利点はそもそも――」
またアルクのうんちく講義が始まった。
そういえばと、カケルは立体映像の小さなアルに話しかける。
その間もずっと、BGMのようにアルクの声は止まらなかった。
「この車の……オリュオーン911-TEのエンジンって、アルクなんだよね?」
『肯定。水平対向六輝筒エンジンですが、なにか? マスター』
「そこ、狭くない?」
『走行時は姿が変わりますので、エンジンルームには慣れています。問題ありません。ただ』
「ただ?」
立体映像のアルが、ふと考え込むように腕組みしてフムと唸った。
そして、普段と全く変わらぬ無表情で平坦な声を響かせる。
『マウント位置の変更等は、マスターの命令にお任せします。現状、復旧率も80%まで回復しました。もうすぐフルスペックで働けます』
「命令ってのはないけど、これからこまごまと調整するかもね。な、アルク?」
歌うようにロータリーエンジンのなんたるかを語っていたアルクが、ふと気付いて「うんっ!」とはにかんだ。
そうしてカケルたちを乗せたマシーンは、まるで自家用車のような穏やかさでハイウェイを一度降りる。時刻は丁度、真夜中の二時を回ったところだ。今から普通に帰れば、リョウヤの待ってるファミレスまで一時間ちょっとだろう。
「ふーっ、喉乾いた! カケル、なに飲む?」
「いいよ、僕が行ってくる。おごるよ……今日の勝利はアルクのおかげだからね」
「やたっ、ラッキー! カケル、アタシ烏龍茶!」
「はいはい」
様々なモビル・モービルがひしめくサービスエリアへと、静かに侵入して自動販売機前の空きスペースに駐車する。低速度域では、まるで手足に直結しているような素直さだ。この操作性が、ハイウェイでアクセルを開けた瞬間に激変する。
太古の昔から蘇ったオーパーツは、暴れ馬のように主を裏切ろうとするのだ。
「さて、と。小銭あったかな。っと? え、あれ? これって」
不意に目の前で、自動販売機のランプが全て灯った。
それで隣を見ると、そこには……真っ赤なライダースーツにフルフェイスのヘルメットをかぶった、長身の女性が立っているのだった。
- TIPS -
・リージョン
月面に移民した人類は依然として、300年前の枠組みを維持していた。
国家や民族、宗教……そしてなにより企業の経済力によってエリア分けされたドーム都市。
複数のドームの集合体は、その一つ一つにリージョンという名称がつけられている。
そこに人間は、人類史の全てを持ち込んだ……捨てられなかった歴史と栄華、その残滓。
どこのリージョンも人工重力で1Gに保たれ、水も空気も循環して再利用される。
ここにはもう、戦争はない……戦争していられるほど余裕のない過酷な環境、それが月。




