4 秘密の部屋
「ところで、アリシアさんの荷物はどこですか?」
絵を見ていた私にハロルド様が声をかけてくれて、ここに来た本来の目的を思い出した。
「外に置いてあります」
「外!? ああ、私が絵を描いていたからですね……」
ガチャリとハロルド様が鍵を開けてくださったので、私は玄関の扉を開けてトランクを両手に持った。
「持ちますよ」
ハロルド様はそう言うと、私の前に手を差し出した。
「え? いいですよ……」
雇い主に自分の荷物を持たせるなんて聞いたことがない。
遠慮していると、ハロルド様が微笑んだ。
「部屋まで行くのですから、かまいません。重そうですし、持ちますよ」
私は一つだけ差し出した。
「では、お願いします」
「両方持てますよ?」
「いえ、1つで十分です」
「そうですか? では、案内しますね」
そして私は、ハロルド様に荷物を持ってもらって屋敷内を歩いた。
廊下には、ハロルド様が描いたであろう絵がところどころに飾ってあって素敵だった。
特に美しい風景が多くて、見ていると絵の中に吸い込まれそうになる。
(ああ、毎日この絵を見て過ごせるなんて……)
私は弾んだ足取りで廊下を歩いた。
「こっちです」
そしてハロルド様に案内されて、階段を登った。階段はこの建物の中心よりも少し東寄りの位置にあり、途中の踊り場で方向転換していたので、階段の到達地点は東側の一番端だ。そしてその階段の正面に倉庫のような扉が見えた。
ハロルド様がその倉庫のような扉を開けると、暗く埃っぽい、さらに上へ続く階段が見えた。
(こんなところに階段が……まるで秘密の部屋への入り口みたい……)
ギシギシと音がする階段を上ると、部屋があった。
「ここです」
「ありがとうございます」
ハロルド様が扉を開けてくれたので、中に入ると、想像以上に広かった。
空っぽの立派な本棚。
そして大きめのベッド。
木製の長椅子。
なんといっても目を引くのが屋根に飛び出した可愛い出窓がある。
(この出窓、可愛い!!)
かけよって窓を開けると、心地よい風が入ってきた。
「わぁ……」
ここからハロルド様が絵を描いていたアトリエの前の庭が良く見える。しかもこの屋敷は少し高い場所にあって、遠くまで見渡せるので景色は最高だ。
ここが屋根裏部屋とは思えないほど、最高の景色だ。
ベッドだって広いし、本棚も大きいし、机もあるし、テーブルと椅子だってある。木製の長椅子もある。
(使用人の部屋だとは思えないほどいい造りね……)
私が部屋の中をキョロキョロと見渡していると、ハロルド様が荷物を長椅子の上に置くと首を傾けた。
「シーツなどがありませんね……1階の洗濯室の近くかな?」
「洗濯室があるのですね。では、後で探してみますね」
ハロルド様を見上げながら言うと、説明をしてくれた。
「洗濯室は、浴室の隣です。キッチンの近くにあります」
キッチンは一番東側にあった。その近くということは、洗濯干し場は南側にあるかもしれない。
このお屋敷は、アトリエの前の庭を整備するためか、建物の正面が北側で、裏側が南側だ。
そしてアトリエは一番西側にある。庭園は、屋敷の西側と南側の半分ほどの広さだ。
(西側が、ハロルド様のスペースで、東側が主に私が仕事をする場所ね)
この建物の地図がなんとなく頭に入って来た。
「わかりました。では着替えて探しに行きます。ハロルド様はお仕事に戻られて下さい」
「ではお願いします」
「はい」
ハロルド様が出て行った後に、私は動きやすい服に着替えて部屋の窓と扉を開けたまま1階に降りた。
そしてまずは、ハロルド様に教えてもらった洗濯室に向かった。
「うわっ……」
部屋を開けて、絶句した。
「ここもすごい惨状……」
洗濯室もかなり洗い物が溜まっていた。
洗濯室の隣には小部屋があったので、そこを開けるとシーツや毛布などが置いてあった。
(ああ、よかった。リネン庫見つけた。ここにシーツはあったけど……)
埃をかぶっているし、蜘蛛の巣も張っていてとてもこのまま使うことはできない。
「洗濯機があればいいけど、こっちの世界にはないんだよね……」
私はリネン庫の隣の小部屋を開けた。
(ここは掃除用具か……洗濯板に、桶、洗濯石鹸もあるな……わぁ~~脱水機もある!! 今から洗えば夕方には十分乾くよね……ここは効率よく動こう!)
