ムーンチャイルド・ハイスクール
穏やかな日常の中、少年たちの眼が童心に燃える。
かりそめの太陽が沈むまで、彼らは隠した牙をそっと研ぐ。
月の夜が迎えに来るまで、彼らは年相応の高校生でいられた。
だが、カケルはもう走り始めた……逸る気持ちが加速してゆく。
退屈な授業の先に今、のちに伝説となるバトルが待ち受けているともしらずに!
ギリギリで教室に滑り込んだカケルを、退屈な一時限目の授業が待っていた。
初老の教諭が巨大な光学スクリーンに、年表を広げてブツブツと念仏のような講釈を続ける。それを手元のノート型端末で眺めながら、カケルの心は高揚していた。
謎の少女アルと共に現れた、オリジナル世代のモビル・モービル。
早く走りたい……再び走り出したい。
こんどはもっと速く、そして強く。
最初の愛車が最後に守ってくれた、この命を再び燃やしたい。
「っと、メッセージ? 授業中だってのに、まったく」
カケルは思わず教室の周囲をぐるりと見渡した。
窓際の席からは、ちょっと離れた場所で少年が振り返る。彼はニシシと笑ってノート端末を指さした。しかたがないので、小さな音量でマイクとスピーカーの範囲を調整する。
すぐに腐れ縁の親友からたのしげな声が送られてきた。
『よう! 昨晩どうだった? 姉貴の言う通りだったろ?』
彼の名は、リョウヤ=ヤマブキ。アルクと同じ、小さい頃からの幼馴染だ。昨夜のモビル・モービルは、彼の姉が墜落を教えてくれたのである。
そう、ときどき月には隕石が落ちる。
それは、300年前の過去からの贈り物。今より遥かに発達したタキオン粒子文明の、その絶頂期の産物だ。
「本当にあったよ、凄い車が。……なんででも、姐御は僕に?」
『姉貴は自分の車に夢中だからな。それと、罪滅ぼしなんじゃねーの? 一緒に走っててカケルが事故ったんだからさ』
「あれは僕のミスだよ。姐御のスピードについてけなかったし、他の連中に背後から撃たれた。そういうのを許してしまう甘さが、あのバトルではあったんだ」
そう、カケルは先日初めての敗北と共に愛車を失った。リョウヤの姉、ミサキ=ヤマブキと一緒に走ってて、他の走り屋にからまれたのだ。煽られてバトルに突入し、車列は互いに噛みあう獣のようにもつれて、そしてドーム都市の外へ。
リージョン横浜から都心部、リージョン大江戸までのスピードが乗る真空のハイウェイ。そこはモビル・モービルを駆る者たちにとっては、絶対零度の闘技場でもあるのだ。
『いい車だったよな……フォックスPZさ。遊べる車だし、俺が脚をいじったし』
「それに、ナンパには絶好の女の子受けするデザインだし?」
『それな! 海にも山にも行きたかったよ。ちょっとこじゃれたハッチバックでさあ』
「悪いけどリョウヤ、次の車は2シーターなんだ。もうナンパにはいけないよ」
突然、リョウヤが立ち上がった。
彼は驚きの表情でカケルに振り返る。
あちゃー、となったがその時にはもう遅かった。
「ちょ、なんでだよ! 女の子乗せられないじゃんかよ!」
周囲の同級生が唖然とする中、教師がゴホン! と咳払いをする。
それでリョウヤも、思わず椅子を蹴ってしまったことに赤面した。
「あー、その、なんだ。ヤマブキ君。授業はもっと静かに。それと、異性交遊もいいが、君にはもう少し歴史への認識が必要だねえ。今の点数じゃ単位あげられないよ?」
「す、すんません先生! 落第だけは勘弁で!」
「はいはい、とりあえず座りなさいねえ」
笑いが巻き起こる中、リョウヤはバリボリと頭をかきながら着席する。
同時に、ぼやきが再びカケルの端末に小声で飛び込んできた。
『ちっくしょー、恥かいた……それより、2シーター? え、なんで?』
