紅い決着
魔女の時間、それはワルプルギス……
誰もが紅い狂気に取り憑かれ、その影を追った。
そう、追いかけた……追憶の彼方へでも、追った。
それがやがて都市伝説となって、実像を失い消えても、ずっと。
リージョン箱根は、この旧日本地区でも有数の景勝地だ。移民時代に地球から持ち込んだ温泉水を、繰り返し浄化循環させた露天風呂などが人気である。
そして、一部のムーンランナーにとっては最も危険な闘技場。
急勾配のヘアピンカーブがつづら折れになった、真空の峠だった。
「カケル、ちょっとまずいかも……ここから本格的に登りになるけど」
「パワー勝負なら負けないけど。ランねえも……紅蓮の魔女も射程内に見えてる」
「思い出してよ、もうっ! この子、エンジンが、アルが一番後ろなんだってば!」
隣のアルクの言葉も、どこか耳の奥に遠い。
自分でも熱くなってる感覚があって、カケルは乾いた唇を舐める。
愛車は今日も絶好調、タキオン粒圧も安定しているしハンドリングも素直だ。
だが、すぐに相棒の言葉の意味を知る。
「ッ! そ、そうか! こいつ、RRだった!」
「登りは後ろに荷重がかかりっぱなしになる。もともと前後の質量比が悪いから」
どこまでも手応えを失ってゆくハンドル。
最初のヘアピンを力強くあがる、そのトルクとパワーはいつも以上で。それとは真逆に、前輪の接地感が失われてゆく。
そう、これがリアエンジン・リア駆動というオリュオーン911-TSの悪癖だ。
極端にリアに重量が偏っているため、高速域でフロントが浮く。
まして、加速すればその特性は顕著になり、登りの峠では最悪の弱点になるのだ。
「わわわっ、カケル! ぶつかる! ぶつかるっ!」
「ぶつからない! アル、モビル・モードへシフト!」
『了解』
横滑りに右のヘアピンカーブを蟹登りしながら、助手席側のアルクに切り立つ断崖が迫る。
だが、カケルは冷静に変形を敢行、モビルモードでその壁を蹴った。
スライディングする形で、どうにか巨大な人型のマシーンがアスファルトに火花を散らす。そのまま背のスラスターを吹かして、白亜の巨体は垂直にショートカットで飛びあがった。
だが、車道に戻るなりカケルは再び、愛車をモービル・モードへ戻して走り出す。
すかさず、ディスプレイ上のアルが無表情の立体映像を波立たせた。
『マスター、モビル・モードでの飛行移動を推奨します。目標到達まで10秒もかからないでしょう』
「やだね」
『嫌だ、とは』
「ランねえには走りで勝つ。撃墜したいわけじゃないんだ」
だが、これはあまりにも不利な走りのバトルだった。
パワーで勝れども、ハンドリングは最悪である。ならばと大きく車体をパワースライドさせれば、上り坂が六分の一の重力で襲い来る。
対して、ランのバイクフレームは軽快に小さくなってゆく。
大胆なハングオンで、真横にねそべるように、自分を地面にこするように峠道を登っていった。
「カケル、離される……」
『くっ、なんて危険な走りなんだ。ランねえ……それに、あの紅いバイクフレーム』
咄嗟にカケルは、サイドブレーキを引きながら次のコーナーへと飛び込む。スピン手前のギリギリの状態を維持して、慎重なアクセルワークで右足の感触を頼った。そのまま身長にクラッチを繋いでフルパワー、シフトダウンと同時に再び直線で加速する。
その後は二つ三つと高速コーナーが続いて、相対距離が縮んだ。
揺れるテールランプの向こうで、魔女がこちらを振り返る。
顔は見えなくても、確かに幼馴染のランだとカケルにははっきりわかった。
「僕、さ……あの事故でランねえは終わった、彼女は降りたと思ったんだ」
「……うん。でも、馬鹿姉は諦めが悪いから。義足だって、プロのレーサーは無理でも公道なら」
「追いついて、追い抜いて、そして話さなきゃ。なぜ、毎晩こんなことを、っ!」
その時、目の前で紅のバイクフレームが変形した。ウィリー走行からの、搭乗者を包み込むようなスムーズな変形。あっという間に、女性的なモビル・モードが滑るように振り返る。
瞬間、繰り出された蹴りをカケルは避けた。
危ういハンドリングで失速しながらも、結果的に魔女を抜いて前に出る。
こちらも変形しての応戦という選択肢もあったが、今ので確信した。
「あのモビル・モービルは……格闘戦に特化している? アル、データを」
『シュペリオンGX-Z、トライスター社製バイクフレーム。携行武装は両腕部のビームガン。……以上』
「やっぱり。あの小さなフレームに重武装は無理だもんな。必定、殴る蹴るの近接戦闘だ」
が、次の瞬間背後からのグレネードが横を掠めた。
それは車体の横で炸裂して、ビリビリと硬化テクタイトの窓を痺れさせる。
『データ修正。両腰にミニグレネードを増設してる様子』
「だね! けど、前に出たっ!」
「カッ飛ばせ! カケルッ!」
背後で再び変形する機械音を置き去りに、カケルはアクセルを全開に踏み締める。星空は蒼い地球のかすかな光で、月面は暗黒のモノクロームに沈んでいる。そんな視界の悪い峠道で、またしてもRのキツいヘアピンカーブが現れた。
瞬間、脳裏を閃光が走る。
一瞬の閃きは、直感。
なんの説得力も持たない、ただの勘だった。
それが先ほどまでのムーンランナーの意地と矜持を、あっさりカケルに捨てさせる。
