28 幕引き【最終話】
「はぁ~~無事に終わりましたね」
ハルロドと一緒に最後のお客様を見送った後に、今日だけ雇っていた給仕を担当していた女性数名と、警備の数十人にお礼を渡して、帰ってもらい、私たちはキッチンのソファでぐったりとしていた。
元婚約者のニール子爵子息が乱入してきた時は驚いたが、私を描いた絵以外は、全ての絵が売れるという結果で終わった。
「ええ……ようやく終わりましたね……」
私もうなずくと、ハロルドが窓の月を見上げた。
「今日は満月ですね……数年ぶりに……この月を見ました」
ハロルドは月を見て切なそうな顔をした後に、小さく呟いた。
「私はずっと、母親の匂いに苦しんでいました。自分の母親の匂いが嫌で嫌で何度もこの屋敷から逃げ出しましたが、私がいなくなってしまっては、伯爵家から援助が打ち切られてしまいます。それであの人は……ずっと私を屋根裏に閉じ込めていました」
「……」
私は顔を上げて、ハロルドを見つめてじっと話を聞いていた。
ハロルドは苦しそうに言った。
「幼い時はわからなかったのですが、数年前に出版されたジークの本で知りました。あの匂いは『裏切り者の放つ匂い』なのだと」
そう言えば、ハロルドのお母様は不貞の末に彼を生んだと……
(そうか……つまり、彼女はハロルドが生まれてからずっと裏切り者の匂いが……母がずっとあの強烈な匂いだなんて……つらいだろうな……)
自分の母親と触れ合えず、近づけもしないなんて想像を絶するつらさだっただろう。
「もしかして、ハロルドもジークと同じように裏切り者の匂いを感じるのですか?」
ハロルドは首を振った。
「いえ……ある満月の夜。眠りについてから母親の匂いが気にならなくなりました。日記を見ると、私はジークという別人格の人間を作り出し、数日間は自分ではない別の人間が自分の身体を使うという妙なことになりました。でもそのおかげで、貴族としてお茶会【誤字】になりました。世の中には裏切り者が多いようで、どこに行っても嫌な匂いがして倒れそうになっていたのですが、ジークが生まれてからはそれもなくなりました」
「ジークが……」
「ジークとしては、裏切り者の匂いのする人間はいつか自分を裏切る可能性があるから取引はしないと言って、絵を売ったり、交渉をする時に役立てていたようです。それに、彼にとって私の母親は、自分の母親とは思えない存在だったようですし、上手く折り合いをつけて生活していると……ずっと彼のことをわかっていると思っていたのですが……最近はわからないこともあり……」
ハロルドはジークのことを思い出して、言葉を詰まらせた。
私はハロルドを見ながら恐る恐る尋ねた。
「それってもしかして、シーツが切り刻まれていたことですか?」
するとハロルドが目を大きく開けて声を上げた。
「ご存知でしたか? あなたが傷つかないように秘密裏に処理したのですが……」
どうやら、ハロルドもあのシーツの件をジークの仕業だと思っていたようだ。
「ハロルド。実は、あのシーツを切り刻んだのはジークという人格の人間ではありません」
「え……」
ハロルドが私を見て息を呑んだ。
「その言い方ですと、別の人格を持つ人間が……? 会ったことがあるのですか?」
私はうなずいた。
「はい。恐らくその人物は『修二』という人間で、その人のことは……ジークの新作に書かれています」
「ジークの小説に?」
ハロルドは、私を見て真剣な顔で言った。
「ジークの書斎に行きましょう。そして……どんな人物なのか知りたいと思います」
私はじっとハロルドを見つめた。
するとハロルドが私の手を取った。
「一緒に行きましょう。嫉妬してすみません。あなたも会っているのなら、他人事ではありません。一緒に確認しましょう」
「はい」
私はそれからハロルドと共に書斎に向かった。
心底怖いと思ったが、ハロルドと一緒なら大丈夫だと思えた。
「これですね……」
「はい」
そして私はハロルドと一緒にジークの小説を読んだ。
