硝子の空に昇る朝日
日本エリアのドーム都市、リージョン横浜に日が昇る。
硝子の空に描かれたCGの、その向こうは真空の宇宙……
星の海を見上げて、今日も新しい朝が始まった。
皆が迎える朝は、誰かがたどりつけなかった朝。
そこまでの夜を走り抜き、そして生き抜く者たちがいる。
ルール無用の違法バトルに挑む走り屋を、大人たちはムーンランナーと呼んだ……
眠らないドーム都市、リージョン横浜に朝が広がる。
ガラスの天井は快晴に蒼く輝き、虚空の宇宙は全く見えなかった。重力制御で1Gが再現されており、路上も空中も通勤通学の渋滞が始まっていた。
そんな中、エアボードでカケルは寄り道を選ぶ。
学校まではまだ時間があったし、眠れぬ昨夜の興奮はまだ胸に燻っていた。
「でも、やっぱりタイヤのない乗り物は慣れないね、っと。ふわふわしちゃってさ」
柔らかなライディングで着地を決めると、カケルはそのショップの裏手へと回り込む。エアボードを肩に担いで、いつもの手慣れた様子で従業員たちと挨拶を交わした。
ここはキラウラ・モータース。
カケルがいつも世話になっているチューニングショップで、幼馴染のアルクの実家だ。
昨夜遅く、この店に拾いものを納めたのである。
少しでも早く作業の進捗状況が知りたくて、こうして睡眠不足をおしてきたのだ。
「おう、カケルちゃん! 例の奴な、第七ガレージに入れといたぜ?」
「これまた、妙な車を拾ってきたもんだよなあ? おやっさんも手を焼いてるぜ」
「ありがとうございます。行ってみますね」
早朝から整備の人間が、忙しくモビル・モービルに手を入れている。スピードを求める者たちは、どうにかして車を手に入れ、こうして時間と金をかけてチューニングに熱中する。自分で手を汚す者もいるし、カケルも以前はできる範囲で自分の車をいじっていた。
ぶらり歩けば、その時の残滓が嫌でも目に入った。
思わず足を止めて、燃え尽きた以前の相棒にそっとふれる。
「酷いスクラップになっちまったよな。バトルを甘く見てたから……僕が壊してしまったんだ」
それは、最新のライトウェイトFRスポーツを歌う第四世代型モビル・モービルだった。中学生の頃からカケルがバイト三昧で働いて、やっと手に入れた夢のマイカーだったのだ。
さっそくライトチューンで300馬力、足回りもちょっと手を入れて排気系を強化。
モビルモードでの武装にもちょっと凝ってみたが、それも今は全てが台無しだ。
トヨタマ社製のピカピカの新車、フォックスPZ……今はもう、完全なスクラップだ。
「でも、お前のおかげで僕は怪我一つなかったよ。だからまた、走り出せる。――ん?」
ふと、力尽きた相棒の影に、隠れるように一台のモビル・モービルが停車していた。シートで覆われ全体像は見えないが、酷く小さな車体が異様な雰囲気を放っていた。
そう、ある種のオーラのようなものが車にはよくある。
「へえ、このサイズ……二輪? おやっさん、バイクフレームもいじるんだ」
バイクフレーム、いわゆる二輪タイプだ。そう思えば逆に、やや大型なイメージがある。ちょっと興味があって、シートをめくってみようとしたその時だった。
背後で呼ぶ声が聞こえて、カケルは振り返る。
「うおーい、カケル! こっちだ、こっち!」
「あ、おやっさん。おはようございます!」
「ずいぶんスゲェの持ち込んでくれたな? まあ、こっち来てみろや」
小走りで第七ガレージに急ぐと、もうそこには昨日のあの車があった。やはり、オリジナル世代の骨董品、300年前の車体には独特な存在感がある。丸いライトの顔つきは妙な愛嬌があるが、間違いなく実戦を経験した兵器の名残がそこかしこに感じられる。
「トライスター社製、オリュオーン911-TSだとよ。古いライブラリにあったが、確かにオリジナル世代……本物のモビル・モービルだぜ」
「やっぱり……走れますか? こいつ」
「AIによる判定ではオーパーセンテージも80%を超えちまってる。あちこち消耗品を現代のものに交換するとして、流体金属装甲には問題がねえよ。けどなあ」
おやっさんこと、レンジ=キラウラは車体の後方に回り込む。
このオリュオーンは珍しいエンジンレイアウトで、車体の最後尾にエンジンルームがある。解放されたその中には、暗く沈黙したエンジンがマウントされていた。
昨夜の、突然の出会いをカケルは思い出す。
確かにここから、裸の少女が現れたのだ。
真空の宇宙で、ほんのり蒼く闇を照らして。
「カケル、エンジンがうんともすんとも言わねえ。もはや完全にオーパーツだからな、こいつだけは乗せ換えになるかもしれねえ。いやほんと、同じタキオン粒子エンジンとは思えねえしろもんだ」
「……とりあえず、エンジンに関しては僕とアルクに任せてもらえませんか?」
「お、やってみるかい? アルクも15だ、そろそろエンジンばらす経験もいいだろうよ。で、そのアルクなんだけどよ。昨日からおかしいんだ、部屋にこもっちまって」
おやっさんが「頼めるかい?」というので、とりあえずはカケルは自宅側へとまわる。勝手知ったるなんとやらで、幼少期から出入りしてたから気負いはなかった。
ちょっと怖いアルクの姉がいるのだが、どうやらもう登校してしまったようだ。
「お邪魔します、おばさん」
「あら、カケルちゃん。お母さんは元気?」
「おかげさまで。今は仕事から戻ってぐっすり寝てますよ」
「そう、よかった。朝ごはんは?」
