第一章
「遼っ!」
タツちゃんの悲鳴に近い声を聞いた瞬間、顔を上げて目を大きく見開いた。
「あ」
すぐそこには、勢いよく迫り来るトラックの姿がある。
キイイイイイィィィッ
ブレーキ音が耳を貫くようにあたりに鳴った。
本能が俺に語りかけた。「諦めろ」と。
やばい、避けられない——。
激しい衝撃と共に、視界が真っ暗になった。
——そもそもどうしてこんな事故が起きたんだっけ。
えっと、確か高校が祝日で休みだからと、俺・澄沢遼は親友のタツちゃんこと伊辺達海と一緒に近所の公園でバレーをしていたはず。
それで、タクちゃんがボールを勢いよくトスして、その放物線は思っていたよりも外れちゃったんだよな。
公園の外を通過して、道路へ転がっていったから、俺は「じゃあ、俺が取ってくるわ!」て言ってそれを追いかけた。
俺の視線はまるで他の音や風景が全て消されたみたいに、ボールだけを追っていた。
それがきっと駄目だったのだ。
ボールは転がり続けて、道路の中央近くで動きを止めた。
俺はそれをゆっくりと拾い上げた。
そして、タツちゃんの悲鳴を聞いてトラックに気づいた。
で、そのまま轢かれたということか。
——今思い返せば、あまりにもテンプレートな事故だった。
そして今の俺は、どういう状態にいるのだろうか。
まるで暗闇の中を彷徨っているような感覚。
生きているのか死んでしまったのかわからない。
まだ読めていない連載マンガや家族の顔、タツちゃんの笑顔。
そして、恋していた高嶺の佐藤さんの顔が走馬灯のように頭の中を回る。
俺、母さんたちに感謝も言わないまま死んじゃうとか嫌だよ。
タクちゃんに借りていたマンガ返してないし、佐藤さんに自分の気持ちを伝えられていないし。
死を意識した途端、猛烈にやらなくてはいけないことが沢山脳裏に浮かんだ。
俺を轢いたトラックって大型だったよね。
数トンもある大型トラックに正面から当たったって、あまりにも生存率が低いぞ。
いや、でも接触して跳ね飛ばされたとすれば、本体に踏み潰されていないから生きているはず。
お願いです、神様。俺、大型トラックに踏み潰されていませんように、踏み潰されていませんように。
けれど願ったとしても、結果は変わらないのだろう。
その時、俺の耳に何か声が入ってきた。
「……い」
——え、呼ばれてる?
も、もしかして俺病室にいる?起きなきゃ。
「おい」
「いたっ」
額をペシッと叩かれた感触がして俺は、思わず目を開いた。
「ちょっと、怪我人に何をするんですか」
目をぼんやりと開ける。
「あれ、誰もいない」
額を叩かれたのは、勘違いだったのだろうか。
変なの。と思いながら俺は目を擦った。
「え」
俺は、目の前に広がる光景に思わず目を見開いた。
「嘘だ…」
体を勢いよく起こす。
あたりを勢いよく見てみるが、上を見ても、下を見ても、どこを見ても——。
真っ白だ。
そして無限に続くこの空間には俺しかいない。
ということは。
「やっぱり死んだのか…」
死んだ後の世界を妄想したことはあったが、真っ白だったとは。
こんな歳で、死後の世界を知るとは思っていなかった。
何もやることがない。
俺は、一気に力が抜けて地面に寝転んだ。
「死後ってこんな世界なんだ…」
俺は、誰もいない空間でひとりごとをボソリと溢した。
その時。
「死んでないよ」
ぬっと、視界に何かの影が映った。
「うわぁっ!?」
俺は慌てて、寝転んだまま後退りをした。
「あ、ごめん。びっくりした?」
「はい、びっくりしましたよぉ、、」
俺は目を伏せながらため息をついた。
その声の持ち主は、ゆっくりと俺に向かって歩いてくる。
俺が地面を黙りこくりながら見ていると、たまたま相手の足が視界に映った。
足細くない?