そこには、恋人を失って命をなくした青年が、恋人と会えることを願って再び生まれ変わったが、恋人はすでに他に愛し合う人間がいて絶望する。
しかもその相手は、自分と身体を共有する相手だった。
自分ではない相手と愛し合う恋人を常に見続けることになり何度も過去の自分の軽薄な行いを悔いる……そんな話だった。
「それでシーツを……」
読んだ後にハロルドが息を吐いて、私を見た。
「私の中に狂気に満ちるほどの想いで、アリシアを想っている人間がいる。本来なら、あなたを逃がすべきかもしれない……でも……それでも……」
ハロルドが私の両手を握った。
「アリシア……私と生きてくださいますか?」
私は深くうなずいた。
「はい。あなたと共に生きます」
いろんな人に裏切られて傷ついた。
それでも私がこんなに幸せを感じることができるのはハロルドのおかけだ。
ハロルドの全てを私は愛そうと決めた。
「アリシア!!」
そして、私はハロルドに抱きしめられた。
彼の腕の中で抱かれた時だった。
「う……」
なんだかふらりと眩暈がした。
「アリシア!! どうしたのですか?」
ハロルドに声をかけられて、私は眩暈の正体を月に一度来るものかと思って気づいた。
(あれ……まだ来てない……)
「もしかして……」
私がお腹に手を当てると、ハロルドがはっとしたように声をあげた。
「アリシア、もしかして!!」
「まだわかりませんが……」
するとハロルドが私を抱きしめた。
「ああ、なんて幸運なんだ!! 元気な子を産んで下さい!!」
私は笑顔でうなずいたのだった。
◇
それから数年後。
「母上~~修二殿にフェルマーの定理を教えてもらいました」
私はハロルドそっくりな男の子ロイドの母になっていた。
「え? 待って、フェルマーの定理ってこっちの世界で発見されているの? オーバーテクノロジーなんじゃ……」
「大丈夫です。皆の前では使いません。個人的利用に留めます」
私は私と、3人の男性に育てられて賢く育った我が子を見つめた。
「うん。それがいいわね。おやつ用意してあるわよ」
「わ~~い」
「修二はどこ?」
「今は、ジーク殿に変わりアルタクのところにいます」
「呼んでくるから、先に手を洗って」
「はい」
私は馬小屋に向かうと、ジークに声をかけた。
「ジーク、おやつよ」
「ああ」
「ジークもハロルドもアルタクのこと大好きよね」
私がジークに声をかけるとジークが楽しそうに言った。
「ああ、俺は元々は馬だからな。馬が合う」
「え!?」
衝撃の事実に驚いていると、ジークが楽しそうに笑った。
「あいつがいつも苦しそうでな。見ていられなくてな。ハロルドの母親の命を無視して、馬小屋を抜け出して、ハロルドが逃亡する手助けをして処分されたが……気が付けば、ハロルドの中に入っていた」
「ええ!? そうだったの!? 元馬で、それで小説家!?」
「俺は匂いに敏感だったからな。ハロルドになったばかりの頃は本ばかり読んで人間社会の勉強をしていた。それに馬同士で情報交換できるからな、人間には気づかない視点で物語を書ける」
「なるほど……」
私が驚いていると、ジークが楽しそうに言った。
「だから安心しろ。俺は人間の女には興味がない。まぁ、この姿で馬の雌にも興味は持てない。修二もお前に執着しているからな。《《俺たちに》》浮気の心配は必要ない。それに……人の寿命は長い。ハロルドだけではなく、ロイドの成長も楽しみだ。それに次の子もな」
「そうなんだ……」
「母上~~ジーク!! まだですか?」
「今、行く!! ではいくか」
ジークが笑ったので、私もロイドを見て微笑んだ。
「ええ、今行くわ、おやつにしましょう」
相変わらず、ハロルドが表に出る期間は限られている。
だが……
「母上~~!! 急がなくていいですよ!!」
私は手を振る息子に手を振り返した。
そしてゆっくりと息子に手を引かれて歩いた。
これがきっと幸福というのだろう。
最後までお読みいただきましてありがとうございました!!
またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。




