25 準備
ジークが表に出て10日が経ったが、彼は相変わらず書斎から一歩も出てこない。
(これって絶対執筆中だよね……身体は心配だけど、新作が楽しみだな……)
ファンとしては複雑な心中で私はジークの執筆を応援していた。
商談会については、私はすでに招待客リストを作り終え、お客様に出すお菓子やお茶の手配も終わり、掃除も順調だ。
だが、相変わらず庭の準備と応接間の設営準備が終わらない。
私が商談会のことで出来ることはもうないので、《《二人》》がそれぞれの準備を始めるまで、私は日々の家事をこなしながら、二人が動き出すまで待機するしかない。
もうあと少しで商談会だ。
(準備、大丈夫かな……ハロルド……いつ表に出てくるかな……会いたいな……)
私が準備のことを考えながらも頭の中では中々表に出てこない愛おしい人のことを考えてた。
そんな散漫な状態で、朝食の支度をしながらハロルドのことを考えていた時だった。
バタバタと廊下を走る音が聞こえ、その足音は洗濯場の方に向かった。
私の心は一気に浮き上がる。
(もしかして!!)
急いでキッチンから外に出ると、息を切らしてこちらに走ってくる愛しい人の姿が見えた。
顔は疲れた様子なのに満面の笑みを浮かべて私に気付いて声を上げた。
「アリシア!!」
聞かなくてもわかる。
あれは……
「ハロルド!!」
私も走り、彼の腕の中に飛び込んだ。
大きくてあたたかい腕の中に抱かれ、幸福感に包まれる。
「ああ、アリシア! 会いたかった……」
きつく抱きしめられたハロルドの腕の中で思わず涙が滲む。
「私も……会いたかった……です……」
ジークが表に出て、10日。
ハロルドに会うのは、実に11日ぶりだった。
今回は――長かった。
ハロルドと抱き合っていると、耳に大きな音が聞こえた。
『ぐぅぅぅ~~』
顔を上げると、ハロルドが照れたように笑った。
「こんな時に……」
私はハロルドを見て微笑んだ。
「ふふふ、朝ごはん作りますね」
するとハロルドが嬉しそうに笑った。
「はい。では私もアルタクの世話をしてきます」
私たちは後ろ髪を引かれるように別れて、それぞれの仕事をするために足を動かした。
(久しぶりにハロルドと一緒にごはんだ!!)
ジークはいつも一人で部屋で食事を摂っているので、彼が表に出ている時はいつも一人だ。
私はここで働いているのだから、本来ならそれが普通だが、ハロルドは食事を共にしてくれるし、『美味しい』と言って嬉しそうに食べてくれるので、作りがいがある。それもあり、自然と食事を作るのも楽しくなってきた。
(そろそろできるな……)
食事を並べようとしていると、ハロルドがキッチンに入って来た。
「わぁ~~おいしそうですね!!」
「ちょうど準備が出来たところです」
ハロルドは洗面台に向かって戻ってくると、椅子に座ったので、私も彼の前に座った。
そして二人で食事を始めた。
「ああ、本当にアリシアの料理は最高です。いくらでも食べられます」
ハロルドは満面の笑みで私の作った料理を食べてくれる。
それをみるだけで私も嬉しくなる。
(本当に、ハロルドと一緒に食事をするのは嬉しいな……)
そして食事を終えて、食後のお茶を出した時だった。
さっきまで笑顔だったハロルドが眉間にシワを寄せていた。
気になった私は彼に声をかけた。
「ハロルドどうしたのですか?」
思わず声をかけると、ハロルドがはっとしたように顔を上げた。
「ああ……心配おかけしました。実は少し……気になることが……」
私がじっとハロルドを見ていると、ハロルドが少しだけ椅子を引いて、立ったままの私の腰に両手を回して抱き寄せた。
そしてしばらく黙った後に口を開いた。
「ジークが……私に今回彼の書いた小説を世に出すかどうか、委ねると……こんなことは初めてなのです。彼はいつも自分で決断して、私よりも積極的に動いているので……」