最初はそんなことが思い浮かんだ。
そしてボーとしながら見ていると、俺は違和感に気がついたのだ。
——あれ、足が透けてる。
まるでガラスでできたような艶のある足。
もしかして…。
俺はおそるおそる視線を上げた。
そして、「うわぁ」と思わず声を漏らした。
予想通り、相手は人間ではなかった。
けれどなんて言えば良いかわからない。
妖精でもないし、妖怪でもない。だからと言って天使のような見た目でもない。
名前を知るまで、一旦少年と呼ばせてもらおう。
なんという生き物かわからないのは置いておき、衝撃なのが圧倒的なその美貌である。
どこか人間より儚げな雰囲気を纏い、まつ毛は長くこちらを見つめる瞳は光の角度によって紫色に見える。
顔のラインは細いが、どこかに幼さを残したその顔は見た目からして、15歳くらいの少年だろう。
服は、紺色の質素な和装。膝上までの丈で動きやすそうだ。
そして決定的に人間じゃないと断定できるのは肌の質感である。
血色感のない薄い金色の肌は、まるでガラスのように見える。いや、絶対ガラスでできている。
「すご…」
今まで見たことのないビジュアルと、整った顔に目が眩みそうになる。
思わず感嘆の声を漏らすと、少年は眉を顰めた。
「何?」
「いえ、なんでもないです」
反射的にそういうと、少年は少し黙り込んでから俺に手を伸ばした。
「え?」
自分に差し出された手に、俺は首を傾けた。
「立たせてあげる」
少年がそう言って、俺は理解した。
「あ、ありがとうございます」
俺はその手に向かって手を伸ばした、が。
ひゅうっ
手は、少年の手をすり抜けた。
改めて手を見てみると、自分の手が透けている。
「幽霊かぁ」
俺が、ふとそんなことを口にした。
少年が俺に向かって口を開く。
「今のお前は、幽霊ではない。けれど今は時間がないから後で説明する」
「じゃあ、俺死んでいないんですか?」
「そうだな」
少年はそう言いながら、背負っていた竹でできたかばんをガサゴソと探っている。
俺は「何してるんだろうな」と思いながら、静かにその様子を見守る。
「はい」
少年は手に朱色の判子のようなものを俺に向けた。
「何ですか、これ。」
俺が聞くと、少年は自身の腕の裾を捲った。
その腕には、朱色の難しい漢文のような文章が2行書かれていた。
少年は、裾をまた元に戻しながら俺に言う。
「天界に入る時に必要な印鑑。これを置くことでお前はこの世界では物に触れるし、人にも触れるようになるよ」
「て、天界?」
聞きなれない単語に俺が思わず聞き返すと、少年は「後で言うって言っただろ」と呆れ口調で俺に言う。
「そうでしたね…」
俺がコクコクと頷くと、「よし。じゃあ印鑑押すぞ」と俺に声をかけた。
「はい」
俺はパーカーの袖を捲った。
腕にひんやりとした印鑑が当たるのを感じる。
ジュウゥゥッ
と印鑑が音を立てるのを聞いて俺はビクッとした。
「え、これって焼印ですか?」
焼印だとしても実質痛みは感じないからいいのだが、念のため聞いてみる。
「違う。」
即答だった。
少年はパリッと印鑑を俺の腕から引き剥がした。
「よし、終わり」
「あ、ありがとうございます」
俺が感謝の言葉を伝えると、少年はニッと笑った。
「どーいたしまして」
少年は、印鑑をまた竹のかばんにしまってから、新たに黄金に光る鍵を取り出した。
「今のお前は、白光隔室にいる。一旦ここから出て天界に行こう」
少年が俺に手を差し伸べた。
「ありがとう」
俺が手を伸ばすと、今回は手がすり抜けることが無かった。
ひんやりとした少年の手の感触が手に伝わる。
やっぱりガラスでできてるわ。
俺が内心そう思っていると、少年が右手に持っていた黄金の鍵を俺に手渡した。
「俺ですか?」
俺が首を傾けると、少年は頷いた。
「うん」
俺は、「わかりました」と言って鍵をポケットにしまった。
「じゃあ、行こう」
少年が俺も手を持ったまま、ふわりっと宙に浮いた。
「うわぁっ!」
俺は驚いて足をバタバタとしてしまった。
「おいっ!暴れるな!落ちるぞ」
少年の注意に俺は「すみませんでした」と肩を落とす。
「わかったならいい」
少年の言葉に俺は、ほっとした。
——この少年、意外と見た目に反して口が悪いよね。
こんなこと思っていることをバレたらもっと怒られそうだから黙っておく。
少年の手をしっかりと掴みながら、俺は下を見てみる。
「ひえぇ」
真っ白な空間がずっと続いている。
こんな所から落ちたら…と妄想するとあまりに怖くて、慌てて少年を見た。
「んー、ここら辺だな」
少年は、片目を瞑りながら白い壁を触っていく。
そして、扉を見つけたのか手の動きを止めた。
「おい、鍵で開けろ」
少年の言葉に頷いてポケットから黄金の鍵を取り出す。
そして少年が指差すところに向かって鍵を差し込むと、本当に穴があった。
「右回しだ」
少年の言葉に頷いて俺が右に回すと、かちゃりと開いた。
「やった!ってうわぁっ!?」
扉が開いた瞬間、辺りが金色に光る。
「目を瞑れ」
少年の声を聞いて俺は目を瞑った。
俺らは、金色の光に包まれながら一緒に物凄い勢いで扉の中に引き込まれていったのだった。