私は掃除用具入れに置いてある洗濯用ではない大きな木の樽の半分くらいの大きさのたらいを手に取った。
そしてそれをキッチンに運んでキッチンの外に置いてある手で汲み上げる井戸の前に置いた。
「よし」
そしてその中に石鹸を溶かしながら水を汲んだ。
「これでよし!!」
そして石鹸を溶いた桶の中に水を半分くらいまで入れると、キッチンの中に入って、食器などを樽の中にどんどん漬け込んだ。
そして洗い場が空になる頃には樽の中には食器で溢れていた。
「これでしばらく漬け置いて、こっちはこれでOK」
私は洗濯室に戻ると、洗濯用の桶を持って、まずは自分の今夜使うシーツと毛布を洗うことにした。
洗濯場からところどころ輪になっているロープを持つと、外に出た。
「うん、今日はいい天気!!」
そして踏み台を使って、ロープを持って裏庭をうろうろしていると、杭を見つけた。
(あった!!)
私は杭に沿ってロープの輪をかけていくと、ピッタリだった。
(うん、やっぱりこれ、洗濯物を干すためのロープだったんだ)
私はさらにクリップと、こっちの世界で使われている脱水用の遠心分離機を外に出した。
(さすが、伯爵家の子息様! 遠心分離機がある!! これで洗濯は随分と楽になる)
これは桶の中に網状のカゴが入っており、それをハンドルを使ってくるくると回すようになっている。
その回す力で水分を吹き飛ばすという構造の洗濯用の脱水をする機械だ。
これがあるだけで、洗濯物も乾き方が全然違うと評判で、貴族の家にはある。
(よし、洗濯始め!!)
洗濯板でごしごし洗った後に足で踏んで水を流す、そしてまた足で踏む。
最後に、桶の水をキレイにして遠心分離機に入れてハンドルをくるくる回す。
樽の下の水を出すために穴から水が流れてこなくなったら脱水終了!!
「よし、次はこれを干そう!!」
私はまずは自分のシーツと毛布をロープに干してクリップで止めた。
ロープはかなり長かったので、まだまだ干せそうだ。
「よし、ここに干せなくなるまで洗濯するぞ!!」
私は洗濯室に向かうと、簡単な物から洗うことにした。
「シーツにタオル……多いな!!」
もしかしてタオルがなくなってシーツで身体を拭いていたのかもしれない。
「今日はシーツとタオルだけで終わりそう……」
想像した通り、シーツとタオルを3回ほど洗濯したら干す場所がなくなってしまった。
でも大きな物を洗濯したので、洗濯室はずいぶんとスッキリとした。
「これも付け置きしよう」
私は服を石鹸を溶かした桶に付け置きすると、今度はキッチンの外に向かった。
「うん、いい感じに汚れが浮き上がってる!!」
私はキッチンから食器洗い用の布と、石鹸と食器洗い用の桶を持ってきて、まずはもう一つの桶に水をためて、次々に食器を洗って、洗った食器を水を張った桶に入れて行く。
水を張った桶がいっぱいになると、いい感じに底に隙間の空いた木箱を持って来てキレイに洗った。
「これでよし!」
そして私は洗ったお皿を木箱の中に立てかけていく。太陽の光と風を直接浴びる即席食器乾燥場の完成だ。
今日はいい天気で適度に風もあるのですぐに水が切れるはずだ。
少しならいいが、濡れた状態の食器を何枚も拭いていたら食器を拭くための布がすぐに濡れてしまうので、せめてもう少し水気を取りたい。
「次々だね、次~~」
私はさらに食器を洗って、とうとう樽の中には何もなくなった。
「よし、次は……」
私は焦げ付いた鍋などを樽の中に入れた。
そして、キッチンの掃除をすることにした。
まず掃除用具入れから叩きや、ほうき、モップ、いらなくなったと思われる布の切れ端などを持ってきた。
(掃除は上から)
私は大きいハンカチをマスクの代わりにして上から順番に掃除を始めた。
埃を落としたら、食器棚やテーブル、棚などをきれいに拭く。
それから下の落ちたゴミをほうきで集めて最後にモップをかけた。
「うわ~~きれいになった!!」
そして外に出て焦げ付いた鍋などをたわしでごしごしと洗う。
鍋やフライパンも干して、私は桶をきれいに洗ってたてかけた。
「よし、食器を拭こうかな」
食器を拭こうと手を取ると陽の光のおかげでもうほとんど乾いていた。
後は少しの水滴という感じだ。
(ああ、よかったほとんど乾いてる!!)