「アルク、掴まって! 急制動、急旋回……ここでっ、変形!」
オリュオーンはモビル・モードへ変形すると同時に、ヘアピンの最奥で両手を広げた。すぐ背後は絶壁、落ちればスラスター全開での着地を選ぶしかない。それはレースの敗北、脱落を意味していた。
それでも今、カケルの中で何かが叫ぶ。
大切なもの、大事なことはなにかと訴えかけてくるのだ。
「カケルッ、馬鹿姉が来たっ! 応戦は」
「いや、いいっ! こういう時のために、お前は人の姿を象られたんだろう? なあ、オリュオーン!」
白銀のボディにツインアイを輝かせて、ズシャリとオリュオーンが身構える。格闘戦の構えにも見えるが、カケルの目的は違った。
そして、目の前を見事なドリフトで魔女が駆け抜ける。
――かに、見えた。
立ち上がりの加速時に、ズルリと後輪が滑るのがはっきり見えた。
モビルモードへの変形で立て直そうとした、その時に……魔女の時間は終わった。
「あっ、馬鹿姉っ! んもう、ホント馬鹿っ! 義足が!」
「……無理をさせ過ぎたんだ。バイクフレームは一体感が全て、それはつまり……自分がモビモビの部品になるって意味でもあるから」
変形途中のまま、ランの右脚が膝上から滑落した。火花を散らしてクラッシュ、そのままかろうじてモービル・モードに立て直す。
だが、300ps以上のパワーを誇るモンスターマシンは、片足の魔女に牙を剥いた。
そうなる未来が、カケルにはわかっていたのだった。
「まずいよカケル! スペーススーツの空気が、取れた義足んとこから!」
「わかてった。あの時、蹴りを避けた時に感じたんだ。ランねえの膝の悲鳴を」
瞬間、オリュオーンは全力で前に出る。
部品をばらまき暴走状態になったシュペリオンを、両手で抱き上げ地を蹴る。
バトルは終わった……勝者も敗者もいない。
ただ、紅蓮の魔女の伝説は今夜をもって消えることになる。
ここからは宙を飛んでのショートカット、真っすぐリージョン箱根のエアゲートに飛び込んだ。夜の星座を楽しんでいた、何人かの観光客が振り向き散り散りに逃げる。
そんな中でランとシュペリオンを降ろして、カケルも愛車をモービル・モードへ戻した。
基本的にリージョン内では、モビル・モードへの変形が禁止されていた。
「ランねえ!」
すぐに相棒を飛び降りると、カケルは真っ先に駆け寄った。その先に、片足を失った魔女がヘルメットを脱ぐ姿。そう、やはり正体はアルクの姉、ランだった。
彼女はまとめた髪もほどくと、やれやれと肩をすくめて苦笑する。
「……どうしてわたしのクラッシュがわかったのかしら?」
「無茶してたから。膝、義足……あとで拾ってこなきゃ」
「無理じゃなかった、いけるとおもったの。そうでしょ? ……わたし、まだ走りたい。走りたかった。でも、今度こそ本当に終わりですわ」
判断を間違えていれば、千切れた義足がスペーススーツを喰い破った、そこからの空気の流出でランは死んでいた。咄嗟のカケルの判断がその窮地を見抜いたのだ。
「とりあえず、隣に乗って。夜間病院に行くから。……おっと、重い」
「あ、こら! なに言ってますの? むしろ、脚一本分軽くてよ」
「はは、そうだね。それと――」
自分より長身のランを、両手で抱き上げた。
カケルは目の前に倒れた一台のバイクフレームに目を細める。
そして、寄り添うようにその加熱したボディに触れる少女にもだ。彼女は……アルクは素早く端末のコネクタをシュペリオンに接続する。
「馬鹿姉……終わりだなんて言わないでよ。この子、まだ走れる。デチューンしてフルパワーで200ps、そこまでなら……今の馬鹿姉だって乗りこなせるよ」
「アルク……」
「この子、キャリア―呼んでうちに運ぶね。カケル、馬鹿姉のことよろしく!」
妹の無理に作った笑顔に、自然とランも微笑みをこぼした。
この凸凹姉妹は、カケルが思っているよりずっと互いに信頼しあっている。ランが当たりが強いのも、アルクをムーンランナー界隈のもめごとから守りたいからだった。
同時に、捨てられなかった。
かつてプロ目前と言われたスピードの領域の、その向こうに紅く広がる夢を。
「ゴメン、アルク。任せられて?」
「うんっ! 馬鹿姉の……お姉ちゃんの相棒だもん。ボクが責任もって直すし、きっちりデチューンしてエンジョイモードにしてあげる!」
「……ふふ、やな子ですわね。お願いするわ、でもエンジョイモードって呼ぶのはやめてくれるかしら? あと、パワーも250psは欲しいわ」
「今度は左足も持ってかれるよ? 義足ならまだしも、その太い大根足持ってかれちゃうんだから」
「ぐぬぬ……いいわ、とにかく任せますの! 任せるから、お願いね」
こうして、紅い夜は終わった。のちにワルプルギス事件と呼ばれる一連の魔女狩りは、ムーンランナーたちの語り草となって都市伝説になるのだった。
- TIPS -
・リージョン箱根
高級リゾート地であると同時に、その峠道が人気のリージョン。
旧日本地区、関東エリアのリージョンでも有数の観光地である。
その峠道は、昼間は観光バスが行きかい賑やかだが……
夜になると、まったく別の顔を見せるのだ。
登りと下り、モビル・モービルの戦場へと早変わりである。