「済ませてきました。あ、それはアルクの?」
「そうなのよ、なんか部屋に閉じこもっちゃって。難しいお年頃なのかもね」
アルクたち姉妹の母とは、気心知れた仲である。相手も本当の息子のようにカケルに接してくれていた。そんな彼女からトレイを受け取り、アルクの部屋へと階段をのぼる。
10年前からなにも変わらない、実家のような安心感が少しくすぐったかった。
「アルク? 僕だ、カケルだよ。……ドア、開けるよ?」
「カケル、ちょっと待って。あーもう、とりあえず着て! なんか適当に着て!」
なんだかバタバタとした物音がして、それからアルクが首だけを出す。寝起きらしくピンクの長髪がボサボサで、それも見慣れた光景だった。
「入って。あの子も一緒で……その、パパとママには内緒でさ」
「そりゃそうだね。全裸の人間を放ってはおけないし。……人間じゃなさそうだしね」
部屋に入ると、相変わらず年頃の少女らしさがあまり感じられない。本棚はメカニック御用達の難しいものばかりが並んでいるし、自前の工具箱もちょっと妙な存在感だった。
相変わらずだなと思いつつ、カケルの視線がベッドに向けられる。
下着姿みたいな薄着の少女が、ぶかぶかのジャンパーを羽織っていた。
「や、ええと……アル、だっけ? 昨日は眠れた?」
「覚醒完了です、マスター。問題ありません」
「少しいいかな? 知ってることを説明してほしい。まず、君は何者なんだい?」
怜悧な無表情は、まるで太古の女神像のような美貌だ。どこかあどけないのに、年上の雰囲気がある。まあ、300歳以上なのだから実際に年上であることは確かだ。
そのアルが、瞬き一つせずに小首をかしげる。
「メモリ破損率、72%。ただし、エンジンとしての機能に問題はありません」
「やっぱり君、あの車のエンジンなんだ」
「タキオン粒子生命体として、あの子の動力源に指定されています」
「……オリジナル世代ってガチの兵器だったって聞いてるけど、まさかそんな」
「現状のコンディションで、400psは保証します。あの子に乗せてください」
ちょっと面倒なことになった。
かつて人類は、地球で繁栄を謳歌していた。だが、300年前に大地球戦争が勃発、最終決戦となった低軌道戦役で両陣営は大量のモビル・モービルによる総力戦を展開したのである。
今、自然保護のために人類の手を離れた地球にリングがあるのは、その時のなごりである。ときどきそこから、ごくまれに色々なものが降ってくるのだった。
「うーん、それはいいけど今はちょっと」
「とりあえずカケル、パパのいない時にアルを乗せてみるよ。アタシ、今日は学校休むから」
「僕もそうしようかな? あの車……凄く気になるんだ。早く走らせてみたい。速く速くね」
「カケルは今日は学校行って。パパもママも怪しむし、おば様にも悪いから」
「うちの母さんが? ああ、うん。学費を出してもらって、養ってもらってるからね」
「そゆこと! それでいい? アル」
アルな静かに「了解」と頷く。
抑揚のない声がひどく透き通っていて、見た目以上に人間味を感じさせない。本当に人間じゃないのだが、戦闘兵器の動力部としては可憐で華奢過ぎるイメージだ。
今はもう、最新鋭の第四世代型モビル・モービルの時代である。
タキオン粒子エンジンの排輝は無害だが、その音と光は危険な走りへと若者をいざなう。カケルもまた、その魅力に取りつかれた一人だった。
「じゃ、ノートは取っておくよ。端末でコピペしとく。朝飯、ちゃんと食べなよ」
「う、うんっ! アルのことは任せて」
「あとさ、アルク。その」
「うん?」
アルと見比べ、あられもない格好のアルクから目を背ける。
今まで話に夢中で、彼女の格好に気付いていなかったのだ。カケルがそうであるように、アルクも熱中すると周りが見えなくなるタイプの人間である。
そういうところは、出会ったころからなにも変わっていない。
「君こそ、服を着た方がいいよ。……割と子供っぽい下着はいてるよね」
「! ――あ、あわわ、そういえば! うっさいわね、アタシはお姉ちゃんとは違うの!」
ベッドでは相変わらず、座ったアルが小首を傾げている。
彼女はしかし、同世代の少女に見えても人間味が、ちょっとした気遣いがまるでできないようだった。つまり、空気が読めない。
「アルク、着衣を身に着けてください。破廉恥です」
「アンタに言われたくないわよ! 全裸娘!」
「エンジンは服を着ません。……でも、この格好は気に入りました。感謝を」
「と、とにかくカケルはもう行って! ああもうっ、恥ずかしい! もっと早く言ってよね、そういう大事なことは」
「アルク、フクヲキテクダサイ」
「早口で言えって意味じゃないわよ! つーかアルは黙ってて!」
そういう訳で、騒がしい幼馴染の部屋からカケルは学校へ。エアボードを飛ばせばギリギリ遅刻は免れる、そんな時間に気付けばなっていた。
カケルはアルクの両親に挨拶を済ませて、いつものハイスクールへ向かうのだった。
- TIPS -
・アルク=キラウラ
キラウラ・モータースの娘で、カケルとは幼馴染の15歳。
フラットなボディに童顔、ピンクの長いツインテールがトレードマーク。
この歳ですでにモビル・モービルの整備やチューニングに才を発揮……
しかしながら、熱中すると周囲が全く見えなくなるタイプの女の子。
カケルに対しては特別な想いを秘めて、時々小出しにしているのだが……?