そういえば、ハロルドの絵はジークが商談会などを企画したり、貴族相手に交渉して売り手を見つけて聞いたし、ここに来たばかりの時に書き上げた小説も自分で出版社に送っていたようだった。
私がジークのことを思い出していると、ハロルドが小さな声で呟くように言った。
「ジークがあなたに見せてもいいと……」
「え!?」
私は驚いて声を上げた。
正直に言って、ジークの新作はかなり読みたい。
そんなことを考えている時だった。
「きゃ!!」
ハロルドに抱き上げられて、キッチンのすぐ横にあるソファに座らさられたと思ったら、ハロルドのきれいな顔が近づいて来たかと思うとキスをされた。
そして長いキスの後に私の肩におでこを付けて、小さな小さな声で言った。
「そんな顔をしないでください……嫉妬で狂ってしまいそうです……」
私はハロルドの首に両手を回して、自分から彼の唇に自分の唇を重ねた。
そして顔を離すと酷く驚いた顔のハロルドと目が合った。
「ハロルドが決めてください」
私がそう言うとハロルドが少し考えて答えた。
「私の時には……読まないで……彼の前でなら、構わないので」
てっきり読まないでほしいと言われると思ったので意外だった。
「ハロルドの前でなければ読んでもいいのですか?」
「はい……読みたいのでしょう? 顔を見ればわかります……それに彼は……あなたに読んでほしいようなので……」
ハロルドはそう言うと、私にキスをした。
だが私は内心驚いていた。
(ハロルド、私がジークの小説読みたいと思っていたのに気づいたんだ……)
私は読みたいとは口にしなかった。
だが、表情で理解してくれたことが嬉しいと思え、彼の腕に回す手に力を込めた。
すると、ハロルドのキスも深くなり、私はそれからお互いの熱に溺れた。
◇
大好きな人と一緒にいると時間はすぐに過ぎ去ってしまう。
(あ……もう、朝だ……)
気が付けば、周りは明るくなり朝が訪れていた。
隣には大好きなハロルドの寝顔が見えた。寝顔はとてもあどけなくて、思わず頬が緩んだ。
今日はハロルドのアトリエで一緒に朝まで過ごした。彼が表に出てまだ1日目なので、変わることはないだろうとの判断だった。
(そろそろ起きなきゃ……)
私がベッドから出ようとすると、ハロルドの腕に力が入った。
ハロルドの方を見れば、ハロルドが私を見て目を細めていた。
「アリシア、おはようございます。身体は大丈夫ですか?」
そして私の頬にキスをした。
「おはようございます……あの、その……身体は大丈夫です」
私もあいさつを返すと、ハロルドが嬉しそうに声を上げた。
「もう起きてしまうのですか? もう少しゆっくりしませんか?」
そして私を抱き寄せて、おでこにキスをした。
流されそうになるが、私はハロルドを見上げた。
「そうしていたいですが……さすがに商談会のことが気になります……庭の準備はほとんど終わっていないので……」
するとハロルドが「あ……」と言って私を見て、困ったように言った。
「庭の整備は終わりましたが……確かにまだ途中でしたね……」
「はい」
私がうなずくとハロルドが少し何かを考えた後に私のおでこにおでこをくっつけながら言った。
「では、昼間に頑張ったら、一緒にお風呂に入ってくれませんか?」
思わず頬に熱が集まるが、私は小さくうなずいた。
するとハロルドは、再び私のおでこにキスをして優しく微笑んだ。
「では、準備……しましょうか」
「はい」
そして二人でアトリエのベッドから出ようとすると、ハロルドが私の服を集めて持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「いえ……私の方も昨日は余裕がなくてすみません。今日はもっとゆっくりしますね」
「え……」
再び顔が熱くするとハロルドが目を細めた。
「私はアルタクのところに行きます」
「では、私は食事の支度をします」
ハロルドは目を細めて「ええ、お願いします」と言った。
その日から私たちはようやく、商談会の準備を始めたのだった。