「2ドアのクーペフレームなんだ」
『お前と俺が乗ったら、もう終わりじゃんかよ。てか、お前はアルクがいるからいいけどさあ。俺はどうするんだよ、俺は』
「まあ、セッティング出す時はアルクが乗るけど……バトルになったらもう、誰も横には乗せない。僕、また走り出すためにそう誓ったんだ」
そもそも、アルクがいるからいいという解釈はどういう意味だろうか? 快活で闊達、小柄な少女は頼れるメカニックだ。小さい頃から一緒だし、そういう意味ではリョウヤも同じなのだが。
そう、カケルは気付いていない……あまりにも日常の一部過ぎて気付けない。
ツインテールの美少女アルクは、学校ではちょっと噂の美人姉妹なのだ。姉とはなにもかも真逆なのだが、そのギャップから男子に人気がある。
姉にはちょっと、近寄りがたい雰囲気があるからだ。
そんなことを思っていると、教師は「ここは試験に出すからねえ」と声のトーンを上げる。周囲もざわめき、そして静寂の中でキーボードを叩きだした。
「えー、今から300年ほど前です。西暦2124年、大地球戦争が勃発しました。民族や宗教、経済格差に権威主義……人類の歴史は絶えず戦いを繰り返し、その都度地球は傷ついていったのです」
――大地球戦争。
それが人類最後の世界大戦だ。戦場は宇宙にもおよび、機動兵器としてモビル・モービルが生まれたのだ。輸送や高速移動に特化したモービルモードから、人型機動兵器のモビルモードへ変形する可変装脚車両……たちまち戦場の主役となったモビル・モービルは、最終決戦である低軌道戦役に大量投入されたのである。
自然の手にゆだねられた地球に、今はデブリのリングがあるのはそのなごりだった。
「でも、皮肉なもんだよね。地球を取り上げられたことで、人類は戦争をしなくなったんだから」
独り言ちて、カケルは小さな溜め息をこぼす。
古い国家の枠組みが崩壊する中、地球脱出と月への移民を先導したのは企業だった。兵器だったモビル・モービルは、月の再開発のための重機として生まれ直し、今は最新鋭の第四世代型が普通に売られている。
人類はそれぞれの文化圏、民俗や宗教ごとにことなるドーム都市群、複数のリージョンに住み分けられたのだ。そして真空の宇宙で隔たれたことで、衝突も摩擦も激減したのである。
「それよりも、っと。オリジナル世代のモビル・モービルって、みんなああなのかな? アルみたいな女の子、えっと、タキオン粒子生命体って言ってたな。それって」
実は、300年前の情報に関しては、各企業の機密合意によって情報が統制されている。当時のオーパーツのいくつかはもう、現在の人類の文明レベルでは再現不能であり、一部の大企業がその技術を独占しているという噂まであった。
そう、だから当時の全てがオーパーツなのである。
AI判定によるオーパーツの度数、オーパーセンテージと呼ばれる値が80%を越すものは、市民の所有が禁じられていた。
だから、昨夜回収したオリュオーン911-TSと、その中から現れたアル……それはまさしく、禁忌の力を秘めた太古の遺産でもあるのだ。
「けど、僕は乗るよ……乗りこなしてみせる。あ、そういえば」
今度はカケルから、そっとリョウヤにメッセージを飛ばしてみる。
今回の宝探しは、彼女の姉であり走りの師匠、ミサキからもたらされた情報だったからだ。彼女はこのリージョン横浜ではちょっとした顔で、走り屋たちの情報網を常に中心で把握している人物の一人だった。
愛車も一昔前の第三世代型という、なかなかにシブい姉貴分である。
『ああ、姉貴? 今夜会えるんじゃねえかな。いつもの場所にみんなといると思う』
