5 嫌がらせも糧にして
私は固い大きいパンとカチカチの干し肉の入った袋を持って立ち上がった。
「今は、泣いてるヒマはない……今度時間がある時にゆっくりと泣こう」
そう、今の私はやることがいっぱいある。
悠長に過去を振り返って泣いてるヒマなど一切ない。
(洗濯物を取り込んで、今日のご飯をなんとかしなきゃ!!)
私はパンの袋を持つと、タンタン、タンタンとリズミカルに階段を一気に駆け降りた。
今の私には物理的に立ち止まっている時間はない。
私がご飯を作らなきゃ、誰も作る人がいない。
私が洗濯物を取り込まなきゃ、誰も取り込む人がいない!!
(今はとりあえず、動こう)
軽やかに階段を降りて、キッチンのテーブルにパンの袋を置くと、洗濯物を取り込むために裏庭に向かった。
洗濯物は幸い全部乾いており、私はリネン庫から持ってきたカゴに取り込んだ洗濯物を入れた。
取り込みながら畳むのは難しいので、一度取り込んでから畳むことにする。
3カゴ分の大量の洗濯物を取り込むと、カゴを運ぶために3回もリネン庫を往復した。
そしてロープを片付けていると、私は畑のような場所を見つけた。
「あれ? 草に覆われてるけど、これってニンジンの葉に似てない??」
私はロープを元あった場所に置くと、先ほどの畑に戻った。
そして人参の葉に似た植物を引き抜くと……
「あ、やっぱりこれニンジンだ!!」
土の中からは案の定ニンジンが出て来た。
さらによく見ると玉ねぎに似た葉も見えた。
「もしかして、これって……」
引き抜くと、やっぱり玉ねぎが出て来た。
「やった、玉ねぎが出て来た!!」
まるで宝探しでもしているようで、心が躍る。
さっきまで沈んでいたのに、ニンジンや玉ねぎを見つけただけでこんなにも嬉しくなるのだから、私は案外図太いのかもしれない。
そう思うとなんだか、さらにおかしくなった。
さらに玉ねぎを抜いた拍子に手が触れて、いい匂いがした。
「あれ? これってローズマリー?」
今、私の手の中にニンジンと玉ねぎとローズマリーがある。
そして、キッチンのテーブルの上には、干し肉と固いパン。
「何か出来そう!!」
私は食材を持って弾む足取りでキッチンに向かった。食材をキッチンに置くと、時計を見た。
夕食の支度を始めるにはまだ少しだけ早い。
「先に洗濯物を畳もう!」
私は手をキレイに洗って、リネン庫に向かうと大量の洗濯物を畳んだ。
そしてその畳んだ洗濯物をシーツなどの片付ける場所のわかるものは片付け、それ以外のハロルド様の服や下着はカゴに入れると、キッチンのソファの前の椅子にカゴごと運んだ。
どこに片付けるのかわからないので、夕食の時にハロルドに聞くことにする。
時計を見ると夕食の準備をするのにいい時間だった。
「そろそろ夕食を作ろう! 調味料あるかな~~」
私はごそごそと戸棚を探すと、ツボの中に白い粉を見つけた。
「ん~~限りなく塩っぽいけど、怖いな……」
おそらくキッチンにある粉と言えば、塩か砂糖か片栗粉。私はまず、コップを用意して白い液体を水に溶かした。
白い粉は水に溶けた。
「あ、溶けたってことは、これは片栗粉じゃない!」
片栗粉は水に溶けない。
そして私は鉄鍋を用意して、白い粉を火にかけた。
しばらく火で炙ったが、白いままだ。
「うん。焦げないってことはこれは、砂糖じゃない! 塩だ!」
私はようやく、焼いた塩を少しだけ指に乗せて舐めてみた。
やはり塩だった。
「うん。やっぱり塩だ。これを料理に使おう」
初めての調味料を口にするのは怖いので、私は一度ツボの中の塩を全て火で炙って焼き塩にした。
これで熱消毒にもなるだろう。
そしてツボをキレイに洗って、乾かす。
ツボを乾かしている間に私はさっき洗った小さめの寸胴鍋に水を入れた。
ここのキッチンには小さな井戸があり、自由に水を汲み上げられて便利だ。
寸胴鍋を火にかけて、私は玉ねぎやニンジンやローズマリーを洗った。