私は食器を重ねて、中に入ると、きれいにした調理台にお皿を並べて、拭いてからどんどん食器棚に片付けた。
中身が空っぽだったのに、すべて収納すると食器棚には食器がいっぱいになっていた。
(こんなにあったんだ……)
『ぐ~~』
お腹が鳴ったが、ここに食材はない。
時計を見ると、すでに夕方……
(そういえば……私、今日はお昼食べてない……)
早朝に家を出て、休憩もなくずっと馬車に揺られてここに連れて来られた。
それからずっと働いていたので、何も食べていなかった。
「お腹空いたな……あ!!」
そして思い出した。
「そう言えば、お弁当を作ってもらったんだ!!」
馬車に酔ったので忘れていたが、私は朝ごはんを食べずに家を出たので、朝ごはんと昼ごはんをシェフに用意してもらっていたのを思い出す。
「確か、トランクに入れたよね……ついでにシーツ持って行こう!」
私は外に出るとシーツと毛布を取り込んだ。
「ん~~いい匂い!」
お日様の匂いもするが、同時に石鹸のいい匂いがした。
「もしかして、ここの洗濯石鹸って、ハーブ入りなのかな?」
この石鹸はとてもいい匂いがする。
キッチンで作業した時は、キッチンの悪臭などで鼻がおかしくなっていたので気づかなかった。
私はうれしくなりながら3階の屋根裏部屋に向かった。空気が入れ替わって爽やかな空気に満たされていたが、掃除をしなければ埃っぽい。
「明日時間があったら、ここも掃除したいな……」
私はそう呟いて、ベッドメイクをした。
そして、長椅子に置いたトランクを見て思い出した。
「そういえば、トランクが投げ捨てられたけど、お弁当大丈夫かな?」
私が急いでトランクを開けると、案の定、お弁当が入っていた袋は潰れていた。
「潰れてる……他の服は大丈夫かな?」
急いで見たが、服には影響はない。
(よかった)
私はシェフがお弁当だと用意してくれた袋を見て唖然とした。
「え!? これだけ?」
袋の中には、硬い黒パンが二つと固い大きめの干し肉が入っているだけだった。
屋敷にいた時は、みんなと同じ物を食べていたが……
(そうか、みんなと一緒に食事をしていたから、私も普通の食事が用意されていたけど……私だけのお弁当なら……これなんだ……)
固い黒パンと、干し肉なんてお弁当にならない。
馬車がかなり揺れたのでとても食べる気にならなかったが、馬車でこれを開けたら、さぞ悲しい気分になったことだろうと思えた。
「私ってこんなに嫌われてたんだ!! 婚約破棄すごいな~~みんな、私を守ってくれたたんだな……」
私は今更ながら婚約破棄の影響を思い知った。
そして同時に、家族は随分と私を守ってくれていたことに気付いた。
「みんな、ごめんね……」
私はまたしても涙を流したのだった。