「よかった。姐御にもお礼を言いたくて」
『いいって、そんなの。姉貴、バカだしさ。あー、でも行くか? 結構姉貴目当てでギャルが集まってくるんだよなあ。ウヒヒ、かわいい子がいたら、なあカケル!』
「だから、僕の車には乗せないって。……リョウヤも車買いなよ。中古にも結構掘り出し物があるんだしさ」
一瞬の沈黙があって、そして妙にリョウヤの言葉が慎重になった。
モビル・モービルは市民の足だが、それはエアボードや空中モノレール等、ドーム都市では多岐にわたる。タイヤで舗装路を走るのは、単純にその方が効率がいい事業があるからだけだ。大量輸送のために変形システムを一部捨て、作業用アームだけを持つ大型トレーラーなどがそうである。
あとは、趣味……そう、伊達と酔狂で集まる走り屋たちくらいだ。
『なあ、カケル。車は楽しくやろうぜ? お前、このままだとホントやばいよ』
「……そう、かな」
『俺は車、まだ買わないよ。毎年何人の走り屋が死んでる? 俺は外出はエアボードとバス、モノレールで十分さ』
「ナンパはじゃあ、これからは?」
『それなんだけどよ! モビルモードはなくていいから、イカした愛車がいつかほしいよな。でかいウーハー積んでさ、キラキラした女の子を沢山乗せてさ!』
「うん。いいね、リョウヤらしいや」
リョウヤとは、アルクと三人で免許を取りに教習所にも通った。彼の運転は速くはないが、ごく普通の安全運転で乗る者全てを安心させるような、そんな走りだ。
だからカケルは、彼の隣に乗るのが好きだったし、ナンパにもよく付き合った。
カケルがいた方が成功率が高いなんて、よくわからないことを言われながら。
でも、リョウヤとはこれからも親友だが、走る領域が違う。
それでも、彼との日々は決して終わらない。
カケルがまた事故って、もし命を落とさない限りは永遠だ。
「前の車さ、フォックス。あれ、直らないかな? リョウヤも気に入ってたしさ」
『ありゃもう駄目だろ、姉貴も無理だって言ってたしさ。アルクんちで今頃スクラップだろ?』
「……今朝、見てきた。あれは……全部僕のせいだ」
『やっぱ、パワーを上げて武器を強化するよりさ。本革のシートにしたり、音響周りいじりゃあよかったな。でも、お前が生き残ってくれてよかったよ。いやほんとマジで』
そして、もうすぐまたカケルは走り出す。
再び限界の領域へと向かって、新たな力で進む日が近づいているのだ。
とりあえずはチャイムが鳴って、授業が終わる。
挨拶を終えて教師が出てゆくと、リョウヤはいつも通りカケルの机に駆け寄ってきた。
「と、言う訳でさ! 今夜も港に行ってみようぜ? 姉貴もお前の顔、見たいだろうしさ」
「うん。……まあ、まだ車が仕上がってないんだけどね」
「エアボードでいいだろ。つーか、久々に勝負すっか? エアボード!」
「いや、なんか……ふわふわした乗り物、苦手なんだ。演技やトリックはリョウヤの方がダンチだしさ」
「だろ? めちゃ練習したんだぜー? これも女の子にモテるためだし」
リョウヤという男、どこまでも煩悩に正直で無邪気な少年だった。
そんな彼の誘いで、今夜はリージョン横浜の隅にある、宇宙港へと夜遊びにでかけることになるのだった。
- TIPS -
・リョウヤ=ヤマブキ
カケルやアルクとは幼馴染で、十年来の付き合い、そして悪友。
女好きで、それを隠そうともせず陽気に学生生活をエンジョイしている。
彼自身はモビル・モービルをナンパの道具としてしか見ていないが……
ちょっと足回りにはうるさく、その腕はカケルやアルクも信頼している。
姉が地元ではちょっとした有名なムーンランナーで、昔から頭が上がらない。