そして、ニンジンと玉ねぎを切って鍋に入れた。袋から干し肉も取り出し包丁で小さく切ると鍋に入れた。
味付けが塩しかないので残念だが、煮立ったらローズマリーを入れる。
するとお肉とローズマリーのいい匂いがしてきた。
私は釘が打てそうなほど固いパンを薄く切って数切れシチュー皿に乗せた。
「そろそろできるから声をかけに行こうかな……」
私がハロルド様に声をかけようとするとガチャリと扉が開いた。
呼びに行こうと思ったが、その前に彼の方から来てくれた。
「とてもいい匂いがします」
私はハロルド様を見ながら笑った。
「ちょうど、今、呼びに行こうと思っていたのです!」
私は自分の分を残して、ハロルド様の分のスープをお皿に注いだ。
そしてスープとスプーンをテーブルに並べた。
「どうぞ、召し上がってください」
ハロルド様は、首を傾けて私を見た。
「あの……アリシアさんは……」
「ハロルド様の後にいただきます」
するとハロルド様が困ったように言った。
「アリシアさんさえよろしければ、一緒に食べませんか? 冷めてしまいますし……」
まさか雇い主の伯爵家の方と一緒に食事を許されるとは思わず、声を上げた。
「よろしいのですか?」
ハロルド様は優しげに微笑みながら言った。
「はい」
本来なら主人と一緒に食事をするなんて、決して許されることではないだろう。
だが、彼が自ら誘ってくれているのなら……
(一緒に食べた方が、早く片付くから助かるし……ここはお言葉に甘えようかな……)
「では……失礼します」
私は自分の分のスープをお皿に注いだ。
そして、ハロルド様の前に座った。
「湯気の出ている食事は久しぶりです」
ハロルド様がいい笑顔で、涙が出るようなことを言った。
「毎日、湯気の出る食事を作りますね」
「ふふふ。楽しみです」
そして二人でお祈りをして食事を始めた。
「美味しいですね!!」
ハロルド様が嬉しそうに言った。
確かに干し肉とローズマリーがとても相性が良くて美味しい。とても塩だけとは思えないほど、口の中に鮮やかな味が広がった。
「おかわりをください!!」
ハロルド様が私を見て嬉しそうに言ったが、私は眉を下げた。
「申し訳ございません……材料がなくて……少ししか作れなくて……おかわりはないのです」
元々は私のお昼ご飯(嫌がらせ)の残りのパンと干し肉を使っているので、二人分を作るのが限界だった。
野菜も奇跡的にニンジンと玉ねぎが1つずつ残っていただけだったので、満足な量にはならなかったようだ。
ハロルド様は私を見て目を大きく開けた。
「そういえば……とても綺麗になっていますよね!? 片付けてくださったのですね。それに、食材……すみません!! これはどこから!?」
そういえば、ハロルド様も一緒にキッチンの扉を開けたので、ここの惨状は知っている。
だから食材がないことに気付いたようだ。
「私の持ってきたお弁当です」
「え!? では本来ならイリスさんの……それは申し訳ございません。あなたの衣食住は保障するという条件で来ていただいてるのに……明日、私と町に買い物に行きましょう!!」
ここに来る前に母から『食べるところや、住むところは提供してくれるのよ。それにお給金もしっかりいただけるわ。お給金はアリシアの好きに使ってちょうだい。くれぐれも迷惑をかけたからなんて言って、私たちに送らないように』と言われていたが……
(本当に私の食費も出して下さるのね……それは助かるわ……)
「はい、よろしくお願いします」
明日はハロルド様と町へ買い物に行くことになった。
◇
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
食事を終えたハロルド様に私は急いで声をかけた。
「ありがとうございます。ところで、ハロルド様。洗濯物はどちらに片付ければよろしいでしょうか?」
私は洗濯物をどこに片付けるのかを確認すると、ハロルド様が嬉しそうに笑った。
「ああ、服も洗ってくれたのですね!! よかった。もう着る服が無くて困っていたのです。案内します。二階です」
「ありがとうございます!」
私は大きなカゴを持って、ハロルド様と一緒に2階に上がった。
ハロルド様は屋根裏部屋の隣の重厚なドアを開けた。
「ここです」
(ここ、クローゼットなんだ……)
どうやら、クローゼットには廊下から入れるようだった。
中に入ると、パーティー用の服が数着ぶら下がっていたが、他は何もなかった。
「空っぽですね……」
思わず呟くと、ハロルド様が困ったように言った。
「ええ、大変困っていました。恐らくここの衣類は全部洗濯場にあると思います。もう着るものがないので」
「では、このカゴの分だけですが、補充しますね」
洗濯場にはまだまだ多くの服が溢れていた。今日、私が洗ったのはまだまだ序の口だ。
引き出しがたくさんあり、どれも空っぽだ。
「ハロルド様。どこに何を片付ければいいでしょうか?」
私が見上げると、ハロルド様が一番上の引き出しを開けた。
「そうですね……この辺りが下着で、ここが……何だったかな? 適当に入れてくだされば、自分で探します」
(そんなゆるくていいんだ……)
てっきり決まっているかと思ったがどうやらそうではないようだ。
「わかりました」
私は自分なりに整理して洗濯物を片付けた。
それをハロルド様はじっと見ていた。
「終わりました」
「ありがとうございます」
そして空っぽになったカゴを持った私を見て、ハロルド様は、にっこり笑った。
「このクローゼットの隣の部屋が寝室です」
クローゼットは寝室に繋がっているようだった。
「わかりました。お掃除はしてもよろしいでしょうか?」
そしてクローゼットを出ると、ハロルド様が眉を寄せた。
「掃除……そうですね……私がアトリエにいる時ならぜひお願いします。ですが……」
ハロルド様は真剣な顔で私を見た。
「アリシアさん、お願いがあります」
「はい、何でしょう?」
ハロルド様の真剣な表情につられて私も真剣に答えた。
「この階の一番奥が書斎になっています。あそこには決して入らないで下さい」
「お掃除は?」
ハロルド様は怖い顔で首を振った。
「掃除もあの部屋だけはしなくて構いません。そして私が書斎に籠っている時は近づかずに、声もかけないで下さい。いいですか? 何があっても決して声をかけない、部屋を開けないでください」
(書斎にいる時はそんなにも集中しているのか……)
「わかりました……あの……お食事は?」
恐る恐る尋ねると、ハロルド様は表情を変えずに答えた。
「食事もワゴンに乗せて部屋の前に置いて下さったら結構です」
「ワゴンに……わかりました」
私がうなずくと、ハロルド様がほっとした顔をして私を見た。
「では、私はお風呂に入ります」
お風呂と聞いて私は慌てて声を上げた。
「申し訳ございません、まだ沸かしていないのですが……」
こっちのお風呂は薪で沸かすのが一般的だ。
まだ準備をしていない。
ハロルド様が下着などを手に持ち、私を見ながら言った。
「沸かす? いえ、ここは温泉がありますので、何もしなくてかまいませんよ。ああ、たまに浴槽の掃除をお願いします」
「え!? 温泉?」
(ここには温泉があるの!? 嘘!! 嬉しい!!)
温泉と聞いて、声に出さないように感動していると、ハロルド様が優しく教えてくれた。
「はい、庭の植物なども温泉のおかげで維持しています」
「ああ、あの庭を……なるほど……」
「ではお風呂に入ってきます。今日洗濯して下さってありがとうございます」
「いえ……あ、ハロルド様! タオル、リネン室にあります」
「わかりました」
ハロルド様は、カゴの中から必要な物を取ると、ロッカーを出て行った。
私はロッカーに服を片付けると、1階に降りて食器の片付けを終えた。




